15.過去の自分へ
「天才の相方に相応しいのは天才だけだ」
ロードがそう言ったのは、エリーが『英雄の道』に入る前の事だった。
当時のエリーは、とある地方の一介の冒険者に過ぎなかった。冒険者になってから半年程度で中級冒険者になり、一年以内に中級ダンジョンを踏破し、数々の難しい依頼を達成し、期待の新人と呼ばれていた程度の冒険者だった。
こういう言い方をすると嫌味のように聞こえるが、今となっては本当にこの程度として言えない話だった。何故なら間もなくして、エリーよりも優秀な冒険者が現れたからだ。
それがエギル・レイサーだった。
どこからともなく現れた少年は、あっという間に当時の冒険者ギルドの記録を更新した。中級冒険者への昇級、ダンジョンの踏破期間、依頼達成数等々、全ての記録がエギルの名前へと塗り替えられてしまった。その話題は街中に広まり、街ではエギルの名を知らない者は居なくなった。
だが同時に、彼の悪名も広がっていった。
エギルの素行は今よりも酷かった。街中での喧嘩は当たり前、気に食わない相手が居れば道のど真ん中でも暴力を振るい、止めに入った衛兵も殴り倒すほどに凶悪だった。年長や上級の冒険者達がエギルに素行を改めるように何度も言ったが、エギルは聞く耳を持たず、それどころか暴力で追い返すこともあった。エギルは対人戦も強かったため、街には敵う者はおらず、終いには誰もエギルに文句を言う者は居なくなった。
たった一人、エリーを除いては。
女にも暴力を振るうエギルだが、エリーの言葉だけには耳を傾けていた。切っ掛けは一緒にチームを組んで依頼を受けて、エギルが討ち漏らしたモンスターをエリーが仕留めたことだった。そのことをエギルは評価したようで、人手が必要な依頼を受けたときはエリーを誘うようになっていた。何度もそんなことがあると親しみを抱いたのか、エリーの話は聞くようになっていた。
基本的にはソロで、たまには一緒に冒険に出かける関係が一年くらい続いた頃だった。
「お前、俺様の相方になれよ」
ある日、エギルがエリーにそう申し出た。一匹狼を好むエギルの予想外の勧誘だった。この頃のエギルはエリーが何度も注意した成果があったのか、初期に比べたら横暴な振る舞いは減って、少なくとも自発的に暴力を振るうことは無くなっていた。言動こそ攻撃的であるが、素直に教えを請えば素直に答えるほどに性格が丸くなっていた。
だからエリーはさほど悩まずに承諾していた。エギルとの才能の差に嫉妬を抱くことはあったものの、この頃には既に諦めており、むしろエギルに認められたことが誇らしく思っていた。
エギルという天才についていけるのは私だけ。この時のエリーは快感のような自信を得ていた。
エリーはエギルについていくために、日々努力を続けた。日々の鍛錬はもちろん、モンスターやダンジョンの研究も欠かさず続け、エギルにとって代えがたい存在になろうとした。金魚の糞と呼ばれないためにも、その実力を見せ続けた。そして一年も経たないうちに、エリーとエギルのチームは、街だけじゃなく、エルガルドにも名が届くほどに有名になっていた。
だがそれが、チームの解散に繋がるとは思いもしなかった。
ロードと会ったのは、『英雄の道』に入団する一か月前だった。ロードはエリーとエギルの噂を聞いて街に来ており、一緒に冒険したいと申し出て来た。難しい依頼だったが、報酬も高額だったため快く受託した。エギルと二人ならばどんな依頼だってこなせられる。その自信がエリーにはあった。
それがチームを解散する切っ掛けとなった。
三人が出向いたのは、難易度詐欺ダンジョンと呼ばれるバーグラ中級ダンジョンであった。厄介なモンスターが多く生息しているということで有名なダンジョンであり、その生態を調査するための依頼だった。初めて訪れるダンジョンだったが、事前に聞き込みや文献で下調べをしており、エギルも一緒だったので不安は無かった。
しかしダンジョンにいたモンスターは、事前の情報には無かったモンスターが多数存在しており、エリーは身を守るのに精一杯で調査する余裕が無かった。優秀と言われていたエリーだが、天才のエギルと熟練のロードに比べたら、自身が圧倒的に劣っていることにエリーは気が付いた。
エリーはエギル達についていけずに足を引っ張り続けた。エリーは必死についていこうとしたが、無理を押してしまったせいで体が持たなかった。そんなエリーの様子を見てエギルは調査を切り上げることを提案した。だがロードが期日が迫っていることを伝えると、エリーを除いて二人で進めることに決めた。エリーは近くの町で待機することになった。
