9.ヴィックの使命
冒険者ギルドからの帰り道は静かだった。夜遅いこともあってか人通りが少ない。そのせいか、人の動きが目に留まる。
前方の脇道に、クラノさんが子供達と一緒に入っていくのを見かけた。シンとネロも一緒だ。家に送り届けているのだろう。
たいして気にすることでもないので通り過ぎようとしたが、脇道を過ぎようとしたときに口論が聞こえた。
脇道を覗くと、クラノさん達の前を立ち塞がる男達が居た。
「だから言ってるだろ。さっさと講師を辞めて冒険者ギルドから距離を置きな。そしたら手は出さないでやるよ」
「お前にも、そこのガキどもにもな」
三人の男達が威圧的な態度を見せながら詰め寄っている。クラノさんは子供達の前に立っていた。
「何でお前らの命令で辞めなきゃいけないんだ。辞めたら俺の生活がどうなるかぐらい想像できねぇのか」
「んなことは知らねぇよ。だが辞めなきゃお前だけじゃなく、そこのガキどもにも酷い目に遭ってもらうぞ」
「殴られて辞めるか、殴られないで辞めるか。どっちが良いかガキでも分かるだろ?」
「ホーネットが局長になったら、ルドルフさんの手で冒険者学校なんて潰されるんだ。お前がどんだけ頑張っても、働く場所が無くなったら意味ないだろ。なら早いとこ辞めて他の所で働けよ」
どうやら三人はルドルフの手先のようだ。オットーさん達だけでなく、学校関係者にまで危害を加えようとするなんて。言葉通り、徹底的にやるようだ。
助けに行くか? けど、助けていいのか?
ここで助けてあいつらを追い返しても嫌がらせは続く。その被害に遭うのはクラノさんと生徒達だ。僕や冒険者達は対抗する覚悟はあるが、彼らが一緒とは限らない。もしかしたら今の段階で辞めることを考えてるかもしれない。
特にクラノさんの動向が読めない。冒険者を辞めたかと思ったら、冒険者を育てる側に回ってる。お金のためか、何か目的があるのか。後者なら奴らの要求を撥ねるだろうが、前者なら受け入れる事も考えられる。もし前者なら、僕の助太刀はむしろ邪魔になってしまう。
だけど、子供達を心配して「辞めない」と言えないのなら……。
判断がつかない。仕方ない。ここは様子見だ。喧嘩になりそうになったらすぐに向かおう。
「そんときはそんときだ。無くなるまで勤めて、無くなったら仕事を探せばいいだけの話だ」
「強気だな。俺達に負ける気ないってか? それとも助けが来るのを待ってんのか?」
ばれたのか? 冷や汗をかいたが、気づかれていないことを次の発言で知る。
「無駄だぜ。あいつらはお前らの護衛に手を回す余裕はねぇ。価値もないガキなんざ、後回しにされるだけだ」
「そうそう。これからもっと人手が減るしな。守り切れるなんて思わない方が良いぞ」
人出が減る? なんだそれ?
僕と同じことを思ったのか、クラノさんは僕が聞きたいことを尋ねた。
「人手が減るってどういうことだ?」
「そのままの意味さ。俺達が狙ってるのは団員とその周囲の人間だ。片っ端から襲って俺達の恐怖を教え、戦いから下りてもらうんだよ」
「家族、友人、同僚とかな。特に今日は重要人物の周辺を狙ってるんだぜ」
「重要人物っていうと、ネルックとヒランか?」
「ソランとアリスもだ。あいつらは今町に居ないから絶好のチャンスだ。特にアリスの弟子を担当した奴らは張り切ってたな」
心臓の鼓動が早まる。アリスさんの弟子は三人。その内、マイルスにいる団員は僕とラトナだ。
「俺もあっちに行きたかったぜ。あの女、良い体してるもんな。今頃遊んでんだろな」
「ガキどもの目の前でな。あいつらは仲間にやられて、何もできずに女が凌辱されるのを見てるってわけだ。その様子を見てみたいぜ」
体が震えた。拳に力が入り、歯を強く食いしばる。恐怖ではない。言葉にできないほどの怒りが湧き出ていた。
あの二人を、そんな目に遭わせようとしているのか!
