13.もう二度と
闘技場に現れた二体目のモンスターを討伐するヴィックを見て、ミラは内心ほくそ笑んでいた。
昨夜ヴィックは辞退することを告げて来たが、ミラは明け方その意志を再確認するためにヴィックに会いに行った。その際、ヴィックの口からやはり出場することを告げられた。
「ごめん。やっぱり出ることにした。迷惑を掛けちゃうかもしれないけど……」
隣にはソランの相棒だったリュカが居た。どんな話をしたか知らないが、彼女のお陰で出ることに決めたのだとミラは判断した。
「気にしないでいいわ。そんなの百も承知だったからね」
そこからミラ達はすぐに準備を始めた。仲間に協力してもらって準備運動をさせ、デッドラインに持ち込める道具を用意し、ソランの盾に杭撃砲を装着させ、出場するモンスターの知識を詰め込ませた。
準備の時間が予想以上にかかり、開始時刻に間に合わなければエギルが出場する可能性があったため、エギルに事情を話して出ないように掛け合った。エギルは元々ヴィックに出て欲しかったため、こちらの要求はすんなりと通った。
そして開始時刻から大幅に遅れてヴィックは闘技場に入り、デッドラインが始まった。最後の問題はプレッシャーに圧し潰されて思い通りに動けなくなることだったが、一体目のモンスターを鮮やかに討伐する光景を見て胸を撫でおろした。
いける、とミラは確信した。準備は万全、体調も良し、後はこのまま突き進むだけ。
ヴィックがその突き進んだ先に到達する姿を、一番見たかったのがミラだった。
「ここまでお膳立てしたんだから、頼むわよ……」
ヴィックは周囲からの理不尽を受け続けた。幾度も侮辱や妨害をされ続けて、それは心が挫けるほどとなった。
そしてウィストも、精神的負担を受け続けている。英雄としての振る舞いを強いられ、束縛され続ける環境が彼女にストレスを与えており、彼女の人格が変貌しようとしていた。
それはまるで、実の妹の姿と同じ状態だった。
領主の子供として、妹は周囲からの要求に応えようとした。だけど能力が追い付かず、叱責され続けていた。そして終いには心を壊してしまった。
妹の精神は、いつも張り詰めた糸のような状態だった。いつ切れてもおかしくなく、ある日プツンと切れてしまった。今でもその切っ掛けは分からない。親に何か言われたのか、周囲から何かされたのか、はたまたミラが知らず知らずのうちに何かしてしまったのか。
その時の状態は見ていられなかった。眼に生気は無く、話しかけても何も反応しない、かと思えば突然喚きだしたりしていた。幸いにも専属の医者のお陰でミラが旅立つ前には大分回復していたが、いつあの時の状態に戻るのではないかという危惧はあった。
今のウィストはあの時の妹の状態に似ていた。つい先日、ミラはウィストと会っていた。たまたま遭遇して時間があったため、一緒に食事をしていた。
あの時のウィストは一見平然としていたが、今までの彼女からは見たことのなかった疲労感のある表情や瞳、そして今にも崩れそうなガラスのような脆さをミラは感じ取っていた。その姿に、ミラは妹の姿を重ねていた。友達であり、妹のような存在であるウィストから。
もう二度と、あんな目に遭う人を増やしたくない。そのためにミラはヴィックに協力した。ミラ以上にウィストのことを思っていたヴィックなら、それができると思った。
最後まで勝ち残った姿をウィストが見たら、きっと彼女は心が動かされるはずだ。
「だからちゃんと連れてきなさいよ、カイト」
『英雄の道』の施設には、来客を出迎えるための客室がある。普段はその名の通り来客のために使われているようだが、今は一人の団員が使っていた。それを知ったのは部外者が来ているとも知らずに、呑気に待合室で世間話をしている冒険者達の会話からだった。
カイトは一旦外に出た後、建物の裏に回り壁を上る。そして窓から二階に潜入すると、足音を消しながら客室を探す。目当ての客室はすぐに見つかった。他の扉の前には誰も居ないのに、一つだけ見張りをつけている部屋があったからだ。カイトはその場所を覚えると一旦窓から外に出て、客室の窓の方に建物の出っ張りを利用して移動する。客室の窓を開けて中に入ると、ウィストが驚いた表情でカイトを見ていた。
「なんだ、カイトか……」
誰だって突然窓から人が入ってきたら驚くのは当然である。ウィストが落ち着いたのを見てから、カイトは話しかけた。
「今ヴィックがデッドラインに挑戦している。それを見に行ってほしい」
途端にウィストの表情が強張る。ここに居る時点で予想していた反応だった。カイトは構わず話し続ける。
「ヴィックはデッドラインで最後まで戦い続けるつもりだ。凡人でも君と同じことが出来るということを証明するためにだ。君にもその姿を見てほしい」
ウィストは硬い表情のまま下を向き、短く答えた。「嫌だ」と。
