20.流浪の虎
モンスターを調べる際、その種族を参考にしていることが多い。モンスターの種族名は個体の見た目を基準に割り振られているので、同じ種族でも能力や性格に差異があるそうだ。同種族でも下級モンスターがいれば、危険指定モンスターに相当するモンスターがいたりする。
その中で獅子族は、すべてが危険指定モンスターに分類されている種族だ。人型だったり、翼を生やしたり、大きかったりと様々な特徴があるが、全てが普通の冒険者では手が負えないほどの強さを持っていることで有名だった。
ルベイガンはその獅子族の一種だ。体長二メートルほどで特別大きなモンスターではない。しかし纏っているオーラと呼べる気配に圧倒され、本来以上の大きさに見える。
勝てない。アリスさんに言われるまでもなく、それを感じ取っていた。レンも一応危険指定モンスターだが、エンブの子供と成長したルベイガンとでは比較にならない。目の前には、本物の危険指定モンスターとしての存在感があった。
「手ぇ出すな」だって? 出せるわけがない。こんな奴と戦おうとしたら、戦う前に死んでしまう。
アリスさんは、ルベイガンに臆することなく向き合っていた。双剣を構え、ルベイガンの動きを観察している。いつもより慎重な振る舞いだった。
一方のルベイガンは、じっとアリスさんを見ている。アリスさんと同じ、敵を観察するような目つきだ。ルベイガンもやり合う気なのか、臆する様子は感じ取れなかった。
そのすぐ後、ルベイガンが僕に視線を向ける。咄嗟のことにビビって武器を構える。ルベイガンはアリスさんに向けていたのと同じ目を僕に向けていただけで、大きな動きを見せなかった。
「ムゥ……」
ルベイガンが小さく鳴く。体を震わして、その拍子に体毛から小さな赤い粉が飛び出てくる。ふけか? ノミか?
意外な行動に拍子抜けして、気が抜けたときだった。
「ばかっ! 下がれ!」
アリスさんが怒鳴る。意味が理解できず、アリスさんが下がってから一拍子遅れて僕も距離を取ろうとした。
ルベイガンが歯を強く鳴らす。その瞬間赤い粉が強く光り、爆発音が鳴る。あの赤い粉は火薬の類だったようだ。
「ぐっ―――」
盾を構えて爆発を防ぐ。だが思っていたほどの衝撃は無い。これが危険指定モンスターの攻撃なのか?
不思議に感じてルベイガンのいた方を見る。その方向には赤い煙が発生していて、煙が僕の方に向かってきていた。
そうか。赤い粉は攻撃用じゃない。目くらまし用だ。
攻撃の意図を察し、周囲を警戒し始める。だがその行為は、一手遅かった。
右腕を、鋭利な爪で削がれる。深く腕に入り込んだ爪で、猛烈な痛みを感じる。
その痛みに耐えつつ、振りほどくように剣を振るう。振り向く際にルベイガンの姿と、その背後から襲い掛かるアリスさんの姿を視認した。
僕とアリスさんの剣が、ほぼ同時にルベイガンに振り抜かれる。僕達の剣が振り切られた時には、ルベイガンはその場から離れ、赤い煙の中に紛れ込んでいた。
「離れんなよ」
アリスさんが僕に背中を預けた。「はい」と返事をして、僕は周囲を警戒した。
腕と足が震えている。突然のことに驚いて反射気味に反撃できたが、次は対処できるだろうか。しっかりと待ち構えた状態でも、果たしてルベイガンの攻撃を防げるだろうか。視界の悪いこの状況で襲われたら反応できるだろうか。
悪いことばかりが頭をよぎる。それほどまでに僕は悲観していた。心強い味方のアリスさんがいるというのに、ルベイガンへの恐怖が勝っていた。
来るな。来るな。来るな。
ありもしない展開を望みつつ、警戒を続ける。赤い煙は徐々に晴れてくるが、まだ視界は悪い。油断できない状況である。
そんないっぱいいっぱいな展開だというのに……、
「そう警戒するな、冒険者」
何者かの声が聞こえた。
幻聴か? 応援が来たのか? そんな風に考えていると、また声が聞こえる。
「吾輩は貴様らと敵対するつもりはない」
声が煙の中から聞こえる。しかも僕らに向かって言っている。
