19.危険エリア
レーゲンダンジョンの近くの森は、レーゲン森と呼ばれている。所々に山菜や食べられそうな植物があるが、モンスターの数は少ない。近くに狩りが得意なドグラフが住み着くダンジョンがあるためだ。奴らを恐れて、モンスター達は身を隠しているのだ。
特に今日は全く姿を見せない。百頭ほどのドグラフが森の中に潜伏しているうえに、奴らを討伐するために大勢の冒険者が森に入っているからだ。特に、強力な冒険者の周りには近寄ってこない。
例えば、僕の隣にいるアリスさんとか。
「ドグラフばっかだな」
地面に倒れたドグラフを足蹴にしながら、アリスさんが呟いていた。
「その方が良いでしょ。ドグラフだけに専念できるんですから」
「クソガキ。それじゃつまらねぇだろ。久々にレーゲンダンジョン以外に出向いたんだ。たまには違う奴の相手をしてぇんだよ」
つまらなさそうに言うアリスさんに、僕はただ呆れていた。大事な任務中だというのに、なんて呑気な。
だがこの余裕のある振る舞いに安心できた。この調子なら危険な目に遭うことは無さそうだ。
「気ぃ抜くんじゃねぇぞ」
僕の心を見抜いたような発言に、どきっとした。
「木や茂み、地形も含めたら身を隠す場所が山ほどある。油断してたら隠れてるドグラフにやられるぞ。ほら」
アリスさんが僕の背後を指差す。僕は即座に振り向きながら盾を構える。そこには茂みがあったが、何も出てくる気配はなかった。
その後に笑い声が聞こえて、意図を察した。
「止めて下さいよ。心臓に悪いです」
「くくくっ……ばーか。ビビりすぎなんだよ」
「当たり前ですよ。アリスさんみたいに強くないんですから」
「『師匠』だろ」
「師匠じゃないんですから」
「当たり前だ。たった一年そこらでオレみたいになれるわけねぇだろ」
笑うのを止めると、アリスさんは歩き始める。僕はすぐについて行った。
「だが修行が終わったときには、グーマンの半分くらいの強さにはなっとけよ。じゃなきゃオレの名前に泥が付く」
グーマンさんはアリスさんの弟子で、ドグラフの群れを軽々と打ち倒すほどの冒険者だ。マイルスの中級冒険者の中では群を抜いている実力者で、アリスさんの厳しい修行を耐え抜いた唯一の人物でもある。
今はウィストと一緒にエルガルドに行っている。そこで二年以内に上級冒険者になって戻って来いと命じられていた。その命令は、二年以内にできるという確信があってのものだったそうだ。
半分とはいえ、それほどの冒険者を目標とさせられた。当然、プレッシャーを感じた。
「グーマンさんの半分、ですか……」
「もっといけるってか? 舐め過ぎだ。あいつの性格は冒険者向きじゃなかったが、体格は良かったからな。お前はどっちも合ってない。しかも修行期間は、あいつが五年でお前が二年だ。半分でも厳しいってことくらい分かれ」
「逆です。僕なんかができるのかなって―――」
バシッと頭を叩かれた。いきなりのことで動転してアリスさんの顔を見る。アリスさんは、怒りを宿した目で僕を見ていた。
「おい」と怒気を含んだ声を出している。
「弟子になった後、オレが言ったことを忘れたのか?」
「えっと……あ」
指摘されてから思い出した。
アリスさんに弟子入りするとき、三つの約束事を交わしていた。
一つはアリスさんのことを名前で呼ばないこと。これは知っていたので問題なく受け入れた。
二つ目はどんな修行でも文句を言わずに受けること。最近は修行内容に不満を持っていたが、これも納得していた。
最後は自分を卑下する言葉を口にしないということだ。
「自分を否定してうじうじしてんじゃねぇ。んなことしても、てめぇの世界をちっちゃくするだけだ。弱音を吐くくらいなら少しでも鍛えてろ」
「……はい」
何でそんな約束事をさせるのか、その意味がよく分からなかった。いずれ分かるだろうと思い、深く考えずに修行を続けていた。
だけどアリスさんの弟子になってからは、弱音を吐く間もないくらい疲れる日々を送っていたので、そんな約束事を忘れてしまっていて考えることもなかった。だから約束事を破ってしまった今も、その理由は理解できなかった。
