22.証明
子供の頃から、女であることが嫌いだった。
女だから慎ましく振るわれることを強いられ、女だから強いと必要以上に妬まれて、女だから不必要な気遣いをされる。そういうのが酷く窮屈だった。
特に嫌いだったのが、女を象徴するような服を着ることだ。
男みたいな性格で、男よりも強いのに、服を女物にするだけで性差を意識させてしまい遠慮される。距離を取られる。舐められる。それに気づいてからは、ずっと男物の服を着続けた。胸にさらしを巻いた。口調も男みたいな荒っぽくした。そういう地道な努力の甲斐もあり、たまに名前でからかわれること以外では、女として扱われることはかなり少なくなった。
だがホーネットは、やはり下劣な男だった。
「どうした。まるで人を殺しそうな眼をして。たかが服を着るくらいだぞ」
ニヤニヤと笑うホーネットを見て殺意が増す。アリスが最も嫌いなのは、扇情的な服を着せられることだ。ああいう嫌でも女であることを意識させる服を着るなら死んだ方がマシだ。
「てめぇ、ふざけてんのか。オレはそういうのが大嫌いだってことを知らねぇのか」
「お前の好き嫌いなんて知らんよ。俺はただ仕事を進めたくて、そのためにお前に提案しているだけだ。ぐふふ」
下品な笑みからの発言には、全く説得力が無かった。どう考えても、嫌がることを知ったうえでの言葉である。
いつもならこんなふざけた提案は一秒も考えるまでもなく一蹴して、二度と同じ提案をしたくなくなるまで痛めつけていた。
だが今は、それができない。
「考えるまでもないだろ。少し仕事を手伝うだけで、今回のことは無かったことにしても良いと言ってるんだぞ。仲間達のことを思えば、どちらが良いかは明らかだ」
選択肢は二つあった。証拠が見つかると信じること。ホーネットの提案を受けること。
前者を選べばアリスを含めた全員が被害を受ける。それだけではない。自警団やヒランが居なくなれば前のような荒れた環境に戻ってしまう。今までアリス達が積み重ねてきたものが無くなってしまう。だが後者ならアリスが辱めを受けるだけで済み、仲間に被害は及ばない。
ホーネットの言う通り、どちらを選べば良いのかは明らかだった。
ヒランに頼まれて始めた自警団だった。始めは嫌だったが、今でも面倒だと思ってるが、団長という立場は信頼されている気がして悪くなかった。目に見えた成果が出てきて、仕事に誇りを持てることもあった。信頼という繋がりが出来て、内心は嬉しかった。
それを守るためならば個人の拘りを捨てるのは致し方ないことだとは、頭では分かっている。だが最後の一歩が踏み出せない。
捨ててしまったら、何か大切なものを失う気がして怖かった。
「そこまで嫌なら仕方がない。この話は無かったことにしようか」
待ちかねたホーネットが服を片付けようとする。仲間を守る手段が無くなってしまう。
そう思ったら、声が出ていた。
「待て」
「ん?」
ホーネットが手を止める。
「なんだ。もしかして着たいのか? こんな女々しくて露出が大きい服を着てみたいのか?」
「……待てと言っただけだ。着るなんて言ってねぇ」
「いやいや、着たくなかったら止めないだろ。止めるということは着てみたいと思ってることと同じだ」
「考える時間くらいよこしやがれ」
「こちらも時間が惜しい。他にも人を待たせているからな。彼らにも無駄な時間を使わせたくない」
するとホーネットは、アリスの前に服を突き出した。
「五秒待つ。その間に決めろ。自警団を助けるか、潰すか」
それは短すぎる五秒間だった。考える時間が足りない。判断する材料が足りない。答えへの手掛かりが足りない。
分かるのは一つ。この場で自警団を守れるのはアリスだけだということだ。
繋がり、結束、絆。それらを失うことは、アリスにはできなかった。
だからその答えを選ぶのは、仕方がない事だった。
「……分かっ―――」
「駄目だ」
それを遮ったのは兵士のピートだった。
アリスが振り向くと、ピートは鋭い目つきをしたまま寄って来る。
そして―――、
「へ……へごらぁ!」
右手を思いっきり振りかぶって、ホーネットの顔面を殴り飛ばす。肥満体型のホーネットはゴロゴロと床を転がった。
「い、いてぇ……お前、いったい何をしたか、分かってんのがぁ!」
「殴り飛ばしたんだよ。人の弱味につけ込む小悪党をな!」
その堂々とした言い方には、微塵にも弱さが無かった。
「すまないガミア。俺はあんたに甘えていた。守ってくれるっていうから、その言葉に縋ってしまった。あんたらは強いから、大丈夫だと思ってたんだ」
アリスへの言葉には、謝罪の念が籠っている。その表情には、どこか申し訳ないという気持ちがあった。
「けどあんたらは俺達が情けないから頑張っていただけで、本当は市民達と同じなんだ。俺達より強くても、俺達が守るべき存在なんだ」
「……そうだ。その通りだ」
他の兵士達も声を上げる。
「あんたらは俺達より強い。けど俺達はか弱い市民だけじゃなくて、あんたらみたいな人達も守るために兵士になったんた」
