29.それぞれができたこと
「昨日は大変だったようだな」
医者の一言に、僕は言葉を失った。唖然としていると、医者が訝しげな眼を向けた。
「なんだその顔は」
「いえ。今回もまた何か言われるのかなって思っていたので……」
医者は見下すように溜め息を吐く。
「私は医者だ。患者の心配するのは当然であり、気遣う言葉も時には吐く」
「はぁ……」
「そもそも特に今回は危険で重要な依頼をこなしていたと聞いていた。君が怪我をせずに済むとは思っていない」
「最初から予想してたんですね」
「もちろん、来ないことを望んだがね。君だけじゃなく―――」
医者が僕の隣のベッドに視線を移動する。
「そこの馬鹿にもな」
「馬鹿じゃないさ。世界一かっこいい傭兵と言ってくれ」
そこにはベッドから起き上がれないアルバさんが居た。その姿を見て、医者がまた溜息を吐く。
「使うなと言ったものを一日に二度も使う。そんな男を形容する言葉に、馬鹿以外の言葉は思いつかないな」
「仕方ないさ。神速を使っていなかったら僕達は今頃あの世に逝っていた。それを考えたら足の一本や二本なんて安いものでしょ」
あのときアルバさんは、自身の代名詞となった技の《神速》を二度使った。一度目は僕を助けるために、二度目は敵を倒すためにだ。
あの光景は二度と忘れない。アルバさんが僕の前から消えたかと思ったら、直後に敵が倒れ始めたのだ。
一人二人と倒れ始める兵士達。アルバさんが倒してることは分かっていたが、その姿を捕らえきれることはできない。それほどの速さだった。
だが最後の瞬間は眼が慣れたのか、残った敵がオスカーだけになったときは一瞬だけ姿が見れた。
それはまるで獲物を狩ろうとする気高き猛獣。そのときの姿は今まで見たなかで一番かっこいい姿だった。
オスカーが地に伏せた後、アルバさんは糸が切れたかのように倒れた。その後は生き延びたノーレインさんと合流して、助けに来てくれた援軍が僕達を病院に運んでくれた。その運び込まれる人たちの中には、僕達が倒した敵の姿もあった。
「できるだけ死人は出さないようにするというのがヒランの指示だ」
そして今、僕達は仲良く一緒の病室に入れられることになった。同室には他の自警団の団員達もいて、皆怪我はしているものの命に別状は無く、しばらくすれば日常生活にも支障が出ない程度にまで回復するらしい。
ただ一人、アルバさんを除けば。
「その通りじゃな」
向かい側のベッドから、アランさんが寝たまま声を出す。
「あの襲撃は儂も予想外じゃった。儂は動けなかったし、坊主では力量不足。ならばアルバがやるしかなかったんじゃ」
「ならば一度だけにすればよかったんだ。早いうちに神速を使っていれば、ここまで悪化することはなかったはずだ。一度だけだったら、時間はかかるが以前と同じくらいまで回復できた」
「お主との約束があったからじゃ。アルバとて使う気はなかった。儂との戦いで神速を使わなかったのがその証拠じゃ。襲撃を受けてもすぐに使えなかったのは、約束を守ることを考えた故に判断が遅れたんじゃ」
「……それはつまり―――」
「いや」
アルバさんが口を挟んだ。
「不意打ちを喰らった状態でいつも通りの判断はできないよ。判断が遅れたのは僕の未熟さゆえだ。さすがの僕もこれだけは自賛できないかな」
医者をフォローしたのか、真実なのか、アルバさんの真意は分からない。だがその言葉で、アランさんは口を閉じ、医者はまた溜息を吐いた。
「どちらにせよ、君はしばらくの間は入院だ。長いリハビリ生活になるから覚悟しなさい」
「もちろん。あと先生」
「なんだ」
アルバさんはいつものかっこいい笑みを見せた。
「僕はまた動けるようになるつもりですから。それまで付き合ってもらいますよ」
医者は目を大きく見開かせた後、また溜息を吐いた。
だがその顔は、先程と違って嬉しそうだった。
「というわけで、傭兵ギルドの局長はネルックさんに決まりました」
選挙後、仕事を終えたフィネが報告しに来てくれた。その結果はホーネットが逮捕されたことで予想していたものだが、実際に決まったことを聞いて胸を撫で下ろした。
「そっか。良かったよ。何事も無くて」
「うん。何かあるのかなって思ったけど、あっさり決まっちゃったって」
「まぁ一人だけになったからね」
不安だったのはルドルフが何らかの妨害をしてくることだったが、そんなこともなかったらしい。それどころかルドルフの消息すら掴めないという話だ。
マイルスから逃げ出したという噂やルドルフの馬車の目撃情報があり、アリスさん達が捜索に出ることを申し出たが、ヒランさんが許可しなかった。
「街を出入りする人を調べるだけで十分です」
その後、団員と協力してくれた兵士達で調査するだけにとどまり、今日までルドルフを発見することはなかった。
「じゃあこれで一安心というわけだ」
冒険者ギルドの局長は、現在はヒランさんが代理として勤めている。だが彼女以外の適任者はいない。後に正式に任命されるだろう。そうなれば、冒険者ギルドに取り巻く問題はすべて解決する。
胸に安心感が満ちていく。不安が無くなった今、これからは修行に専念できる。きつい日々が続くだろうが、着実に力をつけることができる。幸いにも僕の怪我は重くはない。遅くても今月中には退院できるという話だ。
これからの日々に期待感が募る。その反面、気になっていることがあった。
「僕って、皆の役に立てたのかな」
