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 止まない雨はない、と言ったのは誰だっただろうか。

 ふと、そんなことを思った。


『ヘイ。気分はどうだ、ハルヤス』


 無線から聞こえてくる声に、私はまずくぐもった笑いを溢した。


「最高の気分だよ、ユージーン、わが友よ。久々の地上は相も変わらず土砂降りだ。聞こえるか、キャノピー(フロントガラス)を雨が打つこの音! まるで銃弾を浴びてるようだよ」

『いつも通りの軽口だな。舌が躍っているようでなによりだ』


 呆れたような物言いは普段通りの振りをしても隠しきれない悲哀を含んでいる。

 でも、ここでそれを指摘するのは野暮ってものだろう。


「これを最高以外でなんて言うってんだ。気分は主演俳優さ」

『地球を救うヒーローか』

「ハリー・スタンパーと呼んでくれてもいいぞ」

『二百年近く前の映画とは、随分と古いのを出したな。俺じゃなきゃ伝わらないぞ』

「はは、確かにな」


 私はそう言いながら、乗り込んだ戦闘機のキャノピーへと腕を伸ばす。グローブ越しでも窓は冷たかった。

 それもそうだ、今の地球は冷えている。冷えすぎている。

 

 十九世紀初頭から鎌首をもたげていた環境悪化への道を滑り降りた人間たちは、今まさに自分たちの所業によって引き起こされた異常気象という名の牙の下に首を晒している。――いや、むしろもう百年ほど前には噛まれていたのかもしれない。きっと、じわじわと寄せてきていた毒が二一八五年の今になって効力を発揮したのだ。


 止まない雨。見えない太陽。 

 今の地球は、まさしく冷え切った水の星だった。


 一日も欠く事なく雨が降り続けている。雲の中に孕んだ猛毒と共に、ずっと。

 雲が空を覆いつくしたのは、おおよそ百五十年前だ。それ以来、晴れたことなどない。

 太陽を肉眼で拝んだことのある人間は、もはや延命措置を繰り返す金持ち爺さん婆さんしかいないだろう。


 おかげで地上は毒水で満ち、人間は、地上に生きる全ての生き物は、地球に生を拒絶された。強制退去命令だ。可哀想なのは、人間の自業自得の道連れにされた動植物たちだろう。

 とにかく、地球は人間たちに『出て行ってくれ』を態度で示したわけだ。


 でも人間には他に行くところなんかない。月への移住も火星への移住も、とん挫した。しかしそれで諦めるほど人間は可愛くなくて、だから、地下へと引きこもった。

 さながらノアの箱舟だ。私たち人間は、自分たちの都合に合わせて動物を選別して、そして一緒に地下に住まわせた。


 最初は大変だったらしい。今でこそ設備は整いつつあるが、なんせ地下だ。居住区画を作る作業は壮絶困難を極め、工事の最中に落盤で死んだ奴、穴から流れ込んだ水で溶けながら溺れ死んだ奴、その他諸々で死んだ奴、沢山いたそうだ。

 私たちはそんな犠牲と死屍の上でそれなりの生活をしてきた。


 でも、それにだって限界はある。


 人間というのは虫みたいに生活環が短くないから、その分だけ環境への適応も遅くなる。医者をやってる友達の言葉を借りると、地下に住んでいることが原因で変な病気が増え始めたんだそうだ。それが、限界の一つ目。

 二つ目は、居住区の容量の限界だ。こんな環境でも、生き物としての本能はあり続けるから厄介だ。地下へ移って人口増加はほんの少しだけ緩やかになったけど、それだけだった。人間は、増えた。――別に私が生涯そういう相手を持てなかったことへの僻みではないが、もう少し節度を持ってほしかった。

 ああ、僻みではない。決して僻みなどではないが。

 私がいかに純潔であるかはどうでもいい。話を戻そう。

 

 とにもかくにも、私たち人間はそろそろ地上に出たかった。でも、出るにはこの降りしきる強酸の雨と雲を何とか取り払って、太陽に顔を出してもらう必要があった。じゃないと、まともに作業が出来ないから、――ああ、そうさ。引きこもってただ泣いていたわけじゃないんだ、人間は。


 毒の水から毒を抜くための機械を作ったり、雲を取り払うための化学物質を作ったり。それから、地下に作った偽物の空に飛行機を飛ばして、ごっこ遊びみたいな戦争をしたり。いろいろやってた。全部、人間の未来のために。


 ――その全部の成果を積んでいるのが、今まさに私が乗っている相棒だ。 


『……なあ、ハルヤス』

「なんだ、ユージーン。湿っぽい声だな、まだ地上の方が乾燥してるぞ」


 ず、と鼻をすすったような音が聞こえてくる。私はそれを聞きながら、静かに目を閉じた。


『――いや、すまない。ただ……俺は、お前と友達になれてよかったよ』

「私もそう思うよ。君が友達で良かったって。だって君ほど面白い男もいないからな」

『お前には負けるよ、ハルヤス。……――ああ……ハルヤス、もう五分もすると、嵐が弱まるそうだ』


 ああ。


 自分から志願したことだから泣くまい、と思っていたのだが。

 それでも、頬を流れる熱い液体は止まってはくれなかった。


「……ああ、ユージーン。私はこれから、人類の誰よりも先に青空と太陽を見るために飛ぶ」


 声だけは明るくしたかった。不格好になったけど、それでも、希望に満ちた声を出せたと思う。


『――出来ることなら、お前と一緒に行きたかったよ』

「それは無理だな。この子は一人乗りだ。一番に晴天を拝むのは、私と、私の愛機(相棒)だけだ。君は、ここにあるドデカい空気清浄機が正常に働いて、私たちがばらまいた薬品の濃度が低くなってから空と太陽を拝むといい」

『ハルヤス……』

「楽しみにしてるって言ってくれ、ユージーン。情けないから言いたくなかったんだがな、手が震えて力が入らないんだ」

『……楽しみに、してるよ。ハルヤス。青い空を、輝く太陽を見ることができるのを』

「ありがとう、ユージーン。これで、私はもうどこまでだって飛べる。あの美しい、映像でしか見たことのない紺碧のその向こうまで。……ああ、そろそろ時間だ。通信を切るよ」


 通信を繋げておくことが出来ないわけではないが、それでも私は切ることを選択した。だって、自分の断末魔が世を呪う言葉ではないとは言い切れないから。通信機の向こうの友人には、私の最期の言葉が晴天と太陽の美しさを讃えるものであったと思ってほしいから。


「じゃあな、ユージーン。またいつか、どこかで」

『ああ、ハルヤス。また、……いつかどこかで』


 ノイズが消える。コックピットに響くのは、ほんの少しだけ弱くなった雨音だけ。

 私は深呼吸をしてから、エンジンのスイッチを引いた。

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