17.何のために戦うのか
「お前はなんでめんどくさいことに首突っ込むかな」
冒険者学校の運動場で、クラノさんが僕を見下ろす。地面に倒れてるせいで、いつも以上に背が高く見えた。
辺りは真っ暗で、近くに置いてある照明だけしか光源が無い。夜の訓練を始めたのは陽が沈み始めたときだったから、あれから随分時間が経っていた。
体の痛みに我慢しながら、僕は体を起こす。
「めんどくさいですか? 結構やりがいを感じてるんですけど」
「まだ訓練だからだ。もしこれが本番だったら今頃骨の一本や二本は折れてるんだよ。そしたらそんなバカみたいなこと言えなくなる」
昨日から僕は対人戦の訓練を始めた。まだ僕には対人戦の経験が足りてないということで、昼はアルバさん、夜はクラノさんから指導を受けることになった。しばらくの間は仕事に出してもらえず、訓練だけの生活だという。話が違うと言いたくなったが、僕の身を案じてのことだったので、素直に受けることにした。
アルバさんからは武器を使いながら対人戦の戦い方を、クラノさんからは訓練では素手で喧嘩のやり方を教わっている。ただアルバさんが理論を交えての指導だったのに対し、クラノさんはひたすら実戦ばかり。当然、喧嘩に慣れていない僕はぼこぼこにされた。
「バカみたいって何がですか?」
「気づかない時点で手遅れかもな。で、なんで手伝おうとするんだ? お前、元々ここの住民じゃねぇだろ。どうせすぐエルガルドに行くつもりなのに、なに頑張ってんだ」
「そんなに変なことですかね……」
お世話になった人達が困っている。その人達の力になれるならなりたい。そう思うのは自然なことだと思う。
それを伝えると、「アホか」と返された。
「そんな理由で命賭けんのかよ。ほんまもんのアホだな」
「死ぬつもりはないですよ。だからこうして訓練してるんです」
「こんなのは焼け石に水だ。たった数日の訓練で戦えたら苦労しねぇよ」
少しの努力で成果を出そうだなんて、確かに贅沢な話だ。その甘さは僕が一番よく知っている。
努力は継続してこそ報われる。たかが数日の努力で、喧嘩慣れしてるチンピラや戦い慣れた傭兵に勝てる見込みは小さい。
だからって、何もしないというのは違うと思う。
「じゃあ何もしないのが正しいんですか? 今までお世話になった人達が苦しんでる姿を傍観するのが正解なんですか?」
「力が無いやつはそうするしかないんだよ」
「勝負したうえで認めてもらえたんですから。戦う資格はあります」
「同情されただけだろ」
「あの人がそんな理由で認めるわけない。クラノさんもそれはご存じのはずです」
マイルスで生まれ育ち、僕より長く冒険者をしていた。そんな人がヒランさんの人となりを知らないとは思えない。
「分を弁えろって話なんだよ。弱いくせに危険な場所に出てきやがってよ。周りの奴らのことを考えねぇのか」
眉を顰めながら言う言葉には、どこか苛立ちを感じさせた。
「今更な話ですよ。分とか役割とか、そんなことを考えるのはやめてるんです」
ウィストと共に戦いたいと思い始めたときから、そんな考えは持たないようにしていた。
そんなことを考えてたら、僕は何もできない。前に進み続けるしかないのだ。
「心配してくれることは嬉しいんですけど、僕は続けるつもりです」
「誰が心配なんかするか」
「じゃあなんで僕の指導なんて引き受けたんですか? しかも無償で。それ以外に理由が無いんですけど」
「今やヒランは冒険者ギルドの局長代理で、順当にいけばそのまま局長になる奴だ。恩を売って損はねぇだろ」
昨日、候補者が見つからなかったため、ネルックさんが選挙に出ることが決まった。だが一人で複数のギルドの局長を兼任することはできない。だから選挙に出るということは冒険者ギルドの局長を辞任することになる。そのため、ヒランさんが代理という形でその穴を埋めることになった。
順当にいけばそのままヒランさんが局長になるから、先に恩を売っておく理由は分からなくもない。
「けど僕達に協力してるとルドルフ達に狙われますよ」
