23.努力の先にあったもの
ベルクの声は低い。男らしい声で、凄めば相手を威圧できる迫力のある声を出せる。たいして僕は、高くも低くもない特徴のない声だ。
聞き比べれば、声の違いは明確に分かる。そのはずなのに、その声はどこか僕の声に似ている気がした。
「ま、当然だよな。お前が五匹倒す間に、オレは一匹も倒せてないんだからよ。優越感に浸りたいよな」
低い声。だけどなぜか、僕の声に似ていた。
「何言ってんの? ベルク」
「事実を言ってんだよ。自覚ねぇのか? それとも気遣ってんのか? どっちもタチわりぃけどな」
「戦いには相性がある。ドグラフを相手するのにベルクは向かなかっただけの話だよ」
以前、僕が体験したことだった。
初めてムガルダンジョンに入ったとき、僕は何もできずに敗北した。サイガンというモンスターは固い甲殻に覆われていて、僕の攻撃は全く通じなかったからだ。奴を倒すには強力なパワーで甲殻を粉砕するか、柔らかいところを見つけて攻撃するかのどちらかだ。前者の方法をとるには力が足りず、後者を実行するには弱点を見つける目も速さも足りなかった。
つまり、当時の僕ではどうあがいても勝てない相手だったのだ。例えマイルス近辺の中級モンスターの中では弱い方と言われる相手でも、僕にとっては天敵だったというわけだ。
一方でドグラフとの相性は悪くなかった。初めこそ死にかけたものの、単体が相手なら下級モンスターのグルフに似ているためやり易かった。二・三頭を同時に相手しても、苦戦はしたものの初めから勝つことはできていた。危険指定モンスターであるエンブのレンに比べれば奴らの機動力は遅く、少数での連携攻撃はレンの連続攻撃よりも見極めやすかったのだ。
そしてベルクの戦い方は、僕とは正反対だ。つまり相性も僕と反対となる。ベルクの攻撃は遅いが強力だ。だから動きの鈍いサイガンの甲殻は破壊できても、動きの速いドグラフには攻撃が当たらない。仲間と協力すれば可能だろうが、今はその仲間が一人もいない。それがベルクがドグラフを倒せなかった理由だ。
誰にも得意不得意があり、チームはその弱点を補い合う。故に相性が悪い相手と一人で戦えば、苦戦するのは明白だ。だからベルクが弱いわけではなく、僕より劣っているわけでは断じてない。
苦戦の理由はただ運が悪く、僕の思慮が足りなかっただけだ。
「それよりも次の戦闘の準備をしよう。多分もうすぐしたらまたドグラフ達が来るから」
逃げた二頭のドグラフは来た道を戻っていった。おそらくその先に仲間がいるだろう。僕達が居ると知ったら、さっきよりも多くの仲間を呼んで確実に仕留めに来る。その前に準備を終えておく必要があった。
「今のうちに罠を仕掛ける。引っかかるか不安だけど、ばれても牽制にはなる」
広くて見通しの良い場所だと罠がばれやすい。だが一つの罠がばれても、他に罠があるかもしれないという心理が働き、敵の動きを鈍くさせ、少しは僕達が動きやすくなる。
バックパックを背中から下し、配布された罠を取り出した。
「カッコつけてんじゃねぇよ」
イラついた。またあの声だ。
「分かってんだぞ。どうせお前も『何やってんだよ』とか、『一匹喰らい倒せよ』とか、『一人じゃ何もできねぇのか』って思ってんだろ。ま、オレのこんな情けねぇとこ見たらそう思うわな」
自嘲する姿が誰かに似ている。見ていて気分が悪くなった。
「そんなこと思ってない。罠は僕が仕掛けてるから、ベルクは黙って回復しててよ」
「だよな。邪魔者は何もしない方がいいよな」
「違う。ベルクにはベルクの役割があるから、そっちに専念してほしいだけだ」
「ここでオレにどんな役割があんだよ。囮か? それなら適任かもな。でかくて体力だけはあるから長い間生き延びれる。その間にお前が逃げられるかもな」
「いい加減にしてよ」
僕は声を荒げていた。
「ここはモンスターの住処だ。いつ敵が来るか分からない危険な場所なんだよ。こんなところでいじけてる場合じゃないでしょ」
「いじけてねぇ。事実だって言ってんだろ」
「それがいじけてるって言うんだよ。分かったら怪我を治してて」
口調を強めて指示すると、ベルクが立ち上がって近寄ってきて、僕の胸ぐらを乱暴に掴んだ。
「調子に乗って命令してんじゃねぇ。いつからオレはお前の弟子になった?」
「僕はアリスさんの弟子であって、ベルクの師匠じゃない。今のはただのお願いだ」
「有望な冒険者の弟子だから言うことを聞けってか。やっぱり調子乗ってんじゃねぇか」
「調子になんて乗れるわけないでしょ」
バカだのクソガキだの才能が無いだの、様々な罵倒をアリスさんから浴びせられた。散々無力感に打ちのめされた。最近は徐々に成果が出ているが、これだけの成果で調子乗れるわけがない。
アリスさんからは禁止されているが、そうじゃなかったら僕は何度もこう聞いている。「僕なんかが強くなれるのか?」、「僕なんかがウィストに追いつけるのか?」と。ベルクはそれが分からないのか?
