16.戦場に立つ資格
ヒランさんを攻めることになった理由は二つある。一つは性格の問題だ。
彼女は目立つことが苦手である。人の視線に敏感で、注目を浴びるほどプレッシャーを感じて動きが鈍くなるということだ。ダンジョン管理人に立候補した際も、最初は碌に宣伝活動ができなかったらしい。
アルバさんは負けたときのリスクを設けることでその弱点を突いた。その効果は一定の効力はあった。だがそれでも上級冒険者。僕の攻撃はヒランさんに届かなかった。
だからもう一つの隙を突くことになった。
「ヒランちゃんの居合切りは超一級品だ。ヴィック君では避けることも受けることもできない」
「じゃあそれ以外の技の隙を突くんですね」
「いや、だからこそ居合切りを狙うのさ」
ヒランさんが居合切りをする状況は二種類。一つは相手が間合いに入っているとき、もう一つは相手の死角を突いて急接近したとき。
隙があるのは接近したときの方だと言う。
「そのときだけ僅かに速度が落ちる上に切っ先がぶれる。それでもヴィック君が避けられる技じゃないけど、今は僕が居る。僕の指示に従えば可能さ」
第二の策は、わざと居合切りをさせるように仕向け、アルバさんの指示で避けてからの反撃というものだった。
言うのは簡単だが、実行するのはかなりの難易度である。だけどアルバさんはできると言った。自信を持てとも言った。
そして、策が成ろうとしていた。
僕の木剣がヒランさんに届く。今度は避けきれないタイミングだ。当たる。
問題はヒランさんが反撃しようとしていることだ。
先に攻撃を仕掛けたのは僕。だけどヒランさんは、一度は回避の挙動を見せたがそれを止め、居合切りを放とうとしている。彼女の居合切りなら、後に出しても不利にならないほどの速さだ。
僕か、ヒランさんか。先に攻撃を当てるのはどっちか。
僕の剣はヒランさんの右肩に、ヒランさんの木刀は僕の右脇腹に当たる。ヒランさんは痛みに顔を歪め、僕は威力に負けて地面に転がった。
威力の差は一目瞭然。だが今回は一本を取った方が勝ち。威力は関係ない。どっちが先に当てたかが重要である。
その勝敗は観客席で見ていた見物客ではなく、戦った僕がよく分かっていた。
「っ……」
声が出ない。居合切りを受けた脇腹がすごく痛いが、それが原因ではない。転んだ拍子に口の中に入った土を飲み込んでしまいそうになるからでもない。
ただただショックで、茫然としていた。
「ぐそっ……」
チャンスはあった。絶好の機会を得た。あと一歩で届いていた。
だがそれでも、ヒランさんは遠かった。
アルバさんに手助けされても、弱点を突いても、僕の力では及ばない。その現実を突き付けられた。身体と心に痛いほどに。
冒険者になったときから、冒険者ギルドに支えられてきた。そこで働く人達に応援され、助けられた。今までの恩を返すためにも力になりたかったのに、その機会すら無いだなんて。
「終わったみたいだな」
アリスさんが悠々とした足取りで近づいて来る。その後ろからアルバさんもついて来ていた。
「そっちは取れたかい?」
口ぶりから、アルバさんは負けたようだ。僕達二人とも一本も取れなかった。
何も言えないでいると、「早く言え」とアリスさんが急かす。
「万が一にもありえねぇがお前が取ってたらオレとの一騎打ちなんだ。もたもたすんな」
相変わらずの遠慮のない言い方。冷たいようで、アリスさんなりの励ましなのかもしれない。さっさと切り替えろという。多分。
未だにショックから立ち直れないが、皆をいつまでも待たせていられない。早く終わらせて邪魔にならないようにしよう。もう僕ができることといえばそれくらいだ。
「僕の負け―――」
「認めます」
僕が言い切る前だった。ヒランさんは遮るかのように言った。いつも通りの無表情面で。
「認めるって、何がだ?」
「わたくし達の手伝いの参加です」
アリスさんが尋ね、ヒランさんが淡々と答える。その答えに驚き、僕は声が出なかった。その代わりかのようにアリスさんが尋ねる。
「は? お前、まさか負けたのか?」
「いえ。わたくしの方が早かったです。判定を甘くしても、ぎりぎり引き分けといったところでしょう」
「だったらこいつの負けだろ。遠慮することはねぇ。はっきりと不参加って言えばいい」
師弟関係だというのにこの厳しさ。アリスさんには情というものが無いようだ。グーマンさんはよく耐えれたな……。
「わたくしがヴィックさんの参加を認めなかったのは、その実力に懐疑的だったからです。弱者を庇えるほどの余裕はありませんから、足手纏いになるくらいなら参加させない方が良いと判断していました」
「その考えが変わったということかな」
アルバさんの問いに、ヒランさんが肯定する。
「ヴィックさんはわたくしと相打ちしました。これが実践ならばわたくしは死んでいます」
ヒランさんは倒れたままの僕に近寄って手を差し伸ばす。
「それほどの実力者が参加を望んでいるのです。是非、あなたの力をお借りしたいのですが、どうでしょうか?」
結果は、僕の負けだった。だけどヒランさんは参加を認めてくれた。
情けを掛けたのかもしれない。本当に人手が足りないから許してくれたのかもしれない。そんな考えが頭に思い浮かんでは消えていく。ヒランさんがそんなことを言う人じゃないということは、冒険者の誰もが知っている。
厳しくて、潔癖で、公平で、優しい。それがダンジョン管理人のヒランさんだ。彼女の言葉に嘘はない。
僕はまた、声が出なくなっていた。
