20.ヤマグイ
初めてヤマグイが出現したのは一二〇〇年前になります。ヤマグイが出現する少し前まで、ヤマビは戦乱の時代でした。戦乱の時代は多くの大名が天下を統一しようと争っており、それが終結しようとしていました。
戦乱の時代を終わらせたのはアンドウ家でした。多くの戦で勝利を収め、最後まで抵抗していたジングウ家を倒したことでヤマビを統一させました。統一後は反乱分子となる者達を捕縛し、禍根を残さないようにと一人残らず始末していきました。
しかしそのなかで、最も逃してはならない者を逃してしまいました。それがジングウ家の躍進を支えた呪術師、アキラ・ジングウでした。
呪術師は天候を操ったり、人の未来を占うことが出来る手法を知る者達のことです。大半の呪術師はその手法を知っているだけで、実際に出来た者はごく僅かでした。アキラ・ジングウは当時最高峰の呪術師でした。戦では雨を降らせたり、敵の動きを予知したりと、常人では考えられない力を用いて自軍を勝利に導いておりました。
アンドウ家はこれほどの逸材を死なせるのは惜しいと考え、殺さずに生かして活用しようとしていました。しかしアキラ・ジングウは一切アンドウ家に力を貸さず、それどころかアンドウ家に不利益になるような呪術を何度も行いました。その頑なな態度と力を恐れてアキラ・ジングウを処刑することに決まりましたが、不可思議な力を持つ彼には信奉者が多くいました。彼は信奉者の手を借りて、アンドウ家の監視下から逃げることに成功しました。アンドウ家はすぐに彼を捜索しましたが、いくら探しても彼の姿どころか痕跡すら見つかりませんでした。
その一年後、アキラ・ジングウはこのキョウラクに現れました。しかし一人だけではなく、一体のモンスターを連れていました。それがヤマグイでした。
当時のヤマグイは今ほど大きくなく、一般的な家屋と同じ程度の大きさでした。しかしそれでも強力であり、多くの人々の命を奪いました。その最中に、アキラ・ジングウはアンドウ家の人間を捕まえると、その場で殺さずに連れ去っていきました。
すぐにアンドウ家は軍を編成して彼らを追いました。そして見つけた先で、彼は呪術を行っていました。その呪術では捕らえたアンドウ家の人間の血と己自身の血を使っていました。
彼が優れた呪術師であることは誰もが知っていました。だから軍はすぐに呪術を止めようとしましたが、既に呪術は終わっており、捕らえられたアンドウ家の人間は命を落としていました。ヤマグイはアキラ・ジングウを助けることなくその場を去り、アキラ・ジングウは呪術を行った場所で自刃しました。
彼が倒れた地面の周りには、呪術で使われる呪文が円と星の形を記すように残されていました。そして命を落とすときに、こう言い残しました。「私はこの世に、未来永劫、アンドウの名前が残され続ける呪いを行使した。お前達がこの国、この大陸の汚点となるような呪いだ。私達の恨みを思い知るがいい」と。
当時はその言葉の意味を誰も理解しませんでした。その後は何事も無く、平和な時代が続いたからです。反乱も無く、大きな気候変動のない穏やかな時代でした。アキラ・ジングウの言葉の意味を理解したのは、彼が死んだ十年後に再びヤマグイが現れたときでした。
ヤマグイは最初に現れたときよりも大きくなっていました。そして多くの命を奪ってキョウラクで暴れると、突然キョウラクから去っていきました。そして更に十年後、再びヤマグイが現れて同じように暴れた後、また突然キョウラクから出て行きました。
その不可解な行動に多くの者が疑問を持ちました。そして調べた結果、ヤマグイはアンドウ家の人間を喰い殺した後に殺戮を止めていることが分かりました。そして更に十年後に、アンドウ家は一族の数人をあえてヤマグイに捧げ、ヤマグイが去ったことを確認して確信を得ました。ヤマグイがアンドウ家の人間を殺すための生物であるということを。
その後、アンドウ家はヤマグイの呪いについて調査と対策を行いました。しかしジングウ家の血筋は全て絶えているため、呪術に関する情報はほとんど集まりません。自力でヤマグイの呪いを消そうとして多くの呪術師を集め、ヤマグイの出現する周期を十年から百年にまで延ばすことに何とか成功しました。さらにある程度のダメージを与えれば与えるほど、生贄に必要となる人数が少なくて済むということも判明しています。しかしヤマグイを倒す方法は未だに見つかっていません。しかも出現するたびに強くなり、生贄として必要なアンドウ家の人間の数が増えていく生態に、今ではヤマグイを生物ではなく、邪龍と同じような災害として捉えるもの達も多くなりました。
ヤマグイが出現してから一〇〇〇年以上経ちました。現状はヤマグイの呪いを解くことよりも、如何にして生贄の数を減らすことに注力しています。自国民を冒険者として成長させようとする試みもその一環です。前回の出現時から始まったこの試みは、百年後のヤマグイの出現時に成果を出す予定でした。
しかしここで、想定外の時期にヤマグイが出現しました。当初は冒険者となった自国民を呼び戻す声がありましたが、万が一彼らが再起不能となってしまったら、また一から育て直すことになって計画に支障が出るという意見もあったため、従来通りの手段で対策することとなりました。そしてその生贄を選ぶときに、ナギリ兄様の名前が挙がったのです。
ナギリ兄様がヤマビにおらず、消息が途絶えていることは皆知っていました。しかしその者はナギリ兄様が冒険者として活動していることと居所に当てがあることを告げると、ナギリ兄様が生贄になることを反対する声は無くなりました。冒険者であるナギリ兄様がどこまでヤマグイに抗えるか、冒険者の力がヤマグイにどれだけ効果的なのか。それを評価するためにナギリ兄様は呼び戻されたのです。代わりに私達家族からの生贄は、これ以上出さないようにという条件を出して。
