20.シグラバミ
誰よりも生きていて欲しかった人だった。ウィストにとってヴィックは、誰よりも大事な人だった。だけど大切な人を失う悲しみを知ったウィストは、多くの人々に同じ想いをして欲しくないとも思った。
「君が英雄になればどちらも叶えられるよ」
悩んでいたウィストにロードが言った。そのためにはチームを解散する必要があるということも告げられた。
真剣に考えた結果、ウィストはチームを解散し、英雄になることを決意した。ヴィックに生きてもらうために、多くの人を救うために。
そのために自分を犠牲にしてきた。やりたいことを抑え、英雄として振舞い、誰もが憧れる存在になろうとした。全ては皆を助けるために、好きな人に生きてもらうために。
だけど、
「あ、あ……」
シグラバミがゴクンと喉を鳴らす。さっきまでいたはずのヴィックの姿はシグラバミの大きな口に飲み込まれ、そのまま体の中へと入っていった。
最も恐れていたことが起きてしまった。それもウィストの目の前で。
目の前が真っ暗になっていた。ウィストは呆然としたままその場に膝をつく。ヴィックを失ったことで、全身に力が入らなくなっていた。
「し、シグラバミだぁああああ!」
「逃げろ! 早くしないと食われるぞ!」
ヴィックが食われたことで非常事態だということに気づいたのか、観客達が慌てて逃げ始める。誰もがその場に座り込むウィストの存在を気に留めず、我先にと出口へと走り出していた。まさか英雄がこんなところでへたり込んでいるとは誰しもが思わなかったのだろう。
『フハハハハ! さっきまで呑気に観戦していた奴らが面白いように逃げていくなぁ。愉快愉快』
シグラバミは逃げていく人々を笑いながら眺めている。冒険者の街のど真ん中にいるというのに何故こんなに呑気なのか不思議に思った。自分がいる場所を理解していないのか、それとも知っていてなおこの場から生き延びる自信があるのか。
どちらにせよ、あまり興味は無かった。ヴィックが死んだことで、もうウィストに気力は残っていなかった。英雄として戦う気概が失せていた。
『さて、では次は貴様を喰ってやろう』
観客のほとんどが逃げた後、シグラバミがウィストに視線を向けた。
『ヴィックは貴様に執着していたからな。二人仲良く俺様の体の中で過ごすと良い』
シグラバミの大きな口が近づいてくる。ヴィックと一緒になれる。その言葉が妙に魅力的に聞こえてしまい、良いかもしれないと思って動けなかった。
そしてシグラバミの口が目の前に着た瞬間、「なにやってんだぁあ!」とベルクの声が上から聞こえた。シグラバミが身を引かせた直後、大剣が目の前に振り下ろされて床にめり込んでいた。
「何ボケっとしてんだ! 死ぬ気か!」
ベルクがウィストを見下ろしながら叱責する。続けてラトナ、ミラが走り寄ってきた。一人足りないことに気づいた後、観客席からシグラバミに跳びかかるカイトと、カイトに似た容姿の青年の姿が見えた。
二人はシグラバミの両側から接近し、ほぼ同時に刀を抜いて斬りかかる。シグラバミは二人の姿を視認したが遅く、二人の斬撃がシグラバミを襲った。
『ほう! 良い斬撃だな!』
深い傷をつけられたにもかかわらず、シグラバミの表情に焦りはない。むしろ嬉しそうに二人の攻撃に感激していた。その様子を不気味に思ったのか、カイト達は着地した後すぐに距離を取っていた。
『しかし素晴らしいな! 仲間のピンチに危険を顧みずに飛び込むとは。ヴィックは良い友を持ったな』
「何がそんなに嬉しいの!」
ラトナが鬼気迫る顔でシグラバミに怒鳴っていた。こんな風にラトナが怒るのを見るのは初めてだった。
シグラバミはそんなことに気を留めず、愉快そうな笑みを浮かべる。
『当然だ。ヴィックと俺様は半生を共にしたという絆がある。困難が立ち塞がり、努力が実らなかったこともあったが、多くの人に認められることになったのだ。しかも俺様のために最高の働きをしてくれたのだ。その姿と献身に俺様は心打たれ、今では愛しさを抱いている。その相手がこれほどまでに好かれていることを知って嬉しく思わないわけがないだろ』
「だったらなんで殺したのよ!」
『殺しては無い。ヴィックは俺様の中で生きている。これほどまで俺様に尽くしてくれたのだ。これからは俺様の下で生きていき、特等席で俺様の世界を見せてやる権利をやったのさ』
シグラバミが空を見上げる。
『この空の下、俺様は自由に生きる。誰しもが俺様に傅き、俺様を讃え、俺様に尽くす。その世界を俺様は作り、俺様の隣でヴィックは生きれるのだ。褒美としてこれ以上の物は無いだろう』
