15.戦士の顔
「狙うのはヒランちゃんだ」
覚悟を決めた後、アルバさんが僕に作戦を言った。その作戦は意外なもので、声には出なくても顔に出そうになった。
「意外かな?」
否。顔に出ていたようだ。
「は、はい。アリスさんの方がやり易いかと思ったので」
アルバさんは何度もアリスさんと手合わせしていて勝ったことがあり、僕はアリスさんの戦いぶりを間近で見ている。対してヒランさんのことはよく知らない。アルバさんも、ヒランさんと戦ったことは少ないそうだ。だからアリスさんを狙うと思ったのだが……。
「僕達はアリスちゃんのことをよく知ってる。けどアリスちゃんも僕達のことをよく知っているんだ。そう簡単には取らせてくれない。それどころか逆にやられちゃうかもしれないからね」
「ヒランさんならやられないのですか?」
「ヒランちゃんの武器は居合切りだ。迂闊に間合いに入ったら僕でもやられちゃうよ」
どちらを狙っても難しいようだ。そして攻めあぐねていたら僕達が不利になる。主に僕のせいで。
「じゃあ何でヒランさんを狙うんですか?」
「弱点があるからさ。そこを突けば君でも一本取れる」
あのヒランさんにそんな致命的な弱点があったのか。
「最初はアリスちゃんを狙うようにブラフを張る。その後に弱点を突いて隙を作ろう。アリスちゃんがすぐに止めに来るけど、そっちは僕が相手をするから心配しないで」
自信満々な調子で言うアルバさんに安心感を覚えた。絶望的な戦力差だが、この人は勝機を作り出そうとしている。三強と呼ばれるのも納得だ。
「分かりました。ちなみに、その弱点って何なんですか?」
アルバさんは子供を愛でるような、優しい眼を見せた。
「僕とは正反対なとこだよ」
勝負はアルバさんの不意打ちから始まった。アルバさんらしくない始め方に戸惑いを感じたものの、それ以上にヒランさんの様子に驚いた。
迫るアルバさんに対し明らかな動揺の顔を見せ、乱れた太刀筋で木刀を空振らせたからだ。
いつも落ち着いて冷静なヒランさんが乱れる。今まで見たことがない表情で……。
いや、一度だけある。ドグラフ討伐戦、ヒランさんらしくないセリフで皆を鼓舞した時も似たような顔をしていた。
戸惑い、動揺。技に悪影響を及ぼす感情がヒランさんを襲い、大きな隙を生み出している。それを見逃すアルバさんではない。アルバさんはヒランさんに突っかかり、鋭い突きを繰り出した。
「……っ!」
ヒランさんが回避するが、体勢を崩して片膝を地面につける。その隙を突くようにアルバさんが追撃を仕掛けた。
その直前、アリスさんがアルバさんを強襲する。それを知ってたかのように、アルバさんはアリスさんの方に振り向いて防御した。
「ふざけた真似しやがって!」
「勝つために最善を尽くしているだけだよ」
アルバさんが隙を作り、アリスさんがヒランさんを守り、アルバさんが対応する。聞いた通りの展開だ。なら次にすべきことは……。
僕はヒランさんに接近して木剣を振るう。振り下ろす僕の木剣はヒランさんに受け止められたが、体勢が不十分なせいか力が入ってない。このまま押し切れそうだ。
「うおおおおおおおお!」
「くっ……」
力を入れる僕に対し、ヒランさんは木刀を傾けて力を逸らす。勢いで体勢を崩しそうになるが、寸前で踏み込んですぐさま追撃を行う。それもヒランさんに受けきられたが、続けて追撃を繰り返す。
打つ、打つ、打つ。連打を繰り返し、ヒランさんを攻め立てる。彼女は防御で精一杯だ。普段なら一回くらい反撃されそうだが、その様子はない。アルバさんの言葉に未だ動揺しているようだ。
万全の状態で受けられたら勝ち目はない。勝機はここだけだ。
「がぁあ!」
渾身の力で木剣を振り抜く。ヒランさんに受け止められたが、勢いが勝って木刀を弾き飛ばす。
ヒランさんの手から武器が無くなる。あとは一撃を入れるだけ。
考えることなく勝負を決める一撃を突き出す。遮るものは何もない。これで僕達の勝ちだ。
その考えは、宙に浮くとともに消え去った。
目立つことが苦手だった。人の視線が気になってしまい、緊張して身体が強張ってしまう。ヒランはそんな性格だった。
原因ははっきりしている。子供の頃の環境だった。
幼い頃から厳しい教育を受け、失敗すれば強く叱られ、時には暴力を振るわれた。それが嫌だったから猛勉強をして家族の期待に応えた。そうすれば平穏な日々が続くと思ったからだ。
その思惑は半分正解で、半分間違いだった。
応え続ければ怒られなかったが、すぐに新たな課題を出されるようになる。それに応えるためには休む時間を惜しく、また課題を終わらせる。するとまた次の課題を出されて休むことができない。成功すればするほど、他者よりも目立つ活躍をするほどそれは続く。
大人達はヒランの成功に注目するが、ヒランの心の内までもは見ない。ヒランは、いずれ体力が尽きてしまうのが自分でも分かっていた。だが結果しか見ない彼らに、ヒランは胸の内を晒す気にはなれなかった。
失敗するのが先か、力尽きるのが先か。終わりの見えない悪路を進むことしかできず、消耗していく日々。何度も限界に近づいたことがあった。
そういうとき、ヒランはできることを淡々と繰り返す。
とうの昔に身体に染み込ませた、無意識に出せる体捌き。突き、蹴り、投げ。いないはずの相手に、数々の技を繰り出していく。その甲斐あって、今ではどんな時でも反射的に技を出せるようになっていた。
