12.戦う理由
ゴクラク草は麻薬である。幸福感を与える一方で、それ以外で幸福を感じられなくなるうえに中毒性がある効果を持つ。マイルス近辺ではツリック上級ダンジョンにしか生えないため希少価値が高かったが、一度でも服用した者は借金をしてでも得ようとした。そのためある者は廃人になり、ある者は借金のせいで消息を絶ち、ある者はダンジョンに行って帰って来なくなった。
ケイはその一人だった。
「毎日のように会っていた弟子が、突然姿を消してしまいました。家にもおらず、マイルスダンジョンで動けなくなったのかと思って探しましたが、どれだけ探しても見つかりませんでした。しかしツリックダンジョンに行ったときに、彼を見つけました」
どんな状態で見つかったのかは、言われなくても察せられた。
「彼の荷物にはゴクラク草がありました。後に調べたところ、彼は何度かゴクラク草を買っていたということを知りました。タチの悪い不良に唆されて服用してしまい、例に漏れず中毒になっていたことも」
「どうにもできなかったんですか?」
シンが尋ねると、ヒランさんは表情を変えずに答える。
「一番彼に接していたのはわたくしでした。しかし言い訳になりますが、わたくしは人の表情を読み取ることが苦手だったため、彼の変化に気づけませんでした」
「……ヒランさん以外に、気づける人はいなかったんですか?」
「当時の冒険者達は自分のことに精一杯で、他人のことを気にかける余裕などありませんでした。そんな状況で、縁もゆかりもない新人の面倒を見ることなど不可能です。わたくしも、弟子でなければ彼のことを気にかけなかったでしょう」
「……なんで、そんなことになってたんですか?」
弱々しくも糾弾するかのような声だった。シンは今でも吹っ切れていないのだ。大事な兄を失ったことに。
その彼の言葉に、ヒランさんは同じ調子で答える。
「戦で仲間や友人が死に、皆の中心となっていた人が居なくなってしまい、身体だけではなく心も弱っていました。疲弊した体に鞭を打ち、何とか生きようともがいていました。だから、誰も彼を助けられなかったのです」
ヒランさんの声は淡々としている。けどそれは、感情を出さないようにしているように見えた。
たった一人の弟子が麻薬に手を出し、冒険者ギルドの掟を破ってしまった。助けるチャンスがあったのに、善良だった少年を死なせてしまった。もっと気にかけていれば助けられたかもしれない。
それだけに、彼女の悲哀は強い。
「今でも彼のことを思い出します。わたくしの初めての弟子であり、家族思いの善良な少年だった彼が死んだことは、わたくしの中に強い動揺を生みました。一年にも満たなかった関係でしたが、師を失ったばかりのわたくしにとって彼の存在は大きかったのだと、そのとき気づいたのです」
ヒランさんが変わった原因を、ダイチさんとケイさんのお陰だとリーナさんは言った。僕はそれを、彼らから大事なことを教えられたからと思っていた。
けれど、そうじゃなかった。
「だけど彼が死んでも、ギルドは、社会は、いつもと同じように動いていました。まるで何事も無かったかのように、淡々と時間が過ぎていました。今でもどこかで彼と同じような目に遭っている人が居るというのに」
彼女の声に、感情が乗った。
「……わたくしは、それが許せませんでした」
ダイチさんは無理がたたって死んだ。ギルドで一番強い人が、その強さゆえに無茶をせざるを得なくなって。
ケイさんは無知が故に死んだ。何も知らない新人が、悪意の標的にされて。
どちらも救える人だった。周囲がダイチさんを手伝っていれば、先輩やギルドがケイさんを導いていれば、二人は今も生きていた。
二人はヒランさんの大事な人だった。
その二人の死が、ヒランさんを変えたのだ。
「だからギルドを変えようと思ったのです。強い人も弱い人も、古参も新人も、皆が幸せになれるギルドにするために」
強い悲しみを、使命感に変えることで。
「やっぱり、僕も力になりたい」
ヒランさんたちと別れた後、僕はラトナに言った。ラトナは「選挙のこと?」と聞き返す。
僕は頷いて答える。
「昔のギルドが酷かったってことは知ってたけど、あそこまでとは思ってなかったんだ。もし選挙で負けても、何とかなるんじゃないかって……」
だがヒランさんの話を聞いて、僕の見解はあまりにも楽観していたと分かった。
一部の身内だけがギルドの恩恵を受け、それ以外は支援を受けられず貧窮する。選挙で負ければ、傭兵ギルドに待つのはそんな未来だ。そしていずれは冒険者ギルドにも手を伸ばし、昔と同じような事態となってしまう。
そんなこと、させるものか。
「負けちゃだめだ。絶対に勝たないといけない。このまま何もせず、じっとしているなんてできないよ」
強い危機意識と使命感が、炎のように燃え盛る。
この選挙、絶対に負けられない。
「けどどうするの? ししょーからは何もするなって言われてるじゃん。勝手に動いたら後が怖いよ」
「それなんだよねー……」
参加するにあたり、懸念点があった。それは、僕が選挙に関わらないように命じられていることだ。
アリスさんやヒランさん曰く、僕が対人戦闘に慣れていないので足手纏いになるからというのが理由だ。
