18.勇敢な武士達
邪龍とモンスターの違いは、その異質な存在感にある。漆黒の体は暗闇を連想させ、纏う空気は邪気を感じさせ、一つ一つの動きから殺気を放つ。そんな生物は他に居なかった。そしてそれは邪龍以外に居ないと思っていた。
だが、邪龍だけではなかった。
突如森から現れたヤマグイは、遠くからでも邪龍と同じ存在感を放っているのを肌で感じた。邪龍よりも小さいが、それでも大木ほどの大きさを持ち、人間がぶつかれば軽く吹き飛んでしまいそうな質量がありそうだ。
そのヤマグイが、僕達の方に体を向けた。
「もしかして、こっちに来る?」
ラトナの疑問に答える前に、ヤマグイがこっちに向かって走り出した。大きな足音を出しながら六本の足を動かしており、同時に土煙が舞い上がる。ここに来るのに時間はそうかからない。
あんな奴と戦えそうにない。戦意を失った僕がどう逃げようかと考えていた時に、別の方向からいくつもの足音が聞こえだした。その音はキョウラクの方向からで、馬に騎乗した数十人もの武士達のものだった。
「トウジ殿、ご無事で!」
「うむ、よく来た。さて、お主達のやるべきことは分かっておるな」
「もちろんです。……者共、行くぞ!」
先頭の武士の声に呼応するように、後ろの武士達が雄叫びを上げる。そして一直線にヤマグイへと向かって行った。あんな恐ろしい生物に、立ち向かっていった。
思わず僕は、彼らの姿に目を奪われていた。凶悪な生物に向かって躊躇なく挑む彼らの背中に。逃げることしか考えてなかった自分を恥じることを忘れるほどに。
「ヴィッキー!」
ラトナの声で、ようやくカイトさん達がいなくなっていることに気づいた。カイトさんとトウジさんが馬車に戻ろうとしている。
「カイトさん、待って!」
ここで別れたらもう会えないかもしれない。そう思って呼び止めたが、カイトさん達は見向きもしない。このまま何も言わずに立ち去る気だ。
すぐに追いかけようと走り出そうとした瞬間、強い風が横を通り過ぎた。同時に赤と黒の物体が目の前を通り過ぎて、カイトさん達に立ち塞がる。その物体の上に、二人乗っているのが見えた。
「間に合ったか」
モンスターの体になったドーラの上に、ハルトとギンが乗っている。どうやらドーラに乗って僕達に追いついてきたようだ。荷物を減らせば、馬車よりもドーラに乗った方が速い。
「ついておるな、貴様ら。吾輩達が間に合わなければヤマグイにやられとったかもな」
「え、えぇ。助かりましたよ」
「さて、そんな命の恩人による吾輩達からの質問だ。正直に答えるんだ」
ドーラはじっとカイトさんに視線を向けた。
「こいつがナギリ・アンドウか?」
ぐっと息を呑んだ。ドーラ達が何を目的でカイトさんを探していたのかは結局分からずじまいだった。教えることで僕達に利があるか否か、その判断が結局できなかった。だから僕はすぐに答えられずに考えてしまう。
そして僕が答える前に、返答する声があった。
「そうだ。俺がナギリだ」
カイトさん本人が、ドーラの問いに答える。迷いのない潔さがあった。
「俺に何の用だ」
「なに、たいした様じゃない。おい、降りろ」
ハルトとギンがドーラの背中から降りる。ドーラは体を低く構え、下から睨むようにカイトさんを見た。
「ちょっと吾輩達と一緒に来てもらうだけだ」
再び強い風が吹くと、直後に大きな衝突音が響く。頭から突進したドーラを、カイトさんが右拳で殴り返す光景があった。あの速度に対応したのか。
「若いくせにやるじゃないか」
「これくらい朝飯前、だ!」
カイトさんが押し返すと、すぐに刀を抜刀する。ドーラは刀が届かない場所まで下がるとニヤリと笑う。