ヒランさん達のために参戦した。先輩達の想いに感銘を受け、その想いを繋ぐために戦うことを決めた。そして皆の予想通り危険な目に遭い、なんとか生き延びた。
今までは自分の事で精一杯だった。僕自身のためだけに強くなろうとした。その過程で失敗しても、責任を負うのは僕一人だけだった。
だけど今回は、他人のために戦った。弱い僕が誰かのために何かしたいと思った。そのせいで皆の手を煩わせることがあり、アルバさんが怪我をする原因を作ってしまった。
もしかしたら参加しない方が良かったんじゃないのか。僕が居なかったら、もっと安全に事を終わらせることができたんじゃないのか。そんなことが気になってしまった。
「もちろんだよ」
その僕の不安に、フィネは答えてくれた。
「ヴィックも私達を助けてくれてた。私も皆も感謝してるよ」
一切の嘘のない笑顔と言葉。フィネが残っていた不安を吹き飛ばしてくれる。
自然と笑みがこぼれていた。
「なぁに嬉しそうな顔してんだ」
安心してると、いつの間にか部屋にアリスさんが入ってきていた。アリスさんは怪我もなく、捜査後も元気に活動していたそうだ。
「こっちは色々と忙しかったのによ、お前はのんびりベッドの上でぐーたらしやがって。舐めてんな」
「怪我してるんですから仕方がないじゃないですか」
「痛いだけで動けるんだろ。だったら働きやがれクソが」
団員が何人か怪我をして入院してるせいで、その分の仕事がアリスさんをはじめとした無事だった団員に降りかかってると聞いた。その忙しさのせいでイラついてるのだろう。いつも以上に言葉が乱暴だった。
「けどひと段落着いたんですよね。選挙も終わりましたし」
「あと一仕事残ってるんだよ。一番めんどくせぇのがな」
するとアリスさんは、僕の向かい側で寝ているアランさんの方に向かって歩き出した。
アランさんはいびきしながらぐっすりと寝ている。だが熟睡中にもかかわらず、アリスはアランの腹を拳で叩く。力いっぱいの殴打だったが、アランさんはあまり声を出さずにゆっくりと目を開けた。
「久々に女子と触れ合ったかと思ったらお主か。がっかりさせるのではない」
「気色悪いこと言ってんじゃねぇ。負け犬の癖に何呑気に寝てんだ」
「儂が負けたのはお主ではない。負け犬呼ばわりされる筋合いはないのぉ」
「あんたはオレの陣営のアルバに負けたんだ。だったらオレとの勝負に負けたのと同じだ」
「儂の陣営に勝っただけで儂が負けたわけじゃない。それともそういうことでしか儂に勝てないのか」
「いくつになっても頑固な爺だな。さっさと引退しやがれ」
「儂は生涯現役を貫くつもりじゃ。引退させたければ儂の息の根を止めるんじゃな」
「今ここで止めてやろうか」
「はっはっは。戦場以外の殺人はただの犯罪じゃ。今殺せばすべての苦労が水の泡になるぞ」
「ほんっと、クソめんどくせぇ爺だな」
二人は遠慮のない言葉を交わす。言葉は悪いが険悪な空気は無い。これが二人の会話のようだ。
「で、何の用じゃ」
アランさんがアリスさんに要件を聞き出す。アリスさんは「おう」と応えてから話し出した。
「あんたらはオレ達を襲って、そのせいで仲間が何人か被害に遭った。戦地ならともかく、ここは街中だ。あんたらがやったことは少なくない人数に知れ渡った」
「そうじゃのぉ。儂は特に目立つからの」
「だからあんたらは逮捕される。雇われたからっていうのは理由にならねぇ。市民を安心させるために必要なことだ」
あの戦闘は市街地から離れた場所で行われたが、それでも市民に隠しきることはできなかった。大勢を引き連れての移動や戦闘は非常に目立つ。さらにアランさんの破壊音は遠くからでも聞こえただろう。市民が気づくのも無理はない。
それらの騒動を起こした人物達の何人かは、怪我の治療のために逮捕されていない。それがさらに市民に恐怖を与えているようだった。
「じゃあ儂は逮捕されるのかのぉ。こんなか弱い爺を獄中にぶち込むとは、世間は冷たいのぉ」
「誰がか弱い老人だ。それにこれは当然の処置だ。下手すりゃ死ぬまで牢屋の中かもな」
「それは困るのぉ。どうにかならんのかのぉ」
大きな体のアランさんが、どこか弱々しく見える。余程ショックなようだ。敵だったとはいえ、少し同情してしまった。
だからつい口に出してしまった。
「えっと、どうにかならないんですか」
アリスさんが無言で僕に視線を向ける。何も言わないのが不気味である。
しかしめげずに僕は言った。
「敵の援軍が来た時、アランさんが盾を貸してくれて、そのお陰で助かったんです。あれが無かったら、僕達は死んでたかもしれません。だから、そこを考慮してくれませんか」
「何をだ?」
「えっと……減刑とか、ラトナのように条件を付けるとか……」
ラトナも本来は逮捕されているはずだった。だがヒランさん達のお陰で今も冒険者として生活できている。
アランさんは僕を助けてくれた。だから同じように助けてもらえると思った。
「随分と偉くなったな。オレに指図するなんてな」
「そ、そんなつもりはないです。ただ、そういうことも考えて欲しいかなって……」
「お前はそのせいで生じるリスクに、責任を持てるのか」
「……はい」
敵だったが助けてもらった。その恩を返したいという気持ちがあって、そう答えていた。
アルバさんが僕を助けてくれたように、アランさんを助けたかった。
僕が答えると、アリスさんはニヤリと笑った。
「よし、じゃあこれで決まりだな」
その笑みに、どこか嫌な勘が働いた。




