26.負けたくない
ベルク視点
小さい頃は負け知らずだった。同世代の子供よりも体が大きくて運動能力も高かったことから、喧嘩や競争では負けたことがなかった。ベルクの周囲では強い奴が人気者という考えの子供が多かったため、何をするにしても中心にいた。慕う者も多かったので、少々調子に乗っていたこともあった。
だがそいつらとは少し違う奴らもいた。カイト、ミラ、ラトナだ。
あいつらとは町の有力者を集めたパーティーで知り合った。品があって知性を感じる奴らだった。ベルクの周りにはいなかったタイプの子供で、それが気に食わなくてちょっかいを掛けた。そしたらベルクは、自分よりも体が小さい奴に投げ飛ばされていた。
あの時の衝撃は今でも忘れられない。ムカついたが興味が沸いた瞬間だった。
その日からベルクはあいつらに会える場所に何度も足を運んだ。最初こそ警戒されていたが、次第に心を開いてくれて、半年もしないうちに家に呼んでもらえるくらい仲良くなれた。社交的に見えたカイトが実は性格が不器用だったり、大人しそうなラトナは実は流行に敏感で誰かに影響されやすい性格だったということも知れた。ミラは最初からミラだった。
冒険者に憧れたのは、カイトの家にあった本を読んだ時だ。とある冒険者の英雄譚だった。人々を襲うモンスターを倒して人々に感謝され、最後は世界を滅ぼすほどのモンスターを倒して英雄として讃えられる、今思えばありきたりなお話だった。だが滅多に本を読まなかったベルクにとっては、心躍らせるほどの一冊だった。
その日からベルクは、冒険者になることを目指して体を鍛えた。今までは親の後を継ぐことだけを考えていた。だが本の世界の様な冒険者に憧れてしまった。さらに町の外に出て冒険者に助けてもらったことから、ますますその憧れが強くなった。
しかしある日、夢を見れる時間は終わりを告げた。それはベルクが十二歳になった誕生日のことだった。
「今日からお前は俺の弟子だ。厳しくしていくがついて来い」
ベルクは鍛冶職人になった。元々そうなる予定だったため、反対することなくそれを受け入れた。夢を諦めるのは意外と簡単で、修行を受けている間はそんなことを考える暇はなかった。
鍛冶の仕事は大変だった。熱中症で倒れたり、腕が動かなくなったり、失敗して殴られることが多かった。何度もくじけそうになる日々だったが、耐えて修行をつづけた。オレは国内一の鍛冶職人である親父の長男だ。だからいずれ上手くなれる。そう信じていたからだ。
だが四年後には、そんな風に思えることはなくなっていた。
最初の頃に比べて腕は良くなったものの、とても親父の後を継げるような腕前ではなかった。親父はオレと同じ歳のときには、既に一流の冒険者や傭兵相手に武器を作っていたが、ベルクの武器はそれらの新米にすら手に取ってもらえない出来だった。親父が作るものが芸術品なら、ベルクのは粗悪な消耗品だった。後から職人になった後輩や弟の武器は売れるのに。
オレは親父の息子だ。小さい頃から皆の中心で、誰にも負けなかった。そんなオレが年下の奴らに負けるわけがない。
負けるのは何かが足りてないせいだと至った。それを知るためにいろんなことに手を付けた。彼らの仕事を手伝うついでに仕事ぶりを観察し、客と接することで武器づくりのヒントを得ようとした。お陰で徐々に客からの評判は良くなったが、逆に弟子達からは冷たい眼を向けられるようになった。職人なら媚びを売らずに腕を磨けと言うのが彼らの言い分だったが、今更やり方を曲げるつもりはなかった。これで評価され始めたんだから、オレにはこれが合ってるんだと自分に言い聞かせた。
だがその自信は、簡単にへし折られた。