「貴様とも戦ってみたいが、吾輩はそっちのじいさんの相手をした方が良いな。ギン、手を貸せ」
「当然だ。侮って良い相手ではない。ハルト、手筈通りだ」
「承知」
手甲をつけたギンとドーラがトウジさんに、ハルトがカイトさんに向かっていく。その際、ハルトが僕達の方に視線を送る。手を貸せと言っているように見えた。
もう話し合いでカイトさんを連れ戻すことはできない。一人ではカイトさんには勝てない。だが今なら勝機がある。こうなってしまっては、無理矢理にでも連れて行くしかない。
「やるよ、ラトナ」
「……うん」
ラトナも覚悟を決めてカイトさんとの距離を詰める。その前を僕が走ってカイトさんの背後から迫る。近づくとカイトさんが半身になって僕達に視線を向ける。やはり僕達の動きは想定済みか。
僕とハルトは、カイトさんの刀の間合いからギリギリ離れた所まで近づく。ラトナは少し離れた所から銃を構えている。ラトナの銃は殺傷能力が低い。もし当たっても大きな怪我にはならない。
ギリギリの間合いで様子を見ていると、カイトさんがハルトとの距離を詰める。ハルトは刀を素早く振ってカイトさんを牽制して近づけさせないようにする。カイトさんはギリギリの距離でそれを回避し、一気に近づいて刀を振るった。ハルトさんはそれを刀で受けるが、何度も振るうカイトさんの攻撃に徐々に反応が遅れて来る。攻撃速度はカイトさんの方が上のようだ。
ハルトを助けようと僕も接近した。カイトさんは僕の気配に勘付いて、ハルトと距離を取ってから僕に刀を振るう。僕はそれを盾で受けてから、カイトさんの刀に向かって剣を振るった。素手でも強いが、武器が無ければハルトと二人がかりで押さえつけられる。狙うはカイトさんの武器だ。
カイトさんは僕とハルトに挟まれながらも、今でも無傷だ。だが流石のカイトさんも二人がかりで攻められるときついのか、表情が険しい。ラトナが銃で狙ってることもあって、見た目以上に精神に疲労を溜めているのかもしれない。しかも焦っているのか、カイトさんの攻め方が粗い。カウンターを狙うことが出来たら上手く捕らえれるか。
まずはカイトさんを疲れさせることだ。僕はハルトに視線を送ると、それに気づいたハルトが頷く。ハルトがカイトさんに接近すると同時に、僕もカイトさんと距離を詰めて攻撃を仕掛ける。流石のカイトさんも、二人がかりの攻撃には防戦一方だ。攻撃できずに回避と防御に専念していた。
僕が大振りに剣を振るうと、カイトさんが大きく距離を取り、刀を引いて息を整えた。勝負を決める攻撃を仕掛けてくる。そんな雰囲気を察した。
それが、僕達の決定打となることにも。
「今だ」
カイトさんの刀に鎖が巻き付く。気づいたカイトさんが振りほどこうとするが、カレンの鎖は刀身だけじゃなくカイトさんの腕にも巻き付いている。すぐには外せない。
刀を振るえなくなったカイトさんにハルトが組みかかろうとするが、カイトさんがハルトの顔面を蹴り上げる。予想外の反撃にハルトはもろに喰らってよろめいたが、その隙に僕が接近してカイトさんに跳びかかる。カイトさんと一緒に地面に倒れ込み、そのまま押さえつけた。
「ごめん、カイトさん。けどこうでもしないと一緒に来ないから」
「無駄なことを……」
「カレン、縄とか縛る者を―――」
「動くなよ」
背後から別の声が聞こえた。視線を向けると、ラトナがカリヤさんに捕まっている姿があった。僕達がカレンを隠し玉に使ったように、カイトさん達もカリヤさんを同じように使ったようだ。
「大事なお友達だろ。傷物にしたくなかったら大人しく弟を放しな」
カリヤさんはラトナの首元にナイフを向けている。迂闊なことをすればラトナの首が血の色に染まる。
