26.左腕
これが夢だと気づいた理由は二つある。一つは千切れた筈の左腕が残っていること。もう一つは見覚えのある非現実的な場所にいると気づいたからだ。僕は真っ暗な空間のなかにいて、目の前には縦に長い瞳孔の赤い大きな眼が二つあり、周囲から強い圧迫感を受けている。以前ドーラに血を吸われて気を失った時に見た夢と同じだった。
一つ違うのは、以前よりもはっきりとその生物の姿が見えることだった。
そいつの顔はヤマグイと同じくらいの大きさで、何でも呑み込んでしまいそうなほどの大きな口をしている。そして手足がない長く大きな胴が、僕の行き場を無くすように囲っている。とてつもなく長い大きな蛇、それはシグラバミと言われるモンスターの特徴と酷似していた。
話を聞いたことだけで見たことも無いモンスターが、なぜ僕の夢に出てきたのか。頭の中にそんな疑問を浮かばせていると、頭の中に低い声が聞こえてきた。
『素晴らしい』
そいつはまったく口を動かさない。頭の中に直接言葉が跳んで来た感触だった。
『今にも死にそうだったヒトの子供が、まさかこれほどまでに俺様のために働いてくれるとは思わなかった』
嬉々とした声が脳内に響く。そいつは心の底から喜んでいるようだった。
『適当な依り代が見つかるまでの繋としてしか考えてなかったが、貴様になら賭けてもいいかもしれんな』
何をだ、と聞こうとしたが、その前にそいつが僕に顔を近づけてきた。
『だが今のままではそれも難しい。どれ、今までの分も含めた褒美をやろう』
直後、左腕が突然熱くなる。ちょうどヤマグイに食い千切られた肘から先の部分だけが。
『貴様が十分働いたおかげで、俺様は貴様に干渉できるようになった。ここまで力を取り戻せた。つまりこれは貴様の努力の成果で、その報酬だ。遠慮せずに受け取れ。そしてこれからも力を尽くせ。期待してるぞ』
「期待って、なんのことだ?」
『邪龍体の討伐だ。俺様と貴様の目的は一致している。今までは何もできなかったが、これからは貴様に手を貸してやれる。俺様達は運命共同体だ』
そしてそいつはニヤッと笑う。
『夢に向かって努力することだ、ヴィック・ライザー。俺様は貴様を応援するぞ』
それは寒気がするほどの邪悪な笑みだった。
目を覚ましたときに視界に入ったのは、見慣れない造りの天井だった。視線を少し動かしてフローレイ王国とは異なった様式の部屋で寝かされていることを確認し、自分がヤマビに来ていることを思い出す。さらに時間をかけて記憶を辿って、キョウラクまで来てヤマグイと戦っていたことを思い出した。
ここはどこだろう? あれから何日経った? ヤマグイは倒せたのか?
色んな疑問が頭に浮かぶ。誰かに聞こうと思ったが、近くには誰もいない。探しに行こうと思って体を起こしたときに違和感を覚えた。
何かがおかしい。あるはずのものが無い……というより、無いはずのものがある。僕の記憶と現実に妙なずれがある、そんな違和感だった。
記憶を掘り起こしながら周りを見て違和感の正体を探す。だがそれらしきものは見つからないし思い浮かばない。この部屋には無いのかと思って立ち上がろうとしたときになって、あることを思い出した。
僕は自分の左腕を見る。僕はヤマグイに左腕の肘から先を食い千切られていた。あの痛みは覚えているし、眼でも確認している。
だが僕の左腕は、何事も無かったかのようにそこに存在していた。
「え?」
異常な事実に思わず声が出でていた。試しに左手を動かすと、以前と同じように動いている。右手で左手を触ってみると、触られている感触もある。この感覚が、夢や幻ではない現実であることを証明していた。
どういうことだ? 僕は確かにヤマグイに左腕を食い千切られた。なのにどうして元に戻ってる?