「これが終わった後でも間に合うだろ。俺達も混ぜてもらおうぜ」
「良い案だな。というわけだ。早く行きたいからさっさと返事を聞かせろよ」
覚悟を決め、剣の柄を握る。一刻も早く家に帰らなければならない。
だがあの男達も放っておけない。この後、あいつらも家に行くようだ。合流される前に始末する必要がある。
ここから家に行くには、僕がいる通りを進む方が早い。話が終われば奴らはここを通るはず。通りに出てくる瞬間に不意打ちをして、一気にケリをつけよう。喧嘩は苦手だが、先手を取れば勝てる。
剣を握る手に力が入る。奴らを待ち構えながら様子を窺うと、「おい」とクラノさんが誰かに声を掛けた。
「聞こえんだろ。ここは俺が何とかするから行って来いよ」
僕の方に向かってクラノさんが言った。僕に言ってるのか?
「お前のダチがピンチらしいぞ」
確実に僕のことに気付いている。隠れても無駄のようだ。
僕が姿を現すと男達や子供達は驚いていたが、クラノさんは平然としていた。
「気づいてたんですか?」
「この道に入る前に見かけたからな。後ろから視線を感じたからお前だろなって」
「すごいですね……」
「元冒険者だからな」
優れた冒険者は五感が鋭いと聞いたことがある。クラノさんもその部類の一人のようだ。マイルスダンジョンの下層で生き残り続けてきただけはある。
「けど何とかするって……大丈夫なんですか?」
「元々断るつもりだったからな。講師は給料が良いし、やり易い仕事だからな。あと……」
クラノさんは子供達を見た。
「約束がある。今度こそ守らないといけないからな」
何の約束なのかは僕が知るところではない。だがクラノさんにとっては、ルドルフ一味と敵対してでも守るべき約束のようだ。
僕にも、果たすべき使命がある。ミラさんとベルクに、二人がいない間の留守を任されている。今、ラトナとカイトさんを守れるのは僕だけだ。
「分かりました。ここは任せます」
「逃がすと思うか?」
男達が迫り来る。だが先頭にいた男をクラノさんが蹴飛ばしていた。
「行かすと思うか?」
その間に僕は家に向かって走り出した。クラノさんが足止めしている今、早く帰ってカイトさん達を助けないと。
人通りが少なく、道が広いため走りやすい。たいした障害に遭遇することなく、僕は家の前に辿り着いた。
家の中には明かりが灯っていない。誰もいないかのように静かだった。まだ来てないのか? それとも中で待ちかませているのか? どちらにせよ、家の中に入る必要があった。
一度深呼吸をする。もし後者なら、敵がいる建物の中に単身で入ることになる。敵の数が分からない上にどこにいるのかも不明。ダンジョンに入る時と同じ緊張感を感じていた。
「よし……」
気合を入れて家の敷地に足を踏み入れようとした。
「なにが『よし』なの?」
背後からの声に心臓が縮んだ。振り向くとラトナがいて、見たところ傷一つついていない。
何事も無かったと思わせる姿だが、奴らに襲われなかったのか?
「ラトナ、今日、誰かに襲われなかった?」
「ううん。何にもなかったよ」
「嫌がらせを受けたりとかは? ルドルフの仲間には会わなかった?」
「無いよ。その人達とも会ってないし……どったの、ヴィッキー?」
いつもと同じラトナの態度に、嘘も強がりも感じられない。しかもルドルフを知らないことから、まだ今の状況を知らないことが窺えられた。
ラトナは無事だ。その事実が僕を安堵させた。
深く息を吐き、体から力が抜けた。
「良かった……ラトナが無事で……ほんとに良かった」
心の底から、真っ新な感情が出てきた。共に修行する仲間で、かつ大事な友人が無事なことに安心して気が抜けた。ラトナが訳も分からず首を傾げてるが、その無垢な反応が見れてさらに安堵する。
けど、まだ終わってはいない。後はカイトさんの無事と、家に奴らがいないことを確認しないといけない。
僕はラトナに事情を説明する。ラトナは納得したかのような反応を見せる。
「そっか。だからヴィッキーはあたしを見てほっとしてたんだね」
「そういうこと。けどまだ安心はできない。中に奴らがいるかもしれないし、カイトさんの安否が分からないからね」
「うん。けど先に言っとくね。ありがとう」
「友達だからね。同然だよ」
「……あと、ごめんね」
ラトナは申し訳なさそうな顔を見せていた。
何のこと分からず、「何が?」と聞き返した。
「今朝のことなんだけどさ、あの、チューしたこと」
「…………あ」
思い出して、顔が赤くなった。忘れてたのに!
