4.イソギンチャクとクマノミのような仲
東さんの近況報告は、お定まりの近所の悪口にはじまり、地元役場や警察署の対応をこきおろし、テレビのなかの時事ネタにも苦言を呈する。最終的にいまの政権について痛罵を浴びせ完結するのだが、その愚痴はえんえん1時間に及ぶ。
僕は適当に相槌をくり返してやりすごすことができるが(もっとも、仕事が閑散期ならばだ)、大抵の人はうんざりするだろう。
運転免許証を所持していたころ、気が向いたら自ら軽トラを運転して、業務用スーパーまで買出しに来てくれたときもそうだ。東さんは買い物そっちのけで、店内で雑務に忙しいスタッフをつかまえては、似たような話をして同意を求めたものだ。
はじめこそスタッフも、客なので邪険にできず適当にあしらうのだが、なまじ長っ尻だけにみんな辟易し、なんのかんのと理由をつけて逃げたり、しまいには無視を決め込むようになる。
そして嵐が去るのを胸中で祈るわけである。
東 忠重さんの来店が煙たがられるまで、そう時間はかからなかった。
彼も敏感なもので、従業員にスルーされると、「おれの話を聞いてないだろう!」と激昂することもあり、軽度のクレーマーとして認知されていた。それだけに免許証返納を機に、配達のみになったことを誰もが拍手した。
そんなわけで、方波見地区が担当区域である僕が、一手に引き受けることになったのだった。
僕はこの手のクレーマーのあしらいにかけては定評があった。怒らせたとしても、なんとかなだめる自信がある。
彼の場合、長話がいささかくどいだけで、機嫌のいいときはユーモアを解し、下ネタ好きの『かわいい』じいさんにすぎなかった。稀にいる、理不尽に怒鳴り散らし、損害賠償!と連呼する厄介な人と比べれば、ずっとやりやすいではないか。
言ってみればイソギンチャクに対し、その毒の森で自在に泳ぐことができるクマノミのような関係だった。
「どうだ、おまえんとこは子どもがいるんだっけか?」
2カ月ごとに同じことを聞いてくる。
東さんに限らず、お年寄りはしばらく会わないとこんなものだ。毎回忘れてしまうのは、単に興味がないからだろう。熱燗をチビチビやり、ほどよく出来上がっていた。
僕はそのたびに、
「……いや、残念ながらいません。申し訳ないですね、日本の少子化問題に協力しちゃって」
「だらしない奴め。結婚して何年目になるんだ?」
「ちょうど2000年にしましたから、きっかり20年選手です」
「ベテランじゃねえか。さては種なしか?」そのたびに東さんは眼を丸くする。かなり失礼なことを言っているのに、悪びれたふうもない。「――尾妻。おまえ、ちゃんとやってんのか? まさか違うところに突っ込んでるんじゃあるまいな?」
と毎回、下品なことをおっしゃる。
相手が僕だから笑って許容できるが、女性ならお冠になって、二度と家の敷居を跨いでくれなくなる。
「その点についてはノーコメントで」と、軽くいなしたあと、口調を変えた。まだ現政権の政策について、素人考えの苦言を聞かされた方がましというものだ。こんなときは軌道修正するにかぎる。「それより、例の観音像について教えてくださいよ。今年の祭りは盛況だったそうじゃないですか。このあたりは信心深い人が多いんですね」
「方波見観音さまについてか」と、話題を観音像に変えられると、露骨に嫌な顔をした。それでささやかな仕返しはできた。「おまえもくどい男だ。祭り当日だけじゃなく、ふだんからおれは、お堂に供物やら花を活けなくちゃならねえんだ。その金銭的負担たるや、年間どれだけおれを苦しめてるか、おまえにゃわかるめえ。こっちは、ひもじい年金生活者だってんのに。青い方のな」
供物や生花に関しては、僕が勤める業務用スーパーからも購入されることもあった。
たしかに言ったとおり、毎日ではないにせよ、お堂への供え物だけでも東さんの蓄えから捻出され、少なからず手間暇かかっているのは想像に難くない。お堂自体の修繕も、お布施だけでおっついているかどうか。
それがために彼の長男は、先祖代々引き継がれてきた、お堂と観音像の管理を父から任されるのを嫌がり、消息を絶ってしまったそうだ。
それほど室町時代から脈々と続けられてきた方波見観音を祀る役目は、東 忠重さんや家族にとって重荷になっていた。
民話・昔話がいまに伝えるありがたさとは裏腹、現実的な問題を浮き彫りにしているのだ。