3.繰り返される過ち
「ダメよ」
リビングで僕とベルク達が寛いでいる最中に、ミラさんが言った。
「こいつと一緒に住むなんて、私は嫌よ」
険しい顔で拒絶の言葉を放つ。嫌われていることは自覚していたが、ここまで明らかに拒絶されるとさすがに傷つく。
「別にいいじゃねぇか。部屋は余ってんだしよ。ちゃんと家賃は払ってもらうし、ラトナも無事に帰宅できる。良いこと尽くめじゃねぇか」
ベルクが僕に提案したのは、ラトナを心配したことが理由だった。
動けないほど疲れたのは今日が初めてだったが、アリスさんの下で働きだしてから、ラトナはいつもくたくたな状態で帰宅していた。家に帰ると玄関先で倒れたり、着替えもせずに寝ることが多かったとのことだ。
このままではいつか限界が来る。それを考慮したうえで僕に提案したらしい。
提案されたときは遠慮して断ったが、いろいろと話を聞くうちに乗り気になっていた。この家の家賃を人数分で割れば、宿に泊まるより安く済む。しかも部屋の設備は宿よりも良いという利点がある。僕の負担といえば、ラトナが今日みたいに疲れたときにここまで運ぶことと、宿ではしなかった家事を手伝うことくらいだった。
僕は生活が楽になり、ラトナは体力の消耗が抑えられ、ベルク達は心配事が減る。誰もが幸せになる提案だ。ラトナとカイトさんは僕が住むことを賛成してくれた。あとはミラさんが承諾すれば、僕もここに住める。
しかし、ミラさんは反対した。
「今まで四人でやってきたのに、今更余計な人間を増やしたくないの。しかもそれがこいつだなんて……絶対イヤ」
「んなガキみてぇなこと言うなよ。一緒に住んだらいずれ慣れるだろ」
「いいえ、慣れないわ。レベルの違い過ぎる奴と住んでたらストレスが溜まるもの。そんな生活は断固拒否よ」
「オレ達とは普通に生活できてんじゃねぇか」
「みんなは良いのよ。仲間だから。けどそいつは違うでしょ」
「ラトナのことは心配じゃねぇのか。今日だってヴィックがいなきゃ帰ってこれなかったんだぞ」
「私達が頑張ればいい話でしょ。友達なんだから、それくらい私がやるわよ」
「だったらオレの友達のヴィックが住むのも良いだろ」
「なんでそうなるのよ。それにそいつは私の友達じゃないわ。しかも男。油断してたら襲われるわ」
「お前なぁ……」
二人はよく意見がぶつかることがあって、その光景を何度か見たことはある。いつもはすぐに着地点を見つけて話し合いは終わるが、時に喧嘩に発展することがある。その兆候は色々あるとカイトさんとラトナは言っていて、そのうちの一つが今のベルクの発言だった。
ベルクは眉を顰め、鋭い目でミラさんを睨む。ミラさんは怯むことなく無言で睨み返している。喧嘩が始まる予兆だった。
仲間内での喧嘩に、僕が口を出す権利はない。カイトさん達に任せて見守り、悪化したら止めることしかできない。
しかし、今回は僕が当事者だ。黙って見ているわけにはいかない。この家には住んでみたかったが、ベルク達の関係を乱してまで住みたくはなかった。
「えっと……僕としては良い話なんだけどさ……。無理なら無理で僕は―――」
「ヴィックは黙ってろ」
「そうよ。黙りなさい」
恐ろしく低いベルクの声と、威圧交じりのミラさんの声にビビり、「すみません」と言って思わず引いてしまった。超怖かった。
このまま喧嘩が始まるのを見ているしかないのか。そう考えたときに、カイトさんが口を挟んだ。
「別に今決めなくてもいいんじゃない」
ベルクとミラさんの視線がカイトさんに向けられる。二人の鋭い目で見られても、カイトさんは平然としている。
「今回の提案も急なものだったんだ。事前に相談がなかったんだから、ミラが反発するのも無理はない。すぐに決めて問題が起こったら後に響いちゃうしね。急ぐことじゃないんだから、ゆっくり決めたらどう?」
