8.開戦の狼煙
候補者の自宅に着くのに時間はかからなかった。家までの距離が近かったことと疲労が無かったこともあるが、何よりも目的地まで迷わなかったことが大きかった。
初めて訪れるうえに迷いやすい区画だったが、候補者の家に分かりやすく、かつ胸糞悪くなる目印があったからだ。
「マジかよ……」
先頭を走っていたノーレインさんが呟く。他の団員達と僕は、その光景を見て絶句する。
辿り着いた家が、ごうごうと音を立てて燃えていた。
夜闇を照らす炎が家全体を包み、隣家にまで火が及びそうな火事だ。兵士達が消火活動に動いているが、一向に火が弱まる気配は無い。近隣住民らしき人達も、避難のために家から出てきているようだった。
アランさんは「強盗が入った」と言った。この火事もルドルフの配下の仕業であろう。手段を選ばない人物だと聞いていたから、あり得ることだと思っていた。
だが、ここまでするとは予想だにしなかった。
候補者は、その家族は無事なのか? 大事なものが家に残ってるんじゃないのか? こんなことをされて平気でいられるのか?
様々な不安が押し寄せる。その間に、ノーレインさんは家の門の前に歩を進めていた。その先には立ち尽くす男性と地べたに座り込む女性、その女性にしがみつく二人の小さな子供の姿があった。
「オットーさん! 無事ですか?!」
男の方が反応する。穏やかそうな顔つきの人だった。候補者のオットー・ライムスさんだ。
オットーさんは三人に付き添っていたが、ノーレインさんに気付くと怪しげな足取りで近づいた。
「大丈夫です。そこにいてください。お怪我は?」
「……あぁ。ちょっと煙を吸ったけど、問題ないよ」
だが顔つきは優れない。酷くショックを受けているようなのは明らかだった。家を焼かれたのだから精神が参るのも仕方がない。
一緒に居た人達は家族のようで、僕と団員達が駆け付けて容態を診る。怪我は無いが声を掛けても反応が薄い。オットーさんと同じように、精神的な衝撃を受けていることが医者でなくても分かった。
「病院に連れて行った方がいいんじゃないですか?」
「そうだな。奥さん、立てますか?」
「……え、えぇ……」
オットーさんの妻は返事をするがなかなか立たない。まだ混乱状態から抜けられないようだ。子供達も似たような反応だ。
しばらく動けないな。そう考えつつ集まってきた野次馬の方に目を向けると、一人の男性が近づいているのに気づいた。
大柄で口周りに黒い髭を生やしており、ナイルさんのような高価な服を身につけている。大股で堂々と歩く姿が貴族っぽい。だがその姿には、ナイルさんには無い卑しい雰囲気があった。
男は僕達の前で止まり、オットーさんの妻を見下ろした。
「無事だったみたいだな、ライムス夫人。あと少し逃げるのが遅かったら、あの中で焼け死んでいたな。逃げられて良かったな」
オットーさんの妻の顔が青ざめている。まるで恐ろしいものを目の当たりにしている様子だ。
「だがもしかしたら、これからはもっと大変な目に遭うかもしれないぞ。君の旦那は戦に巻き込まれたのだからな。ちなみに、勝負事で楽に勝つ方法をご存知かな?」
「なっ……!」
「お前! なんでここに!?」
団員達が男性に気付き、家族の前に移動して男に立ち塞がる。
「敵に勝負を降りさせることだ。例えば敵自身ではなく親しい人間に危害を加えれば、どんなに屈強な男でも怖気づく。特に効果的なのは、両親や妻。あとは……」
だが、言葉の武器は防げなかった。
「愛しい我が子だ」
「いやぁああああああああああああ!」
オットーさんの妻は頭を抱え、地面に向かって悲鳴を上げる。絶望に満ちた表情で、一心に叫び続ける。
「奥さん落ち着いて! 落ち着いて!」
「いや! いやよ! なんで、なんでこんなことに!」
宥めようと声を掛けるが、落ち着く様子が微塵も感じられない。僕の言葉が全く届いていない。声が恐怖で遮られているんだ。
声を聞く余裕が無く、迫る恐怖に押し潰されている。オットーさんの妻の心は、男の言葉で崩壊させられていた。
「ふざけやがって!」
団員が男に手を伸ばす。その寸前、別方向から手が伸びてきて団員の手を払い落す。
男を守ったのは兵士だった。門付近の衛兵達よりも防具が少なく、たまに街で見かける者達だ。たしか街中の警備を担当している兵士で、仕事に不真面目な連中だと団員達が言っていた。
そんな街で滅多に見ない兵士達が、いつの間にか男を守るように周りを囲っている。異様な光景に団員は身を引いた。
「お前ら……なんでここに?」
「我らの仕事は警備だ。ここに居て何がおかしい」
確かに警備は本来の仕事だ。問題はなぜこのタイミングでここにいるのかという話だ。
