28.鬼
「どういうことなの」
怒りを抑えながら、ララックは問い詰めた。
視線の先にいるヒランは、じっとララックを見返している。その表情に微塵の動揺も見られなかった。
「調査の話ですか」
「それ以外にないわよ」
ホーネットの屋敷を出た後、ララックは人目に触れないように冒険者ギルドに向かった。冒険者ギルドには数名の冒険者しかおらず、職員は一人もいなかった。襲撃に備えていたらしい。
ギルドに着いたときこそララックも冒険者に警戒されたが、居合わせていたヒランに局長室まで連れて来られた。
「そうですか。では早速報酬の話をしましょう。潜入捜査お疲れさまでした」
ララックはホーネットの使用人として雇われていた。ララックとフェイルの関係を利用して、情報を得ようとしたのだろう。ララックもそれに協力した。
だが実態は逆だ。ララックはそれよりも前に、ルドルフ陣営に潜り込むことをヒランに依頼されていた。
ルドルフ達の味方に見せかけて、ヒラン達に情報を提供する二重スパイ。この作戦は実に効果的だった。フェイルの件と監視されていた件もあって、ルドルフ達はララックが冒険者ギルドを恨んでいると信じた。そして彼らの急所と言える情報を得て、それをヒランに提供した。
しかし、その情報は予想外の方法で使われた。
「報酬はもちろんいただくわ。けれど教えて頂戴。なんでホーネットの屋敷に来たの。資料はあそこじゃなくてルドルフの屋敷にあるって言ったわよね」
ララックが伝えたのは違法物取引の証拠となる資料とその在処。その場所はルドルフの屋敷である。しかも今日、ルドルフはホーネットと会うため屋敷は留守で、調査には絶好のタイミングだった。
だが実際に調査を行ったのはホーネット邸。当然、アリス達は資料を見つけられずに一時は追い詰められていた。後に資料を屋敷から見つけたらしいが、それも不可解だ。その資料はルドルフ邸にあったはずなのに。
「彼らを一網打尽にするためです。そのために必要な手を使っただけです」
「私以外にもスパイがいたってこと?」
「それはあなただけです。彼らに警戒されす同じ依頼をこなせる者はそうそういません」
「じゃあ何をしたの」
「専門家に依頼しただけです」
ヒランは淡々と語り出す。
「今回の選挙はネルックさんが立候補したことで勝つことは分かり切っています。冒険者ギルドを立て直した実績と今後の利益を鑑みれば当然です。
問題はその後です。彼らは危険です。選挙で勝っても様々な手を使ってわたくし達を妨害するでしょう。仮に諦めて他の組織に関われば、今度はその組織の周りで新たな被害者が生まれます。それを防ぐ必要があるので、専門家を雇いました」
「そんなこと無理よ。あいつらが生きてる限り被害者は生まれ続けるわ。止めるなんてそれこそ―――」
言葉の途中で気づいた。ヒランが何を考えているのか、専門家の正体が。
そして彼らに待つ結末を。
「まさか……」
「それ以上は聞かないでください」
ヒランは無表情のまま言う。
「わたくしはもう哀れな犠牲者を出したくありません」
その眼はとても冷たそうだった。
「そのためならば、鬼にでもなりましょう」
「そうか。失敗したか」
馬車の中で報告を受けたルドルフは淡々としていた。ホーネットの屋敷から脱出し、追手が来ない場所まで移動した後、部下の報告を待っていた。その答えは予感していたもので、特に落胆することもなく受け止めた。
「はい。まさかアランが負けるとは思っておらず、援護に行こうとしたときには奴らの援軍が来ておりました」
「戦っても勝つ見込みがないから、すごすごと帰ってきたわけか」
「……申し訳ございません」
部下が申し訳なさそうな表情を見せる。だが判断としては間違っていない。そもそもアランが負けるとはルドルフも予想していなかったことだ。それ故に後詰めとして手配した部下の数も少数だったのだ。相手に援軍が来てしまっては、戦っても勝てる見込みは低い。
とはいっても、ここで甘い言葉をかけてしまえば舐められる。これ以上、弱さを見せるわけにはいかない。
「早く移動するぞ。ここに居てはいずれ見つかる」
「承知しました。移動先はどこにいたしましょう」
「北だ。国境付近の領地に身を潜める。いつでもヤマビに逃げられるからな」
勝敗は決した。ホーネットは捕まり、ネルックは生存している。さらには違法物取引の証拠も押さえられていた。
マイルスに居れば明日にでも捕まってしまう。そうなれば今度こそ再起不能だ。そうなる前に脱出する必要があった。