こんな声を出せるのは……、
「…………アリスさんですか? ビビらせないでくださいよ」
「オレじゃねぇ。現実逃避するんじゃねぇ」
違ったようだ。確かにアリスさんはあんな風に喋らない。よく考えれば分かることだった。
「え? じゃあ今の声って―――」
「だったら何のつもりで来たんだ?」
アリスさんは警戒しつつも、声の主に話しかける。
「調べ事だ。内容は教えるつもりはないがそれも終わった。すぐここから去るつもりだ」
「信じられるか。こんなタイミングで出てきやがって」
アリスさんは遠慮のない口調で声の主と話す。声の主も、アリスさん相手に遠慮は無かった。
「貴様らの都合など知らん。と言いたいところだが、お陰で調べ事はすぐに終わった。礼だけは言おう」
「調べに来たのは六年前のことか?」
「言わんと言っただろ」
徐々に煙が薄くなり、声の主の姿が見え始める。
「じゃあ調査のことは置いといてやる。だがこいつに攻撃したのはなぜだ?」
「複数の敵を相手にするとき、弱い方を狙うのは当然だ」
「定石はそうだが今回は違うだろ。調べ事が終わったんならわざわざ戦う必要が無い。全速力で逃げたらお前の足に追いつける奴なんていねぇからな」
「野蛮に見えてよく観てるのだな」
「どっちが野蛮だ」
煙が晴れて、声の主の姿が見える。話しているうちに、声の主の正体に気付きつつあった。だけど実際に見るまでは信じ切れなかった。
モンスターが喋るなんてことに。
「美味そうだったからな」
ルベイガンは僕を一瞥して言った。
「美味そうな人間を見たら、ついつい手が出てしまうんだ。今日は食わないようにしていたんだが、我慢できなくなってつまみ食いさせてもらった。これ以上手を出す気はない」
ルベイガンが左前脚を口元に動かし、付着した血を舐める。僕の血だ。
獅子族は人間が好物だと聞いたことがある。思い出し、体が震えあがった。
「そんなことで危険を冒して足を止めたっていうのか」
「そう突っかかるな。イラついているようだが、お気に入りか?」
「大事な仕事を滅茶苦茶にした奴を黙って帰すと思うか?」
「少しは少年を気にしてやったらどうだ」
気の毒そうな目を向けられる。もしかして、モンスターに同情されてる?
地味にショックを受ける僕を無視し、アリスさんが詰め寄る。
「それにてめぇがこの騒動の原因かもしれねぇんだ。そいつを易々と帰すつもりはねぇ」
「吾輩はこの状況を利用しただけのか弱いモンスターだというのに……」
ルベイガンは溜め息を吐いていた。モンスターが溜め息を吐く姿を見たのは初めてだった。
「しかし戦うのは勘弁願いたい。代わりに情報をやろう。それで見逃してくれないか?」
「何の情報だ?」
「貴様らは犬共を討伐しているんだろ? それにとても役に立つ情報だ」
「……言ってみろ」
アリスさんが構えを解く。ルベイガンは満足そうな笑みを見せた後、情報を話し始めた。
「奴らがこの戦を起こした理由は二つある。一つは報復だ。何十頭もの仲間をやられた腹いせに人間を襲い、自分達の脅威を認識させたかったそうだ」
その情報は、アリスさん達が予想していたものと同じだった。やはり、先日の大規模調査が原因か。
「もう一つは、今回の騒動を後押しする奴が現れたからだ。犬共は一枚岩に思われがちだがそうではない。今すぐ襲うべきだという過激派と、貴様らの動向を見て動こうとする穏健派がいた。そいつが過激派に付いてこうなったわけだ。」
どっちにしろ襲ってたんだな。
「なるほど。つまり過激派とそいつを倒せばあとは勝手に逃げていきそうだな」
「そういうことだ。そいつらがいる場所を知りたいか?」
「教えてくれるんだろ」
「追加料金が必要だ。それを払えば教えてやろう」
「てめぇらに金なんか必要ねぇだろ」
「金じゃない。情報だ」
ルベイガンが僕に視線を向けた。
「その少年の名前を教えてくれればいい」
「へ?」
僕の名前を知りたい? なんで?
