5.ミラの都合
「な、なんだお前は。邪魔をしてくれて……」
突然のアルバさんの登場に、オスカーは動揺している。一方のアルバさんは、当然のように余裕をもっていた。
「そうかな。むしろ君は僕のお陰で命拾いしたと言って良いんだよ」
「どういうことだ」
アルバさんはミラさんを一瞥した。
「この方はミラ・スティッグ。スティッグ家のご令嬢と言えば分かるよね」
「っ―――」
オスカーが絶句し、金色の瞳がよく見えるほどに目を大きく見開いた。
「君程度の経営者なんて、彼女の一言でどうにでもなる。これ以上機嫌を損ねさせる前に退散した方がいいんじゃない?」
「ぐ……」
オスカーは恨めしそうな目でミラさんを睨んでから、身を翻して店を出る。
騒ぎの元凶が去って、一息ついた。
「アルバさん、ありがとうございます」
僕が礼を言うと、「これくらい当然さ」とアルバさんが返す。
「男であるからには、女性の前では張り切るというものさ。特に愛しの姫君の前でね」
「あら、お上手ですわね」
アルバさんの背後に、綺麗な女性がいた。長く艶やかな金髪で、珠の様な肌、上品な雰囲気を持った、まさに上流階級の人間と一目で分かる方だった。
「か弱い女性を守るために、颯爽と動き出して守るなんて、まさに理想の殿方の姿です。その相手が私でなかったことが唯一の気掛かりですが」
「ご安心ください。あなたが襲われそうになったら、僕は全身全霊をかけてお守りいたします」
「では、その言葉を信じましょう。ところで……」
女性がミラさんの方を見やる。
「こちらの方がスティッグ家のご令嬢というのは真ですか?」
「えぇ。あの場を切り抜くための方便ではございません。正真正銘、スティッグ家のご令嬢であります。何度かご対面したことがありましたので、間違いありません。ですよね、ミラ様」
「……そうね。アルバさんとは顔見知りよ。まさかここで再会するとは思わなかったけどね」
「僕もです。しかもヴィック君のご友人であったとは。世間は狭いですね」
「友人ではないです」
「言いにくいことをはっきりと言うところは、昔と変わらないんだね」
「……」
ミラさんは浮かない表情を見せている。いつもは顔から強気な態度を滲み出しているだけあって、違和感があった。
話題を変えようと思い、アルバさんに話しかけた。
「アルバさんはどうしてここにいるんですか?」
「おっと、見てわからないかい。かっこいい男と美しい女性が一緒に食事をするなんて、デート以外にないじゃないか」
隣の女性が「ふふ」と笑う。否定しないあたり、間違いないようだ。
「そうだったんですね。よくこの店を利用するんですか?」
「あぁ、この店は見た目が良くてサービスも良い。もちろん味も抜群だ。デートにお勧めだよ。ヴィック君も機会があれば連れてくればいい」
「え、えぇ。そうします」
そんな機会が来るとは思わないけど、とりあえず肯定した。
「では、僕達も席に戻ろうか。それではミラ様、またお会いしましょう」
「……えぇ。そうね」
アルバさん達はテーブルから離れていく。その直後、ミラさんはスッと立ち上がり、「行くわよ」と僕に声をかけた。
「え、でも……」
「今日の約束を忘れたの? 来なさい」
僕が荷物を持った時には、ミラさんは会計を済ませて外に出ていた。すぐに後を追って店を出ると、家の方に向かって早歩きしている姿を見つけた。
走り寄って「ミラさん」と声をかけると、ミラさんの足が止まる。
「どうしたんですか、そんなに慌てて」
「別に。早く帰りたくなっただけよ」
隣に並んでミラさんの顔を覗く。若干、顔色は悪くなっていた。
「大丈夫ですか? 具合でも悪くなったんですか」
「……そうよ。だから早く帰りたいの。あんたもついて来なさい」
「アルバさんと何かあったんですね」
会話から、二人の間に何かがあったことは察していた。だがアルバさんは平然としており、ミラさんからは動揺の色が見えた。問題があったのなら、二人が異なる反応を見せるのはおかしく思えた。
複雑な事情が入り混じっているのだろう。それが僕の知人達のことならなおさら放っておけない。だからミラさんに尋ねたけど……、
「あんたに話す義理はないわ」
取りつく島もなかった。
「そうですか。では、またの機会に聞かせてください」
「無いわよ、そんな機会。いいから早く帰るわよ」
ミラさんはそう断言して、きびきびとした足取りで家へと向かう。本当に話す気が無いようで寂しかったが、少し元気になったようで安心した。
だがその機会は、あっという間に訪れた。
「最近すごく疲れてませんか?」
修行後にギルドの食堂で休んでいると、聞き慣れた声が聞こえてきた。長い茶色のポニーテールで、小動物の様なくりっとした丸い目をしたフィネがいた。
制服姿のフィネは、テーブルの反対側に座った。
「仕事はいいの?」
「はい。わたしはもう上がっていいと言われました。その代わり、食堂で寛いでいるヴィックを追い出してきてって、リーナさんが……」
外は既に真っ暗で、ギルドが閉まる時刻になりかけていた。いつまでも食堂にいる僕は、さぞ迷惑な存在だろう。
フィネやリーナさんに面倒をかけたくない。仕方なく、僕は席から立ち上がった。
「じゃあそろそろ帰るよ。おやすみ」
「それで、大丈夫なんですか?」
フィネはさっきの問いの答えを聞きたいようだった。出て行って欲しいんじゃなかったのか。
「そろそろ出た方が良いんじゃなかったの?」