待機している間、エリーは不安でたまらなかった。無事に帰ってこれるのか、ちゃんと調査はできるのか。バーグラダンジョンの難しさを実際に感じたエリーは、二人だけでは依頼の達成が困難であることを感じていた。だから少し休んだ後、他の冒険者と一緒にバーグラダンジョンに向かい、二人を助けようと考えた。そのためにギルドで同行してくれる冒険者を探している間に二人が帰ってきてエギルが言った。
「調査終わったぞ」
その言葉を聞いたとき、安心したと同時にショックを受けた。エリーは自分が足を引っ張っていたことを自覚していた。それでも何かやれることはあるんじゃないかと思い、二人を助けようとした。だがそれは無駄なことだったと思い知ってしまった。自分はエギルの相方に相応しいのか、そんな風に考えてしまった。
その後、ロードはエギルの腕を見込んで『英雄の道』に勧誘した。エギルが「エリーと一緒なら良いぜ」と答えると、ロードはエリーと一緒に入団させることを許可をした。『英雄の道』の名はエリーの耳に届くほど有名なクランであり、『英雄の道』に入ることが目標の冒険者がいるほどだ。エギルのおこぼれとはいえ、入団出来る機会を逃すつもりは無かった。
しかし同時に怖かった。『英雄の道』の団員は皆優秀だと聞いている。エリーよりも強くて知識があり、経験豊富な冒険者が多く在籍しているだろう。今までエリーがエギルの相方としていられたのは、エギルについていける冒険者が彼の周りにはエリーしかいなかったからだ。だが入団して他の団員達と比べられたら、エリーは見捨てられるんじゃないかという不安があった。
そんな不安を抱きつつ、入団の手続きをしているときにロードに先の言葉を言われた。
抱えていた不安を見抜かれたことに動揺した。更にはこのままだといずれ取り返しのつかない失敗をして、エギルを危険な目に遭わせることになるとも言われた。一度エギルから離れて、鍛えなおした方が良いとも。
それはエリーにとって都合の良い逃げ道だった。『英雄の道』の団長からの助言は説得力があり、プレッシャーから解放されるという魅力に抗えなかった。
エリーはロードの提案を受け入れ、エギルにその旨を話した。エギルは何か言うのかと思ったが「そうか、分かった」と珍しく素直に受け入れた。
だがそのときのエギルの寂しそうな表情が、今でも脳裏に残っていた。
もしかしたらエギルは、一緒に冒険をしたかったのかもしれない。足を引っ張られることを承知でも、エリーとチームを組みたかったのか。エリーは今でもそんなことを考えていた。
エリーはあれ以降エギルとチームを組まず、今では冒険者稼業を控えて秘書として働いている。それが一番自分の能力を発揮できる場所だと知ってしまったからだ。その結果、もはやエギルとの差は果てしなく広がっていた。
以前のようにエギルとチームを組むことはもう無いだろう。だがそのお陰でエギルの足手纏いになることは無くなった。自分の判断が正しかったと信じられる。そう思っていた。
ヴィックがデッドラインに挑戦するということが無ければ、だ。
エリーにとって、ヴィックは諦めなかったエリーだ。あの時エリーがエギルとのチームを解散しなければ、あそこにいるのは自分だったかもしれない。
だからこそ、エリーは最後まで見届けたかった。自分の判断が本当に正しかったのか、それを確かめたかった。
けれどヴィックが二十五体目のモンスターを討伐した時点で、エリーは既に悟っていた。
「やはり、間違っていたのかもしれないですね」
ヴィックが懸命に戦う姿を見て、エリーは独り言を言った。
またエギルと冒険したい。そう思ってしまった。
冒険者として生きるしか道は無かった。
何もない小さな村で、オリバーは生まれ育った。閉鎖的で面白いものが何もないつまらない村だった。そんな村から出るには冒険者になるしかなかった。何も持たない子供が出来る仕事なんて、何もなかったからだ。
だが幸いにも、オリバーは運が良かった。マドラスの冒険者ギルドは良い人が多く、冒険者としての稼ぎ方を色んな人が教えてくれた。体つきが良かったこともあり、オリバーはそれなりに稼げる冒険者になることができた。成長したオリバーは世話になった街に恩を返すために、先輩方と同じように新人を教え導ける冒険者になってマドラスに居続けようと思った。
