23.血のモンスター
虫のモンスター、植物のモンスター、そしてヒトのモンスターが存在することは知っている。邪血によって本来とは別の生態になったモンスターもこの目で見て来た。しかし、血液そのもののモンスターの存在は初めて知った。
予想外の正体にウィストが動揺していたが、ロードは「なるほどな」と納得していた。
「あのときにヴィックに寄生したというのか」
『そうだ。最初はあんな貧弱なヒトにしか寄生できなかったことに嘆いたが、最高の結果となった。何もかも貴様のお陰だよ』
「ロードさんのお陰?」
シグラバミが『そうだ』と答える。
『十三年前、俺様はロード達に追い詰められた。瀕死間際に嵐の海に逃げたことで生き延びたが、着いた島でも命を狙われた。その時の相手がヴィックの父親だった』
ヴィックの両親は嵐の中で事故で死んだと聞いている。事故ではなく、シグラバミのせいだったのか。
『腕はそこそこだったが、瀕死の俺様にとっては強敵だった。幸いにもあいつの家族が様子を見に来たから、そいつらを狙うことで有利に戦うことが出来た。だがロードが来たことで死を覚悟した俺様は、止めを刺される前にヴィックに寄生して生き延びたということだ』
シグラバミがニヤリと邪悪な笑みを浮かべる。
『あのとき、ヴィックの両親は虫の息だった。だがお前は必死に助けようと治療していた。その間に俺様は気を失っていたヴィックの体に気づかれずに逃げ込むことが出来たのだよ。どう考えても助けられない者を助けようとする、無駄なことをしてくれていたお陰でな』
無意識に手に力が入る。助けようとした行為を無駄だと言うシグラバミに、ウィストは怒りを覚えていた。
同じようにロードの表情が、未だに険しかった。
「せっかく復活したのに、なぜヒトの姿になった? お前にとってはヒトは貧弱な生き物なのだろう?」
『俺様も昔はそう思っていた。小さく、ひ弱で、脆い。全ての生物の中では比較的弱い部類の生物であると。しかし……』
シグラバミが口角を上げ、楽しそうな顔を見せた。
『巨大な敵に勇敢に立ち向かい、絶望の闇から希望の光を生み出し、無謀な挑戦を達成する姿を見て、俺様は感動したのだ。ヒトとは弱い生物ではない。世界を変える力を持っていると確信を得た。ヒトになれば俺様の望みも叶えられる、とな』
「その姿で何をする気だ」
『征服だよ』
シグラバミはヴィックの顔で無邪気に笑う。
『ここに残っている者を全て殺して俺様だけ生き残れば、人々は俺様がシグラバミを倒したと信じるだろう。底辺に居たはずの冒険者が絶望を打ち払う。まるで物語のような展開だろう? 民衆が俺様を敬い、慕い、集まってくるのは容易に予想できる未来だ。そいつらを利用すれば、俺様の望む世界が作れるはずさ』
「どんな世界を望んでるんだ」
『自由だ。俺様が何をしても許させる特権を持つ世界だ。力を振るい、奪い、支配しても、誰も俺様には逆らわない。ヴィックの姿になればそれが作れる……だからこの姿になったのだ』
ヒトの姿でヒトを征服し、自由な世界を作る。それがシグラバミの欲望だった。
ウィストはシグラバミに対して、少なからず恐怖心があった。不可思議で底の知れない能力を持つ生物をどう倒せばいいのか、そもそも討伐できるのかという不安があった。しかしロードとの問答により、シグラバミの正体が少しだけ理解できていた。そのお陰で未知からくる恐怖心が薄れていき、今では怒りが勝っていた。
このモンスターは倒さなければいけない。倒すべき敵だと。
「一つ確認するが、その体はヴィックの物では無いな。先程、お前の吐いた血が変形してその姿になっていた。もしヴィックの体に寄生していたら、同じことができないはずだ」
『そうだな。今の俺様は誰にも寄生していない生身の状態だ。だからこそ十全に力を使える』