世界を小さくしてしまうと言われても、世界の大きさなんてそう変わるものではない。いつかは分かるだろうけど、今はまだ難しそうだった。
「しっかし、思ってたほど出てこねぇな」
前を見て歩きながら、アリスさんが言った。「そうですね」と同意した。
レーゲン森に入ってから約一時間。森に入る直前に班ごとに分かれて森に入ったが、それから遭遇したドグラフの群れは二つの七頭。想定したドグラフの一割にも満たない数だ。
「他のところに行ってるんじゃないですか? ドグラフは頭が良いですから、師匠を見て逃げてるかもしれませんよ」
「あー、確かにな。ダンジョンで散々暴れてっから、ツラ覚えられてるかもなー」
「じゃあそのせいですね。もしかしたらもう襲ってこないかもしれませんよ」
「んー、だがなー」
アリスさんは納得しておらず、腕を組んで首を傾げた。
「この辺はあいつらの野外拠点があると想定してる場所なんだよ。易々と拠点を放棄するとは思えねぇんだよな」
「……そんなに危険なエリアだったんですか?!」
アリスさんは「おう」と平然と肯定する。
「正確には候補の一つだな。候補は二つあって、もう一つにはソランが行ってる」
「僕は何も聞いてないんですけど!」
「言ったらビビりそうだからな。終わってから言おうと思ったんだが、こうも様子が変だとな」
出来ればそうしてほしかった。いや、今心配すべきなのはそこではない。
「じゃあベルク達は大丈夫なんですか? 隣のエリアを担当してるでしょ」
昨日の話では、ベルク達にはいつでも援軍に行けるように隣のエリアを担当してもらっていた。さらに比較的安全なエリアだと聞いていたので、僕は自分の役割に集中していた。
だけどここがそんな危険な場所だったなんて……。
「問題ねぇよ。あいつらのエリアは見晴らしの良い場所だ。奇襲を受けることはねぇ。それにラトナも一緒だ。仕留めきれないまでも、全滅することはねぇよ」
僕の心配をよそに、アリスさんは「心配は無用」と言わんばかりの様子だった。
だけどアリスさんは昨日、ベルク達だけではドグラフを相手にするのは不安だと言っていた。そこにラトナが加わっただけで問題が無くなるのだろうか。
「本当ですか? 僕達のエリアに問題が無かったら、すぐにでも応援に行きたいのですが」
「心配ねぇって言ってるだろ。お前、あのチームを信頼してねぇのか?」
「不安だって言ったのはアリスさんじゃないですか?」
「オレが? いつ?」
昨日言ったことを忘れているようだった。僕は昨日のアリスさんの発言を蒸し返すと、「あぁ」と納得した風に頷いていた。
「あれはラトナ抜きの場合だ。今は問題ねぇよ」
「ラトナが加わっただけでですか?」
「あぁ。昔ならともかく、今のあいつなら大丈夫だ」
アリスさんは歩きながら話し続ける。
「あいつの長所はその場に応じた適当な選択肢を選べるところだ。生き残るため、倒すためにどうすればいいのか、そのための方法を選ぶことができる。その成功率を上げるための鍛錬をしてやったんだ。今のあいつなら、相手がドグラフなら、足手纏いの一人や二人いても生き延びれるだろ」
僕とラトナが受けてきた修業は少々異なっていた。僕の場合は「一人で何とかしろ」的な修行だったが、ラトナはアリスさんから課題を出され、それをこなすような内容だった。なぜ違う修行を受けさせるのか不思議だったが、そういう意図があったのか。
「じゃあ、僕の長所と修行の目的って何なんですか?」
そういうことを聞くと、僕のことも聞きたくなる。思い切って聞いてみた。
そして返ってきた答えは、「てめぇで考えろ」だった。
「いつでも誰かが無条件で教えてくれると思うな。ちったぁてめぇで考えろ。自分のことなんだから分かるだろ」
以前と同じようなことを言われた。たしかに僕のことなんだから、答えは僕の中にある。つまり、今までの僕の記憶を掘り起こせば答えは出てくるはずだ。
僕はこの一年間のことを思い出した。弱いモンスターと戦って、強い敵には逃げて、盾を得て挑戦したけど敗走して、技術を磨いて再挑戦をして、ラトナとチームを組んでダンジョン攻略に励んで、ソロに戻ったら無力さを実感して……。