「はい。けどまだ時間ありますから、十分くらい。それまでなら大丈夫です」
ギリギリまで粘って話せということらしい。再び椅子に座った。
「以前とは違う感じですよね。ここ一週間は心身ともに疲れてるって風に見えます」
フィネの観察眼に、内心驚いていた。
「よく分かるね。まぁ動けないってほどじゃないけど、身体だけじゃなく頭も疲れてる」
肉体的な疲労ではなく、精神的なもの。それがここ最近の疲れの原因だった。
一週間前、ドグラフに苦戦する僕にミラさんが言った。「簡単じゃない。あんなの」と。
ミラさんのチームはレーゲンダンジョンを避けていた。中級ダンジョンとは思えないほど攻略難易度が高いからだ。だからミラさんは二ヶ月前の誘拐事件を除けば、レーゲンダンジョンには足を踏み入れてなかった。
ミラさんがドグラフと対面したのは、あの時のたった一度。しかも僕からの話や事前に集めた情報くらいしか、ドグラフに対する知識はないはずだ。
実際に戦闘したことがない。にもかかわらず、ドグラフを倒せると豪語する。おかしなことだ。おそらく強がりだと思う。
しかしあの発言をした時のミラさんから、動揺の色は見れなかった。
修行中、ミラさんの言葉と顔が何度も頭に浮かび、その度に苛ついた。何度も戦っている僕が倒せないのに、何でそんなことを言えるんだ。
焦りと苛立ちで気が散り、戦闘にも集中できない。そのせいで今日の戦闘にも苦戦し、いつも以上に疲労していた。
「そんなに疲れるんだったら、休んでみたらどうですか。少しくらいならガミアさんも許してくれると思いますよ」
「無理だね。大事な要件以外では休ませないって言われてるし……疲労程度じゃ却下されるよ」
「……じゃあわたしから頼んでみます」
恐ろしい言葉に絶句した。アリスさん相手に直訴だって?
「待って待って待って……それは危険だ。あの鬼師匠は一般人にも厳しいから。怖い目に遭うよ」
「大丈夫です。ヒランさんのお友達ですから、きっと話せば分かってもらえます」
「何の根拠にもならないよ。僕は大丈夫だから、フィネは気にしなくていいって」
「嫌です」
「嫌って……」
「わたしは……ヴィックに無茶してほしくないの」
「……」
「ヴィックはウィストに追いつくために頑張ってるし、わたしも応援してるけど……無理したら怪我しちゃうかもしれないから。だから怪我しないように頑張ってほしいっていうか……ちゃんと気を付けてほしい……頑張るのは大事だけど、頑張りすぎないように……けど手を抜けというわけじゃなくて……」
徐々にフィネの語気が弱まっていき、顔も俯きがちになっていく。だけど言いたいことは分かっていた。その一方で、それがとても難しいということも。
効率良く、要領良く、リスクを最小限にして活動する。確かにそれが一番良い。無駄を省いて最大限の成果を受けるのが最善だ。
だけど世の中そんなに上手くいくことばかりじゃなくて、予測不可能な事態もある。不慮の事故で思い通りにいかなくなったり、誰かの横槍が入ることもある。
奇跡的に邪魔が入らなくても、僕自身が上手くできる確信はない。細心の注意を払っても、ミスをすることはある。それが切っ掛けで事故をし、怪我をすることもあるだろう。修行していれば尚更だ。アリスさんの下にいる限り、そのリスクは避けられない。それを防ぐには、僕自身が強くなるしかないのだ。だから現状、アリスさんに対して不満を持っていても離れることはできない。
もしフィネの言い分が通って修行内容が緩くなり危険が減っても、それは強くなる機会を失うことになる。そうなれば、いずれ迫る危険に対処できなくなるだろう。後にツケを回すだけだ。だから今、頑張るしかない。たとえ大怪我をするリスクを負っても。
「心配してくれるのは嬉しいよ。けど強くなるには無茶も必要なんだ。これくらいで根を上げられないよ」
「……ですが―――」
「ちょっといい?」
フィネが言いかけた時だった。いつの間にかミラさんが来ていて、話しかけられていた。
顔を見ると、少し強張っているように思えた。
「えっと、どうしたの? ミラさん」
「ちょっと明日付き合いなさい」
命令口調の言葉に、一瞬躊躇った。理由を聞こうとしたが、その前に「大事な要件だから、断らないで」と言われる。
「大事な要件って、そんな急に言われても……」
「必要なら私からアリスさんにあんたを休ませるようにお願いするから、絶対に来なさい」
奇しくも、フィネの要望に応えられるような展開になった。フィネは嬉しそうな声で「受けましょうよ、ヴィック!」と言った。
「ミラさんも困っているみたいですし、お手伝いしてあげましょう!」
「お手伝いって……」
「フィネちゃんは明日暇? もし空いてたらフィネちゃんにもお願いしたいの」
「わたしもですか?!」
「うん。ちゃんとお礼はする。無理なら仕方ないけど……」
「奇遇にも休暇日です! 行きます!」
「ほら、フィネちゃんも来るんだから、あんたも来なさいよ」
僕が考えている間に、展開が進んでいく。何でそんなことを急に言ったり、決めることができるんだ。
とりあえず、どんな要件かを聞くことにした。
「先にどんな要件なのか教えてください。そうじゃないと答えられません」
「詳しいことは教えられない。けどとっても大事なことなの」
頑として、内容は教えてくれ無いようだった。呆れて溜め息を吐いた。
だけど続く言葉を聞いて、僕は受けることにした。
「私だけじゃない、私のチームの将来に関わることだから」