6.後継者
翌日の正午頃、僕は貴族街の出入り口付近に来ていた。出入り口前には武装した衛兵が四人、真っすぐと背筋を伸ばした状態で立っている。離れた場所から見ているだけでも、威圧感を感じていた。
「なにビビってんのよ。行くわよ」
隣にはミラさんがいる。冒険者の装備でもなく、普段身に着けている動きやすそうな私服でもない。シンプルなデザインだが、質の良さそうな綺麗な黒のドレスを着ていた。上半身部分は体にピタリとくっついているが、下半身のスカートは円形に広がり、足元にまで届く長さだ。見たときはスカートの裾を踏まないかと気になったが、ミラさんの慣れた足取りを見てその心配は不要と分かった。
それに対して、
「ほ、本当にこの格好で行くんですか……」
フィネはミラさんの後ろに隠れている。いつもと違う恥ずかしそうな顔をしているのが新鮮だった。
だが、恥ずかしがるのも無理はない。今着ている服は、フィネとは縁が無いと思われていたものだったからだ。
「大丈夫よ。フィネちゃんは可愛いんだから、もっと堂々とすればいいのよ」
「ううう……」
フィネが着ているのは女性ギルド職員と同種の給仕服だが、デザインが違う。黒い布地の上に白のエプロンを身に着けており、スカートが短い。膝上の長さしかなく、激しく動いたらスカートの下が見えてしまいそうになるほどだ。さらにカチューシャ、二―ソックスと普段とは違った衣類を身に纏っている。そのせいかフィネに落ち着きがなく、きょろきょろと周囲を見渡していた。その姿はまるで外敵に怯える小動物のようで可愛かった。
「な、何でこの服なんですか……長いスカートがあったじゃないですか……」
「んー、それじゃあ不都合なのよねぇ」
最初は似たデザインでロングスカートの給仕服を着ようとしていた。しかし何度もスカートの裾を自分で踏みつけては転ぶ姿を見かねて、ミラさんが今の服を選んでいた。確かに短いスカートなら転ぶ要素は無い。代わりに羞恥心を抱く結果になっているが……。
「け、けど、こんな格好をする理由が分かんないんですけど……」
「その格好をさせるのが一番いいのよ。フィネちゃんは私に仕えるメイドで、こいつは護衛役として紹介するんだから。なのに服に引っかかって転ぶ姿なんて見せたらばれちゃうかもしれないの」
「それは、そうですけど……」
「だから堂々と歩いてね。じゃ、行くわよ」
ミラさんが歩き出して、僕らもそれについていく。出入り口前に着くと、衛兵がミラさんに近づいた。
「失礼ですが、ここから先は関係者以外立ち入り禁止です。お名前と関係者の名前を―――」
「ミラ・スティッグよ。ナイル・スティッグの呼び出しでここに来たの。早く通して」
「し、失礼しました!」
衛兵達は慌てて道を譲った。ミラさんは落ち着いた様子で出入り口を進む。
先週と今日の出来事から、ミラさんがどんな人かは僕でも推断できる。
「さぁ、早く乗りなさい」
出入り口奥に豪華な馬車が用意されていた。乗車するのに戸惑う僕らに対し、ミラさんは特に驚くことなく客席に乗った。
その姿は、このような待遇に慣れている貴族の佇まいそのものだった。
「久しぶりだな。ミラよ」
馬車に運ばれて着いた豪華な屋敷、その中にある広々とした豪華な部屋に僕達は案内された。高価そうな調度品が飾られていて、中央には大きなテーブルがあった。
テーブルの奥には二人の男女が座っている。一人は厳格な顔をして立派な髭を生やした金髪の壮年男性。もう一人は優しそうな容姿で、金のロングヘア―の女性だった。
「そうですね、お父様。ご壮健でなによりです」
男性の言葉に、対面の椅子に座ったミラさんが返す。普段のミラさんとは全く印象が違う口調に、思わず笑いが込み上げてくる。歯を食いしばって、何とか笑い声を押さえた。
僕とフィネはミラさんの背後で立ち続けながら会話に耳を傾けた。察するに、男性がミラさんの父親だ。ということは、女性は母親だろう。
「後ろの方々は、ミラとはどのような関係なのかしら」
「護衛とメイドです。この町で雇った者達です」
