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3.現在の東 忠重

 このふしぎな言い伝えは、県のホームページで、『民話・昔話特集』というコーナーにも掲載されているほど、地元ではポピュラーな話として定着している。

 いまでもちゃんと巡礼坂や方波見かたばみ観音のお堂そのものもあるし、早春の初午の日に、のぼりを掲げて祭りを行い、年一度のご開帳だって続けられていた。


 あいにく僕は縁日に参加したことがない。

 ふだん少子高齢化し寂れた方波見も、祭りの日は人であふれ返るそうだ。そのときにご開帳があり、ありがたい観音像を拝観できるわけである。


 海の彼方からもたらされた観音像を、スーパーキャッチした室町時代の東 忠重の末裔にあたる人が、いまでもお堂ごと管理していた。自宅も境内のすぐかたわらにある平屋に住んでいるのだから、信憑性も高いというものだろう。


 それが() 忠重(、、)さんだった。

 現在の東さんの下の名前も、昔話が伝えるとおり、忠重さんである。歌舞伎役者じゃあるまいし、生まれ落ちたら襲名するらしい。

 590年前の室町時代のご先祖から数えて18代目なのである。とはいえ、なぜか7代目は忠興(、、)だった。そのへんを突っ込むべきだろうが、あいにく聞きそびれた。たまには例外もあるのだろう。


 東さんは現在、82と高齢だ。

 昨年、軽い脳梗塞と診断され、定期的に通院している。血をさらさらにする薬を飲んでいるとのこと。親戚たちの勧めもあり、運転免許証を返納したばかりだった。

 しかしながら身体は不自由とはいえ、思考そのものはしっかりしていた。とくにお金の勘定を見ればよくわかった。むしろ良すぎるぐらいだ。


 東さんは2カ月に一度ほど、僕の職場である業務用ネットスーパーで食材を買われる。かなり懇意にしてくれていた。4年前に奥さんに先立たれ、一人暮らしだったから、なおさら重宝したようだ。

 方波見地区が宅配サービスの僕の担当エリアということもあり、トラックで自宅まで運んでいるのだ。彼はまあまあのお得意さまだった。


 当社では5,000円以上のお買い上げで、若干の手数料を取られるものの、配達できる仕組みになっている。注文はPCやスマートフォンはもちろん、苦手の方なら電話でも可能だ。

 利用者は忙しい主婦が占めていると思いがちだが、じっさいは車の免許を持っていない高齢者が大半だ。


 事故を懸念して免許証の返納がこれから進むと、需要が高くなる業種だった。もっとも、近い将来はドローンに取って代わられるかもしれないのだが……。


 玄関でインターホンを鳴らし、あいさつをすると家の奥から、


「おお、尾妻、来たか。鍵はかかってない。入れ」


 との返事があったので、引き戸を開けた。


「お待たせしました、東さん。ご注文の商品をお届けにまいりました」と言ってから、ダンボール箱を段差になった部屋の入り口に置いた。箱にはカットされた野菜の梱包セットや青果、調味料、珍味、はてはカップ酒まで詰まっていた。あれほど医者に止められているというのに……。「今日は冷え込みますね。あれからお身体の具合、いかがですか? 夏場はお痩せになられてましたから心配してたんです」


 破れた障子戸を開けて、奥から東さんがやってきた。

 いつもの薄汚れた作業着を着たうえ、ベージュ色のマフラーを巻いている。鼻水が出ていた。

 お盆前に熱中症にかかり、ひと月ほど入院していたそうだ。退院してすぐ、宅配サービスを利用してくれ、そんな話をしたのを思い出した。


 あのときは顔も土気色をし、げっそりやつれていたものだ。今日の調子は悪くなさそうだった。めずらしく白い歯を見せている。


「ま、ま、ま、あがれ。今日はやけに寒い。こたつに入って話しよう」


 宅配サービスはあくまで商品を届け、料金を回収するにすぎない。だけどこうして、お年寄りの無聊ぶりょうをなぐさめることも、僕はまんざら苦にしていなかった。

 独居老人のなかには、他人としゃべったのが僕みたいな外勤しかおらず、1週間ぶりだと喜んでくれることもめずらしくない。高齢者の孤立は、これからますます増加の一途をたどるだろう。


 いまだ新型コロナウイルスが猛威をふるっている手前、お年寄りと密閉空間で接するべきではない。配達の際、マスクは必須だった。なのに東さんときたら、どこ吹く風といった様子で買い物でスーパーへ入るならいざ知らず、少なくとも自宅ではろくに口を覆ったりしたことはなさそうだった。


「いい。おれが許可する。なかに入れ」


 いつもこの調子だ。ためらったあと、僕は持ち物のアルコールで手指を消毒し、


「それじゃあ、お言葉に甘えて失礼します」


 と、慣れた様子で家にあがった。

 同じ宅配担当の仲間内でも、ここまで客の懐に踏み込んでいくのは抵抗がある者もいる。


「たまにゃおまえと話しするのも、若返りの秘訣ってもんだな」


 東さんは言いながらダンボール箱を開け、ジャガイモでも収穫するように中をまさぐった。

 カップ酒を見つけると金属のフタを開けて、台所へ持っていった。給湯器のお湯を片手鍋に満たし、ガスレンジで火にかける。そのあと、鍋の中央にうやうやしく瓶を沈めた。


「飲みすぎないようにしてくださいね、東さん」


「おうよ、なにごとも程々ってもんだ。こう寒くちゃかなわねえ。熱燗にするか。どうだ、おまえもやるか?」


「まさか。業務中です。ご自由に」


「だったら、勝手にやるさ」

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