10.素人二人
夜のエルガルドは騒がしい。ダンジョンから帰って来た冒険者達がごった返している。特にギルドの周りは、落ち着けるような場所が皆無と言っても良いほどだった。だから静かに話せるような場所を見つけるには、ギルドから離れるしかなかった。
内地の端の方に向かって歩いているとベンチを見つけた。昼間だけ開いている店の前に備えられており、今は店は閉まっている。人通りも少ないのでちょうど良かった。
「あそこに座ろっか」
「……」
フィネは無言のままベンチに座る。隣に腰を掛けて様子を窺う。既に涙は止まっているが、何か思いつめたような表情をしていた。歩いているときも声を掛けたのだが無言のことが多く、返事も「うん」くらいしか無かった。
いったい何を考えているのだろうか。ショックを受けているのは分かるが、なにも返事がないとどう声を掛けていいのか分からない。しかし黙ったままでいるのも彼氏としてどうなのだろうか。
……なんでもいい。フィネの気を紛らわせられるような話をしてあげよう。
「い、いやー、ユウも仕方が……あ」
紛らわせるどころか、さっきのことを話題に出してしまった。迂闊すぎるだろ、僕……。
自己嫌悪に浸っていると、「ふふっ」とフィネが小さく笑った。
「ごめんごめん。ヴィックも落ち込んでいるのを見てたら、なんかおかしくなっちゃって。二人して落ち込んで何してんだろって」
フィネの顔に笑顔が戻っていた。その顔を見て、安堵の息を吐く。よかった。もう落ち込んでいないみたいだ。
「やっぱりフィネは笑顔が良いね」
「そう? ありがとう」
「うん。じゃあ早速、あいつをもう一回殴って来るね」
フィネが元気になったところで、次の目的を実行する。一発殴ったが物足りない。あと十発は殴らないと気が済みそうになかった。
ベンチから立ち上がると「ちょっと待って」と呼び止められる。
「もう大丈夫だよ。あの時はびっくりしたけど、もう気にしてないから。落ち着いて」
「僕は今すごく落ち着いてるよ。冷静に考えた結果、フィネを泣かした罪を償わせるには一発じゃ足りないって思ったんだ。だから行ってくるね」
「そっちの方が危険だよ。ナイトに捕まっちゃうってば」
「……あれ、ナイトのこと知ってるの?」
「うん。だってヒランさん達がよく話題に出してたから。マイルスの冒険者ギルドの運営って、ここを参考にしてるんだよ」
初耳だった。自警団とナイトの活動内容が似ていると思ったが、まさか参考にしていたとは。
「だから喧嘩なんてやめよ。私のために怒ってくれたことは嬉しいけど、もう大丈夫だから」
「…………フィネがそう言うなら」
かなり不満は残るが、フィネが止めるのならば仕方がない。今回は、今回だけは拳を下ろそう。だが再び同じことがあったときには……。
固く決意をした後、再びベンチに座る。想定外の展開だが、フィネと再会できたんだ。昼間は冒険に出て話す時間が無いんだから、今の時間を大切にしよう。
「用事はすぐに終わったんだね」
「うん。ちょっと手続きが終わって無かっただけだから」
「ギルドの方?」
「こっちのギルドで働くのにいろいろと書類とか書いてたんだけど、忘れてたやつがあったんだ。ちゃんとやってないと、すぐに働けなくなっっちゃうんだ」
「面倒なんだね。僕は報告だけで終わったのに」
「冒険者は文字を書けない人も多いから、出来るだけそういう手間を省くようにしてるんだって。その分、職員が手続きをしてるんだけどね」
「お世話になりました」
「どういたしまして、ってね」
フィネとはほぼ毎日顔を合わせていた。だがそのときは冒険者とギルドの職員としての立場がほとんどで、恋人として話をする機会は少なかった。だから恋人として会話をするのはいつもと違う感覚で、それが少し照れ臭くて、楽しくもあった。
ギルドで会った時ににやつかないで話せるだろうか。そんなことを考えていると、「ところでさ」とフィネが切り出す。
「ヴィックは、その……たい?」
「え、なに」
「だから、その……触りたいのかなって」
「何を?」
「その……わたしの……胸」
一瞬、何を言ってるのか理解できなかった。そして聞き間違いかと思って聞き直そうとした。だがフィネの真っ赤な顔を見て、聞き間違っているわけではないと確信する。
「えっと……なんでそんなことを」
「だって触りたそうなこと言ってたし」
「あれは、その、言葉の綾で……」
「……小っちゃいから嫌とかじゃなくて?」
「違う違う。大きさなんて関係ないよ。僕はフィネが好きなんだから」
「ほんとに?」
どちらかというと触りたい。だがまだ碌に手を繋いだこともないしキスもしたこともないのに、いきなり胸を触るのはハードルが高い。それにこのタイミングでそんなことを言えるわけがない。
こくりと頷くと、フィネが一息吐いて「そっか」と呟いた。
「変なこと聞いてごめん。もしかしたらヴィックに我慢させてるんじゃないかなって思って。いろいろ忙しかったから彼女らしいこと全然できなかったから」
「そ、そんなことないよ! 僕はフィネと恋人になれただけでうれしいんだ。我慢なんてしてないよ」
好きな子と付き合って、こうして話をするころができる。それだけでも嬉しいのだ。不満なんてない。せいぜい碌にエスコートのできない自分の不甲斐なさにだけだ。
僕の想いが伝わったのか、フィネはホッとしたかのような笑みを見せる。
「ありがと。私も、その、付き合うのって初めてだから、どうしたらいいのか分からないことが多くて……けど大丈夫そうなら良かった」
「僕も初めてだよ。だからさ、そんなに焦らずにいこうよ。僕達のペースでさ、お互いの楽なやり方を見つけようよ」
「分かった。それが一番良いかもね」
フィネの安堵した笑みを見て、僕もホッとした。何やら惜しいことをした気もするが忘れよう。
熱くなった顔を冷ましたくて立ち上がると、「終わった?」と遠くからウィストの声が聞こえた。遠くから僕達の様子を見ていたようだ。
「うん。てか、居たんだね」
「あんなことがあったから心配だったの。それに明日のこと言ってなかったからそれも伝えたかったの」
「明日って……あぁ、行先のことか」
そういえばウィストから明日の予定を聞いていなかった。フィネとの話も終わったのでちょうどいい。
「うん。ヴィックと行きたかったからさ、今までずっと行かずに取って置いた場所があるの」
「なんてところ?」
余程楽しみにしていたのか、ウィストは楽しそうにその場所を言った。
「シロギ中級ダンジョン。十年間で一人しか踏破したことのない激ムズダンジョンだよ」




