14.雨の話
十体を超えてから数えるのはやめた。余計な思考は無駄に体力を消耗する。頭を回すよりも体を動かすことに力を注ぎたかった。
地面に横たわる死体を避けながら、ワーウルフに接近する。鋭い爪を受け流して胴体を斬りつける。避けられたが距離が取れたお陰で、別方向から迫って来るピングの突進を回避できた。
避けられたピングはその勢いのままワーウルフにぶつかる。ワーウルフは吹き飛ばされ、ピングが勢いを落として静止する。その隙にウィストがワーウルフに近き、その姿を見て僕はピングに接近した。
背を向けたピングに勢いよく剣を突き刺す。ピングがその場で暴れまくるので、すぐに剣を抜いて距離を取る。ピングが血を流しながら再び突進してくる。回避するとピングは止まり切れず、体勢を崩して地面に倒れた。すかさず接近して背中に乗り、頭に剣を突き刺した。
ピングの絶命を確認し、すぐにウィストの方を見る。僕の心配をよそに、すでにワーウルフは地面に倒れていた。ウィストの体は血で汚れていたが、怪我は無さそうだった。
「これで全部っぽいね」
「そうだね。けど移動した方が良いかも」
襲ってきたモンスターは一掃したが、騒ぎに気づいてまた別のモンスターが来る可能性がある。しかもさっきの戦闘の際にモンスターがテントを破壊している。
それだけではない。
「うん。雨も降りそうだし、早くしたほうがいいね」
雨の匂いが鼻を突く。まだ雨は降ってないがじきに降るだろう。テントがない今、雨を防ぐ手段はない。早く雨に濡れない寝床を探す必要があった。
僕等は荷物をまとめて、すぐにその場を後にする。辺りは暗くなり、視界が悪くなってきている。雨の匂いも強くなり、小雨も降り始めた。本格的に降り始める前に見つけないと。
逸る気持ちを抑えきれず小走りになる。周囲を見回しながら寝床になりそうな場所を探すが見つからない。徐々に焦りが強くなって舌打ちをしてしまう。
「ヴィック、あっち」
ウィストが指差す方向には大木が生えていた。近づいてみると根元にはぎりぎり二人入れそうな穴が空いている。狭いが雨は避けれそうな場所だった。
とりあえずそこに入ろうとするが、荷物も一緒に入れると二人が寝るスペースがなくなった。
「交代で入ろう。一人は見張りだ」
テントの残骸で作った即席の雨具を身につける。周囲にモンスターの姿や気配はない。雨が本格的に降り始めたが、大木の下にいることと雨具のお陰で体が濡れることは無い。寝床にも雨は入ってないので一先ず大丈夫そうだ。
「ウィストは先に寝てて。最初は僕がやるから」
「……分かった」
ウィストは何か言いたそうだったが、すぐに穴の中に入った。もぞもぞと動いて、寝始めたのかじきに物音がしなくなった。
意識を周囲に移して警戒する。聞こえるのは雨の音ばかり。陽が沈んだこともあり、視界も非常に悪い。この状態では僕だけじゃなくモンスターも僕を見つけにくそうだ。そういう結論に至ると、少しだけ安心した。
「ねぇ」
見張りを始めて少し経つと、ウィストが穴の中から声を掛けてきた。
「なに?」
「ヴィックも中に入ろうよ。こうしたら大丈夫だよ」
ウィストは地べたに座って体を丸める。横にはひと一人座れるスペースができている。あれなら二人とも中に入れそうだ。
「けど座ったままじゃちゃんと休めないでしょ。遠慮しなくていいよ」
「ずっと外にいる方が疲れるって。それにこんな雨じゃモンスターも寝床に戻ってるから見つからないよ。だったら二人で休んだ方が良くない?」
薄々と気づいていたことを指摘される。こうも雨が強く視界が悪ければ、僕もモンスターも相手の気配を感じ取れないのではないか、と。見張りの意味はないのではないか、と。
「……けど万が一ってこともあるし、気を抜くのは怖いっていうか」