その答えはすぐに判明した。
「ルドルフを守るために来たの間違いじゃないのか。不良兵士」
ノーレインさんが険しい顔をして正す。僕はその言葉でやっと男の正体を知れた。
この男がルドルフ・ハリゼット……。冒険者達を苦しめた諸悪の根源。
僕自身はこの男に何かされたことは無い。だが尊敬する人、親しい人が苦しめられてきた。
ふつふつと、体の熱が上がる。こいつには負けてはいけない。倒さなきゃいけない。
「市民の平和を守る兵士に酷い言い草だな。彼らは己の職務を全うするためにここに来たのだぞ。一個人である俺様を守るためだけに来るわけが無かろう」
「そういうあんたは何しに来たんだ? 犯人は犯行現場に戻ると言うが、あんたもそうなのか?」
「人聞きの悪い……。俺様はもう一人の局長候補の家が火事になったと聞いて、心配で様子を見に来ただけだ。そのついでに伝えておこうと思ってな」
「……なんだよ?」
ルドルフは「ふっ」と短く笑う。
「今の俺様には過信や慢心は無い。容赦なく徹底的にやるから覚悟しろ、とな」
「ルドルフはそんなことを言ってたのですね」
オットー家族を病院に送った後、僕らは冒険者ギルドに戻ってヒランさんに経緯を伝えた。
「あぁ。本気の本気でぶつかってくるってな。こっちも早く対策を立てた方が良さそうだ」
「そのようですね」
感情を露わに話すノーレインさんとは対照的に、淡々とした表情でヒランさんは頷く。上に立つ人なだけあって冷静だ。
「オットーさんの警護はどうなってますか?」
「今は一緒に居た団員についてもらってるよ。二人だ」
「常に警護をつけるようにしましょう。また投票者にも危害が及ぶ可能性があります。今回の事件を伝え、護衛を雇っていない方には団員を手配してください」
「それだけでいいのか?」
「ソランとアリスが明日調査から帰ってきます。その後に対策会議を行います。それまでは今の指示に従ってください」
「分かった。ネグラットにも伝えてくる」
ノーレインさんが走り去り、僕だけがヒランさんの前に残った。
「僕はどうしましょうか?」
「何もしなくていいです」
まさかの戦力外通知だった。
「あなたは団員になってまだ日は浅く未熟です。護衛に使うには力量が不足しています。今まで通り、街の警備だけに専念してください」
「……けど、僕も力になりたいんです」
「無理をすることだけが貢献ではありません。分を弁え、刃を研ぎ続けることが必要な時があります。あなたはいずれ、新人冒険者に教示する立場になるのです。それまで無事で居続けることも立派な貢献なのです」
言葉が出なくなった。何か言おうとして口を開くも声が出ない。何か発言することで、ヒランさんの想いを否定することになりそうだったからだ。
僕の身を案じて、手を借りようとしないのだろう。ルドルフは僕の想像以上の悪党だ。もしかしたら血を流す事態になるかもしれない。
その事態に巻き込まれたら、真っ先に危害を受けるのは僕だ。喧嘩はもちろん対人戦闘にも不慣れだから、格好の的になるだろう。
ヒランさんは僕を危険な場から遠ざけようとしているのだ。戦わなくても貢献できるという道を用意することで。
情けない。
「それでも、僕も戦いに出たいです」
守られてばかりではだめだ。強い冒険者になるには、戦わなければならない。
この戦いは、僕に必要なことだ。
「お願いします。僕にも戦わせてください―――」
「ダメです」
一考の余地もなく却下された。最近、同じ展開があった気がする……。
「ヴィックさんを戦わせない理由は先程話した通りです。しかしもう一つ理由があります」
「……なんですか?」
「足手纏いだからです」
はっきりと、ヒランさんは断言した。全くの遠慮もなく、バッサリと。
「護衛の訓練を受けておらず、対人戦闘も不得意。街の情勢に詳しくないうえに地図も覚えていない。今回、ヴィックさんが手伝えることはありません」
「お、覚えれば―――」
「選挙が終わるまで一ヶ月です。覚える頃には終わってます」
「け、けど……」
「まだ聞き足りないようですね」
ヒランさんはネチネチと僕を使わない理由を羅列する。始めの頃は反論を試みたが、一つ言えば倍以上の反撃が来るので、じきに何か言うのを諦めた。
そうして黙り込むこと十分。ようやくヒランさんが話し終えた。
「というわけで、今日はもう帰ってください。また明日も警備をお願いします」
「…………はい」
聞き疲れた僕は、反論する元気もなくギルドから出た。話を聞くだけでこれほど疲れたのは初めてだ。
だけどあれほど止めるのも僕を心配してなのだ。大事にされてるから必死になってくれたんだ。そう無理矢理思うことで、少しだけ元気を取り戻すことにした。