部下が部屋から出て、御者台に乗って馬を動かす。馬車はゆっくりと動き出した後、速度を上げて北門に向かう。
夜は門が閉まっているが、門番に金を握らせれば開けさせられる。今夜中に出れば捕まえられることは無い。
ルドルフは椅子に背中を預けて瞼を閉じる。振動で馬車が揺れるが、この程度の揺れで眠れないほど繊細ではない。朝まで眠りにつくことにした。
しかし間もなくして馬車が止まると、さすがに目を開けていた。
「おい。何で止まっている」
御者台の部下に声を掛けたが返事が無い。不審に思って窓から見ると、御者台には誰も乗っていない。馬車の近くには御者以外にも、警護のために数人の部下が馬に騎乗して付いて来ていたはずだったが、そいつらからの返事も無い。だがそいつらが馬車から離れる気配を感じなかった。
周囲から音が聞こえず、人の気配も感じない。肌に纏わる空気が妙に気味が悪い。何かに見られている感覚もあった。
気持ち悪い静寂の正体が不安だった。原因を確かめようと外に出て、目についたのは馬に乗る部下の姿だった。
「おい。何が起きた。返事をしろ」
声を掛けるが、部下からの返事は無い。ずっと前を見ているだけで、馬の呼吸に合わせて上下に揺れているだけ。表情にすら変化もなかった。
「……おい。どうした」
さすがのルドルフも心配になって部下に触れる。
すると部下は、ルドルフの反対側に倒れて馬から落ちた。硬い地面に頭から落ちる様子は、生きている人間の動きではなかった。
「………あ?」
予想外の事態にルドルフは唖然とする。その間に周囲からも同じような音が聞こえた。他の部下も馬から落ちていた。御者台に座っていたはずの部下も、横にぐったりと倒れていた。
部下の身体を見ると、首に長い切り傷がついてあった。死因はこの傷だ。音も無く部下を斬りつけて命を断ったのだ。
問題は、この傷を何者が付けたのかということだ。
疑わしいのは冒険者ギルドの連中だ。さらにこの切り傷をつけられるほどの人物はヒランしかいないが、あの女は冒険者ギルドに居ると報告を受けていた。あの場所からルドルフの居場所を突き止めてここに来るのには時間が足りないはずだ。
ならば、いったい何者の仕業だ?
恐怖を感じたのはいつぶりだろう。得体の知れない恐怖に冷汗が出る。ここから早く逃げなければという不安が胸中にあった。
ルドルフは御者台に乗り、倒れている邪魔な部下を道に放り投げる。手綱を持って馬を動かそうとすると、前方に誰かいることに気づいた。
細身の男だった。腰に刀を携え、鬼の仮面を付けている。ルドルフの知る人物の誰一人にも該当しない人物だ。だがこの状況から、この男が部下を殺した張本人だと推察できた。
ルドルフは躊躇なく銃を撃つ。この距離なら外さない自信があった。
狙い通り銃弾は男に向かう。しかし銃弾は男に届くことはなかった。
男は、銃弾を切り落としていたからだ。
「…………は?」
銃声、風切り音、金属を弾く音。それらの音から察した。男は避けるのでもなく、防具で守るのでもなく、刀で防いだ。しかも明かりが少ない夜闇の中で。そんな芸当ができるのは全ての冒険者と傭兵の中でも一握りで、この街ではヒラン達くらいしかいないはずだ。
だがこの男は、ルドルフが知るどの冒険者や傭兵でもない。つまりこいつは、ヒランが新たに雇った遠方から来た傭兵ということだ。
一度は焦りはしたが、すぐに冷静を取り戻す。敵の正体を知ると、次の手を打つことにした。
「お前はいくらで雇われた」
傭兵は金で動く。ならばヒランよりも高額で雇い直せばいい。ルドルフの資産は以前に比べて少なくなったが、ヒラン達の資金はさらに少ない。十分に雇える見込みがあった。
「どうせ少ない金で雇われたんだろ。俺様がもっといい条件で雇ってやる。どうだ?」
男は頷かない。返事をしないまま、ルドルフに向かって一歩踏み出す。
「部下もつけてやる。女もだ。人の上に立つ地位を用意してやる」
男はまっすぐ近づいてくる。
「土地だ! お前に領地を与えてやる。自分の思いがままになる場所を与えるぞ!」
男はルドルフの目の前に立っている。その場に来るまで、男はルドルフの提案に全く反応を見せなかった。
金で雇われた傭兵なら、少しは興味を示すはず。だが無反応の男に、ルドルフの脳裏に最悪の未来が浮かんだ。
「お前は俺の仲間に手を出した」
ルドルフに死の恐怖が訪れる。
「だからお前は殺す」
恐怖を前に、悲鳴を上げることすらできなかった。




