18.何気ない約束
三年前、僕を助けようとしたウィストは大怪我を負ってしまい入院した。そのことを謝るために見舞に行き、その際にウィストといろんな話をした。
ウィストがなぜ冒険者になったのか、冒険をしてて何が楽しいのか、これから何をしたいのか。誰でもするようなただの雑談だった。そこにいるのは天才といわれるような特別な人じゃない、どこにでもいるような普通の少女が居た。
そんな普通の冒険者が言った。
「けど最近さ、ちょっと違うなーって思ってたんだ。皆私が凄い凄いって褒めてくれるんだけどさ、ちょっとプレッシャーみたいなの感じてるんだよね」
ウィストは注目されることに窮屈さを感じていた。褒められることは好きで、頼られることは嫌いじゃない。だが自分の動きや考えに一つ一つ反応されたり、意味を見出そうとしてくる人達がいるのが嫌だったそうだ。ウィストは理屈じゃなく本能や直感に頼って動いており、後から理由を聞かれても答えられないことが多い。本人も自覚している全く意味のない行動をしても、そこに意味があると思われているのが気になっていた。
そういうのが嫌で、ウィストは基本的にはソロで活動していた。その一方で一人で活動することは、父とチームを組んで楽しみを見出した母のことを知れなくなるのではないかという懸念があった。
冒険を楽しみたい。けど窮屈なのは嫌。しかしチームも組んでみたい。そんな矛盾する悩みをウィストは抱えていた。
「良い相方が見つかったらいいね」
そのときの僕は、自分がウィストとチームを組む気は無かった。ウィストを特別扱いせず、彼女についていけるような冒険者になれるとは思わなかった。そんな資格は僕には無いと思っていたからだ。才能がなく、さらに彼女を怪我させてしまった元凶なのだ。口が裂けても言えるわけが無かった。
だけど、ウィストは言った。「ヴィックがなっても良いんだよ」と。
心の底から驚いた。僕はすぐに「とんでもないよ」と断った。
「僕みたいな冒険者が君と釣り合わないよ。もっと優秀で才能のある冒険者が良いよ」
「優秀とか才能とか、そんなので決めてないよ。私がチームを組みたいのは、一緒にいて楽しい人が良いの」
強さも、才能も、知能も、経験も、そんなのは関係ないとウィストは答える。
「私は冒険を楽しみたい。それが一緒にできる人とチームが組みたいの」
冒険を楽しむ。それは冒険者なら誰でも感じたことがあるだろう。富や名声を得るためじゃなく、ウィストはそれを望んでいた。
僕も冒険者になった頃は冒険を楽しんでいた。それなら僕もできるんじゃないのか、僕でもウィストの力になれるんじゃないかと思った。
ウィストに楽しい冒険をさせてあげる。そのための相方にならなれる、と。
僕がグロベアにやられそうになったから、ウィストはその才能を世間に知られた。僕がフェイルの甘言に惑わされたから、ウィストは怪我を負った。その責任を取らなきゃいけないという考えはあった。けどそれだけじゃない。眩く光るウィストの隣に居られる資格が僕にもあり、僕一人じゃ辿り着けないはずの場所にウィストと一緒なら行けるんじゃないのかという欲があった。
だから僕は言った。
「じゃあ僕が、君に楽しい冒険をさせてあげるよ」
ウィストは笑って「楽しみにしてるね」と言った。多分ウィストにとっては何気ない会話で、本気で僕がやる気だと思ってなかったかもしれない。小さな女の子が言う「お父さんと結婚する」ようなレベルの、いずれ忘れてしまうような約束だったかもしれない。だけど僕は本気だった。
罪悪感も欲望もあった。再びウィストが笑って冒険が出来るようになって欲しい。そのために僕は相方になれるように努力しようと決意した。そのためならばどんなこともしよう、と。
修業をし、いくつもの困難を乗り越え、挫折も経験した。そしてエルガルドで大きな壁が立ち塞がった。その壁を前にして、僕は思い出した。
なぜ僕がウィストの相方になろうと思ったのかを。
「今の君は、とてもつまらなさそうだ」
ウィストの息を吞む姿を捉えた。不意に図星を突かれたせいか、動揺を隠しきれていなかった。
「英雄という肩書のせいで、冒険を楽しめていないからだ。昔ウィストが言った状況の極致にいるから当然だよね。皆がウィストに注目して、発言の一つ一つに反応し、行動の全てに意味があると思ってる。馬鹿みたいだよね」
誰しもが憧れ、頼りにし、注目し、依存する相手、それが英雄だ。それはウィストが一番なりたくなかったはずの存在だった。
「なのに君はその地位に固執してる。やりたくないはずなのに、皆のためにって理由で英雄になって、顔も名前も知らないどこかの誰かのために命を削ってる。昔のウィストが見たら疑うだろうね。本当にあなたは私なの? ってね」