一年に一度、若手の鍛冶職人の作品を集めた大会がある。知名度が低い若手職人が名を上げるために、大陸中から集まる大きな大会だった。その大会に向け、ベルクは剣を作った。
そうしてできた剣は、弟子になってからの五年間で最高の剣だった。使用者の要望を考え、職人達を観察して得た技術を駆使して作った最高の作品だった。
ベルクは自信満々で作品を提出し、結果発表の日に大会会場へと赴いた。大賞とはいかなくても、何らかの賞は取れている自信があった。
大賞を取ったのはベルクの弟で、ベルクは何の結果も残せなかった。
その日にベルクは、鍛冶職人を辞めることを決めた。
「職人を辞めてどうすんのよ」
ベルクの自室にミラが来ていた。町を出る前日だった。周囲にばれないように密かに準備して、そのことを話したのはカイトだけである。情報提供者は明白だった。
「とりあえずこの町から出て、適当なとこで冒険者になるさ」
「何で冒険者なの?」
「後ろ盾もないガキができる仕事なんて限られてるだろ」
「あんたにはその無駄にでかい体があるじゃない。力仕事ならできるでしょ。冒険者じゃなくても傭兵とか兵士にもなれるわよ」
「……それじゃあだめだ」
「ほら、なりたい理由があるんでしょ。ま、想像はつくけどね」
小さい頃に夢を語ったことがあった。それを覚えていたのだろう。
だけど、それだけが理由じゃなかった。
「オレはもう負けたくない。鍛冶職人じゃそれは叶わないが、冒険者ならできるはずだ」
負けたくないから修行を続けた。勝ちたいからがむしゃらに技を磨いた。
本気で戦って負けて、その時の痛みをもう味わいたくなかった。
「オレの力は冒険者でこそ活きるはずだ。冒険者としてならオレは負けない」
「『井の中の蛙』って言葉があるわ。ベルクより強いのがいるかもしれないわ」
「知るか。ンなこと考えてたら何もできねぇだろ」
最低限必要な荷物を鞄に詰め込むと、見つからないようにベッドの下に押し込んだ。これで準備は終わりだ。
「だったらマイルスに行くわよ。こっから遠いし、人が多いから家族に見つからないわ」
「そうだな……ってついてくるつもりか?」
「当たり前よ」
さも当然のようにミラが言った。
「あんた一人で行かせるわけないじゃない。カイトとラトナも行く予定よ。連れて行かないと家族にばらすから」
「オレと一緒に来て何の意味があるんだ? 無駄な時間を過ごすだけになるぞ」
「あんたを放っておけない。理由なんてそれだけで十分でしょ」
自信満々とミラは言い放った。
「私達は仲間なんだから」
同じ境遇の仲間だった。後を継ぐために努力し、競争している同志のような間柄だった。だからベルク達は仲良くなれた。
ベルクの心が折れたときも、皆は励まそうとしてくれた。そんな彼らの想いを裏切れるわけがない。
だから一つ、約束をした。
「オレは冒険者として成り上がる。それまでついて来てくれ」
しかし、その道もまた簡単ではなかった。
成り上がるには、いろんな依頼をこなして名を上げる必要があるのだが、マイルスにはすでに有名人がいた。《マイルスの英雄》ソラン、最強の兼業冒険者アリス、若きダンジョン管理人のヒラン、そして彼らに追随する多くの冒険者。簡単には追い越せない猛者達だった。
彼らと勝負しても勝てる気がしない。だからまずは同世代で一番になることを目指した。幸いにも他の同期はたいした者はおらず、冒険者になって早々、ベルク達が世代一のチームと呼ばれることとなった。
だがそれも、ウィストが現れる前の話だった。彼女の活躍ぶりはあっという間に広がり、彼女はいつの間にか天才と呼ばれ始めた。
またか、と思った。
