30.馬鹿
英雄は突然現れる。危機を前にした僕達の前に颯爽と現れ、難なくと危険を排除する。今回もそうだ。ソランさんは邪龍の腕をメイスで殴り飛ばし、続けて胴体に向けてメイスを振り抜く。邪龍はその威力に押されて後退った。
あの時と同じだ。ツリックダンジョンに入ってしまった時も、ソランさんに助けられた。その背中に憧れて、ソランさんみたいになりたいと思った。
そして今、またあの時と同じ光景を見ていた。
「今だ! 撃てええええええ!」
別方向から声が聞こえる。その直後に周囲から邪龍に向かって矢が放出される。邪龍の体に次々と矢が刺さり、その端には縄が括りつけられている。あれで動きを封じるようだ。
「たいしてもたないだろうが、逃げるまでの時間稼ぎにはなるだろうな」
ルベイガンの姿のドーラが後ろから現れる。ソランさんは倒れていた女性を担ぎ上げ、ドーラの背中に乗せる。その所作はとても丁寧で優しかった。
「ヴィック」
彼女をドーラに乗せた後、ソランさんが僕の方を向く。思わず体がびくりと反応してしまった。
ソランさんにはエルガルドで待機するように言われていた。だがその指示を無視し、しまいには再び助けられた。そのことがあって、どんなことを言われるのかと身構えてしまった。
だがソランさんは、「ありがとな」と穏やかな声で言った。
「……え?」
「あの建物からこいつを救出したんだろ。放置してたらこいつはあの瓦礫の下で死んでた」
牢屋はさっきの邪龍の光線の余波でほぼ崩れ落ちている。あと少し遅ければ瓦礫の下敷きになって、彼女だけではなく僕も死んでいたかもしれない。
「……今まで僕は皆に助けられて、あの人にも助けられました。だから僕も、助けたい命は助けたいって思って……」
「そうか」
ソランさんはふっと笑って彼女を見る。どこか懐かしむような眼で。もしかしてこの人は……。
ソランさんが再び視線を僕に戻すと、「頼みがある」と言った。
「こいつをドーラと、他の奴らと一緒に安全なところまで連れて行ってくれ」
少し離れた場所にウィスト達がいた。倒れている者達もいるが、動いているので生きていはいるようだ。彼らと一緒に逃げられるのは願ってもないことだった。
「ソランさんは?」
「俺はあれを倒す」
そして邪龍に視線を向ける。あの邪龍と戦うつもりなんだ。あんな化け物と……。
「倒せるんですか? あんなのに……」
「倒すから英雄って言われるんだ。俺が倒せなくて誰が倒すんだ」
恐怖で動けなかった僕に対し、ソランさんは邪龍に攻撃を仕掛けた。異質な存在に怖気づく僕に対し、ソランさんは自信に満ち溢れている。勝つ方法が分からなくて困惑する僕と違い、ソランさんは勝てると言い切った。
僕は昔よりも強くなった。憧れたあの背中に近づいたと思っていた。だがそれは勘違いだった。
遠い。実力の差だけではない、とんでもなく大きな差を強く実感した。
「……分かりました。必ず帰ってきてくださいね」
「お前も頼むぞ。俺直々の依頼だ。失敗したらただじゃおかねぇ」
明るい笑みを見せた後、「だから」とソランさんが付け加えた。
「そいつを……リュカを、よろしく頼むぜ」
それが僕が最後に見た、ソランさんの生きている姿だった。
「貴様が残るのなら好都合だな」
ヴィックとリュカを背負って離れていくドーラを見届けた後、一人の鬼人に声を掛けられる。その鬼人の角は白く、本人から大きな力が感じ取れた。《白鬼》と呼ばれる鬼人の特異個体のゲンだ。
「てっきり逃げると思ったんだがな。相棒を助けた今、ここに残る理由がないからな」
やや見下すような冷ややかな眼。あの時と同じだ。
リュカを誘拐し、抵抗したソランを見ていたときの眼だ。
「あいつとの約束だ。リュカの情報を教える代わりに、邪龍討伐に手伝えってな」
「なるほど。あの猫のせいか」
ゲンがフンと鼻を鳴らす。
「たしかあいつはレグロットの妹だったか。よく兄を食った人間と協力できたな」
