12.英雄の武器
闘技場内は騒然としていた。陽はほぼ真上まで昇っており、デッドラインの開始時間を既に過ぎている。だが未だにデッドラインは始まっていなかった。
「おい、まだ始まらないのか!」
「早くしろ! どれだけ待ってると思ってるんだ!」
「いい加減にしやがれ!」
観客席は全て埋まっており、先程までは観客達はデッドラインの開始を今か今かと待ちわびていた。だが一向に始まらないことに痺れを切らし、彼らの声が怒号へと変わり始めている。
闘技場内を揺るがすほどのブーイングが響き渡る。この状況を治めようと闘技場の職員は観客達に呼びかけるが聞く耳を持たない。
凡人であるヴィック・ライザーがデッドラインを制覇するか、はたまた無様に散っていくのか。そのどちらも見れないかもしれないという事態に、観客達の怒りのボルテージは高まっていた。
このままでは暴動が起き、開催側への不信感が募る。その危機感を抱いていたロードは、エリーへと声をかける。
「エギルはまだなのか」
ヴィックが来ないことを知っているロードは、本来の挑戦者であるエギルを代わりに参加させるために呼んでいた。
「闘技場に来ているということは聞いております。ただ控室には来ていないそうです」
「まったくあいつは……」
ロードはため息を吐いて椅子の背もたれに寄り掛かる。破天荒な奴だということは昔から知っていたが、この大事な局面でも思惑通りに動かないことに呆れていた。しかし闘技場に来てるということは出る意思はあるのだろう。そう考えてロードは待つことにした。
一番の目的は達した。この時間になってもヴィックが来ないということは辞退したのだろう。それが叶ったことが分かっていたため、ロードはエギルを無理に急かすことは無かった。
「落ち着いてますね」
その様子を見てエリーが言った。エリーは観察することが得意である。その能力は冒険者をしていた時にも発揮しており、続けていればチームの要になれるほどだ。
その力を買ってロードはエリーを秘書として雇っている。お陰で仕事が捗ることが何度もあった。ロードは「そうだな」と短く答えた。
「今回もまた『影』を使ったのですか」
エリーは『影』の存在を知る数少ない一人だ。近くには誰もおらず騒がしいため、二人の会話を聞く者はいない。とはいっても、この場でエリーが『影』を口にすることは意外だった。
「気になるのか。私が『影』を使ってまでヴィックの妨害をしたことが」
「そうですね」
またまたロードは内心驚いた。エリーが素直に答えることは珍しい。いつもはぐらかそうとしたり、ロードの機嫌を伺うような言葉を選んでいたからだ。
「今回の挑戦者は私が知る限りでは史上最弱です。彼より強い冒険者が挑戦したときは『影』を使わなかった。この違いが理解できませんでした」
「私が危険視したのは彼がデッドラインを制覇することではない。彼はウィストの元相棒だ。必死に戦う彼の姿を見て彼女の心が動かされ、私の下から離れようとする危険性がある。その芽を摘みたかっただけの話だ」
「それならばウィスト様を闘技場に来させなければ良いだけの話です。何らかの依頼を受けさせるなり、待機するよう指示するなりと」
「……今日はえらく粘るな。何か気になることでもあるのか?」
エリーは「はい」と短く、はっきりと言った。
「ロード様はヴィック様に対して、特別な感情を抱いているのではないですか?」
エリーは観察力が優れている。その矛先はロードにも向けられることがある。それがエリーを秘書に置くことによる数少ない弊害だった。
「どういう理由でその結論に至ったのかな。君の考えを聞きたいな」
「なぜヴィック様を成功率の低いデッドラインに参加させないよう妨害したのか。挑戦して失敗したときとの違いは、ほとんどありません。出なければ臆病者、失敗すれば身の程知らずという評価が下されます。どちらにせよ今後の活動に影響はありません。しかしこれはヴィック様を敵視している場合の話です」
ロードはエリーの話を黙って聞き続けた。