「まぁ……そうかもな」
ベルクの表情が和らいだ。一方のミラさんは「それでも私は意見を変えないわよ」と強情っぷりを見せる。
「けど今日はここに泊めるからね」
「なんで?」
「もうヴィックが泊まっている宿は閉まってるし、ラトナを送り届けてくれた礼もしたいからね。ミラだって心配してたんだから、これくらい良いでしょ」
「……ま、今日くらいなら許してあげるわ」
ミラさんの表情も柔らかくなった。二人とも喧嘩する気をなくしたようだ。何事もなく終えてホッとした。
「けど変なことしたら容赦なく叩き出すからね」
そう言って、ミラさんはリビングから出ていく。続いてベルクが「飲む気なくなった。寝る」と言って出て行った。
部屋に残ったのは僕とラトナとカイトさんだけになった。
「ごめんね、ヴィック。喧嘩に巻き込んじゃって」
「いえ、気にしなくていいですよ。ちょっと予想してたんで」
ミラさんが反対することはほぼ確信していた。僕を嫌っていたので、少なくとも快く賛成することはないと。あそこまで言われるのは予想外だったけど……。
「ミラらんはヴィッキーのこと嫌ってるもんねー。けど全部嫌ってるわけじゃないから、そこまで気にしなくていいよー」
「そうなの?」
「そうじゃなきゃ、一時的とはいえあたしをヴィッキーに任せないでしょ」
ラトナとはチームを組んだ時期がある。その提案をしたのがミラさんだ。たしかに完全に嫌っていたら、大事な仲間であるラトナさんを僕に任せないだろう。
「ま、やりすぎって思ったら、この姉弟子に相談しちゃいなさい。上手く取り持ってあげるから」
「そうさせてもらうよ。お姉ちゃん」
「お姉ちゃんってなに?」
カイトさんが疑問を口にする。ラトナさんが簡単に説明すると、「なるほどね」と納得していた。
「姉弟子だからお姉ちゃんか。年上だし、ラトナに言う分には問題ないね」
「カイっちも言ってもらえばー。『お兄ちゃん』って」
「年の近い男に言われても気持ち悪いだけだよ」
「あはは。しんらつ~」
「前から思ってたけど、カイトさんて変なところで本性表しますよね」
「親愛の証と受け取っていいよ」
酒が回っているせいか、カイトさんの口調は軽い。いつもより大胆な台詞を口にしている。
酔うと本音が出やすいと聞いたことがある。カイトさんも多分に漏れないようだ。これを機にいろいろ知って親しくなろうと考えた。
「カイトさんも兄弟がいるんですよね。どんな人達ですか?」
「そうだね……かっこいい兄と優しい兄と可愛い妹だ」
「もう少し詳しく教えてくれませんか」
「一言で十分さ。それにすべて詰まってるから」
カイトさんはグラスに入ったお酒を口に入れる。どうやらこれ以上詳しいことは聞けなさそうだ。
仕方ない。じゃあ他の人のことを聞こう。
「じゃあベルクは? 弟がいるって聞いたけど、どんな人ですか」
「……ベルクの弟か……」
途端に、カイトさんの声が下がる。表情も少し暗くなって、言い辛そうにしていた。
「えっと……友達とはいえ弟ですから、あまり知らないですよね」
話題を変えようとしたが「知ってるよ」とカイトさんは答えた。
「悪い子じゃない。とても良い子だ。けどできれば話したくないな」
カイトさんはまたお酒を飲んで、「ベルクにも聞かないでね」と念を押す。僕は「はい」と頷いた。
良い子だけど話したくない。理解できない感情を押し込めつつ、僕も酒を飲んだ。心地悪さを早く消したかった。
だけど同じ過ちを繰り返すのは馬鹿すぎた。
「お前さぁ、もしかしてオレのこと舐めてる?」
アリスさんが不機嫌な顔で不機嫌な声を出した。