「……それはこっちのセリフだ。カイトさんを解放してほしかったらラトナを放すことだ」
「ヒヒッ。同じ立場で話してるつもりか? 時間が経てばお前らが不利になるんだぜ。ほら」
カリヤさんが視線を向けた方向を見ると、遠くの方からさっきとは別の武士の集団がこっちに来ていた。ヤマグイに立ち向かうための援軍のようだ。だが先にこっちに来たら逃げ場が無くなってしまう。
時間が無い。逃げるか、強引に攻めるか。早く決めないと……。
どうすべきか悩んでいたとき、カリヤさんの表情がにやけ顔から驚いたかのように目を丸くした。何事かと訝しんだが、突如全身から感じた殺意で察した。殺意を感じた方向を見ると、すぐそこまでヤマグイが迫って来ていた。
あの人数の武士をもう倒したのか。あれほど勇敢だった彼らを、あっという間に蹴散らしたのか。
恐怖で体が動けなくなった。邪龍と対面した時と同じだ。次元の違う相手を前にして全く動けない。何もできない。
ヤマグイとの距離が更に縮まる。あと数秒であの大きな足に踏みつぶされる、その瞬間になぜか体が動き出していた。
地面に押さえつけていたカイトさんが、僕を持ち上げながら強引に立ち上がった。
「すぐにここから離れるんだ」
カイトさんが僕を地面に落とすと、鎖を振りほどいてから前に出る。あのヤマグイを前にして立ち向かっていった。あの武士達と同じように。英雄と呼ばれた彼らと同じように。
「ま、待って……」
僕も立ち上がろうとするが、足がもつれてしまいまた地面に倒れていた。そのせいで体を擦りむいて、掌から血が出ていた。その血を見て、たまらなく情けなくなった。
僕はいったい何をしているんだ。憧れていたソランさんも、相棒だったウィストも、ヤマビの武士達も、そして友人のカイトさんまでもが凶悪で強大な敵に挑んでいる。なのに僕だけが、何もできずにただ見ている。ただ彼らの背中を眺めて、結果を待ちわびることしかできない。これじゃあウィストに愛想をつかれて当然じゃないか。
やはり僕は、分を弁えて大人しくしているべきだったんだ。勇敢な彼らの姿を見て改めてそう思った。そう感じたはずなのに、何でこんなに胸が苦しいんだ。
……せめて目に焼き付けよう。彼らと僕にどれほどの違いがあるのか。カイトさんの姿をよく見ておくんだ。
そう思ってカイトさんとヤマグイの戦いを見ようとしたが、なぜかヤマグイは突如立ち止まった。それが意外だったのか、カイトさんも不思議そうにヤマグイを観察している。さっきまで止まることなく動いていたヤマグイが、何故静止しているんだ?
ヤマグイの眼は体の前方に八個ついている。その赤い眼は色んな方向を向いており、一瞬だけその全ての眼が僕に向けられた。その後、ヤマグイは体を転身させて再び動き出す。僕達から離れるように、森の方へと向かって行った。
いったい何だったんだ。なぜ逃げたんだ。その答えを導き出す前に、今度は多くの足音が聞こえ始めた。先程遠くにいたキョウラク方向から来た援軍だった。
「アンドウ家の皆様、ご無事ですか?!」
「あ、あぁ。多分な」
先頭の男がカリヤさんに訊ねる。カリヤさんも意外な出来事に面食らっているようで、はっきりとしない返事をしていた。
「して、この状況はいったい……」
男の言葉で、僕は現状を思い出した。僕達はヤマグイが出現したどさくさに紛れてカイトさんを攫おうとしていた。だが今はヤマグイが立ち去っており、カイトさんの捕縛にも失敗している。そして今、僕達は武士達に囲まれていた。
カリヤさんも今の状況を思い出したのか、「あぁ、そうだな」と言ってから僕達を見た。
「こいつらを捕まえな。賊だ」