「逆の視点、つまりヴィック様の味方としての視点では大きな差があります。デッドラインに出て失敗すれば死亡、生存しても生活に支障が出るほどの大怪我を負うリスクがあります。しかし出場させなければ汚名を受けるものの五体満足に生活ができます。そして時が経てば誰もがヴィック様のことを忘れ、日常を取り戻すこともできます。ヴィック様の身を案ずれば、誰しもが後者を選ぶでしょう」
「つまり私は悪役を演じてヴィックを救ったと言いたいのか」
「はい」
エリーの声には自信が溢れていた。「筋が通る理屈だと思います」と継ぎ足して。
ロードは一つ溜息をついてエリーに言う。「ありえない」と。
「私は奴の両親を死に追いやり、奴の恋人に手をかけ、奴とウィストとの絆を切り裂いた。私は奴にとって最悪の敵と言えよう。そんな私が奴の味方だったと? ふっ、面白い設定を思いつくのだな」
鼻で笑い、エリーの答えを一蹴する。馬鹿にされたにもかかわらず、エリーは「そうでもありませんよ」と食い下がる。
「例えばそのうちの一つに嘘が混じっていれば、話は変わると思います」
ロードは思わず息を吸った。そしてエリーの方を向いて口を開きかけたそのとき、観客達の声が大きくなったのが聞こえた。ロードは視線をフィールドの方に戻すと、挑戦者側の扉が開いているのが見えた。
やっとエギルが来たのかと思い、扉の奥から出て来た人物の姿を見た。だが出て来たのはエギルではなく、辞退するはずのヴィックだった。
「なっ、なんで来たんだ!」
ロードは大きく眼を見開かせる。信じられない光景に思わず椅子から腰を上げていた。昨日言ったことを忘れたのか? それとも本気じゃないと思ったのか?
「皆様お待たせいたしました! それでは早速デッドラインを開始いたします!」
待ちわびていたせいか、観客達の声がより一層大きくなる。様々な思惑の混じった声がヴィックに降り注ぐ。だがその声は次第に小さくなっていった。
「おい、あれ見ろよ」
「あの剣、あの盾。見覚えがあるぞ……」
「ソランのだ。あいつ、ソランの武器を使ってるぞ!」
ソランの武具は青色に染色されており、所々に金色の模様が入っている。彼に憧れて同じ装備を作ろうとした者は多かったが、英雄という存在を神格化するために同じものを作ることをロードが禁止させていた。故に、ソランと同じ武具はこのエルガルドにはもうない。今となってはソランの元相棒のリュカに渡された、ソランが使っていた物しかない。
つまりヴィックが持っているのは、ソランが使っていた武具であるということは誰しもがすぐに察した。
「てめぇがなんでソランの武器を持ってんだ! 英雄にでもなったつもりか!」
「ウィストの相棒だったからって調子に乗んな!」
「お前みたいな雑魚が英雄になれると思ったのか!」
今日一番のブーイングが闘技場中に響き渡る。英雄視と呼ばれた者の武器を、英雄とはかけ離れた者が使おうとしている。それは英雄を求めていた者達からすれば侮辱行為として見られていた。
それはお前が使って良い物ではない。凡人が英雄になろうとするな。お前みたいな普通の冒険者が、その領域に踏み入れるな。彼らの思惑はそんなところだろう。ロードが思っていた以上に、世間には英雄の存在が浸透していた。
ブーイングが響く中、モンスター搬入用の大きな扉が開く。現れたのは下級モンスターのワーラット。下級にしては知能の高い人型のモンスターだ。
「それではデッドライン……開始!」
実況者の合図と同時にヴィックが走り出す。ワーラットはそれを迎え撃とうと棍棒を振り下ろすが、ヴィックはそれを鮮やかに受け流し、その胴体に剣を突き刺す。
『ヂャァ……』
ワーラットが呻き声を出した直後、ヴィックは剣を引き抜いて首を切り裂く。ワーラットはそれ以上の声を出せずにその場に倒れ伏した。
開始の合図から十秒にも満たない時間だった。下級のモンスターが空いてとはいえ、その手際の良さに観客達は驚き、声も出せずに闘技場内は静まり返った。
その静寂を切り裂いたのは、一人の男の声だった。
「どうだてめぇら! よく見ておけ!」
それはヴィックの友人のベルクの声だった。
「これがお前達が笑ったヴィックの力だ! 眼を見開いて記憶に焼き付けやがれ! あいつがデッドラインを制覇する姿をな!」




