5.人は怒ったとき、本性を露わにする
僕が東さんを邪険にせず、とりわけ贔屓にしているのは、彼が特殊な家柄であることが大きい。
その実、日本の民話や伝説――その手の話にいたく興味があり、民俗学のフィールドワークほど本格的ではないにせよ、見聞きするのが好きだった。取材するのに気後れはしなかった。業務用スーパーの配送係にしておくのはもったいないぐらいだろう。
先祖が夢のお告げによって、海の彼方よりやってきた観音像をつかまえたなどと、こんなふしぎな伝承をもった家系はそうそうお目にかかるまいし、ましてやお近づきになる機会はない。
僕は東家に足を運ぶたび、あの手この手を使って、その家伝の詳細を聞き出そうとしていた。そう――これは業務をそっちのけにしたプライベートな取材だった。
「生で観音像を見たことがないんです。せいぜいインターネットの、仏像専門サイトで画像を見たぐらいでして。東さんとこの観音像、ばっちりネットで閲覧できるんですよ」と、僕は身を乗り出してマスクごしに言った。「ご開帳って、祭りの日だけですよね。立派な秘仏ですって。いちど祭りに参加したいのも山々なんですが、2月上旬っていうと、ちょうどウチは繁忙期の真っ只中なんで。とてもとても顔を出すことすら難しいんです。毎年悔しい思いをしてまして――」
無理を承知で鎌をかけてみた。もとより年の一度のご開帳に、例外は認められまいが――。
東さんはコップ酒を手にしたまま、眉間にしわを寄せフリーズした。
歯を噛みしめたらしく、頬が引き締まった。ガリッと奥歯の鳴る音がした。
人は怒ったとき、本性を露わにするものだ。
てっきり僕はお叱りを受けるのかと覚悟したが、意外にも東さんはグイと冷めた酒を飲み干すと、
「……よかろう。そんなに見たきゃ見せてやる。それに――ここだけのサービスだ。おまえにゃ世話になってるからな。とっておきの秘密を教えてやろう」と、赤い顔をして、お世辞にも上品とは思えないげっぷを洩らした。「なにが夢のお告げだい。そのせいで、こっちはいい迷惑してんだ!」
彼はすきっ腹に酒を食らったため、うっかり口をすべらせたにちがいない。それでおさまりがつかなくなった。きっとそうだ。
「いい迷惑?」
「尾妻、ついてこい」
やおら東さんは立ちあがると、覚束ない足どりで玄関に向かった。怪しい手つきでガラス戸の縁をつかんで身体を支えると、サンダルを突っかけた。
そして引き戸を開けて、境内の方へ行ってしまった。
僕はあわてて彼のあとを追った。
◆◆◆◆◆
こうして僕たちはお堂まで足を運び、内部へ入り、厨子を開けてもらい、秘仏と対面したのだった。
観音像はとくにびっくりするような代物でもなかった。
拝観したとたん、思わず両手を合わしたくなるほど威光を発しているようには見えなかった。
それにしても海の彼方から戦車砲弾のように飛んできて、ましてやご先祖さまが受け止めたなんて、物理的にありえない。金属の塊をキャッチしようものなら、人体など豆腐のように砕け散るにちがいない。
むしろ荒唐無稽の伝説には、なにか隠された意味があるのではなかろうか?
「つまるところ、東さんは夢のお告げを信じないのですか?」
「その点についてだが」と、東さんは苦い薬を含んだみたいに顔をしかめた。「ずっと地元の人を騙してきたみたいで心苦しい。こんな思いは、もしかしたら、おれの親父や祖父も押し殺してきたのかもしれねえ。ひと言も愚痴を聞いたことがなかったが、心のなかじゃもしかしたら――」
上の空で彼の意外な告白を耳にしていた。
禁断のブラックボックスからむき出しになった秘仏をつぶさに見つめた。その像をひっくり返せば、足の裏にでも、作った年号と日付、作者の名前を見つけることができるかもしれない。それほど、誰かのお手製の品にしか見えなかった。