「気を張りつめ過ぎるのも疲れるでしょ。雨で匂いも消えてるし、ここならそうそう見つからないって。それにさ」
「……なに?」
「ちょっと話したいこともあるから」
深刻そうな表情でウィストが言った。何を話そうとしているのか、この状態では何で話せないのか、色々と気になってしまう。
そんな好奇心と少しだけならという油断があり、雨具を脱いで穴の中に入った。
「それで、話ってなに」
「うん。けどその前に……」
僕が座ると同時にウィストに右腕を掴まれる。そして動きを封じるかのように右腕に抱き着かれた。
「ウィスト?!」
思わず大声が出てしまう。一方のウィストは平然としていた。
「こうしたら逃げられないでしょ。お見通しなんだから」
どうやら僕がすぐに出ようとしたことを見抜かれたようだ。洞察力は相変わらずだ。
「ちゃんと休ませないと無理が来ちゃうからね。ちょっと強引にするくらいがちょうどいいでしょ」
「……分かった。だから腕は離して、もう逃げないから」
「なに? 照れてるの? 初々しいねぇ」
「それもそうだけど……」
これは恋人同士がするような行為だ。フィネという恋人がいるのに、この距離間はまずい。しかしここで冷たくして関係が悪くなるのも避けたい。
どうしたものかと悩んでいると、ウィストがくつくつと笑い出した。
「もう、ヴィック。こういうのはちゃんと押し退けないとだめだよ。じゃないと変な女の人に狙われちゃうよ」
そう言ってウィストが僕の腕を離す。あっさりと離れたくれたことに安堵の息を吐いた。
「そうだね、気を付けるよ。けどウィストもこんなこと易々としないでね」
「んー、なんで?」
「勘違いする人もいるからだよ。気があるんじゃないかって。だから好きな人以外にしない方が良いよ」
「じゃあ問題ないじゃん」
「……え?」
ウィストがじっと僕の目を見つめる。真剣な眼差しに、何で言えば良いのか分からなくなった。
沈黙が続くと、ウィストが先に開口する。
「好きだよ、私。ヴィックのこと」
一瞬が長く感じることがある。騒音の中に居るのに、余計な音が聞こえなくなる時がある。死の間際や極度に集中しているときに体感したことがある。今、それと同じ現象が起こっていた。
あんなに降っていた雨の音が聞こえない。数秒間の沈黙が数分間のように感じる。こんな感覚をこのタイミングで体感するとは思いもしなかった。
「あ、あの、ウィスト……」
何とか言葉を振り絞る。だが出てきたのは会話にすらならない声で、後に言葉が続かない。そうしてまた沈黙に陥った。
再び沈黙の時間が続くと、ウィストが話し出した。
「安心していいよ。ヴィックのことは好きだけど、フィネから奪うつもりもない。だから変な心配はしなくていいよ」
「心配って……」
「ヴィックを取り合って仲違い、みたいな。そんなことはしないよ。フィネのことも好きだし、仲悪くなりたくないもん。だから一線を越えるつもりはないから」
杞憂の材料が一つ減り、混乱していた頭が少しだけ落ち着く。少なくともどちらかを選ぶようなことにはならなさそうだ。
「ヴィックがいない二年間、すごく寂しかった。最初はただのホームシックかなって思ったんだけど、ヴィックと再会して違うって思った。それでフィネから付き合ってるって聞いたとき、おめでとうって祝う気持ちよりもしまったって思って気づいたの」
ウィストはもう僕に目を向けていない。壁に向かって落ち着いた口調で話している。
「けど私達の関係はこのままがいい。余計な情のせいで危険な目に遭ったって話はよく聞くから。だから今日の私の言葉は忘れてね」
「……忘れて欲しいんだったら何で言ったの」
フィネのことを気遣って、冒険者であることを考えた。だけどそれでも告白したことに疑問があった。
ウィストは申し訳なさそうな笑みをつくった。
「限界だったから、かな」