自己中心的で独善的な望みだった。モンスターがこんな願いを抱いているなんて思いもしなかった。いや、これほどのモンスターだからこそ持つ願いなのかもしれない。
圧倒的な強者が持つ独特の思考。それを理解できる者はそういない。だからラトナも怒りを抑えられずに銃を構えていた。
「ふざけないでよ!」
パンと銃声が響いた後、シグラバミに当たった銃弾が爆発する。普通の銃弾ではなく、爆発性のある特殊な弾のようだ。攻撃だけじゃなく煙幕で姿を眩ませることが出来るものだ。
視界を遮った間に、ベルクとラトナがフィールドへ降りる。残ったミラがウィストの下へと駆け寄ってきた。
「立ってウィスト。一緒に戦おう」
ミラに声を掛けられる。彼女の眼に怯えは無い。あの巨大なモンスターを前にしても戦意を保っている。だがウィストには戦えるような気力は無く、戦う理由すら失っていた。
「無理だよ……私にはもう、戦う理由がない」
ヴィックが死んだ今、ウィストが戦う理由は無くなった。生きていて欲しかった人が居なくなったことで、英雄として振舞うことにもはや意味は無い。
ミラならウィストの気持ちを分かってくれると思っていた。チームを解散してからも話すことがあり、理解してくれてると思っていた。だがミラは「ダメよ」と言った。
「あんたはあいつを倒して生き残らなきゃいけないの。ヴィックはあんたの幸せを願ってた。その想いを背負って生きなきゃいけないのよ」
「ヴィックがもういないのに、楽しめるわけないよ。私が頑張ってきた理由はヴィックに生きて欲しかったからなんだよ。だから、もう……」
「けど戦うのよ。残された人が出来ることは、先に亡くなった者の想いを継ぐことしかできないんだから。それが出来なくなったときに、本当にヴィックは死ぬのよ」
「想いを、継ぐ……?」
ミラが力強く「そうよ」と言う。
「人が死んでもすぐにその人が生きた証は無くならない。その人が与えた物が周りの人の心に残っているからよ。生きた証が残っている限り、その人は決していなくならない。それが出来るのはあんただけよ」
ミラは武器を構え、「だから待ってるから」と言って先に戦い始めた仲間の下に駆け付ける。ベルク達以外にも残っていた冒険者達が前線に加わっていた。いずれもウィストが見たことのある実績のある冒険者達だった。
『フハハハ! 足りん! 足りんぞ、それでは!』
しかし彼らの攻撃を受け続けても、シグラバミは平然としている。シグラバミは特に何かしているわけではない。適当に動き回り、攻撃を回避する素振りすら見せない。
反対に皆はシグラバミの動きに反応し、思い切った攻撃が出来ていない。シグラバミの生態を知っている者はこの場にはいない。迂闊に攻めたときの反撃を恐れて踏み込めないのだろう。
情報が無いモンスターと戦うときは、それが当然の判断だ。しかしなぜだろう。それが正しい判断とは思えなかった。
『さて、体の動きにも慣れたし、こちらからも反撃しようか』
シグラバミの言葉に冒険者達の動きが止まる。今までは準備運動だったことに気づき、冒険者達の間に緊張が走った。
直後、シグラバミは体を捩じり始める。奇妙な動きに皆が注目すると、誰かが「下がれ!」と叫んでいた。そのすぐ後にシグラバミは捩じった体を逆方向に回しながら、長く大きな体を回転させた。
シグラバミの体は一般的な家屋よりも大きい。それほど大きくて重量のあるものが高速で動き、冒険者達に衝突する。シンプルな攻撃だがその威力は絶大だった。
『おや。今ので終わったのか』
突然の攻撃に避け切れる者はおらず、フィールドに居た冒険者達全員がその攻撃を受けてしまい、誰もが倒れ伏せている。皆が勇敢で優秀な冒険者達だったのに、たった一回の攻撃で動けなくなっていた。
あまりにも圧倒的な力の差だった。もはや戦える者はおらず、シグラバミは退屈そうに息を吐いていた。
『これからだというのに、本当に今ので終わったのか。つまらん。これからもっと楽しくなると思ったんだがな』
「だったら俺様と遊ぼうぜ」
突如、観客席から一人の男がフィールドの舞い降りる。同時に観客席の出入り口から多くの冒険者が入ってくる。
全員、『英雄の道』の団員だった。彼らはフィールドを取り囲むように観客席の最前線に並び始める。まるで事前に示し合わせたかのような、統率の取れた動きだった。
『貴様は確かエギルだったか』
シグラバミはただ一人フィールドに降りたエギルを見下ろす。エギルはニヤリと笑みを返した。
「よく知ってるな。名乗る手間が省けるぜ」
『当然だ。貴様のことはあやつの仲間だと知っていたからな』
シグラバミが来賓席の方に視線を向ける。
そこには、十三年前にシグラバミを倒したロードの姿があった。