「毎日毎日必死になって、それでようやくついて行けてるんだ。ボロボロになるまで修行して、これで良かったのかって、間違えたんじゃないかって後悔するくらいなんだよ。どれくらい大変なのかは、ラトナを見たら分かるでしょ」
ラトナは僕以上に頑張っている。罪を償うためでもあるが、自分のためだけじゃなく仲間のために必死だ。出来るだけ長くみんなと一緒に居るために、仲間を危険な目に遭わせないために、限界まで自分を追い込んでいる。それこそ毎日動けなくなるくらい。彼女の熱意は僕以上だった。
「……あいつはそういう性格じゃねぇんだよ」
「僕だってそうだよ」
「違う。あいつはずっと比べられてきた。優秀な兄と比べられて、否定されてきた奴だ。あいつがオレを見下すわけがねぇ」
「……僕は見下す人間だと思ってるのか?」
「知らねぇよ。だがお前はそういうのと無縁だったろ? 勝負事や競争事とは程遠い生活だったって―――」
「は?」
比較されない? 勝ち負けが無い? だから僕がベルクを見下す?
「ふざけんなよ」
僕はベルクの胸ぐらを掴み返した。
「ずっと奴隷のような生活をしてきた僕が、人を見下すだって? 最初から他の選択肢が無かった僕なら、そうなっても可笑しくないって? なんでそうなるんだよ」
ベルクが眼を大きく見開いている。まさか言い返されるとは思ってなかったのか? 本気だったのか?
目の前の顔に、ひどくイラつきを覚えた。
「こっちはねぇ、挽回する機会も、努力する時間も与えらえなかったんだよ。理不尽な仕打ちばかり受けていたんだよ。良い生活をしてる奴には、そんなことも理解できないのか?」
「……良い生活だと?」
「機会と環境に恵まれて、努力し放題の生活だったんでしょ。いくらでも認めてもらうチャンスがあったじゃないか。運命を変えられたかもしれないのに、できなかったのは自分のせいだろ」
「ヴィック!」
ベルクの腕にこもる力が強くなった。
「誰から聞いた?」
「……ミラさんだよ。心配してたよ。良い人だね」
ベルクの顔がみるみると赤くなる。羞恥からか怒りからか、おそらく両方だろう。
「有力貴族の次期当主。そんな人から好かれてるんだね。こんな幸運を持ってるのに自分を卑下できるなんて、何考えてんの?」
「………やっぱり、お前には分からねぇんだな」
誰かと似た声で言っていた。
「チャンスがあったとか、環境が良かったとか言ってるが、そんなのがいくらあっても負けるときは負けるんだよ。どんなに恵まれてても、努力しても、好きなことをしてる天才には勝てねぇ。オレはそれを知ってるんだよ」
ベルクは店のために頑張ったが、腕前が優れないために弟子達から嫌われた。技術を身に着けようとしたが、その努力は実らなかった。
そしてベルクには弟がいた。ミラさんが言うには、鍛冶の腕が優れていたそうだ。ベルクは競争から逃げたとも言っていた。
努力して、負けたのだ。
「やることやって負けたときのオレの気持ちが分かるか? 努力しても才能には勝てないって突き付けられて平気でいられるか? 限界を知って失望しない奴がいるのか? お前なら分かるだろ」
分かる。死ぬほど分かる。嫌になるほど理解できる。
一年前、僕自身が経験したことだ。
「徹底的に否定され、打ちのめされ続けてきたオレが、どうしてオレ自身を肯定できんだ? そんな自信のない奴があいつの隣に相応しいわけねぇだろ。あいつはオレとは真逆で、勝ってきた奴なんだぞ」
「じゃあミラさんの気持ちには答えないの?」
「そのために冒険者になったんだ」
人には適性があると、アルバさんが言っていた。何が得意で、何が不得意か。何に向いていて、何が向いていないか。