言い淀むことなくミラさんは答えた。僕とフィネはミラさんの嘘がばれないように平然を装う。今回呼ばれたのはこのためだった。
詳しい事情は聞いてないが、ミラさんはベルク達と一緒に居ることを親に知られたくないという話だ。一人で王都マイルスに来て生活しているということを両親に伝える必要があった。だが貴族の娘が一人で生活することを知られると心配され、連れ戻される可能性があるからだということだ。そこで、僕とフィネを雇っているという体を装って、今の生活を維持するのがミラさんの考えだった。
最初に話を聞いた時は、正直言って意味が分からなかった。なぜベルク達と一緒に居ることを伝えたらダメなのか、なぜ親を騙すような真似をするのか、なぜそこまでして今の生活を維持しようとし続けるのか不思議だった。貴族という恵まれた環境で生まれ育ったのに、どうしてそれを捨てて冒険者になったのか。ベルクのためか? だとしても、家族を騙してまですることなのか。ミラさんの性格なら、堂々と主張して権利を勝ち取り、そのうえでベルクと一緒に居そうなものなのだが……。
「なるほど。我が家の使用人を誰一人連れ出していなかったから心配していたのだ。もしやミラは一人だけなのではないか、生活できているのか、とな」
「突然いなくなったから、置手紙を読むまでは誘拐されたのかと思ってたのよ。けどこうして会えて嬉しいわ」
「えぇ、わたくしもですわ、お母様」
話によると、ミラさんは突然家出をして行方をくらましていたらしい。家族はミラさんを探し続けていたが見つからず、最近になってやっとマイルスにいることを突き止めたそうだ。発見の手掛かりになったのは、マイルスでミラさんを見つけた人の通告とのことだった。その通告者の名前は会話の中に出てこなかった。
穏やかな会話が続いた後、「それじゃあ」とミラさんの母親であるニア・スティッグさんが切り出す。
「そろそろ戻ってきてもいいんじゃない。一年間、良い社会勉強になったでしょ」
「……何の話ですか?」
「貴方は社会を、下々の生活を知るために家出をしたのよね? だったら、終わったら帰るのは当然のことでしょ」
「……っ!」
息を呑んだ。動揺が生まれ、声を抑える。帰るだって? ミラさんが?
昨日、ミラさんが言っていたことを思い出した。今日のことはチームの将来に関わることだと。……そういうことか。
「どうしたんだい? 護衛君」
ナイルさんの視線が僕に向いていた。真っすぐと僕の姿を捉える赤い眼は、ミラさんと酷似していた。色だけじゃなく、目に宿る力が。
「ミラは私の娘だ。用が終われば我が家に帰還するのは当然のことだよ。それを聞いていなかったのかい?」
「それは―――」
「伝えております。ただ突然のことなので動揺しただけでしょう。彼は小心者なので」
ミラさんが即座にフォローする。しかし、ナイルさんの目つきは変わらない。
「そうか。確かに急に娘がマイルスから離れるとなれば、彼の今後の生活にも関わるだろう。……ではこうしよう。今まで我が娘を単独で護衛し続けた功績を評し、君には厚遇な仕事を用意しよう。娘が提示した条件よりも破格な報酬の仕事だ。……どうだい?」
「彼には彼の生活があります。私達の一存で今後の彼の生活を変えるのは、些か無責任であると思います」
「傭兵ならばこの程度の環境の変化に戸惑うことはない。むしろ喜ぶことだ。依頼を無事に完遂し、更なる仕事にとりかかる。普通なことだ。お前もよく知っているだろ」
「……彼はマイルスの自警団に所属しており、かつ自警団団長であるアリスの弟子です。急に仕事を変えてしまえば、彼の生活にも支障が出ます」
「ほう。不思議なことを言うのだね、ミラ。つまりその者は警備と修行に加えて、我が娘の護衛をしていたということになる。たった一人で、社会勉強で街を出歩いていたお前の護衛を」
「…………常に忙しいわけではありません。彼の休養日と私の都合が合った日に出かけていましたので」
「週に何度かな? まさか一日二日程度とは言わないでくれ。それは勉強ではなく気晴らしだからね」
「…………」