「……僕の長所ってなんだ?」
口に出して自問する。一年ほどの戦いの記憶を思い出したが、参考になることがあまりない。せいぜい地道に戦って、無茶をして失敗するということくらいしか分からない。だけどこれはほとんどの冒険者に当てはまることで、長所と言えるようなものではない。昨日ラトナが褒めてくれたことも思い出したが、戦闘で役立つようなものではない。
僕が敵より秀でているところ。それが分かれば戦闘を有利に運ぶことができる。アリスさんは分かってるみたいだが、本人である僕はそれを見つけられなかった。
「まぁ、それなりに経験を積めば自然と分かる。だから今はドグラフ討伐に専念しろ。オレの勘だと、そろそろ敵が本格的に動くはず―――」
パァンッと銃声が響いた。僕とアリスさんはすぐに空を見上げる。空に向かって伸びる赤い煙があった。
赤い煙の信号弾は危険を表す色。誰かが戦闘不能に陥ったか、危険なモンスターと遭遇した時に赤色の信号弾を撃つ取り決めがあった。
煙が上がっているのは山頂方向。その方角に、重傷者か強敵なモンスターがいるということだ。
「どうしますか? 師匠」
煙が上がった場所までは少し遠い。一つ二つ隣のエリアでは無さそうだ。アリスさんが行くには離れすぎている。
「あの辺はソランの方が近い。上級冒険者も何人かいるはずだ。向こうに任せる」
素早い判断に感心しつつ頷いた。あれだけ離れた場所なら、僕達が行くよりも他の冒険者の方が早い。アリスさんの判断に、僕は素直に従う。
「分かりました。じゃあ引き続き調査を―――」
再び信号弾の銃声が鳴り、赤い煙が空に上がる。煙の位置は、先ほどよりも僕達の方に近づいていた。
「重傷者じゃなさそうだな」
また赤色の煙が上がる。さらに煙は大きくなる。
アリスさんが双剣を抜いていた。
「ヴィック。お前はオレの後ろに下がってろ」
「二人で相手するんじゃ―――」
「アホ」
銃声がまた響く。二つ隣のエリアからだ。
「何組もの腕利きの冒険者を振り切ってるモンスターだ。そんな事態を起こせるモンスターは二つしかねぇ」
隣のエリアから信号弾が上がる。やはり赤色だ。
「一つはとてつもない数のモンスターの群れ。今回ならドグラフだが、あいつらなら上手く隠れて移動するはずだ。逃げるにせよ、襲うにせよ、な」
ドグラフは賢い。戦わない場合は逃走や潜伏に徹するほどの知能がある。また戦う場合は、このような目立つ方法で移動することは無い。奇襲や連携を駆使して、少数の冒険者を相手取るはずだった。
「もう一つは?」
尋ねたときに、銃声とは別の音が聞こえた。
土を跳ねる音。草木が揺れる音。人とは違う呼吸の音。
音がした方を振り向いた瞬間、それが目に映る。
「ちっ……」
アリスさんが僕を蹴り飛ばす。僕はくの字に体を曲げながら蹴飛ばされて地面に倒れた。
起き上がる瞬間にアリスさんの方を見る。アリスさんは剣を振るったが、出てきた奴は体を捻ってそれを避けていた。不意打ちに近いアリスさんの攻撃を避けたそいつは、アリスさんから少し離れた場所に着地した。
アリスさんは即座にピストルに持ち替えて撃つ。銃声が響くと同時に、そいつは右に跳んで回避する。その動きに、僕は言葉を失った。
剣を避けるのは分かる。モンスターから見れば、アリスさんが持っている道具は鋭くて、触れるだけでも危険だということが分かる。だから危険を察知して避けることは何もおかしい話ではない。
だがピストルは別だ。見た目は穴が空いているだけの棒だ。その穴の中から殺傷能力の高い銃弾が出てくるなんて、モンスターが想像できるわけがない。避けられたのは、ピストルを知っているからだ。そして、ピストルを使った相手から生き延びるほどの力を持っているからだ。
アリスさんが言っていた二つ目のモンスター。それが何かは、アリスさんから言われなくても分かった。
「お前は手ぇ出すなよ。敵とみなされたら八つ裂きにされるぞ」
赤と黒の縞模様の体毛、猫を百倍凶悪にした顔の四足モンスター。そいつを見ている間、エンブのレンの姿が頭に浮かんでいた。
「こいつは危険指定モンスター、獅子族のルベイガンだ」