予想外の状況に頭が混乱していた。僕の身に何が起こったのか、今すぐにでも誰かに聞きたかった。僕は布団から出て立ち上がり、襖を開けて外に出た。廊下に出ると、ちょうど良くこちらに向かって来ている人物がいた。
「あら、起きたのですね」
カイトさんの妹のアヤメだった。彼女は優しく微笑んでいたが、僕はそんなことを気に留めずに詰め寄った。
「これはどういうことなんだ? 何で左腕が元に戻ってるんだ?」
アヤメに左腕を見せて問い詰める。アヤメは少し驚いていたように見えたが、「落ち着いてください」と僕を宥めようとする。
「お身体は大丈夫ですか? 頭痛や吐き気はありますか? 幻聴は聞こえますか?」
「左腕があることが異常なんだよ。どうなってるんだ? 何が起こったんだ?」
「落ち着いてください。そのことについてお話しします。それよりも、体に痛みはありますか? 仲間の皆様が心配してらっしゃいました。三日も寝たきりでしたので」
「三日?」
そんなに寝ていたのか? 衝撃の事実に唖然とした。同時に仲間のことも思い出した。
「そういえば皆は? カイトさんは? ラトナとドーラ、カレンとハルト、ギンは?」
「皆様ご無事です。ヤマグイは滅びました。もちろん、ナギリ兄様も無事です」
ヤマグイが消えた。仲間はみんな生きている。カイトさんも……。
心の底から安心した僕は、その場に座り込んだ。深く息を吐き、全身から力が抜けた。皆、無事でよかった……。
僕が落ち着いたのを見て、アヤメが優しい声で言う。
「体調が良ければ、少しお時間を頂きたいです」
「良いけど、何?」
「ヤマグイ討伐に協力してくださったお礼と、ヴィック様の身に起きたことをおばば様がお話ししたいそうです」
「……おばば様?」
アヤメは一息おいてから言った。
「ヤマビで最高の呪術師と呼ばれているお方です」
僕が案内された部屋は、僕が寝かされていた部屋よりも少しだけ広い客室だった。アヤメと一緒にそこで待っていると、間もなくして年老いた女性と付き人の女性が入って来る。おばば様というからには、年老いた女性の方が呪術師の方だろう。おばば様の髪は真っ白で、背筋をピンと伸ばしている。年寄りのような弱々しさはあまり感じなかった。
おばば様は僕を見るなり、目を細めて「なるほど」と呟いた。「なにが?」と聞く前に、おばば様とおつきの人は僕の前に座った。
「ヴィック様、お身体の調子はどうでしょうか?」
アヤメと同じ質問をしてきた。そんなに気にするなんて何かあるのかな、そう思いつつ「何ともありません」と答える。おばば様は「なるほど」と反応した。
「まずはヤマグイ討伐にご協力をしてくださったことにお礼を申し上げます。ヴィック様が居なければ、ヤマグイを討つことはできなかったでしょう」
おばば様は座ったまま頭を下げる。僕はおばば様の白い頭を見ながら質問した。
「……それって、僕の血が関係してるのですか?」
おばば様が顔を上げて答える。「ご察しでしたか。その通りです」と。
「ヤマグイが呪いによって誕生した生物であるということはご存知ですか?」
「はい。以前アヤメから聞きました」
僕はアヤメから説明されたことを話すと、おばば様が「それなら話は早いですね」と言う。
「ヤマグイは、元は普通のモンスターだったのでしょう。しかしアキラ・ジングウがとあるモンスターの血を使ってヤマグイを作り出しました。その後、自身の血とアンドウ家の人間の血を使って、別の呪いをヤマグイに行使しました。つまりヤマグイは三種類の血で作られた生物ということです」
「とあるモンスターというのは?」
「シグラバミ。《最初の邪血》と呼ばれる、大陸で最も大きなモンスターです。アキラ・ジングウは何らかの手段を使ってシグラバミの血を入手したのでしょう。ヤマグイを生み出すためには、邪血が必要になります故」
ヤマグイは邪龍と同じく、邪血を持つモンスターだった。だから遭遇した時に、邪龍や邪龍体と似た空気を感じたのか。
「前回のヤマグイが出現した際には、最小限の被害でヤマグイを退けることが出来ました。それはヤマグイがシグラバミと遭遇し、敗走したためです。その時の光景を見ていた者の証言では、ほぼ一方的にヤマグイがやられていたそうです。この結果から、シグラバミの血が使われていたと私は判断しました」
「なぜそれで判断で来たんですか? ただ単に実力差があっただけかもしれません」
「それは邪血の性質に関係しています。邪血を持つモンスターは異種の邪血を取り込めば力を得ます。しかし同種同族の場合は、弱い個体が強い個体から血を取り込もうとすると逆に力を失うことがあります。弱い個体の血が、強い個体の血に負けてしまうからだと考えています。おそらくですが、今回ヤマグイを倒せたのはそれが作用したからです」
「……それってつまり」
僕は一度唾を飲み込んでからおばば様に訊ねた。
「僕も邪血持ちだっていうことですか?」
おばば様は僕の目をじっと見て「はい」と答えた。
「あなたの体には、邪血であるシグラバミの血が流れています」