どれだけ頑張ろうとも天才には勝てない。それを実感して嫌になって酒に逃げた。ヴィックに会ったのはそのときだ。
同じ考えの奴といると少し安心できた。心地良くて弱味を曝け出せる。
しかし一番重要だったのは、ヴィック相手なら劣等感を抱かずにいられるということだった。
こいつはオレより上に行かない。負けることは無い。そう思える相手だった。
誰にも負けたくない。負けるくらいなら戦わない。勝てる相手とだけ戦う。ベルクはそんな弱腰のかっこ悪い冒険者になっていた。そうなることで精神が安定したし、ミラ達も何も言わなかったから、これで良いと思った。
ヴィックがあそこまで強くならなければ。
あいつの活躍を聞く度に焦燥にかられた。ベテランや天才に負けるのは仕方がない。だがお前にまで負けたらオレはどうなる? 頼りになるチームの前衛から、ヴィックに劣る図体だけの冒険者になっちまうじゃねぇか。
焦りと不安があった。ドグラフ討伐任務を受けている間も忘れられなかったほどだ。
それでも、まだ直接戦って負けたわけじゃない。だからオレは負けてない。そう思い込むことで安心しようとした。
そんなときに勝負を持ちかけられた。しかも勝ち誇ったかのような顔で。
ふざけんなよ。
「どいつもこいつもオレを見下しやがって……」
怒りが身体を奮い立たせた。
「ちょっとオレより先に進んだからって、勝った気になりやがってよ」
負けたくない。負けるくらいなら戦わない。勝てる相手としか戦わない。
そんなのはクソだ。ただの逃げだ。
オレは、そんな情けない男になっていたのか。
「ふざけんなよ」
動く度に痛みが走る身体を無理矢理動かして立ち上がった。
「勝手に終わるんじゃねぇ」
腰に下げていた剥ぎ取り用ナイフを握り、走り出す。
「オレは、おめぇにだけは、ぜってぇ負けねぇ!」
ケルベロスの前で跳びあがり、真ん中の顔に目がけて跳びかかる。ヴィックを見るために顔を下に向けていたケルベロスは、ベルクの動きに気付くのが遅れる。
気づいた時には、ベルクのナイフがケルベロスの右眼を切り裂いていた。
「ガウゥッ!」
ケルベロスが頭を横に振ってベルクを振り落とそうとする。ベルクはしがみついたまま、さらに傷口を広げようとナイフを動かした。
「ガゥアアアアアア!」
激しく頭を振るケルベロス。流石に耐え切れずに、ベルクは顔から振り落とされた。
地面に落ちたベルクは、すぐに立ち上がった。
「おい犬っころ。まだだぞ」
ベルクの手には何の武器もない。手ぶらの状態でケルベロスを攻撃する手段はない。
そんな状態でありながらも、ベルクは退かなかった。
「まだ終わってねぇだろ。決着をつけるぞ」
一歩、ベルクが詰め寄った。同時にケルベロスが一歩退く。また近寄ろうとすると相手も退く。どうやらビビっているようだ。
ここがチャンスだ。武器は体だけだが構うもんか。どんな手を使ってでも倒してやる。
そうしてさらに一歩踏み出したとき、ケルベロスが上を向いた。不可解な動きだったが、ベルクにも上から音が聞こえた。多くの生物が動くような足音だった。
するとケルベロスは体を反転させ、ベルク達から離れるように走っていった。
「なっ……」
予想外の行動に驚いたが、走っていくケルベロスに追いつく脚は無い。行動の原因を考え、すぐに答えに至った。
「おーい。誰かいるかー?」
天井の穴の方から声が聞こえる。おそらく冒険者の声だろう。そしてあの音は、ドグラフ達が逃げ去っていく音だ。ケルベロスも敗走を知って逃げたのだ。
助かったことは喜ばしい。しかし、複雑な心境でもあった。
ベルクは背後のヴィックに視線を向けた。
「どうすんだ?」
「……うん」
ヴィックは微妙な笑みを作っていた。
「じゃあ引き分けってことで」