ラトナも顔を赤くして、照れ臭そうにしている。
「えっとね、変な人に絡まれるのって面倒じゃん。あの人、なんか恐そうだったしさ」
「そうだね。僕も思ってた。大丈夫、分かってる」
「だからその、ぱっぱとやった方がすぐに終わるかなって思ってしただけでさ。他意はないんだよ」
「うん。知ってるさ。だから忘れよう。僕も気にしないようにするから」
「ホントに? なんか結構焦ってるっぽいけど」
「焦ってない。気にしてないよ。キスされたことなんてさっきまで忘れてたくらいだし」
「どういうことだい?」
突然、家の方から声が聞こえた。いつの間にかカイトさんが来ており、右手に刀を、左手に箒と変な格好だった。
カイトさんも無事なことに安堵しかけたが、そんな暇もなく「ねぇ」と問いただされる。
「不埒な言葉が聞こえたんだけど、どういうこと? したの? ヴィック」
カイトさんは僕に威圧感のある目を据えている。少し、いやかなり怖い。
「あ、あのカイトさん……」
「この家に住んでも良いって言ったけど、手を出して良いとは言ってないよ。いや、この場合は口かな。切り落とそうか?」
何を、と聞けないくらい怖かった。ここまで殺意を剥き出してくるカイトさんは初めてだ。
「何も言わないってことはそうなんだね。じゃあ良いよね?」
徐々に増す威圧感に屈しそうになったが、ここで黙っていたら何かが切り落とされる。勇気を振り絞って「違う」と答えた。
「僕はしてない。っていうか事故、というか不可抗力みたいなもんだから。ノーカウントだよ」
「つまりされたんだね。じゃあアウトだ。そっちを落とそうか」
カイトさんが僕の股辺りを見る。そっちって、こっち? いろいろと致命傷になる!
「や、やむをえない事情があったの。ね、ラトナ」
「そうそう。だからカイっち、ちょっと落ち着いたら?」
「……あ、そう」
カイトさんが出していたプレッシャーが治まる。僕は緊張が解れて息を吐いた。なんでルドルフ一味とやり合う前にカイトさんに斬られそうになるんだ?
少し気を落ち着かせてから、ルドルフ達のことをカイトさんに話した。説明し終えると、カイトさんは「なるほどねぇ」と意味深に頷いていた。心当たりがあるのだろうか?
「何か知ってるんですか?」
「知らない。けど誰かに見られている感覚はあった。ただ俺が庭で刀を素振りしていたから、襲うのを中断したのだろう。刀を持った相手に襲い掛かれば、反撃にあって死ぬかもしれないからね」
「ビビって逃げたってことですか」
奴らは武器を持っているが、防具は貧相だ。死の危険を冒してまで嫌がらせをするつもりは流石に無いだろう。
偶然にもカイトさんが危険を退けてくれていたことに深く安堵した。
「ってことはカイトさんのお陰ですね。助かりましたよ」
「そんなつもりはなかったけどね。未然に防げて何よりだ」
「えぇ。けど……」
ふと気になったことがある。僕はカイトさんの左手を見た。
「何で箒も?」
「あぁ。これ」
カイトさんは少し間を空け、いつもと同じ調子で答えた。
「ただのゴミ掃除だよ」