突如シグラバミの体の外に現れたのはそういうことだったのか。ウィストは一人で納得した。
ヒトの姿をしていながら人間離れした身体能力と膂力、そして自由自在に変形する体。あれはシグラバミの本体だからこそ出来る力のようだ。
それを聞いたロードは剣を抜き、「協力しろ」とウィストに言った。
「ヴィックの姿のまま奴を逃がせば、奴はあの姿で悪事を行う。そうなれば汚名として広がるのはヴィックの名前だ。そんな最悪の結果を迎えたくなければ戦え」
一度は戦意を失っていた。だがロードの言葉とシグラバミへの怒りが、ウィストに力を与えていた。
ヴィックのためや、守ろうとした皆のためだけじゃない。ウィスト自身のために戦おうと決めた。
ウィストは双剣を抜いて構えると、シグラバミがニヤッと笑う。
『はたして、そう上手くいくかな』
ウィストはロードから距離を取った後、右回りに移動して横から接近する。ウィストは双剣で斬りかかると、シグラバミは体を巧みに動かし、小さな動きで回避していた。その間にロードが接近し、シグラバミの胴体に向かって右手で剣を突き刺す。それをシグラバミは左手で剣先を防ぐ。剣と手が衝突した瞬間、ガチンと金属が衝突する音が響いた。どうやら硬度も変化できるようだった。
『焦ってるのか? 攻め方が雑だぞ』
「そう思うか」
ロードが左手で粘着玉をシグラバミの足元に投げつける。破裂した瞬間、シグラバミの脚に粘着性の糸が絡みつく。シグラバミが動けなくなったことを確認して、ウィストはロードと一緒にシグラバミを前後で挟む場所に移動した。
シグラバミは片足ずつ足を液体に変えて粘着糸を剝がそうとする。右足だけを液体に変えた瞬間、ウィストはロードと同じタイミングで攻め立てる。片足だけで立ってバランスを崩したシグラバミの体に、二人の斬撃が切り刻まれた。
『なるほど。面白い手だ、なっ―――』
シグラバミの体から何十本もの赤く長い棘が生える。ウィストとロードは刺さる直前に距離を取って回避するが、その間にシグラバミは残った方の脚の粘着糸を剥がしていた。てっきり体の一部だけを変えられるのかと思っていたが、そうではなさそうだ。拘束は解けたが、早期に気づけたのは良かったかもしれない。
棘が液体になって地面に落ちると、血が足元からシグラバミに取り込まれていく。どうやら変形した後は、一旦液体にしないと体に戻らないようだ。そしてシグラバミを何度か斬りつけたが、傷から血が出ることは無く、痛みも感じていなさそうだった。しかしウィスト達を退かせたということは、攻撃が全く無意味だというわけでもない。
ただ単に攻撃するだけではシグラバミを倒せない。何か倒せる条件があるのだと、今の攻防ではっきりとした。弱点を早く見つければ、二人だけでも倒せるはずだ。
再びロードがシグラバミに仕掛けようと接近する。ウィストはタイミングを合わせ、挟み撃ちになるように突っ込んだ。シグラバミは背後から迫るウィストを一瞬だけ見て、すぐに正面から迫るロードに視線を戻す。道具を持っているロードの方を危険視したのだろう。
ウィストは直進に走っていたが、あと二歩ほどにまで近づくと方向を右に変える。ウィストの動きに気づいたのか、シグラバミが視線をロードから外した。その一瞬、ロードは素早くナイフを取り出して投擲した。視界に入らなかったのかシグラバミはナイフを防げず、体に突き刺さった。
シグラバミはナイフを抜こうとしたが、その前にウィストは斬りかかる。右手の剣は首を切り裂いたが、先程と同じように傷がつくだけで痛がる素振りを見せない。すぐさまもう片方の剣で顔を切り裂くが同じだった。シグラバミがウィストを追い払おうと、抜いたナイフを持って切り払う。ウィストが下がるとロードが別方向から接近し、シグラバミの心臓を突き刺した。そのとき一瞬だけ、シグラバミが嫌そうな顔をしていた。
