10.選挙前の暗雲
夜が明けて朝。僕はラトナと一緒に冒険者ギルドに向かった。カイトさんはいつものようにアルバイトに行っていた。
ルドルフ一味に狙われている危険性を教えていたのだが、「大丈夫だよ」と問題なさそうにしていた。やはり腕に覚えがあれば、奴らの襲撃もどうってことないのだろう。
ギルドに着くと、普段と少し違う光景が目に入った。ギルドの食堂には朝でも利用客はいて、冒険前に食事をとる者は多い。だが食堂側が用意したセットメニュー一食で済ます者がほとんどで、腹が膨れるほど頼む者はいない。
だがそのテーブルには、一食どころか十食分の皿が重ねられており、今なおそこに座る者達は食事を続けている。数日分の食事を溜め込むくらいにがつがつと。
「そんなに食べて大丈夫なんですか?」
心配になって声を掛ける。席に座っていたうちの一人、アリスさんが顔を上げた。
「調査中はろくなもん食えなかったんだ。こんくらいどうってことねぇよ」
「半分はお前のせいだろ」
同席しているソランさんが指摘する。
「現地調達するからって食料減らしてよぉ。ちゃんと用意しとけ」
「現地で狩って、現地で作って、現地で食べるのが冒険者の楽しみだろ。その分の食料を減らして何が悪い」
「てめぇだけの問題ならこれっぽっちも文句ねぇよ。まっずいモンスターしかいないと分かったら俺の飯を奪いやがって。巻き添えにすんじゃねぇよ」
「相方が腹減ってても知らんぷりってか。ひでぇ奴だなぁ。少しは慈悲の心を持ちやがれ」
「俺の食料を食っておきながらその言い草かよ。二度と分けてやらねえ」
「悪かったと思ってっから奢るって言ってんだろ。好きなだけ食えよ。ここで」
「食堂の飯なんか食い飽きてんだよ。こういうときは高くて美味い飯屋に連れて行け」
「んな時間がねぇだろ。これからすぐに会議なのによ」
「会議って、選挙についてですか?」
僕が尋ねると、「おう」とアリスさんが答えた。
「聞いたぜ、昨日のこと。ホーネット、ルドルフ、アランが敵で、そいつらが早速動き出したんだろ。お前らも襲撃されたか?」
「まだです。けど知り合いが襲撃されました。クラノさんが……」
「あいつなら問題ねぇ。さっき会ったが、その報告だけして帰っていったよ。怪我もなかったよ」
「そうでしたか……」
入れ違いになったようだが、無事なことを聞いて胸を撫で下ろした。けど三人相手に怪我もなく勝つなんて、強くないか? 今度会ったら喧嘩のコツでも聞こう。
「先手を打たれたが、まぁ何とかなるだろ。アランの相手はソランがして、選挙までは警備を強化する。それで危険は無くなる」
アリスさんは平然としていた。ソランさんも「そうだな」と同意し、危機感を抱いていないようだった。
二人は以前、冒険者ギルドの実験をルドルフ達から取り戻したメンバーだ。経験が豊富で、危機を乗り越えている。僕よりも実戦を知っている二人だ。
けど昨日のルドルフを見た僕の胸には、不安が残ったままだった。
候補者の家を火で焼き、関係者を襲った。これらを起こしたルドルフの意気は尋常じゃない。それにここまで大胆な動きをする連中に対して、それだけで乗り越えられるのか?
ルドルフの眼には、従兄と同じ嗜虐が宿っている。あんな奴が、これだけで終わるのか?
「本当に大丈夫なんでしょうか……」
不安が言葉になる。「あ?」とアリスさんが反応した。
「何か気になることでもあんのか? 根拠もねぇのに言ってたらぶん殴るぞ」
「無いです。けど不安なんです。昨日、あいつらはやけに強気でした。ルドルフが堂々と宣戦布告してきたこととか、連中は襲撃とか危なっかしいことをしているのに堂々としていることとか。それを兵士が咎めなかったことも気になりますし……」
「なんだそりゃ?」
アリスさんが眉を顰める。殴られるのを覚悟して身構えたが、一向に拳は飛んでこず、代わりに問い質された。
「兵士がいたのに、何にもなかったのか? 連行どころか注意もなかったのか?」
「あ、はい。むしろルドルフを守っていました。団員が突っかかっていったら止められてて……」
「……」
アリスさんは顔を顰めたまま、腕を組んで黙り込む。ソランさんも険しい顔をして食事の手を止めている。
何かまずいことでも言ってしまったのか? そんなことを考えていると、「アリス、ソラン」と二人を呼ぶ声が聞こえた。
「会議の時間です。会議室に来てください」
ヒランさんが職員の制服を着て二人を迎えに来ていた。
「おいヒラン。俺宛に連絡とか来てるか?」
ソランさんが尋ねる。ヒランさんは冷めた目で答えた。
「それについても会議で話します」
会議室に集まっていたのは、前回と同じメンバーだった。ネルックさん、ノーレインさん、ネグラットさん、リーナさん。そして会議室に入った僕達だ。僕とラトナは、アリスさんに「後学のため」と言われて参加していた。
会議が始まると、まずヒランさんが昨日の事を報告する。その中には、僕が知らないことを含まれてあった。
「昨日襲撃された者は、冒険者学校の関係者と自警団の団員です。怪我をして入院した者が四名」
既に被害者が出ている。しかも重傷……動きが早くて確実だ。敵は狡猾で残忍な性格だと、改めて実感した。
「彼らに怯えて自警団から脱退した者もいます。今後、今回のことが知れ渡ることで脱退者が増えることも考えられます」
「構わない。脱退したい者を引き留める必要はない」