ベルクには鍛冶は向いていなかった。だから向いていることを始めた。
それが冒険者だった。
「オレの体は鍛冶じゃなく戦闘に向いている。元々冒険者に憧れていた。家の事情で鍛冶師として修行していたが、本当はこっちになりたかったんだ。だから良い機会だと思って冒険者になった。冒険者なら成り上がれるってな」
ベルクは体が大きい。筋力もあり、身体能力も高い。冒険者としての適性があった。
「新人の中では早いペースでマイルスダンジョンを攻略できていた。どの同期よりも早くて、歴代記録を更新できるって思えるほどだった。カイト達がいたお陰でもあるが手応えがあったんだ。オレには鍛冶師の才能は無くても、冒険者の才能はあったんだなって分かって自信がついた。これなら遠くないうちに、ミラの気持ちに答えられるってな」
「今もそう思ってるの?」
ベルクの腕の力が緩くなった。
「あいつとさえ、会わなかったらな」
誰のことを言ってるのか、名前を聞かなくても分かった。
「天才がどんな奴か知ってたのに忘れてた。弟のことを忘れて冒険者をしてたら、オレって才能あるんじゃねって思い込んでた。だけどあいつを見たら思い出したんだ」
ベルクが僕から手を放す。
「どんな奴が天才なんだってことと、どんなに努力しても天才には敵わないってことにな」
ベルクは情けない顔を見せていた。弱々しい声を出していた。
大きな体が小さく見えた。
「お前は強くなってる。どんだけ努力してんのかよく知ってるつもりだ。だがウィストを追い抜こうなんて思わねぇ方が良いぞ。オレみたいに壁にぶつかる。目指すならあいつのライバルじゃなく、あいつの相棒を目指せ。それならできるだろ」
「どう違うのさ」
「ライバルは競争相手だが、相棒は協力関係だ。あいつの無いところを補えば良いだけだ。そうすれば出来るだけ長くあいつの傍にいられるはずだ」
意地悪でも嫌がらせでもなく、親切心で言っていると思った。競争で勝つために努力して、負けてしまった先輩としての、経験を踏まえてのアドバイスのつもりなのだ。
経験値というものは馬鹿にできない。未知の困難を前にしても、過去の経験を基にして乗り越えることができる。初めて組む相手に不安を抱いていても、経験豊富だと知れば途端に頼りがいを感じる。
ベルクの言葉も、きっと信頼できるものだ。競争して負けることは、僕が思っているよりも恐ろしいことなのだろう。今までの努力を否定されることは、僕が考えているよりも深刻なのだ。ベルクはそれを、自らの恥を晒してまで言った。
なんでだ?
「ベルク、君は―――」
足音が聞こえた。ドグラフが逃げて行った方向からだった。
僕はすぐに武器を構えて敵に備える。ベルクも大剣を持った。
だけど暗闇から出てきたケルベロスを見て、武器を持つ力が緩んでしまった。
「マジかよ……」
それは地上に出たケルベロスよりも二回り小さい。おそらく子供だろうがそれでも体高はベルクよりも高く、体長は四・五メートルほどあった。
戦うには強すぎて、逃げるのはもっと難しい相手だった。
「どうする?」
ベルクが尋ねた。やれることは二つある。一つは一か八かの逃走だ。奥に分かれ道があれば、どちらかは生き残れるだろう。もう一つは救援が来るまで戦うことだ。アリスさんが地上のケルベロスを倒せば僕達を助けてくれる。だがそれはいつになるか分からない。
未知のダンジョンで逃げることを選ぶか、いつ来るか分からない援軍を信じて危険指定モンスターを相手に戦うことを選ぶのか。どちらを選んでも、僕達の意思とは関係ないところで運命が決まる。僕らにできることは、選ぶことだけだった。
運に身を委ねるか、仲間を信じるのか。
僕は……、
「競争しよう」
今までの僕を信じることにした。