「アルバが加わった今、選挙に直接関係ない俺にちょっかい出す余裕なんかねよ」
「ルドルフ達は本気だと言ってます。関係者は全員狙うつもりです。クラノさんもその一人だと思います」
「来ても雑魚だ。俺一人で返り討ちしてやる」
「近くに守らなきゃいけない人がいてもですか?」
「……そんな奴いねぇよ」
クラノさんが感情を抑えた声で答えるが、嘘だということが僕でも分かっていた。
「シン達もですか?」
訓練を始めてからも、ネロとシンにはよく会った。僕が訓練のために学校に来たときで、丁度クラノさんが二人を送り届けようとしているときだ。ルドルフ達の襲撃に備えるために、毎回家まで護衛しているらしい。
クラノさんが気まずそうに黙るが、続けて尋ねた。
「前に会った時も他の生徒達と一緒に居ましたよね。あの時はまだルドルフ達の襲撃の話を聞いてなかった頃ですから、普段から護衛をしていたことですよね。それって大事じゃなかったらできないことだと思うんですけどね」
未だに黙秘し続けていたが、眼つきだけで苛ついているのが丸分かりである。最初に会った時と同じ眼だ。
「実はこうして稽古をつけてるのも、それが関係あるんじゃないですか? 僕が強かったらあの子達を守ってあげられますからね。そんなことしなくても自分でやればいいのに―――」
「黙れ」
低く冷たい声だ。
「俺が何しようが俺の自由だ。その理由をいちいちお前なんかに話す理由はない」
人の声は不思議なものだ。上級モンスターよりも弱いはずなのに、なぜかそれよりも怖く感じてしまう。
「ガキは黙って上の奴らの言うことを聞いてりゃいいんだ。そしたら面倒なことをしなくて済む。そんなこと少し考えりゃ分かるっていうのにお前らは……」
だが悔やむような表情を見て、その原因が分かった気がする。
おそらく後悔があるのだろう。ずっと心に残るほどの失意があり、それで気迫が増しているのだ。
何があったのかは分からない。クラノさんはそれを教えてはくれない。だけど僕が強くなりたいと思ったのと同じような出来事があったのは確かだ。
強い想いは人を奮わせる。やり方は違えど、クラノさんも僕と同じだ。
「クラノさん。僕、皆さんの役に立てるよう頑張ります」
「だったらまずは俺なんかにビビらないようにしろ」
決意を口にした直後、水を差された。
痛いところを突かれて黙ってしまう僕に、クラノさんは面倒くさそうな顔をして溜め息を吐いた。
「少しは動けるようになったかと思ったのに、そのビビり根性のせいで無駄になりそうだな。これからは実践で鍛えた方が良さそうだ」
「……まだ未熟なんじゃなかったんですか?」
「喧嘩慣れしてる奴でも怪我するときはするんだよ。訓練は今日でやめ。明日からは警備に入れ。お待ちかねのお手伝いだ。だから明日に備えてさっさと帰れ」
そう言われて学校から追い出されてしまった。
徹底した塩対応に、うすうす感づいていた疑念が確信に近づいてしまう。
「やっぱり嫌われてるのかなぁ……」
「クラノさんは手伝わないんですか?」
暗い夜道を歩いているときだった。隣を歩くノイラが沈黙を破るように、唐突に言った。
クラノは視線を右下に向ける。フィネにつくりは似ているが姉よりも知性を感じるその顔は、ずっと前を向いたまま。
聞かなかったことにして無視したが、「クラノさんは手伝わないんですか?」と一字も違わぬ言葉をノイラが繰り返す。
「何の話だ?」
「姉さんから聞きました。今、傭兵ギルドの選挙で忙しいらしいです。手伝ってくれてた人が抜けちゃったからって。そのせいで物騒になってるそうです」
最近は街の治安が悪い。粗暴行為を奮う奴らが街で幅を利かせているが、兵士は役立たずだ。いつも通り決まった通路を警備して、奴らがいる場所を巡回しない。そのどちらの原因もルドルフだと断定できるのだが、軍隊の上層部は知らないふりをしている。大方裏で指示されて見て見ぬふりをしているのだ。ルドルフは元兵団長だ。それくらいはやるだろう。
