16.既知の相手
会議室の空気は二つに分かれていた。
一つはナイルさんを迎えようとするもの。ギルド職員とノーレインさんとネグラッドさんだ。彼らはナイルさんのことを知らないため、何の疑問も持たずに受け入れようとしていた。
一方で、僕とアリスさんとラトナは、素直に喜べなかった。
僕は二度、アリスさんは一度、ラトナに至っては何回も出会っているため、彼がどんな性格なのか分かっている。故に、何か思惑があるのではないかと疑っていた。
ただ、そう考えていたのは僕達だけだと思っていた。
「どうしたんだね、ソラン君。そんなに険しい顔をして」
ソランさんは厳しい目つきでナイルさんを見ていた。
「いや。なーに企んでるんだって思ってな」
普段のソランさんは、親しい者か、すでに彼の性格を知っている者以外の前では猫を被っている。物語の英雄の様な、清く正しい好青年の姿だ。
しかしナイルさんを前にしても、ソランさんは本性を隠すことはなかった。
「心外だな。私は心から君達に手を貸したいと考えている。その想いに偽りはない」
「あんたが何の利益もないことに首を突っ込むわけがない。裏で何を考えてんのか気にすんのは普通だろ」
「ならばそれは隠すべきだ。疑いの目を向けられて喜ぶ者はいない。私でなければ不快感を抱き、この場を去っていただろう」
「この六年間、いろんなお偉いさんと会って来たんだ。怒る奴とそうでない奴の見分け方くらい心得てる」
「では私は後者に分けられてるのかな」
「あんたの場合はどっちでも変わんねぇよ。機嫌を伺うなんて死んでも御免だ」
不穏な空気が二人の間で流れている。顔見知りかと思ったが、その程度の関係性ではなさそうだ。
「ソラン。ナイル様に喧嘩を売るのは止めて下さい。わたくし達の援助をしてくれる人ですよ」
ヒランさんがソランさんを宥める。だがソランさんの顔つきは険しいままだ。
「俺は反対だ。こいつに貸しを作るのは鬼に金棒を渡すのと同じだ。付け込まれるぞ」
「無礼な発言は抑えてください。ナイル様との間に何があったか存じませんが、過去の因縁にとらわれないでください。今大事なのは、人々が安心できる行路の確保です」
ソランさんはムッとして口を閉じた。国民の生活を天秤に乗せられたら、流石のソランさんも我を通しづらいようだ。ヒランさんの正論に反論できなかった。
それでもソランさんは、納得できないと言いたげな顔を作る。
「俺は目先のことだけじゃねぇ。後々のことを考えて言ってる。感情論じゃねぇ」
「分かってます。しかしそれでも、今はこの事態を早急に解決するしかありません。何か問題があればわたくし達で考えて解決すればいいのです。今までだってそうしてきたはずです」
ヒランさんの真剣な眼差しに、ソランさんは諦めたかのように溜め息を吐いて椅子に座った。
「言っとくが、何か面倒なことを起こしたら承知しねぇぞ」
「私とて、《マイルスの英雄》とことを構えるつもりはない。信じられないというのなら、ここで明言をしてもかまわない。ナイル・スティッグは、今回の支援において何の見返りも求めないと」
「本当か?」
ソランさんが疑いの目を向け、ナイルさんは目を逸らさずに答える。
「勿論だ。強いてあげるならば、使える冒険者をできるだけ多く動員して迅速に解決することを望むだけだ」
「それが条件ってやつか?」
「ディルアンへの道を往く者達を早く安心させたいのだ。そのためには多くの冒険者達が必要となる。君達にとっても利がある条件だと思うのだが」
「……まぁな」
初めてソランさんがナイルさんの意見に同意した。アリスさんからの反論もなく、支援を受け入れる流れになっていた。
