4.敵の存在
デッドラインへの挑戦を宣言して三日が経った。冒険者ギルドでベルク達を待っている間、周囲の冒険者達が僕を見ていることに気づいた。僕がデッドラインに挑戦することはすでに知れ渡っているようだった。
「なぁあんた、ほんとにデッドラインに出るのかい?」
僕を遠巻きに見ていた人の一人が話しかけてきた。話したことのない若い男の冒険者だ。
「うん。出るよ」
その青年は「ふぅん」と観察するような眼を向けてきた。そして少し間をおいて「なんで挑戦するんだ?」と訊ねてくる。
「出来ると思ったから出るんだよ」
青年の眼が少し大きく見開かれる。青年だけじゃなく、近くで聞き耳を立てていた人達にも聞こえたのか、何人かが反応して僕の方に視線を向けた。デッドラインは今まででウィストとエギルの二人の天才しか制覇できていない。特別な力を持つ者でないと最後まで生き残れないというのが皆の認識だ。そこに才能のない僕が「出来る」と断言したら、誰でも驚くだろう。
青年は信じられないものを見るような眼をしながら「本気かよ」と呟く。
「僕はいつだって本気だよ。それとも君は手を抜いて冒険をしていたのかい?」
青年が短く息を吸い込む。思わぬ言葉に困惑したのか、青年は動くことはもちろん、次の言葉も口にしない。何か反応しないのかと思って待っていたら、「ヴィック」と僕を呼ぶベルクの声が聞こえた。
「待たせたな。カイトとラトナは外にいる。行くぞ」
「うん。じゃあ失礼するね」
待ち人が来たので、僕はそう言って青年の前から去った。青年は「あ、あぁ」とぎこちない反応を返していた。
朝方の冒険者ギルドは人が多い。多すぎて目的の場所まで進みにくいのだが、大きな体を持つベルクとの衝突を避けるために周囲が勝手に道を空けている。その利点を利用して出口に進むベルクの後ろに、僕はついていく。
冒険者ギルドを出たすぐ近くに、ラトナとカイトさんが待っていた。ミラさんは別行動のため、ここ数日はこの四人でダンジョンに出向くことが多くなっている。今日も二人に軽く挨拶をしてからダンジョンに行こうとした。
「ヴィック、待って!」
その直前に、冒険者ギルドから出て来たフィネに呼び止められる。フィネの髪は乱れ、息を切らしている。フィネの小さな体では、あの人込みをかき分けて受付から出口まで来るだけでも一苦労だろう。
フィネは僕の前に来ると息を整え、両腕で抱きしめるように持っていた資料を僕の前に差し出した。
「これ、頼んでた資料。シオリさんから預かってたの」
一週間ほど前に、シオリには特定のモンスターの生息地を調べてもらうように依頼していた。その調査結果をフィネが代わりに持ってきてくれたようだ。
「ありがと。じゃあまた―――」
「あ、あと、帰ってきたら一緒にご飯食べない?」
フィネの魅力的なお誘いに言葉が詰まる。今日は夕方には戻る予定だった。時間には余裕がある。
僕は血が出るくらいの強さで拳をつくった。
「ごめん。今日は遅くまで帰ってこれないから」
「少しくらいなら大丈夫だよ」
「いや、そんなに待たせるのも悪いから……また別の日にしよう」
「……そっか。じゃあまた今度ね」
フィネが悲しそうな表情を見せた。その顔を見てると罪悪感で心臓が圧し潰されそうになった。僕は逃げるように「またね」と言ってその場を去った。
「本当に良いんだな」
僕の隣を歩くベルクが訊ねる。僕は一つ息を吸って「うん」と答えた。
いつもなら即座に誘いを受けていたと断言できる。だが今の状況ではフィネと一緒にいることはできなくなっていた。
「一緒に居たらフィネが危ない目に遭っちゃうから、仕方ないよ」
僕の周りには、予想以上に敵が増えていたからだ。
敵の存在を知ったのは二日前だった。計画のために借りた平屋の壁に落書きがされていたことがきっかけだった。
「調子に乗るな」「目障りだ」「エルガルドから出ていけ」
壁には僕を中傷するような内容が多く書かれていた。幸いにも消しやすい塗料で書かれていたためすぐに消せたが、その衝撃は大きかった。
それは嫌がらせを受けたことではなく、これほどまでに早く、目立つような行動をしてきたということにだ。
ウィストを英雄視する者達からすれば、僕がやろうとしていることは都合が悪い。僕がデッドラインを制覇すれば、ウィストの格が下がると考えているのだろう。だから嫌がらせをされること自体は予想していた。家を借りたのも計画が外部に漏れないためだけではなく、そういった妨害や嫌がらせから逃れるための避難場所という役割もあった。だからいずれこの家の存在がばれることや何らかの妨害の可能性は考慮していたが、まさか宣言をして二日で行動に移すとは思ってもなかった。
さらに同日、街を歩いているときに常に視線を感じていた。それは興味本位なものや蔑みのような類のものではなく、悪意や殺気が含まれていた。一緒にいたカイトさんも感じていたらしく、しきりに周囲に目を配らせていた。
そして決定的だったのは、寮の僕の部屋が荒らされていたことだった。ベッドが壊され、置いてあった荷物はぶちまけられており、部屋は歩く場所がないほどにゴミや破損物が散らばっていた。
気のせいや些細な嫌がらせでは済まない、明確な悪意を感じ取った。しかも同室のハルトやオリバーさん、ユウも被害を受けていた。敵は僕を攻撃するためならば、他の人も巻き込むことを厭わないように思えた。
このことはすぐに皆に共有した。そして話し合った結果、なるべく誰かと一緒に行動するようにすることと、計画に関係のない人とはできるだけ関わらないようにすることに決まった。その対象にフィネも入っていた。
フィネと付き合っていることを知っているのは、同室者とベルク達くらいだ。だが一緒に居れば、勘の良い者ならば気づくかもしれない。だから計画が終わるまではフィネと関わらないようにと決めた。
フィネには無事でいてほしい。そのためならば会えなくなるのも我慢しよう。僕が我慢すれば解決する話なのだから。
「あと十日の辛抱だ」
励ますようにカイトさんが言う。デッドラインの日まであと十日。デッドラインを制覇すれば風向きは変わり、敵も手出ししにくくなるかもしれない。それを期待して、今は目の前のことに集中しよう。
目の前の事、それはデッドラインに出てくるモンスターの対策だ。そのために必要なのが、今さっきフィネにもらった資料だった。この資料には過去のデッドラインで何度も登場したモンスターの生態が記載されていた。
歩きながら資料をざっと見てみると、ほとんどのモンスターがエルガルド周辺に生息している。対策は難しくなさそうだ。
あとはその対策にとれる時間が持てるかどうか……。
「みんなは良いの? 僕に手を貸しても」
最初こそみんなは快く計画に賛同してくれた。だが相手が過激な行動を続けたら、皆にも影響を及ぼすだろう。下手したら活動に支障が出る事態に陥るかもしれない。
ベルク、ラトナ、カイトさんはほとんど間を置かずに答えた。
「良いに決まってんだろ」
「手ぇ貸すに決まってんじゃん」
「当然だよ」
彼らの言葉が、僕の中にあった不安を消し飛ばす。止まりそうになった足を、再び前に強く踏み出した。
「ありがとう」
一人じゃない。仲間の存在が僕を奮い立たせていた。