その考えを翻したのは、シグラバミというモンスターとロードの影響があった。
シグラバミによって多くの住処が崩壊した。その一つにオリバーが生まれ育ったリグル村があった。その際に多くの村人が死に、オリバーの両親も死んだ。
家族のことはあまり好きではなった。村のことも嫌いだった。だが両親にもう会えないことと故郷が無くなったという事実を知ると無性に寂しくなった。自身にも故郷愛があったのか、それとも戻る場所が無くなったからか。どちらが原因かは分からなかった。
ロードと『英雄の道』の存在を知ったのはその時だった。彼は生き残った被害者達に見舞金を配り、壊滅した村の復興のために活動していた。その折にオリバーはロードと会話したことがあった。
「両方が理由だろう。戻る場所が無くなったことや、自分が住んでいた場所が忘れられることも。自分しか覚えていないということは寂しいものだ」
ロードに言われてハッとした。今となってはリグル村の存在と両親のことを覚えている者はオリバーしかいない。オリバーが死ねば、彼らの存在が本当に消えてしまうことになる。その未来にオリバーは絶望していた。自分を作ってくれた一部が消えてしまうことを。
この時オリバーは成り上がることを決意した。そのためにエルガルドに行って名を上げることが必要だった。『英雄の道』に入り、上級冒険者になれば、誰しもがオリバーにひと目置くことになる。そうなればオリバーの故郷や家族のことを知りたがる者が増え、彼らの中に皆の存在が残り続けるだろうと考えた。
オリバーは強い決意を秘めてエルガルドに乗り込んだ。マドラスでは腕が立つ方だったオリバーだが、エルガルドには腕利きが多かったためたいした特徴のない冒険者に成り下がっていた。多くの依頼を受けたり、様々なダンジョンに挑戦をし、色んな冒険者と組んで知名度を上げる努力をした。だが『英雄の道』に誘われることは無く、最後のチャンスと思って挑んだ遠征でもたいした戦果は挙げられず、ロードには入団を断られた。
来年には冒険者寮を出ていかなければいけない。寮以外でオリバーが家賃を払える場所は外地にしかなく、外地に行った者で内地に戻れた者はオリバーが知る限り一人もいない。つまり外地に行けばオリバーの目的は達成できなくなるということだった。
そんな絶望的な状況に手を差し伸べてくれたのがロードだった。
「私の言う通りに動いてくれれば入団を許可しよう」
オリバーには従う以外の選択肢は無かった。弱者が生き残るには、強者のおこぼれを頂くしか道は無い。エルガルドに来て数年、オリバーが得た考えがそれだった。
だからこそ、ヴィックの存在が鬱陶しかった。
「さぁさぁ、もうじき締め切りだよ! 三十体目、ヴィックが勝つか負けるか! はったはった!」
闘技場には賭け屋がある。今賭け屋が取り扱ってるのは、一体毎に倒せるか否かの賭けだ。序盤は負けの方に賭けるものが多く、ヴィックが勝つ度にそこら中から悲鳴が聞こえた。今では勝ちを選ぶ者が多くなってきているが、それでも負けを選ぶ者が多い。二十九体を倒し、エギルとウィストの記録まであと一体のところまでたどり着いたものの、傍から見てもヴィックは疲労困憊であり、ここが限界だと思う者が多かったからだ。
オリバーも同じ考えだった。これが凡人の限界だ。凡人の割にはよくやったよ。だが三十体目は絶対に勝てない、と。
足が賭け屋の方に向かっていた。オリバーは賭け屋の前に着くと、財布を開けてヴィックの負けに賭けようとした。そのとき財布の中に賭けられるお金がなく、今までヴィックの負けに賭けていたことを思い出した。
次は間違いなく負ける。そう思っていたオリバーはどこかに金が残ってないかと懐を漁った。そのとき、一つだけ硬貨が残っていたことを思い出した。それは冒険者になって初めて得た報酬金の硬貨だった。
冒険者になったときの子供の記憶が脳裏に甦る。初めて依頼を達成したとき、初めてダンジョンを踏破したとき、初めてチームを組んで冒険に出たとき、初めてモンスターを倒したとき。
オリバーは宝物の硬貨を握りしめ、賭け屋の前に差し出した。
「これで賭ける。当たったらこの硬貨も一緒に返してくれ」
賭け屋は汚れた硬貨を見て嫌そうな顔をしたが、「どっちにだ?」とすぐに聞き返してきた。
オリバーは一つ息を吸って言った。
「ヴィックの勝ちに、だ」