なんとか理由づけて答えていたミラさんが、とうとう黙り込んでしまった。何か言おうとするが言葉を出さず、ついには閉口することとなった。
「えっとですね……」
代わりに適当な返事をしようとした。だがナイルさんは右手の掌を上げて言葉を遮った。
「いい。見たら分かる。君達が本当のメイドと護衛でないことと、ミラが嘘をついていたということを」
「見たら分かる」。先日、ミラさんがオスカーに言ったのと同じ言葉をナイルさんが口にした。
「メイドは落ち着きが無さすぎる。着慣れていないのか、服を気にしてばかりでミラの様子を見れてない。主人を気遣わないといけないメイドとしてはあるまじき行為だ。ミラに仕えていたのが本当ならば、そのような失態は犯さない。護衛も同じだ。私がミラに質問するたびに、不安が混じった表情を出している。一人前の護衛ならば感情を隠す訓練を受けているが、君にはそれができていない。新人の護衛かと考えたが、装備を見ればそれなりに経験を積んだ戦士と見れる。おそらく冒険者が護衛の真似事をしているのだろう」
ナイルさんは紅茶を一口飲んだ後、「そしてミラだ」と続ける。
「以前のお前ならばあの程度の問答に詰まることはなかった。付き人を念入りに仕込むこともできたはずだ。時間が足りないのなら、それらしい理由をつけて先延ばせた。だが、どれもできなかった。……正直に言おう。失望したよ」
「……」
ミラさんが唇を強く結び、テーブルを睨んでいた。こんなに悔しそうな顔をするミラさんは初めてだった。
「ナイル。ミラは一年もあなたの下を離れていたのよ。衰えても仕方がないわ」
「あぁ、分かってるよ。だから私も失望こそすれど怒ってはいない。どんな猛者も前線から離脱すれば、その期間が長ければ長いほど衰えるものだからね。これは自然の摂理さ。最も、才女と呼ばれていた娘ならば、もう少し何とかなったのではないかと思っていただけさ」
ナイルさんはニアさんに向けていた視線を、再びミラさんに戻す。
「さて、ミラよ。そういうことだからお前には帰ってきてもらう。私の跡取りとして相応しい器に戻ってもらうためにも」
「……嫌よ。まだ私にはやることがあるんだから」
「それは可笑しい話だ。お前は私の後継者だ。私の跡を継ぐために努力し、今回の家出もその一環だと考えていた。だが一年経ち、お前の力は衰えていることが分かった。ならば家に戻り、再び教育を受けて力を戻すのが当然だと思うのだが……まさか次期領主という肩書を捨てるつもりかな」
「いえ。それはありません。私はいずれ戻り、お父様の跡を継ぎます。その想いに変わりはありません」
「ではなぜ戻らない。もしやとは思うが……」
ナイルさんの目つきが鋭くなった。
「あの脱落者共と一緒に居るのではないだろうな」
僕に掛けられた言葉ではない。にもかかわらず鳥肌が立つ。冷気を感じるほどの冷たい声だ。
脱落者? いったい誰のことだ。
「か、彼らを侮辱するのは止めて下さい!」
ミラさんが立ち上がって反抗するが、ナイルさんの声は冷たいままだ。
「事実を言ったまでだ。彼らを評するには適した言葉だ。彼らと関わるのはやめなさい。お前まで落ちぶれてしまう」
「彼らは優秀です。ただ環境が適さなかったから実力を発揮できなかっただけです。今は皆、それぞれの個性を活かしながら、支え合っているんです。その邪魔をしないでください」
「……やはり彼らと一緒に居るんだな」
息を呑む音が聞こえた。ミラさんが動揺していることが僕でも分かる。
胸の奥がざわついていた。
「仮にお前をここに残すとしても、彼らからは離れなさい。それが条件だ」
「……そんな権利、お父様にはありません」
「私はお前の親だ。お前の将来のために口出す権利が、私にはある。そもそも、私は不思議でならない。なぜお前が彼らと一緒に居るのか」
ナイルさんは顎を上げ、ミラさんを見下ろす。
「責任を他に押し付けたカイト。努力を放棄して停滞したラトナ。そしてあのベルクだ」
冷たい声の中に、侮蔑が混じっている。
ざわつきは大きくなり、
「不真面目な上に無責任で怠け者。あんな卑怯者のどこに―――」
「取り消してください」
僕はそれを抑えなかった。