心臓付近に何かある。ロードにそれを伝えようとした瞬間だった。
「ろっ―――」
首を何かに絞められていた。シグラバミと離れているのに、他に誰も居ないのに、首を絞められる感覚があって息が出来なくなった。
すぐに手で首に触れると、掌に血がついていた。出血した覚えはない。ということはシグラバミの血だ。血を使ってウィストの首を絞めている。おそらくナイフを振ったとき、自身の血を一緒に飛ばしたのだ。
首にかかる圧迫感が徐々に強くなっている。ウィストは剣を手放し、首に付着した血を拭った。今はロードが一人でシグラバミと戦っている。手負いの状態だったとはいえエギルにあっさりと勝った相手だ。早く戻らないとロードがやられてしまう。
痛みが無くなるまで血を拭うと、すぐに双剣を持って走り出す。ロードはなんと一人だけで持ちこたえていた。対人戦も得意のようだ。
ロードがウィストを見て目配せをする。ウィストは足を止めて二人との距離を取った。その直後にロードが左手で懐を漁り、小さな鉄の塊を投擲した。至近距離で投げられたそれをシグラバミは回避する。だがその鉄塊には、目を凝らさないと見えないほどに細い糸がついていた。ロードは糸を操ると鉄塊は弧を描くように回転し、死角からシグラバミに迫り、糸がシグラバミの体に巻き付いていた。
『これは―――』
シグラバミの胴体と一緒に右腕も糸に巻き付かれる。ロードは剣を手放すと、右腕と胴体でシグラバミの左腕を挟んで抑え込む。両腕が抑えられたことで、シグラバミは動けなくなっていた。
棘を生やす前にはためが入る。その前にシグラバミの心臓を貫く。ウィストは即座にシグラバミに接近し、剣先を胸に突き立てようとした。
「ウィスト―――」
シグラバミの口からヴィックの声が聞こえた。ヴィックの姿で言った声が、もしかして本人じゃないのかという疑念がよぎった。
目の前のヴィックは本物じゃない。それは既に分かっているはずだった。にもかかわらず一瞬の躊躇いが生じ、ウィストの剣を振るう右腕の動作が鈍くなる。シグラバミは、その刹那の隙を見逃さなかった。
『脆い』
シグラバミの脇から二本の腕が生える。片方はロードを殴り飛ばし、もう片方はウィストの首を掴む。ロードは十メートルほど離れた場所まで飛ばされていた。ロードはすぐに立ち上がろうとしたが、ダメージが大きかったのかその場に膝を着いた。
首を掴む腕を斬り落とそうとして剣を振るうが、持ち上げられたことで足が地面から離れ、力が込められないため斬り落とすには至らなかった。
『体だけじゃなく心も脆いようだ。俺様が偽物だというのは分かっていただろ。それほどまでにこいつが恋しかったのか』
せっかくロードがお膳立てをしてくれたのに、仕留めるチャンスをくれたというのに、仕留めそこなってしまった。分かっていたはずなのに騙されてしまった。
これで何が英雄だ。こんなに弱いのに、誰かを助けられると思ってしまったのか。あまりの情けなさに、ウィストは瞳に涙を浮かばせてしまった。
『まずは貴様から殺してやろう。愛しの元相方の姿をした俺様に殺されるんだ。光栄だろう』
息が出来なくなり、意識が徐々に薄れていく。目の前が暗くなり、走馬灯のようなものが見え始めた。
そういえば、今の状況と似たようなことがあったことを思い出した。マイルスに居た頃、ゲノアスがモンスターの集団を使って襲ってきて、ウィストが一人でゲノアスを追い詰めようとした時だった。一人で深追いしたウィストは、ミノタウロスに捕まって殺されそうになった。だけどヴィックが助けに来てくれたから、ウィストは冒険者を続けることが出来たのだ。
シグラバミが力を強め、いよいよ意識が無くなりそうになった時だった。
「その手を離せ」
あの時と同じ言葉が聞こえた。