これがナギリ兄様がヤマビに戻ってきて、ヤマグイに殺される理由です。
アヤメの話を聞き終えた僕は、すぐには言葉が出なかった。ヤマグイという生物の成り立ち、アンドウ家の苦難、そしてカイトさんの決意。全てが予想だにしなかったことであり、事態を呑み込むのに時間がかかった。そして時間が経つにつれ、事の大きさを理解し始めた。これはカイトさん個人だけの問題だけじゃない。ヤマビという国の全てが関わっている問題だと。
「私達はそれを阻止するためにドーラ様とギン様に依頼をしまいた。ナギリ兄様を捕まえて国外に逃がして欲しいと。例えその代わりに私の命が失うことになろうとも」
アヤメは命を賭けてまでカイトさんを助けようとしている。僕よりも年下に見えるのに、その覚悟は見事なものだった。
そして、その兄のカリヤさんも同じなのか。
「あなたもカイトさんを助けたかったのですか」
「当然だな。弟を助けずにして何が兄だ。だがオイラの場合、監視がついていたせいで直接助けることはできなかったんだよ。トウジさんは弟子の命よりも国に重きを置いているからな。だから遠回しに逃げるように伝えたりとか、逃がす機会を作り出すことしかできなかった。エルガルドで再会したときにすぐに捕まえなかったりとか、さっきの戦闘でもオイラが最初から参加してたらすぐに終わってたんだぜ」
「けど人質を取られたら逃げられませんよ。あれさえなかったら……」
「あれはオイラの判断ミスだ。お前らがドーラと一緒にいたから、てっきりお互いの事情を知ったうえで動いているのかと思ってたんだよ。もしあの時お前らがこの女を置いて弟を連れて行っても、ドーラ達と協力したら逃がすことが出来ると思ったからな。もちろんそのための手筈をこちらで整えるつもりだったんだよ」
そういえばあのとき、カリヤさんは自分達の援軍が来ていることを伝えていた。もしドーラ達と情報を共有出来ていたら、後でラトナを取り戻すことも可能だった。カリヤさんは自身の判断を誤ったというが、僕達がちゃんと連携を取っていたらこのような事態にならなかった。
もう何も失いたくない。そんな守りに重きを置いた慎重な選択の結果がこれか……。
心の中で自身を叱咤する。らしくない失敗の連続に嫌気が差した。僕は何のためにここまで来たんだ。
落ち込んでいる僕をよそに、アヤメが皆に向かって言う。
「さて、今こうしてお話したのは、今一度皆様に依頼をしたいからです」
「カイトを助けることか?」
ハルトの疑問に、アヤメが「はい」とすぐに答えた。
「もちろんここから脱出するまでの手筈は整えますし、報酬もお支払いします。私達には皆様に頼ることしかできません。お願いいたします」
「お願いする」
アヤメだけじゃなくカリヤさんも頭を下げる。二人ほどの地位のある人が、ただの冒険者である僕達に頭を下げることなんて無かっただろう。そうまでしてもカイトさんを救いたいのだ。
本当ならすぐにでも助けたい。だがどうやって助ける。キョウラクに来るまでならばチャンスはあった。相手の数も少ないし、逃げる場所も多くあった。だが既にキョウラクに入った今、敵の数は増えており、逃げられるような場所も限られている。そもそも抵抗されてしまえば連れ出すこともできない。さらにドーラとギンが苦戦するほどの相手が居るのだ。そのうえ既にヤマグイが近くに居るため策を練る時間もない。
成功へと導く手段は見つからないのに、失敗する要因だけが見つかっていく。どうやっても救い出す方法が見つからない。こんな状態で助けてあげるなんて言えるはずが無かった。
皆僕と同じ考えなのか、誰も返事をせずに黙っている。ラトナも、カレンも、ハルトも、ギンやドーラですら何も言わない。それほどまでに無謀な依頼だということを皆が理解していた。成功するビジョンが見えない依頼を、受ける者はいない。
「お願いします。どうかナギリ兄様を助けてください」
アヤメの声に誰も反応しない。そもそもなぜ彼女はここまでして頭を下げるのか。もし僕達が依頼を受けて救出に成功したとしても、その代わりに自分が生贄になるかもしれないんだぞ。そのことを理解しているのか。
「一つ聞きたいのだが、お主達はその後のことを考えておるのか。もしカイトを助けられた場合、お主達のどちらかが生贄にされるかもしれない。そうなってもかまわないというのか」
ハルトも僕と同じことを疑問に思っていたらしい。アヤメは顔を上げて、その疑問に答えた。
「ナギリ兄様の救出を確認した後は、私達もこの場から去るつもりです。そのことで何らかの処罰を受けるでしょうが、死罪は無いと思われます。私もカリヤ兄様も、それなりにこの国に貢献しておりますので」
「脱出に失敗したら死ぬのだぞ」
「それも承知です。家族を見殺しにして生きるよりもマシです。夢に向かって頑張ってるナギリ兄様を、死なせたくありませんから」
「夢?」
カイトさんに夢なんてあったのか。今まで聞いたことも無かった事実に驚いてしまった。
「はい。子供の頃からの夢を叶えるために、ナギリ兄様は家を出たのです。そのために頑張ってるとよく手紙を貰いました」
「カイトさんの夢ってなに?」
ただの興味本位だった。依頼のことを忘れて、カイトさんがどんな夢を持っていたのか気になっていた。
アヤメがカイトさんの夢を言い、それを聞いた僕は決心した。
カイトさんを逃がさないということを。