意外な言葉に、僕は驚きを隠せなかった。一方でアリスさんは武器を構えなおしていた。
「ふざけたことを言ってくれるじゃねぇか……」
鋭い眼でルベイガンを睨んでいる。その眼には怒りが込められているように思えた。
「そうか? 破格だと思うぞ。たった一人の少年の名前を教えるだけで貴様らが有利になる情報を得られ、被害を受ける者も減る。野蛮な吾輩ですら、どちらが重要か判断できるぞ」
ぎりっとアリスさんが歯ぎしりをする。名前を教えるだけのことに、なぜそこまで怒っているのか。理由は分からない。だが僕のことを心配してくれているのは伝わっていた。
そして、教えないと重要な情報が得られないことにも。
僕はルベイガンに視線を向ける。威圧的な存在感に、未だに恐怖を覚えている。見てるだけで息がしづらい。
それでも、勇気をもって口を開いた。
「ヴィック・ライザーです」
「っ……」
アリスさんは息を呑んだ。顔を見なくても、驚いていることが伝わっていた。
僕の名前を聞いたルベイガンは、満足そうに頷いた。
「なるほど。偽名ではなさそうだな」
「分かるんですか?」
「吾輩でなくても分かる。貴様の眼を見ればな」
自信をもって言ったルベイガンは、「さて」と言葉を続ける。
「約束通り情報を教えよう。貴様もちゃんと聞いておけよ」
「ちっ」
アリスさんが舌打ちしつつ、ルベイガンに視線を戻す。
そのとき、「すまん」とアリスさんが小さな声で言った。……明日は大雨になりそうだ。
「吾輩は昨日、犬共の拠点に立ち寄った。その際に犬共が騒動を起こした理由と今後の予定を知った。騒動の先導者のケルベロスは、貴様らの動きを見定めた後に動き出すそうだ」
ケルベロスは危険指定モンスターだ。数ヶ月前に敵倒したオルトロスの上位種で、三つの顔を持つのが大きな特徴だ。さらに、体が大きくて足も速い長所もある。
それほどのモンスターが出てくると、僕ではどうしようもできない。足を引っ張る前に帰ろうかと考えてしまった。
「そいつらの拠点が、ここから北にある。二・三キロほど先だ」
「……近いな。お前は仲間にこのことを伝えろ。オレは先行して調べに行く」
「はい」
安全な仕事を任されてホッとする。流石に僕には荷が重いということを分かってくれたようだ。いくらアリスさんが一緒でも、危険指定モンスターと戦うには実力が不足しすぎている。
そんな風に安心していると、「まだあるぞ」とルベイガンが更に教えてくれた。
「実は吾輩が山頂にいたのには理由がある。それは犬共にも、お前らと同じように協力を求められたからだ。拠点を使わせる代わりに、貴様らの動きを教えろとな」
「……で?」
「一宿一飯の恩というやつだ。吾輩は協力して、少し前に終わらせた。貴様らの動きを観察し、どこが手薄かを伝えたというわけだ」
嫌な汗が頬を伝う。
「ちょうどここから西がそうだと言った。他の冒険者よりも装備が見劣りする四人組の場所だ」
西の方で、赤い煙が上がった。




