9.遊びの狩り
三メートル前後の体長で、丸太のように太い手足、敏捷な動作。どれもが中級モンスターのレベルを超えていることから、おそらく上級モンスターだと思われる。しかも邪龍体になると凶暴性が増し、筋力や体力が向上する。そのため普段よりも討伐が難しくなるはずだ。
だがエギルは、そんな苦労を微塵も見せなかった。
「ぐおおおおおおおおおおおおお!」
グオグルが吠えながら両椀を振るう。一撃でも当たれば瀕死になりそうなほどの迫力がある。それが絶え間なくエギルに向けられていた。
だがその連撃が当たる気配はない。エギルは涼しい顔をしてその連撃を躱し続ける。しかも一歩二歩しか動かない最小限の動作で。
「おいおい、やる気ねぇのか。もっと本気で来いよ」
回避しながら挑発し、さらに反撃を入れる。カウンター気味の斬撃が何度もグオグルの体に刻まれ、体中が血の色で染まっていた。
実力差は明らかだった。だがエギルは一思いに殺すことはせず、ゆっくりとグオグルを痛め続ける。良く言えばその姿は慎重な狩人だ。だが顔に笑みをこぼしながら蹂躙し続ける様子は、冷酷な残虐者にしか見えなかった。
「ぐ、ぐ……」
何十もの斬撃を浴びせられたグオグルの動きがついに止まる。大きく速い呼吸をし、ひどく辛そうな表情をしている。今にも倒れそうで、立っているのがやっとの様にしか見えない。その姿を見て、倒すべき敵である邪龍体のはずなのに、なぜか同情してしまった。
その瞬間、少し離れていた場所に居たウィストが動き出した。グオグルに向かって駆け出し、両手には双剣を握っている。
咄嗟の動きに反応が遅れる。僕が駆け出したときには、ウィストはグオグルの背後に迫っていた。
「もう楽にしてあげるから」
ウィストは跳び上がって、グオグルの首に双剣を突き刺す。グオグルは「ガァッ!」と悲鳴を上げると、跳びかかられた勢いで地面にうつぶせに倒れた。そして少し体が動いた後、静かになって動かなくなった。
無事に倒せたことに一安心したが、「バカ」とルカが呟く声が聞こえた。「何が?」と聞こうとしたとき、エギルの行動に意識が向く。
「ウィスト!」
僕が叫ぶと同時に、エギルの右足の蹴りがウィストに向かう。ウィストは跳び下がって回避し、その勢いで地面を転がった。すぐに起き上がったウィストの顔を見て、エギルが舌打ちをする。
「なに邪魔してくれてんだ。折角楽しくなってきてたってのによぉ」
イラついた顔でエギルが言う。予感はしていたが、やはりエギルは楽しんでいたようだ。
弱者をいたぶる下劣な行為に。
「楽しくって……あんたならあんなことせずにすぐ倒せたじゃん。それなのに悪戯にいたぶって、何考えてんの?!」
「あ゛? そんなことで邪魔したのか。ふざけてんじゃねぇよ」
エギルがウィストに近づいて蹴りを繰り出す。ウィストはそれを跳び避けるが、すぐにエギルが踏み込んで右拳を振るう。ウィストの体を狙った拳だが、ウィストは体を捻らせることで回避して着地する。直後に両手を出して押し飛ばそうとするが、両手首をエギルに掴まれる。捕まえられたかと思ったが、ウィストがその場で跳び上がって両足でエギルの体を蹴り飛ばし、強引の手を離させた。
そのまま距離を取れると思ったが、エギルはすぐに体勢を立て直して距離を詰める。左手を伸ばしてウィストを捕まえようとしたが、ウィストは右手でその手を振り払い、左足でエギルを蹴り飛ばそうとする。ウィストの蹴りはエギルの右脇腹を捉えたが蹴り飛ばすことはできない。それどころか右腕と胴体で足を挟まれてしまい、捕まえられてしまった。
「しょぼいんだよ。クソアマ」
エギルが再び左拳を振るう。捕まえられているため逃げられないウィストだったが、顔に向かってくる拳をギリギリで避けると、その腕を両手で掴んだ。すぐさまエギルが掴んでいた足を引いてウィストを倒そうとする。その直前にウィストは残っていた右足で跳び、エギルの左腕に絡みつく。
組技を仕掛けるのか、体重をかけて地面に倒す気なのか。僕よりも早くそれを察したエギルが、ウィストごと左腕を地面に叩きつけよう腕を振り上げる。
「いい加減にしろ」
エギルが体勢を低くして腕を振り下ろそうとした瞬間、ロードさんが制止する。ほぼ同時にエギルは動きを止めてロードさんを見た。
「なんで止めた。これくらい別にいいだろ」
怒気の混じった声がロードさんに向けられる。僕に言われたわけじゃないのに、一瞬だけビビってしまうほどの威圧感があった。
「その子は大事な戦力だ。怪我をさせて失うわけにはいかない」
「たかが一人くらいどうでもなるだろ。特に今回は代わりになる奴が多いんだからよ」
「邪龍体の力は未知数だ。出来る限り戦力は維持したい」
「こんなのが戦力? ちょっとは動けるみたいだが、所詮犬だろ。邪龍体を見つけるための」
「いや……」
ロードさんがフッと不敵に笑った。
「その子はお前が思っている以上の実力者だ。今はまだその片鱗しか見せてないが、いずれはお前に並ぶほどの冒険者になるほどになる」