「……し、仕方ないじゃない! だってそうでもしないと皆を助けられない。また悲しむ人が生まれるんだから……」
ウィストは優しかった。他人のことを考えられる人間だった。だから彼女は自分の夢を捨て、他人のために尽くそうと思い至った。
その他人の中に僕も入っていた。弱い僕を巻き込みたくなくて、チームを解散し一人で英雄になった。僕の想いを考慮しない、自分勝手な人助けである。
ならば僕も、自分の都合でウィストを助けることにした。
「だから僕がその負担を減らしてあげるよ」
英雄じゃない一般人でも人を助けられる。天才じゃない凡人でも同じことが出来る。特別じゃない普通でも人々に希望を与えられる。それを全ての冒険者に伝えるために、計画は始動した。
英雄に頼るな。天才に負けるな。普通な冒険者でもやればできるんだ。
だからお前ら、ウィストに全部任せんじゃねぇ! と。
「君はソランさんのように強くはない。エギルのように図太くもない。才能がある以外は普通の冒険者だ。だから君にできないことは僕達にも手伝わせろ。周りにもっと責任を押し付けろ。そうさせるための環境を僕が作ってやる」
デッドラインを制覇すれば、多くの冒険者の希望となり、目覚めさせることが出来る。ウィストに依存している風潮に疑問を持ち、自分達もと頑張ろうとする者が出てくるはずだ。ヴィックにできるんだから、俺にもできると。それがウィストの負担を減らすことに繋がるのだ。
「いろんなダンジョンに行って、いろんなモンスターと戦って、いろんな美味しいものを食べて、もっと冒険を楽しめ。それが僕との約束だ。その約束を守るために僕はここに居る」
「……そんな約束守れないよ。だって私が頑張らなきゃ……」
「舐めないでよ、ウィスト」
ウィストは虚を突かれたかのような表情をした。
「僕達を舐めるな。僕達は君よりも弱いかもしれない。けど君が思うほど弱くはない。君と同じようにできなくても、同じ結果を出すことはできる。君の勘違いを正せてあげるよ」
僕を含め、多くの冒険者は凡人だ。だが弱者じゃない。本当はウィストに守られるほどか弱い存在じゃない。
「だから見ていてよ。一度は信じた君の相方をさ」
グロベアの方に向き直ると、既にグロベアは落ち着きを取り戻していた。そして目だけじゃなく鼻を使い、匂いを辿って僕の方を向いている。いつでも戦えそうな様子だった。
気力を取り戻した僕はグロベアに近づこうと歩を進ませる。そのとき「ヴィック」とウィストが僕の名を呼んだ。
「お願い……」
何を、とは聞かなかった。「任せてよ」と僕は答えてグロベアに接近する。
絶対に勝つ。勝ってまた、ウィストが笑って冒険できる日常を送らせる。
そのとき隣に居るのが、僕じゃない他の誰かだとしても。
「だからお前は絶対に倒すよ、グロベア」
グロベアは突進しながら、両前脚で僕を掴みかかろうとする。血のせいで視界が悪いから、捕まえて攻撃しようとしたのだろう。苦し紛れの攻撃が良い具合に効果的だったようだ。
僕は右に避けた後すぐに攻撃しようとしたが、グロベアは即座に向き直って前脚を振り回す。眼は悪くても音と匂いで位置を特定しているみたいだ。迂闊には近づけない。距離を取って何か投擲して攻撃したいが、さっきまでの戦いでほぼすべての道具を消費している。近づいて攻撃するしか手段は無い。
何ができるのか、何ができないのか。何をすればいいのか、してはいけないのか。身体は限界なのに頭は冷静だった。ウィストと出会えたことで初心に戻り、落ち着きを取り戻せていた。
あのグロベアは強敵だ。だが特異個体ではないにせよ、グロベアとは何度も戦ってきた。基本的な動きは奴らとほとんど同じだった。
昔の記憶と今のグロベアの能力、そして僕の手札を考慮してどう倒すか。
「……行くぞ」
グロベアの前脚を受け流し、身体を斬りつける。グロベアにすぐに反応されて、浅い切り傷しかつけられなかった。反撃と言わんばかりにグロベアが突進してくる。それを受け流すと同時に胴体を斬るが、勢いの押されて思ったよりも深く切れなかった。
攻撃しても大した傷をつけられない。危険を冒しても大した見返りのない結果だったが十分だった。これが今の僕が出来るグロベアの倒し方だ。
「来いよ。ここからは我慢勝負だ」
少しずつ少しずつ、グロベアを攻撃して体力を削っていく。体力のない僕がとる作戦としては決して良い策とは言えない。だがそれは承知の上だ。
僕が尽きるのが先か、グロベアが倒れるのが先かのギャンブル。それが僕の作戦だった。我慢勝負なら得意中の得意だ。
何度も何度も、グロベアの攻撃を防いでから攻撃する。僅かな傷だが、少しずつグロベアの体に傷を増やしていく。同じように僕の体にもダメージが蓄積しているが、果たしてグロベアは冷静でいられるか。楽勝だと思っていた相手に粘られて、イラつかないほどお前は行儀がいいのか?
