7.脱落者
冷たい視線に刺されていた。ナイルさんの目には明らかな侮蔑の色が混じっていて、本人はそれを隠そうともしていない。だが、たいしたことじゃない。そんな視線、受け慣れている。
「カイトさん、ラトナ、ベルクを侮辱した発言を取り消してください」
あの三人は優しくて強くて、僕よりも優秀な冒険者だ。侮蔑される謂れなんて全くない。
だからこそ、ナイルさんの発言を聞き流せなかった。
「君はあの三人と知り合いかな?」
ナイルさんの問いに、僕は躊躇うことなく答えた。
「知り合いじゃなくて友達です。大事な人達です」
「なるほど、ならば怒るのも無理はない。大事な友人を貶されては、黙っていられなかったようだね」
意外にも理解を示してくれた。てっきり馬鹿にするものだと思っていたが、そのつもりはないようだ。
「そういうことです。分かってくれたのならさっきの発言は取り消してください」
「それは断る」
「……なんで……」
「事実だからだ」
頭に血が上る感覚があった。体に力が入り、一歩踏み出す。
「止めなさい」
その瞬間、ミラさんが制止を促した。さらに血が上った。
「何で黙っているんですか! ミラさんの仲間が馬鹿にされているんですよ! 大事な人達をコケにされて、何で平気にしてるんですか!」
「いいから。それ以上動かないで」
「ミラさ―――」
「死にたいの?」
真剣な眼でミラさんに問われる。必死な思いが伝わってきて頭が冷える。いつのまにか、勢いが削がれてしまった。
僕は踏み出した足を引き、自分を落ち着かせた。
「冷静になれる余裕は残していたみたいだね。それが良い。一時の感情で動いた結果が利益をもたらすことはない」
落ち着いた表情でナイルさんが宣う。その余裕っぷりが苛立った。
「ただ、今の君の行為は頂けない。貴族の中には今の行動で君を捕らえようとする者がいる。不慣れとはいえ護衛を引き受けたのならば、それを全うすることに従事すべきだ。決して要人から離れるような行いをすべきではない」
先程の発言で嫌いになった相手とはいえ、その言葉は正論だ。反論できない。
そんな風に納得していたら、
「それは仕方ありませんわ。お父様が仰った通り、彼は護衛としては未熟者です。そのような心構えは、まだできておりません」
まさかの味方からの追撃だった。
「ほう。お前の護衛なのに手厳しいな」
「だからこそです。こういったことはしっかりと教え込まないといけません」
思わぬ反逆に動揺したが、ミラさんの表情から固さが取れていることに気付いた。僕によく聞かせる批判的な口調に、嬉しいような嫌なような、複雑な気持ちになった。
「しかしお父様。私には使命があります。それを終えるまで、帰ることはできません」
「他のものに任せればいい。お前には他にすべきことがある」
「果たすべき使命から逃げることを、勧めるのですか?」
「……それは私が決める。不必要な事などしなくていい。私が指示したことを―――」
「親の言いなりになっている者が、領主に相応しい人間と言えるのでしょうか?」
「……お前はまだ若い。知識や経験が足りているとは思えない。私の下で学ぶ必要が―――」
「ではマイルスにいた方が良いですね。様々な知識や経験を積むためには、受動的ではなく能動的に行うことが最善です。ここに住んでいれば嫌でも私が動く必要がありますから」
理由は分からないが、ミラさんの口が回る。調子を取り戻したようだ。先程の劣勢とは打って変わり、今度の話し合いではミラさんが優勢だった。
このまま押し通せるか。二人の口論を見守っていると、「ナイル」とニアさんが口を開けた。
「そんなに邪険にしないで。私達の娘じゃない。見守ってあげましょうよ」
二人の口論をニアさんが止める。その言葉が切っ掛けになったのか、ナイルさんは長く息を吐いて表情を和らげた。
「……まぁ、久しぶりの再会だ。口論ばかりしては息が詰まる。休憩を兼ねて食事でもしようじゃないか。どれ、付き添いの二人もどうかな」
貴族の食事。つい口の中に唾液が溜まった。興味が無いとは嘘でも言えなかった。
しかし、ミラさんは「けっこうです」と断った。
「この後に別件が控えています。そろそろ出ないと間に合いませんので、ここで失礼します」
「そうか。それは残念だよ」
ナイルさんは表情を変えない。断ったというのに、まるで当然のような振る舞いだった。
部屋を出るミラさんに、僕達も続く。その際、「護衛君」とナイルさんに声を掛けられた。
「君は冒険者になってどれくらいかな」
特に隠すようなことでもないので、素直に答えた。
「一年です」
「ほう。そうか」
ナイルさんは感心した後、「ありがとう」と礼を言った。何の意図があったのか分からなかったが、とりあえず会釈をして部屋を出る。
早歩きでミラさんに追いつくと、そのまま何も話さずに外に出て、貴族街から広場に戻った。
「これで終わり、ですよね」
フィネがミラさんに尋ねる。今頃になって服装に慣れたのか、最初のたどたどしさは無くなっていた。
ミラさんの要件は、両親との話し合いを終えるまで、正体を隠して付き添うことだった。それを終えた今、解散しても問題はない。
けどあの話を聞いて、そのまま帰るわけにはいかなかった。
「ミラさん。話してくれませんか?」