「僕も、皆を守るかっこいい兵士になりたくて志願したんだ」
「私もだ!」
続々と兵士達が呼応する。最初は弱々しかった姿に不安を覚えたが、今ではその影が微塵も見えない。
その姿に、戦うのが好きなアリスが影響されないわけがなかった。
「いいじゃねぇか」
アリスはにやりと笑った。
「じゃあこっからは人生をかけた戦いだ。それに乗るってことで良いんだな」
「当然だ!」
「ってことだ、ホーネット」
床に転がったホーネットに視線を向けた。
「裁判? やろうじゃねぇか。とことん勝負してやるよ。お前らはオレ達の不始末を突っつきまわせばいい。その間にオレ達はお前らの新たな悪事の証拠を探す。どっちが折れるのか先かのチキンレースだ」
「しょ、正気か?」
「おうよ。生きるか死ぬかの生存競争、それがオレ達の本業なんだよ」
分が悪く、不利な勝負。だがそんなことはこれまで何度もあった。何度も生死を彷徨った。
今回の戦場はダンジョンではない。しかし勝負の果てに待ち構えるものは同じ。ならば、その手の勝負で百戦錬磨の冒険者が負けるわけがない。
「ここは大人しく引いてやる。だが勝負はまだ終わりじゃねぇ。お前らを牢獄にぶち込んでやる証拠を見つけてきて―――」
「あったよー!」
突如、扉が開く音とラトナの声が部屋中に響く。その音の大きさにアリスの台詞は掻き消され、全員の注目がラトナに移った。
良いところで邪魔をされたことで少し不機嫌になったアリスは、小さく舌打ちをしてから振り返る。
「うっせぇな。なんだよでかい声出して」
「ひどっ。せっかく頑張って探してきたのに。ちょっとは労ってよ、ししょー」
「探したって、何をだ?」
「え、そりゃ決まってんじゃん」
ラトナは持っていた紙束を突き出す。
「取引の証拠。みんなで探してたでしょ」
アリスはラトナの手からそれを受け取り、一枚一枚捲りながら内容を確認する。
そこには、違法物取引の記録が細かく書かれていた。
「ふ、ふふふ、ははははは」
無意識に笑い声が出てきた。最後の最後で見つかった。逆転の一手、いや決定打だ。
「こんな記録を残してるなんて、バッカじゃねぇのか」
「ん? 何を言って……え?」
アリスは資料をホーネットに見せびらかす。距離があったため手に取ることは無かったが、ホーネットは資料の一枚目を見ただけで目を顔を青くした。
「は? な、なんで? なんでそれがここにあるの? 見つからないように隠してたのに……」
「なんか書斎っぽいところに入ったら隠し部屋があって、そこにあった」
「はぁあ?! どうやって見つけたんだ?!」
「本棚の裏に隠してたっぽいけど、あたしが部屋に入ったときには最初から開いてたよ。閉め忘れてた?」
「ばかな! いつもちゃんと隠してるし、そもそも部屋の存在を知ってる奴なんてほとんど―――」
「どっちでもいいんだよ」
アリスはホーネットの言葉を遮り、再び資料を見返す。
「ここには取引した物、日時、相手の情報が書かれてある。何のために記録したのかは知らねぇが、この情報を元に調べたらお前らが違法物取引をした証拠がもっと出てくる。そうなれば二度と日の下に出られなくなるぜ」
資料には少なく見積もっても百件以上の取引記録がある。これらすべての取引が違反と見做されたら、生きてる間に出てくることができないほど長い刑期となるだろう。そうなれば選挙どころの話じゃない。一生、こいつらの脅威に恐れる必要がなくなるのだ。
形勢逆転。アリスは勝利を確信した。
「なるほど。確かにそれは致命的だ」
今までずっと黙っていたルドルフが口を開く。
「いくら俺様でも、それだけの罪を揉み消すのは不可能だ。地位どころか命すらも奪われるだろう」
「そういうことだ。一生お前の顔を見なくて済むな」
「そうだな。だがそれは、その資料がこのまま世に出ればの話だ」
殺意。アリスが感じ取ったときには、ルドルフは銃を取っていた。
照準をアリスに向けて引き金を引く。放たれた銃弾を、アリスは即座に抜いた剣で防いだ。
「だからお前らは、ここで資料と一緒に消えてもらおう」
直後、外から人の足音が響きだす。周囲の扉が開き、大勢の男達が入って来る。どいつもこいつも、見たことある顔ばかりだ。
「なるほど。随分と分かりやすい展開だな」
アリスはもう一方の剣も抜く。状況を理解した仲間達も武器を手に取った。
屋敷にいる仲間達よりも敵の数の方が多い。しかも包囲されている。一見不利な戦況だ。
だがアリスの心は躍っていた。
「オレが三強の一人だと知ってこんな手を使うとはな。前より判断が衰えたんじゃねぇのか」
今までの頭が痛くなる展開とは打って変わり、非常に分かりやすい状況は大歓迎だ。
雑魚のチンピラ共が多いが、所々に腕利きの傭兵がいる。そいつらに注意を向けつつ周囲を見渡した。
そのとき、あることに気がついた。
「おい」
「なんだ?」
「あの爺はどこだ」
ルドルフはにやりと笑う。
「言っただろ。徹底的にやると」