『グォオオオオオオ!』
案の定、グロベアの攻撃が激しくなる。強く速い連続攻撃を前に、避けるのが精いっぱいだ。だがこれよりも速く力強い攻撃は何度も見たことがある。少しずつだが目が慣れてきて、反撃の糸口が見えるようになった。
先程よりも強い攻撃を受け流し、懐に入って切りつける。離脱して反撃を避け、再び接近して攻撃する。何度も何度もそれを繰り返すと、やっと効果が出たのか、グロベアの動きが徐々に鈍くなってきていた。
我慢勝負には勝った。あとはどちらが先に相手に止めを入れるか。
グロベアが僕と距離を取って様子を見ようとしている。その時間を与えないように、接近して攻撃を仕掛ける。グロベアは反撃せずに下がろうとして、僕はさらに踏み込んで剣を振るった。
休み時間は与えない。何度も何度も追い込むと、観客席の前まで移動してグロベアの逃げ道が無くなる。その時になってようやく腹を括ったのか、グロベアが大声を出しながら僕に突進を仕掛けた。
全ての脚力を使った突進には迫力があった。当たればひとたまりもない。逆に言えばこれを捌ければ大きな隙が生まれ、絶好の攻撃の機会を得られる。
再び、僕は賭けをした。グロベアの体格、力の向き、意識の先、全てを観て一つの流れを感じ取る。盾を構えて力の流れを捉え、背後へと受け流す。左腕には衝撃がほとんどない。今までで一番の技を出せたのだ。
あとは体が勝手に動いた。すぐにグロベアに振り向いて背中に跳びかかると、渾身の力で剣を突き刺した。筋肉のせいか深く刺さらなかったので、一度抜いてから同じ場所をもう一度突き刺す。グロベアが暴れて僕を振り落とそうとしたが、背中に突き刺した剣は離さなかった。
グロベアが何度も暴れたことで、背中の傷口が広がっていくのが分かった。グロベアは背中から地面に倒れて僕を圧し潰そうとする。すぐに察して剣を抜いて回避した。そして倒れている隙を狙い、グロベアの顔に剣を振り下ろした。止めになるかと思ったが、グロベアが剣に噛みついて攻撃を止めていた。
流石と言わんばかりの粘り強さだ。ロードが用意しただけのことはある。だがここまで追い詰めたんだ。こっから先は気力の勝負だ。
「うおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
『グォオオオオオオオオオオオオオオオ!!』
僕とグロベアの声が響き渡る。最後の勝負ということをグロベアも理解していた。ここで決めきらなければもう勝てない。ここを押し切れば勝てる。残った力をすべて出し切るんだ!
「負けない、負けてたまるかぁあああああああああああ!」
全ての力を込めて剣を押す。少しずつ剣が下へ下へと沈んでいく。押し切れると確信した瞬間、視界の端でグロベアの左前脚が動いたのが見えた。
グロベアの左前脚が目の前に迫る。避けなきゃやばい。だが避けたらもう勝てない。だから僕はその場に止まって攻撃を受け止めた。
脳が揺れるほどの衝撃だった。けどかすかに残る意識が剣を手放さなず、倒れるくらいの勢いで剣を振り下ろす。
そしてフッと、剣が地面にまで到達した。
勢いのまま前に倒れ、グロベアの顔に覆い被る。反撃が来るかと思ったが、グロベアが動く様子はない。起き上がって地面に膝を着いた状態でグロベアを見ると、グロベアの顔が両断されている光景が視界に映った。誰がどう見ても、グロベアが絶命していると分かる状況だった。
何が起こったのか、鈍くなった頭をフル回転させてやっと理解した。
「ヴィック選手、三十一体目のモンスターを討伐成功! もうこれ以上のモンスターはいません! つまり今度の今度こそ、正真正銘のデッドライン制覇……そして最高記録の更新だぁあああああああああ!」
爆発的なほどの歓声が闘技場に響いた。先程までブーイングをしていた連中すらも声を上げている。これほどの歓声を受けたのは生まれて初めてだった。
歓声に応えようとしたが、僕には声を上げる体力すら残ってなかった。それどころか体を支える力すらなく、僕はその場に倒れてしまった。
仰向けに倒れた僕の視界に入ったのは、雲一つすらないほどの晴天だった。
「気持ち良い、な……」
ただ一言、僕はそう呟いていた。