ノイラは職員のフィネの妹である。おそらく相手方にも情報は出回っている。それを危惧して、ノイラはクラノに護衛を頼み込んだ。以前依頼を途中で止めてしまったこともあり、その詫びとしてクラノは護衛を引き受けた。
ノイラの住まいは治安が良いとは言えない貧民街。学校から家までの道中には襲撃するのに適した薄暗い路地がある。何度か送り迎えしていると、怪しい奴らを何度か見かけたことから、ノイラの判断は正しかったと言える。
「そうだな。今は自警団のメンバーが減っているから、調子に乗ってる奴が増えたんだろ」
「だからクラノさんに声がかかってるんじゃないかって思ったんです。私の送り迎えをしてくれるくらいですから、手が空いているのではないですか? 喧嘩も強いですよね」
「せいぜい自分とお前らを守れる程度だ」
「それで十分だと思いますよ」
「普通に過ごす分にはな。だが手を貸すとなると話は別だ。本格的に狙われることになるし、こっちに時間を割けなくなる」
「……私のことですか?」
「それと生徒共だ」
学校の生徒が減るなか、シンとネロはまだ熱心に通って来ている。彼らを守るためにも、これ以上仕事を増やして時間を取られたくはない。
「自警団に入ったら他のことにまで手を回すことになるからな。お前らを守るには今の立場がちょうどいい」
「クラノさんって色々考えてますよね」
「……唐突になんだ」
「不思議に思ったんです。そんなに賢くて強いのなら、なんでふらふらしてるのかなって」
隣を歩くノイラを再び見る。さっきと同じようにジッと前を向いていた。
「何でもそつなくこなすけど、色んな仕事を転々としているってことを聞きました。最初は飽き性な人かと思ったんですが、意外と真面目で義理堅い。そんな人が何ですぐに仕事を辞めるのか気になってました」
「随分と高い評価だな。他のやつには言うなよ。目が腐ってるって思われる」
「正当な評価です。それでやっと分かったんです。クラノさんは人のためにいろんな仕事をしてるだなって」
「……は?」
間の抜けた声が出ていた。予想外な答えに呆気に取られてしまう。
そうとは知らず、ノイラは話を続けた。
「以前生徒の人達と会って話を聞きました。クラノさんは同じ貧民街の人達に仕事を斡旋したり、その仕事に必要な知識を教えたりしていると。そのお陰で仕事に就けて生活が楽になったそうです。その人達のために様々な仕事をして情報を得て、コネクションをつくっていたんですよね。そして生活に余裕が出た子供達に、自分が講師になって教えることにした。冒険者学校では冒険者のことだけじゃなく、普通の読み書きも教えてますから」
クラノは反論せずに話を聞き続けた。その様子を見て、ノイラは調子に乗る。
「つまりクラノさんは、世のため人のためにじゃないと動けない人なんです。外見に似合わず社会貢献を生きがいとしていて、そのためなら自分が損をすることも厭わない素晴らしい精神の持ち主。そんな人がなんで選挙の手伝いをしないんですか」
「あほ」
「あ、あほ?」
ノイラが目を丸くしてクラノに視線を向ける。クラノは「はぁ」とため息を吐いた。
「俺が人のためじゃないと働けない? 社会貢献? 素晴らしい精神の持ち主? んなわけねぇだろ。あほか。やっぱ目が腐ってるよ」
「なにが違うんですか? だってクラノさんがやってることは、まったく自分の利益にならない慈善活動じゃないですか。そうじゃなきゃ辻褄が合いません」
声量こそ変わらないものの、言葉の節々に棘を感じる。不正解と言われて苛立つのは優等生らしい反応だ。
「前にも言っただろ。人は損得を考えず感情で動くことがあるって。俺もそれだよ」
「私が言ってるのはそれです。儲けを考えないクラノさんの行動は善意無しではできません」
「善意じゃねぇんだよ」
損得を考えずに動く理由は、善意や悪意に限らない。
あの時から、決して消えない想いが生まれてしまった。
「これ以上、俺の周りのガキが破滅して欲しくないだけだ」
兄のように慕ってくれたケイが、いなくなったときから。