「行かない。行きたくない。私はここに居る。だから帰って」
強い口調でウィストは言った。その態度は意固地になっている子供のようだった。
「ヴィックは君の元相棒だ。その雄姿を見届けたいとは思わないのか」
「思わない。もうヴィックと私は関係ない。関わるつもりはないの。だから早く出てって」
想像していたよりも頑固な態度だった。ウィストがここまで一人の人間に対して拒むことは、カイトが知るかぎりでは初めての事である。
だがその姿にカイトは既視感を抱いていた。
「君はもうヴィックとの関係が切れたと思っているのかい?」
ウィストは何も答えないのでカイトは話を続けた。
「俺も同じことをした。少し前に仲間や家族のためにチームを抜け、彼らを守ろうとした」
「カイトが……?」
ウィストが疑惑の眼をカイトに向ける。少し前にミラと会っていたようだが、カイトがヤマビに戻った話は聞いていなかったようだ。
「あぁ。俺が冒険者を辞めることで多くの人の命が助かると聞いたからだ。迷いはあったが、家族の命には代えられない。なにより選ばないことで仲間に危害が及ぶ可能性があったからね。彼らとの関係を断ち、命を賭けて皆を救うつもりだった」
あのときのカイトは死ぬ気だった。奇跡すら願うことなく、皆のために自らの身を捧げるつもりだった。
しかしそれを許さない者がいた。
「だが関係というものは、片方が切ろうと思ってもなかなか切れないようだ。俺の兄弟や仲間、そして友人が俺を助けようとした。何の解決方法も無く、無茶も承知で死地に飛び込んできた。その結果、俺が命を賭けなければ助からなかったはずの命が救われ、俺も生き延びることができ、冒険者を続けることができるようになった」
まるで奇跡のような出来事だった。何百年も続いた呪いに終止符を打ち、多くの命を救うことが出来た。それ以外の言葉で言い表せないようなことだ。
「俺が守らなければならないと思った者は、俺が思っていたより強く逞しかった。彼らのことを知っているようで知らなかったんだ。幼い頃の友人のことでさえ分からなかったんだ。まだ出会って数年の相手の事は、尚更分からないんじゃないか?」
「ヴィックのことを言ってるの? 私はカイトよりもヴィックと一緒にいたんだから、ヴィックのことはよく知ってるつもりだよ」
「じゃあヴィックのお陰でヤマグイを倒せたということも知ってるのかな」
「ヴィックが……」
ウィストの表情に動揺が浮かぶ。ヤマグイが倒されたことは聞いていたらしいが、それがヴィックの功績だということは知らなかったようだ。
「自分の選択が間違ってるかもしれない。もしかしたらヴィックは自分が思っているよりも強いかもしれない。もしそう思ったのなら確かめなければならない。例え合ってても間違ってても、これは君にとって大事なことだからだ」
同じ過ちを犯したウィストを、カイトは放っておけなかった。ヴィックのためだけじゃなく、同じ立場の彼女を救いたかった。だからカイトはウィストを闘技場に連れてくるという役目を買って出た。
千切れたはずの絆を、再び繋げるために。
「迷いがあれば駆けられない。英雄になるにせよ、ならないにせよ、君はヴィックの勇姿を見届けるんだ。これからも前に進むためにも。だから―――」
カイトが言い切る前に、扉をノックする音が聞こえた。「ウィスト、どうかしたのか?」と見張りの冒険者が声をかけてくる。話し声が聞こえたのだろう。熱が入ってしまい声が大きくなって気づかれたのだ。
「そこに誰かいるのか?」
ドアノブが握られる音が聞こえた。見つかれば警戒されウィストを連れ出せない。隠れられる時間もない。素早く倒せばこの場は凌ぐことはできるが、見張りが居ないことに異常を感じ取った他の団員に気づかれる。だがそれでも、この場で騒ぎになるよりマシだ。
カイトは見張りを倒そうと扉に向かって駆けようとした。だがそれよりも前にウィストが扉の前に移動し、扉を抑えつけた。
「待って」
ウィストは大きな声で返答した。見張りが「どうした? 何かあったのか?」と訊ねた。
カイトは黙ったままウィストの答えを待った。
「今着替えてるから開けないで。開けたら覗かれたって言いふらすから」
「……話し声がしたと思ったんだが」
「ただの独り言だよ」
見張りはしばし黙り込み、「わかった」と返事をした。扉から少し離れた気配がしたと同時に、ウィストがほっと息を吐いた。
同じようにカイトは安堵の笑みを浮かべた。見張りに見つからなかったことじゃなく、ウィストの返答の糸を察したからだった。
「じゃあ行こうか、闘技場に」
ウィストは「うん」と頷いていた。
「行くよ。ヴィックのためじゃない、私のためにも」
意固地な態度を残したままウィストが言った。カイトは笑みを作ったまま「それでいいんだ」と返した。
「自分勝手なのが冒険者だからね」