ミラさんは僕を一瞥してから、「ついてきて」と言って歩き出した。
「お腹減ったでしょ。奢ってあげる。そこで話すわ。今日の事……私達の事とか」
僕は迷わず、ミラさんについて行った。
「ほんっっっっっと、あのクソ親父にはムカついてんのよ!」
真昼間の時間帯でも酒を提供する店があった。以前連れられた高級な店とは違い、庶民的な普通の店である。そこに入ると、ミラさんは酒を浴びるように飲み始めた。
昼間から酒を飲んで酔っぱらう。ダメ親父みたいな行動をするミラさんに呆れながら、僕とフィネは同席して食事をしていた。
「毎日毎日ぐちぐちぐちぐちと注意して……私が誰と一緒に居ようがかんけーないでしょ! ねぇ?!」
「は、はぁ、そうですね」
「かたっくるしい家でほんっっっっっと嫌になるわ! 喋り方とか作法とかも指導してきて、ちょーーーむかつくのよ! マジムリ、だるい!」
「ラトナと同じ口調になってますよ」
「それよそれ! クソ親父といっしょ! そっくり! あはははは!」
怒っていたかと思えば突然笑い出す。まさに酔っ払いである。やはり、酒の飲み過ぎは注意しないと。
「だからねぇ、ヴィック。あの時言い返してくれた時はスカッとしたのよ。ありがとねぇ」
「……いえ、僕も怒っていたので……気にしないでください」
「はぁ? 私が褒めてあげてんのよ。もっと喜びなさいよ。ほれほれー」
テーブルの向かい側に座っているミラさんが、立ち上がって身を乗り出し、僕の頭を撫でた。
「み、ミラさん?」
「いいじゃないべつにー? 普段怒られてんでしょ。今日くらい甘えなさいよー」
そういえば頭を撫でられるのなんていつ以来だ? 恥ずかしいけど、ちょっと嬉しかった。……もう少しだけ飲ませようかな。
「ところでミラさん。さっき言ってたチームの事情って何ですか?」
フィネが話を切り出す、というか戻した。ミラさんと一緒に店に入ったのは、本来そのためだ。危うく忘れるところだった。
ミラさんはフィネに視線を向けると、にやぁっと笑みを浮かべた。
「やっぱ可愛いわね、フィネちゃん。制服姿も似合うけど、ミニスカメイド服も似合うわね。ねぇ、この格好でウチで働かない? お金、出すわよ」
「な、なに言ってるんですか! き、着ているだけでも恥ずかしいのに、これで働くなんて……む、無理です!」
「そう? けどヴィックは喜ぶと思うわよー」
「へ?」
「その格好してから、しょっちゅうフィネちゃんを見てたわよ。あれは獣の目だったわね。私がいなかったら襲われてたわよ」
何言ってくれてんだミラさん!
ミラさんの言葉につられ、フィネが僕の方に振り向く。逆に僕はフィネから視線を外した。
「え、えっと、ヴィック?」
「大丈夫。そんなに見てないから。たまたま目に入った時しか見てないから。ミラさんの勘違いだから」
「なーに言ってんの。見てたじゃない。腕とか足とか胸元とか」
「み、見てません!」
たしかに今のフィネは肌の露出が多いけど、いつもの制服や私服と違って新鮮だけど、最初の恥じらう姿が可愛かったりしたけど、服に慣れたフィネが動いた時のスカートの動きにドキドキするけど!
「やましい気持ちはありません!」
「……なんかすっごく雑念がありそうな気がするけど」
「ないです! ……それよりも、話してください。そのつもりでここに来たんでしょ」
「ま、それもそうね。関係ない話はまた今度にしましょっか」
ミラさんは酒の入ったグラスをテーブルに置き、代わりに水の入ったグラスを取って飲んだ。
「あんた、ディルアンって街知ってる?」
「名前だけは」
「マイルスの北東にある都市よ。いろんな町や国の人々が集まる貿易都市ディルアン。王都の次に栄えていて、私の親はその都市を治める領主なの」
領主、後継ぎ、貴族。ミラさん達の会話から出てくる言葉で、予想はしていた。
「スティッグ家の次期当主。それがミラさんなんですね」
「そうよ。本来ならあんたが話しかけられる相手じゃないのよ、私。フィネちゃんは全然いいけどねー」
話が脱線しそうになる。即座に「続きを」とミラさんに促した。
「はいはい。……まぁつまり、そんな大層な家に長子として生まれ私は、幼い頃から色々と仕込まれたわけ。勉強、礼節、武芸、芸事、必要なものすべてね。そのうちの一つに、人脈作りもあって、そのためにいろんな分野の人間と交流したの。そのときにベルク達と会ったわけ」
「ベルク達も貴族なんですか?」
「いろんな分野のって言ったでしょ。貴族平民問わずってことよ。と言っても、平民で会う相手は有名どころだけだったわ。誰でも知ってる商店とか、国内一の職人とかね」
ミラさんは懐かしむような顔を見せた。
「ベルクは国内最高の鍛冶職人の長男。ラトナは貴族専門の医者の娘。カイトは隣国のヤマビから来た名家の三男。それぞれ違う立場だったけど、私の人脈作りが切っ掛けで皆と会うことができたの。同い年で似た境遇だったこともあったから、私達はすぐに仲良くなったわ」
「似た境遇、ですか……」
「私達は皆、過酷な競争の中で生きてきたの。特にベルクは大変だったわ。後を継ぐには、優秀な弟と数十人の弟子と争わないといけなかったから」
「……ナイルさんが言っていたのって、そのことですか」
ミラさんが「そうよ」と肯定した。
「競争から逃げて冒険者になったの」