何の見返りもない支援。この事実のみを見れば、ナイルさんの行いはとても素晴らしくて有り難いものだ。冒険者ギルドは損をせず冒険者を集めることができ、問題解決に前進する。そして立ち往生をくらっている人々も、迅速な解決に冒険者ギルドや支援者のナイルさんに感謝するだろう。それに伴い、ギルドとナイルさんの支持が増え、今後の活動がしやすくなるはずだ。
ナイルさんの支持が増えることは構わない。嫌いな人だが、支援をしてくれるのだからそれくらいの役得を受けることに文句はない。ただやはり、どこか裏があるのじゃないかと疑ってしまう。
二度の顔合わせで僕が感じたナイルさんへの印象は、上から目線で他人を評価して、容赦のない厳しい人だった。だからナイルさんが、ギルドを支援なんて行為をする姿を想像できなかった。どちらかと言えば、「甘えるな怠け者」と言いそうなイメージだ。そんな人が支援してくれることが、失礼ながらもにわかには信じられなかった。僕以上にナイルさんを知っているラトナも、不安そうな顔をしていた。
しかし、僕とラトナが反対しても変わらないだろう。その根拠を証明するものはないし、あったとしても発言権が弱い僕等ではこの展開を止められない。それにもしかしたら、本当にただ支援をしたいだけかもしれないという可能性もあった。
会議は支援を受ける形で進んだ。冒険者への報酬金、部隊編成や配置等々、ドグラフ鎮圧戦の体制が整っていく。僕はその話を聞き、時に意見を求められたら答えることで会議に参加していた。
「では次に、参加してもらう冒険者を決めましょう」
「こっちで決めるの?」
「いえ。わたくし達が決めるのは候補者です。条件に合った冒険者を選び、彼らに依頼の詳細を伝えたうえで決めてもらいます」
「あくまでも、最終的な決定権は冒険者にあるからな」
「そういうことです。候補者の一覧はこちらです」
ヒランさんが資料を皆に渡す。手元に来た資料には冒険者の名前が載ってある。
その中には、ベルク、カイトさん、ミラさんの名前があった。
「候補者は中級以上の冒険者を対象としています。ドグラフの強さと人数の関係上、これが最適と考えます」
「あ、あの」
思わず立ち上がって声を出していた。皆の視線が集まってきて、少し緊張してしまう。
「えっと……この中にはドグラフと戦ったことない人が居るんですけど……その、大丈夫なんですか?」
「実力は問題ない方達です。どこか不安な要素でもありますか?」
「会議の前に、一般の冒険者は集めないって言ってましたけど……」
「はい。ただあの時点では支援が無い状況でしたので、それが解決した以上、彼らを頼らない理由はありません。ドグラフに慣れていない者も多いですが、彼らの部隊には戦闘や指揮に長けた者を入れますので、危険度は下げられます」
「……そうですか」
僕は椅子に座って納得した風を装った。
戦術、戦略において、ヒランさんの考えは問題ないと思う。戦闘において絶対は無い。必ず安全だと思ったことがそうじゃないことは幾度とあった。ドグラフとの戦闘に不慣れた者でも、安全性が比較的高い戦術であろう。
そうと分かっているのに、背筋に不安が上る。何か見落としてないか、何か忘れていないのか。そんな不安が消えなかった。
「しかし、随分と詰めた会議をするのだな」
皆が真剣に話し合う中、それまで黙っていたナイルさんが言った。
「ドグラフというのはたかが中級モンスターのはずだ。下級ならともかく、中級や上級、さらには特急冒険者が揃っているのならば、そこまで緻密な戦略を立てる必要があるのかな」
その発言は、随分と呑気なものだった。今までの凄味が冗談だったかのような間の抜けた言葉だ。
案の定、アリスさんが呆れた風に溜め息を吐く。
「たしかにドグラフは、単体ではそこまで脅威じゃねぇ。だが集団になればこいつらより脅威のあるモンスターは、同級のモンスターの中ではそうそういねぇ」