選挙の間、これからは奴らと衝突して喧嘩に発展することが多くなるだろう。そのときに僕が居ても何の役にも立たず、下手したら味方の足を引っ張るかもしれない。それを考えたら、確かに二人の言うことは正しいのだろう。
けど今は人手が足りない。弱いからって理由でその待遇に甘んじてはいけないのだ。
「何とか力になりたいんだけど、普通に頼んでも断られるからねー……。どうしよっか?」
「ノープランなんだね」
否定できず頷いてしまう。現状、どうすれば皆の力になれるのか分からない。思いつくことといえば、せいぜい何度もお願いして許可を得ることくらいだ。
けれど、あの二人がこんなことで折れるとは思えない。二人とも頑固だからなー。
「ラトナならどうする?」
「あたし?」
「うん。どうしたらヒランさん達は許してくれるかな」
ラトナは僕より知識があって思考力も長けている。アリスさんとの修行の時に僕が悩んでいると、何度も知恵を授けてくれた。彼女なら僕には思いつかない答えを出せるだろう。
そんな僕の思惑が間違ってなかったことを、ラトナはすぐに証明した。
「誰かに推薦してもらったらどう?」
「推薦?」
「そ。ししょー達と同じくらいか、それ以上に偉い人から薦めてもらうの。お互いの立場もあるから、多分受け入れてくれると思うよ」
「……なるほど」
ラトナの提案は、これ以上ないほどの妙案に思えた。たしかに同程度の立場かそれより上の人から薦められたら、そうそう断ることはできない。僕がアリスさんに逆らえないのと同じように、アリスさん達にも頭が上がらない人や、彼女達と対等に渡り合える人が居るはずだ。その人に僕を推薦してもらえれば、選挙を手伝うことができる。
「最高の答えだ。流石だよラトナ。もう惚れ直しそうだ」
「ほ、惚れ直すって……え? そうなの?」
「そうだよ! 前々から頭が良いなって思ったけど、こんなに早く答えを出すなんて……。惚れ惚れするほどの頭脳だよ!」
「あ、そっちか。うん、知ってた」
何故かラトナはがっかりしたような、ほっとしたような微妙な笑みを見せた。
「けどヴィッキー。そんな人の知り合い居るの? しかも推薦してくれるような仲の良い人」
「……そういえば」
ヒランさん達以上に偉い人の知り合いなんて、せいぜいネルックさんくらいだ。そのネルックさんも僕を推薦してくれる保証はないし、そもそも今は新たな候補者を探すのに忙しいはずだ。選挙の邪魔をしたくない。
つまり、ヒランさん達と対等な人から推薦を得ないといけない。ソランさんは無理だ。僕よりヒランさん達の意見を尊重しそうだ。じゃあリーナさんか? いや、彼女は優しいから断るかもしれない。ノーレインさんとネグラットさん……駄目だ。彼らはヒランさんのファンだ。僕よりヒランさんを優先する。
何人か思い浮かんでは考え直す。残念ながら僕の知り合いの中で偉い人は少なかった。五分も経たないうちに、ヒランさん達に対抗できそうな人が居なくなる。
良い案だと思ったが、僕の人脈が無さが敗因だった。
「ダメだ。良さそうな人が居ない。別の案を考えないと……」
そうして考え直していると、視界に見覚えのある人の姿が入った。
長く艶やかな金色の髪で、綺麗な服を着た女性がきょろきょろと辺りを見渡している。さらにはあっちを来たりこっちを来たりと、彷徨うように歩いている。道に迷っているような挙動をしていた。
その女性は僕と目が合うと、何か思い出したかのようなハッとした表情を見せ、僕の方に近づいて来る。
「やっぱり。あの時の子ね。会えて良かったわ」
彼女は僕の顔を見てホッとする。
「ちょっと人を探しているの。手伝ってくれないかしら?」
「えっと……どこかでお会いしたことありましたか?」
「えぇ。……あら? 今日は違う女性を連れているの? モテモテなのね」
「ヴィッキー、どういうこと」
ラトナの声に怒りが混じっているような気がした。
「こんな綺麗な人と、いったいどこの誰と一緒に会ったのかな? 修行で忙しいのに、色んな女性と会う時間があったんだね」
「待ってラトナ。僕にも覚えが無くて―――」
「ふーん。ふーーん。ふぅーーーーーーん。記憶に残らないほど色んな女性と会ってるんだ。じゃああたしのこともフィネのこともウィストのことも、いずれ忘れちゃうのかな」
「……怒ってる?」
「怒ってないよー。ぜんっぜん怒ってない。だから気にしないでナンパでもしてきたら? で、宿に連れ込んでズッコンバッコンすればいいじゃん」
かなり怒っているようである。さっきまでは仲良く話をしてたのに、見知らぬ女性の言葉であっという間に感情が反転していた。
どうしようかと悩んでいると、女性が「違いますわ」と否定した。
「私はこの方とそういう関係ではございません。他に心に決めた殿方がおりますので」
「殿方?」
その言い方には聞き覚えがあった。上品な見た目に喋り方。この女性がいるのような場所に行ったのは―――
「そこに居たんですね。おや、ヴィック君も一緒か」
唐突に声を掛けられる。その人の姿を見て確信を得た。
「久しぶりだね。あのレストラン以来かな」
アルバさんは、まさに僕が探していた人物だった。