「本当に参加させるんだな」
冒険者ギルドの会議室に、ヒランはアリスとアルバと一緒だった。綺麗な姿勢で座るアルバに対し、アリスは椅子に座りながら机に脚を乗せ、表情だけでなく態度からも不満げな感情を出していた。
「先程言った通りです。ヴィックさんとラトナさんを参加させます。ラトナさんは補助的な役割を与えますが」
「ヴィックは他の奴らと同じで現場だろ。死ぬぞ、あいつ」
大げさな言葉ではない。ルドルフにとって人の死は軽い。己の欲望のためならば躊躇うことなく敵を斬る。そういう人間だ。雇っている傭兵や手下にもその指示が伝わっているはずだ。
それを知らずか、「大げさだなぁアリスちゃん」とアルバが言う。
「たしかに彼の直属の部下は容赦ないけど、急遽雇われたチンピラや傭兵はそうでもないさ。街中で人殺しなんてしたくないし、チンピラに至ってはそんな度胸すらない。一人で薄暗い夜道を歩かない限りね」
「あのバカがそうなりそうだから言ってんだよ」
「へぇ、かなり心配してるんだね。可愛くなっちゃった?」
「先に殺してやろうか」
「死なないよ。僕もヴィック君もね」
アリスの懸念は最もだ。だから対策は考えている。
「昼は僕がヴィック君を指導するよ。色んな人から指導を受けるのは良い勉強になる。その間、アリスちゃんは選挙の手伝いでもしてたらいいさ」
「あいつらは夜に活発に動き出す。そんときはどうすんだ?」
「夜は手が空いてるものに指導をさせます。ちょうど心当たりがありますので」
「そして僕はお仲間を連れて自警団のお手伝い。どう? 完璧じゃない?」
アルバの参戦は、ヒラン達にとって大きな追い風になる。アルバは傭兵ギルドの三強の一人。アリスやアランよりも庶民への知名度は低いが、貴族界隈への知名度が高い。それはアルバ本人が貴族であり、更には婚約者が名門貴族であることが理由だ。そのうえ、婚約者の私兵を借りられることになったのも嬉しい誤算だった。
団員達の負担は減り、ヴィックの指導も行える。少なくとも、兵力で不利になることは無くなった。
残る問題は、あと一つだった。
「じゃ、あとは候補者だけか」
未だに代わりの候補者は見つかっていない。新しい候補者を探しているが、オットーの家が焼かれた原因が選挙に出たことだという噂が既に広まっていた。その結果怖気づいて拒否されることが相次いだ。当然と言えば当然の話だ。命を狙われるような選挙に出たがる者はいない。
「ネルックさんやヒランちゃんみたいな人が居たらいいのにね」
前回の冒険者ギルドの選挙も似たような状況だった。あのときも選挙が終わるまでの間に何度も嫌がらせや襲撃を受け、それに臆した仲間が何人か去っていった。
それでも勝てたのは、ネルックが怯むことなく立ち向かったからだ。
清廉潔癖なことと実績だけが取り柄で、冒険者よりもひ弱な男が戦い続けた。善良な冒険者達のために身体を張り続ける姿に奮い立つ者は多く、逃げる仲間よりも多くの冒険者達が支援した。
だが、そんな人物はそう居ない。
「いっそのことお前が出ろよ。ホーネットよりましだろ」
「嫌だよ。他にやることがあるからね。アリスちゃんがやりなよ」
「お断りだ。今だけでもうんざりなのに、これ以上忙しくなってたまるか」
二人も心当たりは無いらしい。このまま候補者が出ないと戦うことすらできなくなる。
それを避けるべく、最後の手段を選ぶことに決めた。
「その件ですが―――」
話し始めた直後、会議室のドアをノックする音が鳴った。すぐに「入るよー」とリーナがネルックと共に入室する。
リーナが鍵を閉めると、ネルックは皆を見下ろした。
「候補者について話がある」
ヒランはもちろん、アリスとアルバも口を閉じた。
「局長に相応しい人物すべてをあたったが、全員に断られた」
予想していた結果だった。それでも落胆はある。まるで昔の頃と同じだった。
「噂のことだけじゃなく、その後のことも気掛かりだったようだ。当選しても恨みを買ってルドルフに狙われるんじゃないかとな」
「彼の悪評は有名だからね。仕方ない」
「仕方ねぇって……バカか」
納得するアルバに対し、アリスは責める。
「それでも候補者を引き連れてくるのがお前の役目だろ。普段偉そうにしてるくせに、そんなことも出来ねぇのか」
「怖気づいた者をたてても早々に折れる。そもそも、そんな不安を抱かせる自警団にも問題はある。私の責任にしないでもらいたい」
「オレ達が悪いってのか?」
「そう言った。間違ってたか―――」
「ネルックさん」
言うと同時に、ヒランは立ち上がろうとしたアリスを手で制する。
「現在、候補者はホーネットのみです。他に候補者を立てられなければホーネットの信任投票になってしまいます」
信任投票で否決となれば、期間を置いてもう一度選挙が行われる。だが選挙には時間と費用が掛かる。その繰り返しを嫌がる者が多いせいか、信任投票は可決になることがほとんどである。つまりこのまま候補者が出なければ、ホーネットが局長になる可能性が非常に高くなってしまうということだ。
「もちろんその危険性は知っている。このままだとあの豚……ホーネットが局長になるという最悪な事態になるだろう」
ヒランの脳裏に丸っこいホーネットの姿が浮かび、すぐに消す。
「ではどうしますか? もし代替案が無ければわたくしの案を聞いてほしいのですが」
「いや、ある」
力強くネルックは言う。ヒランの不安を打ち消す言葉と、その案を。
「私が選挙に出る」
それはヒランが考えたものと同じだった。