「あいつは人間が好きらしいからな。それに十年以上経っているうえに世界の危機だからな。その辺は割り切ってんだろ」
リュカの情報を教える代わりに邪龍討伐に協力する。その話を持ち掛けられたのが二年前、レーゲンの森で遭遇した時だった。
死んでいたと思っていた相方が生きているというのだ。協力しない理由は無かった。
「お前らも意地を張らず俺達に協力を打診してたら良かったのにな。そうしたら万全の準備で挑めただろ」
「散々裏切ってきた種族に、そんなことを頼めると思うか?」
「世界の危機だからな。協力はしたはずだぞ。その先のことは知らんがな」
「そういうことだ。仮に協力できていても、その後を考えたら迂闊に話はできない」
「一族の長なら、そう考えんのも仕方ねぇかもな」
族長という立場から、その肩書に掛かる重圧は大きかったはずだ。村だけではなく種族としての存続が懸かっている事態に直面し、そのために他種族から恨みを買う選択をした。失敗すれば人間だけではなく同族からも責められかねない。
《マイルスの英雄》という肩書を名乗るソランには、その心境が理解できた。だが―――、
「それでもお前は許せないがな」
「貴様も人のことが言えないな。まぁ当然の答えだ」
「あぁ。つまり、一番世界のことを考えていたのはモンスターだったってことか」
ヒトと鬼人族はモンスターよりも知能が高い。だがそのせいで諍いが生まれ、協力関係が築けなかった。
それを解決したのが、多くの生物に危険視されているモンスター、ルベイガンだった。
「世界を救えるのは賢い奴じゃなくて、単純な奴ということか。まぁ一理あるかもな」
「へぇ。じゃあお前には無理だな。知的ぶって後ろでふんぞり返ってる奴にはな」
「お前にはできるというのか」
「知らねぇのか。冒険者はみんな馬鹿なんだぜ」
街の外に出て知らない道を進み、周りが敵だらけで助けを期待できない場所で戦う。そんなことを賢い奴がするだろうか。
冒険者達もそんなことは分かっている。危険だと知っている。それを承知で冒険者を続けているのだ。
それはなぜか。
「知らない場所に、気心の知れる奴と行って冒険する。そんな危険で楽しい遊びをする奴がまともなわけねぇだろ」
ソランも、ヒランもアリスも、フェイルもグーマンもララックも、ウィストもヴィックも、今まで会った冒険者も会わなかった冒険者も、引退した冒険者もこれから冒険者になる奴も。そして相棒であるリュカも同じだ。
全員馬鹿だ。すべからく馬鹿である。
だからこそソランはこの場に来た。
「その楽しい遊びを奪う奴には容赦しねぇ。こいつも、リュカを誘拐したお前もだ。終わったら覚悟しろよな」
「そんな理由で邪龍に挑むのか。なるほど、確かに馬鹿だな。だが―――」
ゲンがニヤリと笑った。
「そういう馬鹿の方が好都合だ。協力しろ」
「モンスターを狩るのが冒険者の仕事だ。言われなくても協力してやるよ」
邪龍の動きを止めていた縄が千切れ始める。取り囲んでいた鬼人達も危険を感じて距離を取り始めた。奴らも普通の冒険者よりも強いはずだが、それでも邪龍とはまともに戦えない。
だからここから先は、同じ高みまでたどり着いた者達の出番だった。
「出し惜しみはするなよ」
「安心しろ。俺は英雄って呼ばれてんだぜ。きっちり倒してやるよ。こんなところで死ねねぇからな」
「ほう。何か心残りがあるのか」
「あぁ。大事な約束をしてるんだ」
ソランの脳裏に三人の姿が思い浮かぶ。
周りに冷たくして誰とも協力しようとしなかったが、今では誰よりも冒険者のことを考えている秀才面の冒険者。
口が悪くて自分勝手だったが、今では人助けをするようになったガサツな冒険者。
そしてソランの相棒であり、ソランが恋したたった一人の冒険者。
「あいつらとまた、冒険をするっていう約束がな」
明日、第三章の最終話を投稿します。