「そしたら仕事が回らなくなるぞ」
「半端な意志で残られる方が厄介だ。今後の活動に支障が出る」
ネルックさんは「問題ない」と言わんばかりの態度だ。ネグラットさんは一つ息を吐いて口を閉じた。
「調査したところ、ごろつきや冒険者、傭兵を雇い、彼らに襲撃させているようです。特に傭兵の中には腕利きの者がいます。その中で特に危険なのがアラン・グランディアです」
「よりにもよって、あの老人を雇うとはな……」
ネルックさんも苦々しい顔を見せる。よほど敵に回したくない相手のようだ。
「こっちも強い人達がいるから大丈夫なんじゃないですか?」
ラトナが尋ねるが、ノーレインさんが「甘い」と否定する。
「まるで蜂蜜のように甘い。あの人の恐ろしさは強さだけじゃない」
「そうだ」
ネグラットさんが続けて説明する。
「アランさんは長い間傭兵を続けている。その間に多くの権力者との繋がりを作り、弟子を育ててる」
「つまり人脈が半端ない。あの人のために一肌脱ごうって人が何人もいるってことさ。組んでる相手がルドルフだから敬遠する人もいるけど、それでも手を貸そうって人も出てくる」
「その中には権力者もいるだろう。アランさんを相手にするくらいなら、傭兵百人と戦う方が好ましいくらいにな」
戦力を増やすには、単純に人を増やせばいい。だが権力を得るには長い実績と信頼が必要になる。
アランさんはその二つの最高峰の力を持っている傭兵だ。たしかに、そんな相手とは戦いたくなくなる。
「アランが敵に加わったことで、選挙も怪しくなった。まずマイルスの傭兵の代表者、奴はアランの弟子だ。敵に票が入ると考えていいだろう。総本部の投票先も期待できない」
「他はどうなんですか?」
「商人ギルドと職業ギルドは今後の展開次第だ。市長は私の旧友だから問題は無い。心配なのは貴族達だ。彼らの動向が読めない」
「伝手がないもんねー。聞ける人が居たらいいんだけどー」
現状、投票先がほぼ確定できるのは四人で、その結果は五分五分。選挙で勝つには根回しが必要になるということだ。
ひとまず、政治関連は僕にはどうしようもできない。その辺はネルックさん達に頼るほかない。
「彼らへの根回しは私とヒランが引き受けよう。自警団の活動はどうする予定だ?」
「抜けた穴は勤務時間を調整して埋めるしかねぇ。ちょっと休みは減るが一ヶ月程度だ。なんとかなるだろ」
「人員は足りるのか?」
「……ギリギリだな」
アリスさんが苦々しい顔を見せた。
「だがさっきヒランが言った通り、更に脱退する奴が出てくるかもしれねぇ。なかにはアランの世話になった奴やビビってる奴もいるからな」
「新たな人員の補充はできないか?」
「アランの脅威に負けない奴か、知らない奴なら入るだろ。途中で気づいて怖気づくかもしれねぇけど、それまでの数合わせにはなる」
「身元を調べたうえで、問題ないなら入団させても構わない。その判断は任せる」
「あいよ」
ノーレインさんとネグラットさんの表情が和らぐ。数合わせでも人が増えることは喜ばしいのだろう。
「で、俺はどうすりゃいいんだ?」
ソランさんが声を上げる。ネルックさんがヒランさんに目配せをした。
「それについてですが、残念ながら今回の選挙では、ソランの手を借りることはできなくなりました」
「……どういうことだ?」
アリスさんの声に鬼気迫った感情がこもっていた。僕も少なからずの動揺が胸の内にあった。
前回の選挙では、ソランさんの力を利用することで勝利したと聞いている。今回もソランさんに手伝ってもらえば有利になれるはずだ。
参加できない理由を問い質そうとする前に、ヒランさんが一枚の依頼書を出した。
「本日、こちらがギルドに届きました。《国任依頼》です」
《国任依頼》は、国家から出された依頼だ。国の一大事に出されることが多く、かなり危険な依頼のため、特級冒険者や一部の上級冒険者にしか受けられない。
「危険指定モンスターの活動が活発になっており、その原因調査です。少なくとも一ヶ月は掛かるでしょう」
「このタイミングでか……」
ソランさんが呟き、ネルックさんが溜め息を吐いた。
「察しの通り手を回された。ソランを選挙から離れさせるためだ。ソランがいなければ、アランに勝てる者はいないからな」
「用意周到だな……」
立候補者の擁立からの翌日までに、立候補者と関係者への襲撃と冒険者ギルドへの妨害。容赦しないと言っただけはある。
度重なる攻撃に、冒険者ギルド側は後手に回っていた。
「けどさ、まだ何とかなるでしょ。私らがするのは選挙であって戦争じゃない。いくら向こうが強い傭兵を揃えても、わざわざ戦うことは無いでしょ。選挙が終わるまで耐えきれば、希望はあるんじゃない?」
リーナさんは明るく努めて皆に話しかける。その通りだ。たとえ相手が戦力を増やそうとも、選挙に必要なのは人望だ。
こと人望に限れば、ホーネットよりもオットーさんの方が有利だ。あとは投票先が不明な投票者からの支持を受ければ……。
「失礼します!」
突然、会議室の扉が開いた。フィネが大きな声を上げ、扉の前に立っていた。
「お客様を連れてきました!」
フィネの科白の後に、オットーさんが廊下から出てきた。申し訳なさそうな顔をして、若干視線が俯きがちだ。
弱々しい様子のオットーさんが、僕達に頭を下げる。
「申し訳ありません! このたび、私は選挙を辞退いたします!」
ルドルフの言葉が、頭に思い浮かんでいた。




