11.入国
オーリグ山脈の東側には二つの国がある。一つは僕達が住んでいるフローレイ王国、もう一つはヤマビだ。エルガルドの北に東西に延びた国境線があり、ほぼ同程度の領土をそれぞれ有している。
フローレイ王国からヤマビに行くためには国境線上にある関所を通らなくてはならない。そこで用意した入国許可証を提示することで、入国することを認められるようになっている。それ以外の方法で入国してしまうと罰則を受けることになってしまう。
さらに入国許可証を得るのには時間がかかる。普通に許可証を得ようとすると数週間はかかってしまうそうだ。何度も入国した者や信用度が高い人物ならその限りではないが、僕はそれに該当しない。
しかし、だ。
「確認した。入国を許可する」
僕は今、馬車に乗ってヤマビへと入国していた。
関所を通ってから眼に映る景色は、特に変哲もない道と草原しかなかった。フローレイ王国でもよく見る景色であり、国境を越えたくらいではたいして何も変わらないんだなぁと実感した。
「さて、まずは近くの村にでも寄ろうか」
ハルトは御者台から荷台に座る僕に声を掛ける。馬の扱いに慣れているのか、乗り心地は悪くない。ここまでの行路に特にトラブルもなく進んで来れた。
関所ではハルトが入国許可証を審査員に提出し、審査員が許可証を確認した後に許可が出て通行できるようになった。その間、外国人である僕達は睨むような眼で観察されたが、それ以外は何も問題は無かった。それもこれも、ハルトがヤマビ出身であったことのお陰だった。
ヤマビの人間ならば入国許可証はすぐに出る。しかも同行者として若干名他国の人間を連れて来ることも可能なため、僕はハルトの同行者としてヤマビに入国することが出来た。
「村に行って何するの?」
「情報収集だ。ヤマグイのこととお主の友人についてだ。既に入国しているのなら立ち寄っているかもしれんからな」
ラトナは僕達よりも先にエルガルドから出たので、道中に何の問題が無ければもう入国しているはずだ。ならば近くの村を通っていても不思議ではないということだ。おそらくラトナは一人のはずだから、一先ず合流して安否を確認したかった。
「許可証も無く入国していた場合は後々問題になる。早く合流して拙者の同行者として入国していたというアリバイを作らないと大変な目に遭うだろう」
ヤマビの人間の特徴としては黒髪黒眼が多いことが有名だ。ハルトは金髪蒼眼でその特徴に全く当てはまらない。だからヤマビの人間であることに全く気がつかなかった。ラトナも同様で目立つ見た目なので、一人でいたら目をつけられやすいはずだ。
「そうだね。一人だけだったら目につきやすいし、すぐに見つかると思う」
「うむ。それにヤマグイが出現しているとなれば道中も危険だ。もし一人でいるところに遭遇したら死んでしまっても可笑しくない」
「そんなに危険なモンスターなの? ヤマグイって」
カイトさんからは邪龍に匹敵すると聞いているが、実際にどれほどの危険性があるのかは知らない。そもそも邪龍や邪龍体を見ていないカイトさんが言っていたので、大げさに言っているのではないかという疑念もあった。
「ヤマグイについて、お主はどれほど知っておる?」
「カイトさんから邪龍と同じくらい危険だって」
「ヤマグイと邪龍のどちらが強いか、という点においては邪龍の方が勝るであろう。だが過去にヤマビが受けた被害を考えると、その言葉は間違っていない。あれは千年以上、ヤマビに多大な被害を与えてきた生物だ」
「千年?」
冗談かと思ったが、ハルトは大きく頷いていた。
「ヤマグイは六本足の巨大な蜘蛛のようなモンスターだ。数々の村や町を壊滅に追いやり、田畑を荒らし、森林を破壊した災害のような生物だ。今まで受けた被害を合わせると、昔の邪龍出現時よりも大きい。百年周期に出現し、撃退したことはあったものの、現在までついに討伐することが叶わなかった相手だ」
「……その話を聞くと、千年以上生きているように聞こえてるんですけど……」
「実際に千年生きていたかは不明だ。もしかしたら撃退後に寿命で力尽き、その子供が襲ってきているのかもしれん。だが今まで全く姿が変わらないヤマグイが被害を与え続けていることと、討伐できなかったことに間違はいない。だから千年以上生きていると信じている者も多い」
千年以上も生きていて被害を出し続けている。そんな御伽噺に出てくるようなモンスターが実際にいるなんて、非現実的でなかなか信じられない。だがハルトの真剣に話す様子から嘘のように思えなかった。
「けど出現する時期が分かっているのなら対策は取れるでしょ。人手とか兵器とか罠とかを準備したら被害は抑えられるんじゃない?」
「常識が通用するモンスターならそれで十分だろう。だがヤマグイはそれすらも悉く破ってきた。拙者も初めてその脅威を目の当たりにしたときは驚愕したものだ。屈強な武士達と兵器が何もできずに蹴散らされていく光景は今思い出しても恐ろしいものだ」
目の当たりにした?