たとえ、極度の緊張状態に陥っていても。
ヴィックの攻撃は、勝負を決めようとする止めの一撃だった。それはヒランの隙を突こうとするものであり、それ以外の思惑はない。
そう分かる前に、体が動き出していた。体を捻らせて避け、伸びた腕を掴み、回転しながら投げ飛ばす。一秒後、地面に倒れていたのはヴィックだった。
形勢逆転。ヒランはすぐにヴィックに止めを刺そうとするが、武器を持っていないことを思い出す。持っていた木刀は手が届かない場所にある。諦めてヴィックから奪い取ろうとするが、ほぼ同時にヴィックが立ち上がられたことで機を逃す。
まだ万全ではない。自身の状態を確認しつつ、距離を取ると同時に木刀を拾う。しっかりと握りしめた後、ヒランは木刀を腰の横に添え、居合切りの構えを取る。これで負けることは無くなった。
「まだ続けますか?」
ヴィックは顔を強張らせた。
「あなたの実力では、わたくしの居合切りを避けることはできません。木剣で防がれても折る自信はあります」
ヴィックに勝ち筋はない。あるとすればアルバの増援くらいだが、アリスがそうそう負けるとは思えない。負けそうになったとしても、先にヴィックを仕留めれば良い話だ。その場合、アルバと一騎打ちになって負ける可能性も浮上し、あの破廉恥な制服を着る羽目になるかもしれない。考えただけでも怖気がする。
それでも、目の前の少年を騒動に巻き込むことに比べれば些細なことだ。
今回のルドルフは本気だ。本人だけではなく、周囲の人間も巻き込むほどの冷酷非道な所業を平然と行っている。それは取るに足らない雑兵相手にも容赦ない。最初から覚悟していた者達でも臆すほどだ。そんな渦中に、碌に喧嘩すらもしたことのない冒険者を放り込めるわけがない。
ヒランがダンジョン管理人になったのは、彼のような弱者を守り育てるためだ。ヴィックを参加させるのは、その精神に反する行為だ。アリスさえあの場に居なければ、どんな提案をされても断固として拒否していた。そして勝負することになったからには、是が非でも勝ちに行く。
ヴィックの選択肢は三つある。一つはアルバを待つことだ。だがアルバが加勢に来れる保証はない。二つ目はヴィックがアルバに加勢し、先にアリスを片付けてからヒランに向かうこと。この場合はアリスとは打ち合わせ済みでヴィックを優先して狙うことにしている。どのみちヴィックがヒランに背を向けた時点で追撃するので結果は同じだが。最後の選択肢は、一か八かでヒランに仕掛けること。これが一番無謀な選択である。この状況では、万が一にもヒランがヴィックを打ち損じる可能性はないからだ。
ヒランはヴィックの様子を窺う。先にヒランが動く手もあるが、それは取らなかった。十割の確率を一%でも下げることはしたくない。
そうしてじっと待っていると、ヴィックが動き出した。
ヴィックはヒランに背を向け、アルバの下へと駆けようとする。選んだのは合流。ヒラン達の取り決めが無かったら、悪くないと言える選択だ。だが、今回は悪手だ。
ヒランは脚に力を籠めてからバネのごとく跳ねるようにしてヴィックの背中に迫る。居合切りの構えをできるだけ崩さないように編み出した移動術。溜めがあるため正面から仕掛けると動きを読まれてしまうが、背後からの奇襲ではその心配はない。
ヴィックに追いつき、居合切りの領域に入れる。この距離まで詰めてしまえば、気づかれてももう遅い。動く前に切り伏せられる。ヒランは一瞬の躊躇もなく、その背中に居合切りを放つ。
だが、絶好のタイミングで振るった居合切りは空を切っていた。
一瞬だけ、ヒランの心に動揺が生まれる。ヴィックは後ろを見ないまま、地を這うほど低くしゃがみ込んでいたからだ。ヒランの木刀はその頭上を通り過ぎていた。
あの状況で避けられるわけがない。アリスやアルバでも不可能なのに、彼らに到底及ばないヴィックがなぜ避けれた?
疑問が浮かび、その答えはすぐに見つかる。視界にはアルバの姿が入っていて、彼は対峙しているアリスではなく、ヒラン達の方を見ている。しかも木剣を持っていない左手で、下を指差していた。
アルバが指示を出したんだ。ヒランの居合切りを避けるタイミングを。
居合切りを避けたヴィックが、すぐさま振り向いて反撃をしてくる。ヒランは寸でのところで身を引いて避けたが体勢を崩した。
ヒランは不十分な体勢のまま、再び居合切りの構えを取る。その直前にヴィックが追撃を仕掛け、木剣を振り下ろそうとしていた。
今居合切りをすれば、どっちの攻撃が先に当たるかは分からない。避けるにしても遅すぎる。少なくとも体には当たる。だが急所から外すことはできる。
一本の判定は、相手の致命傷となる部位に攻撃したときに限る。回避行動をとれば恐らく脚に当たる。だが脚を切られても致命傷にはならない。そう言い張って判定を取り消すことは可能だろう。
普段からは考えられない小狡い思考だ。しかし、この勝負に負けるわけにはいかない。か弱き者を守るためなら、どんな手を使っても勝たなければいけないのだ。
それが正しい。それが自分の役目だ。自分に言い聞かせたヒランは回避するために、ヴィックの視線を読もうと顔を見る。
目に映るのは、頼りない大人しそうな少年の顔―――ではない。
強い意志を持った戦士の顔だった。