ウィストはマイルスに居た頃は天才と呼ばれていた。しかしエルガルドにおいては、ナッシュの企てにより不当な評価を受けていた。そのため、ウィストの実力を正当に評価する者はいないと思っていた。
だがロードさんは、彼女の力を見抜いているようだった。
「こいつが? 何かの冗談だろ」
対するエギルは、眼を丸くしてウィストを指差す。
「この程度の奴、そこら中にいるぞ。それこそ今回の調査隊の中にもいる。いつからあんたの眼はそんな節穴になったんだ」
「衰えたつもりはないさ。お前と同じ才能を、その子は持っている。それを感じ取っただけだ」
「……信じられないな。こんなのが俺様と同じだとは到底思えない」
「ならばそれを見せて納得させようか」
「どうやってだ」
ロードさんが「簡単だ」と答える。
「次の邪龍体をお前抜きで倒させる」
拠点に帰ったときには、既にほとんどの冒険者達が帰って来ていた。僕達が邪龍体を討伐したことを知ると歓喜の声を上げ、その日は滞在していた前の調査隊の餞別式を兼ねての宴が行われた。
「食ってるか?」
食事場の隅の席でウィストと一緒に食事をしていたらルカに話しかけられた。両手には調達してきた料理を持っている。
「あ、うん。一応」
「その程度でか」
ルカがテーブルを見下ろす。テーブルには僕達が食べていた料理の皿が二皿残っている。
「食べられるときに食べときな。食わなきゃ力もつかない。明日からは今日よりも大変になるんだから」
ルカが持って来た料理をテーブルに置く。焼けた大きな肉が乗っており、香ばしい匂いが立っている。思わず唾を飲み込んでいた。
ルカはそのうちの一つの肉を切り分けると、そのまま口に放り込む。そして小さく頷くとまた切り分けて肉を食べる。
「ルカは仲間と一緒に居なくても良いの? 『英雄の道』の団員、ルカ以外にも来てるんでしょ」
調査隊に入っている『英雄の道』のほとんどの団員は、固まって複数のテーブルを陣取っている。それ以外のメンバーは他の冒険者達と楽しそうに飲み交わしている。その近くにオリバーさんの姿が見えた。
「今はお前達との交流を図るのが良い。しばらくはエギル抜きで戦わなきゃいけないからね。少しでもあんたらのことを知っときたいんだ」
あのとき、エギルはロードさんの提案を呑んだ。楽ができるということと、格の違いを分からせることが理由らしい。その一方でルカとオリバーさんは反対した。エギルという大きな戦力を抜きに邪龍体と戦うのはリスクが大きいという理由だった。もっともな言い分だが、ロードさんはそれを却下した。
「では君達は、邪龍体と戦う気が無いのにここに来たのかな?」
そう聞かれて、二人は渋々と意見を取り下げた。その後の空気は当然悪く、誰も一言も喋らないまま拠点に戻った。
ウィストの反撃が切っ掛けで生まれた提案に、二人は巻き込まれてしまった。だから二人とも僕達に怒っていると思っていた。だがこうして交流してくれるということは、怒りは収まっているのかもしれない。
「助かるよ。協力してくれたらなんとかなるよ」
「随分と楽観的だな。ここのモンスターのヤバさ、まだ分かってないみたいだね」
ルカが食事の手を止めて僕を見た。
「グオグルは上級モンスターだが、この森の中ではまだ楽な部類のモンスターだ。本来の強さも発揮できてなかった。あれを見て自分が通用するって思ってんなら即刻認識を改めろ」
「あれが楽な方なの?」
「あぁ、単体ならあたしでも倒せる。邪龍体ならば話は別だがな。だがこの森にはグオグルよりも面倒なモンスターが多く生息している。そいつらが邪龍体になったら厄介だ。油断すんなよ」
強い口調に思わず「はい」と返事をしてしまう。歳が近いのに迫力のある声だった。
「だからお前も、いつまでも気にしてんじゃねぇぞ」
ルカがウィストに視線を向ける。ウィストは自分のせいでルカ達を危険な目に遭わせることを気にして、あれ以降口数が少なくなっていた。
「けど私のせいでエギルが戦わなくなったじゃん。ルカが危ない眼に遭うことになったの私のせいじゃん」
「ここに来た時点で覚悟はしてんだよ。エギルが戦わないのは予想外だったが、元々いなかったって考えたらどうってことねぇ。それにあたしは感謝してんだぜ」
「え?」
「エギルにはあたしもムカついてたんだ。だが誰もあいつに敵わないから黙って見てるしかなかった。けどお前が真っ向から反抗して、しかも互角に渡り合ってエギルを退かせた。見ててスカッとしたよ」
ルカがニヤッと笑みを浮かべた。
「だからあいつ抜きで邪龍体を倒してやろうぜ。そしたらもっと良いものが見れるかもしれないぜ」
ウィストを信頼した発言に、ウィストも「うん」と強く頷く。調査隊で新たな仲間ができたことに胸を撫で下ろした。
それと同時に、一つ気掛かりだったことがあった。
―――あいつと一緒に冒険に行くんだろ。せいぜい頑張れよ
初めて会ったときのあの言葉とあの憐みの視線。それが妙に気になって、だけど空気を壊したくなくて何も言えなかった。