レーゲンダンジョン三階層、僕は気分の悪さに耐え切れず、道端で吐いてしまった。昨日、嫌なことを忘れようと思って飲み過ぎてしまった。
昨年と同じことをするなんて……。能力的にも精神的にも育っていないことに嫌気が差した。
「違います。ちょっといろいろあって」
「今日も仕事があることを知ってただろ。なのにこの始末。ふざけてんだろ」
「……すみません」
今回は全面的に僕が間違っている。目先のことを優先して、後のことを考えなかった。弁解しようもない。
アリスさんは呆れたのか、溜め息を吐いて僕から視線を外した。
「今日はもういい。帰れ。明日も同じことしたらぶっ殺すぞ」
「……申し訳ありませんでした」
この状態では碌に働けない。アリスさんの指示を素直に受けて、僕は帰還を選んだ。
モンスターに襲われることなくダンジョンを出て、道中では通りすがりの馬車に乗せてもらってマイルスに帰還した。着いたときはまだ昼過ぎだった。ギルドの食堂で食事をしようと思い、財布の中身を確かめようとした。
だが、懐を探っても財布がない。念のために体中を調べたがどこにもなく、バッグの中にもない。どこかに落としたか、それとも盗まれたか。
記憶を掘り起こしていると、昨夜ベルク達の家に泊まった時のことを思い出した。
借りた部屋に入ったとき、服の中に入れていたものを全部出して、部屋にあった机の中に入れていた。今朝はそれを忘れてレーゲンダンジョンに向かった。ということは、あの部屋の中か。
お金がなくちゃ食事ができないし宿にも泊まれない。財布を取りにベルク達の家に向かった。
だけど家の前に着いてから、ベルク達が出かけていることに気付いた。彼らは冒険に出かけているはずだ。つまり家には誰もおらず、鍵がかかって中に入れない。
帰ってくるまで待つしかない。仕方なく玄関先に座り込むと同時に、家の中から物音が聞こえた。
誰か帰ってきているのか。気になってドアに備え付けられているノッカーを叩く。しかし誰も出てくる気配がない。試しにドアノブを回すと、何の抵抗もなくドアが開く。鍵は掛かっていなかったようだ。中を覗くとやはり誰もいない。だけど家の奥から物音は聞こえた。
「誰かいるのー?」
返事はない。僕の声に反応する動きがない。そのことが怪しく思えた。
ベルク達なら何らかの反応を示すはず。それが無いということはベルク達じゃない。しかしこの家に彼ら以外が住んでいるということは聞いてない。
……空き巣か。
答えを得た僕は静かに家の中に入った。ベルク達の家に空き巣をするなんて、とっ捕まえてやろう。
物音がするほうに向かって、静かに足を運ぶ。ばれないよう慎重に進む。家の奥から物音が途切れる気配はない。僕に気付いていないようだ。
音が聞こえる部屋の前に着く。扉のすぐ向こうで誰かが動いている気配がする。一つ深呼吸をしてからドアノブを握った。一気に勝負をつけよう。
覚悟を決めると、思いっきり扉を開けて部屋に侵入する。不意を突けば、対人戦闘経験が少ない僕でも捕まえられると考えた。
だけど相手の姿を見て、足を止めることとなった。
物音がしていた部屋は脱衣所で、中の人物は着替えの最中で、その人物はミラさんだった。
突進直前で気づいて寸でのところで止まる。すぐに謝罪をして脱衣所から出ようとした。だけどミラさんの姿を見て動けなくなった。
綺麗な体だった。
傷一つない滑らかな肌。無駄な肉がついていない、長くてしなやかさを感じる手足。理想の女体と言えるほどの抜群なプロポーション。
美しさに目を奪われ、言葉を忘れていた。体が動かず、自分が何をしたのかすら忘れてミラさんの半裸姿を見ていた。
そんな僕がこの後何をされるのか。ミラさんの発言でやっと気づいた。
「死ね」
ミラさんの足が、僕の顔に向かってきた。