「だがそれでも中級だ。君なら勝てるんじゃないのか」
「そりゃオレはな。だが奴にやられる上級冒険者もいる。そいつらの住処になっているレーゲンダンジョンは、奴らを恐れて入る者がほとんどいねぇほどだ。そんな奴らが大規模な集団で出てきてんだ。準備に準備を重ねても損はない」
「ほう。それほどの相手か」
「そういうことだ。知らねぇなら黙ってな」
遠慮のない発言にネルックさんの眼光が鋭くなるが、アリスさんは素知らぬ顔をする。
「なるほどねぇ。しかし、そうなると君達はさぞ凄い冒険者なのだろうね。ヴィック君、それとラトナ」
不意打ちの様な発言に、僕とラトナはぎょっとした。
「中級冒険者どころか上級冒険者すらも恐れるモンスター、ドグラフ。今朝の君達はミス・ガミアを含めたたった三人で奴らのいる地へと向かい、追い払った。しかも噂に聞けば、レーゲンダンジョンで毎日奴らと戦っているのだろう? しかも大きな怪我もなく生還している。素晴らしい実力じゃないか」
「え、えっと……はい」
「ありがとう、ございます?」
突然のお褒めの言葉に理解が追い付かず、とりあえずの返事しか言えなかった。この場でいきなり褒めるなんて、何を考えているんだ?
「しかも君達は、冒険者になって一年程度だと聞く。下級から中級に上がるのは、マイルスだと二年掛かるらしいじゃないか。その期間の半分で昇級し、さらにドグラフを倒すほどの実力を得ている。私は君達の実力を見誤っていたようだ」
相も変わらず、賛美の言葉が続く。慣れないことに体がむず痒くなった。
「そ、それほどじゃないですよー。友達とか、師匠とかのお陰ですからー」
「いや、なかなかのものだよ。おそらく君は、私が想像もできないほどの努力をしてきたのだろう。今までの無礼な発言を謝罪しよう」
「いいですってー。そんなこと気にしてませんからー」
ラトナの表情が徐々に柔らかくなっていく。もしかしてこのことを言いたくて支援をし、ここに来たのだろうか。だとしたら、ナイルさんへの評価を改めないといけない。
そう思っていると「しかし」とナイルさんが表情を暗くする。
「だとしたら気になることがある。同じ条件のはずの娘とその仲間はなぜこの場にいないのか、とね」
体の中に宿っていたものが音を出す。
「娘の親友とその友人は実績を積んで、この会議に出席できている。しかし冒険者として過ごした期間が同じはずの娘達は会議に同席するどころか、本来ならば本作戦に参加することすらできなかった立場だ。この差はいったい何なのだろうか」
「……ナイルさん? 何の話を―――」
「私はそれを意志と才能の差だと感じている。君達の方が強く意志を持ち、努力をし続けたからこそこの差が生まれたのだと。一流になる者にはそれが備わっており、無い者は二流どころか三流で終わる。そして後者が費やした時間は無駄になる」
ナイルさんは饒舌に語る。その目はラトナに向いている。
嫌な予感が頭をよぎる。
「このままだと、娘が冒険者として過ごした時間は徒労に終わる。ならばいっそのこと辞めさせて、家業を継がせた方が良いと考えているんだが、どう思うかな?」
「だ、だめ! ミラらんは辞めない! 辞めさせちゃダメ!」
「実力もないのにか?」
「ある! ミラらんは……ベルっちもカイっちも強いんだから! 一流の冒険者になるために頑張ってるもん!」
「たいした実績もないのに私が信じるとでも? 私のことを覚えているのなら、そんなことを言う前にやることがあるはずではないのかな」
ラトナが立ち上がり、ナイルさんを強く睨む。
次に出てくる言葉が、嫌でも分かってしまった。
「だったら見せてやる! この作戦で、あたし達が活躍してやるんだから!」