「どういうこと? ヤマグイは百年周期で出現するんでしょ? 何でハルトが見たことあるの?」
百年周期で出現するというのなら、前回出現したのは百年前のはずだ。ハルトが百歳を超えていない限り実際に目にすることは無いはずだ。
僕の指摘に対し、ハルトは「それだ」と答えた。
「今回の不可解な点はそれだ。お主の言う通り、本来ヤマグイは百年ごとに出現する。そして前回出現したのは十三年前だ。次に出現するのは八十七年後のはずだ」
「じゃあ今回の報告が間違っているってこと?」
「それも考えづらい。なぜならお主の言うことが間違っていなければ、その報告をしたのがアンドウ家の人間だからだ。アンドウ家がその手の誤情報を掴むとは思えない」
「アンドウ家って何? ヤマビでは有名なの?」
エルガルドを発つ前も、アンドウの名前を出したときにハルトは驚いていた。余程名の知れた一族だということは推測できるが、ハルトに訊ねると眼を丸くして僕の方を見た。
「いくらヤマビのことを知る機会が無かったとはいえ、アンドウの名前くらいは知っておいた方が良いぞ」
どうやらヤマビだけではなく、フローレイ王国でも常識的なことらしい。少しだけ気まずくなった。
「アンドウ家はヤマビの将軍家の家名だ。将軍とはフローレイ王国でいうところの王のことだ。つまりアンドウ家とは王族のことである」
「王族?!」
予想外の事実に驚き、大声を出して立ち上がっていた。その声に驚いたのか、馬が足を止めてしまって馬車が揺れる。急に立ち上がった僕はその拍子にバランスを崩しそうになったが、背中を小さな両手で支えられてその場で踏みとどまった。
「アンドウという名は将軍家だけが使っている家名だ。つまりその情報は将軍家からの非常に信頼性の高い情報だということだ」
「それってつまり、カイトさんも将軍家の一人ってこと?」
「そういうことだな」
カイトさんは教養があり、知識も豊富だった。だから良い環境で育ったんだなと思っていたが、想像以上の環境だったことに驚きを通り越して感心していた。それほど恵まれた環境だったのなら、あれほど優秀なのも納得がいく。
ちょっと落ち着いた僕は、背中を支えてくれたカレンに「ありがと」と言って荷台に座る。同じようにカレンが座ったところで、「ところで」とハルトが話題を変えた。
「そろそろその子のことについて話してくれないか」
ハルトが僕の隣に座るカレンを見ながら言った。
エルガルドを出る寸前、北門に向かっていた僕は偶然カレンと会った。昨日突然別れてからの再会だったのでそのことの謝罪と、今からヤマビに行くからしばらく会えないことを伝えると「じゃあ私も行く」と言われた。「危険だからダメだ」と断ったのだが、「じゃあ一人でも多い方が良い」と尤もなことを言い、そのまま馬車に乗り込んできた。
「エルガルドを出るときに後で説明するからと言われたが、そろそろ説明はして欲しいな。その子は一体誰なんだ」
「……カレン・オーズ、です。『英雄の道』の冒険者です。下級です」
「オーズ? ひょっとして父親はガウラン殿か」
カレンがこくりと頷くと、ハルトは感心したかのように「ほぅ」と息を吐く。
「『英雄の道』のガウラン・オーズの娘は、将来有望な冒険者だと聞いている。それはお主のことか」
「そうだよ。何度か一緒に冒険したけど、実力はもう中級冒険者相当って言ってもいいほどだよ」
僕が代わりに答えるとカレンが嬉しそうな笑みを浮かべ、「ならば頼もしいな」とハルトが軽く頷く。
「ヤマグイを相手にするなら冒険者は一人でも多い方が良い。十分な戦力になってくれるだろう」
ハルトがさっきよりも強く手綱を動かすと馬車が動き出す。ハルトの声はさっきよりも高揚しているように聞こえた。
「……ねぇ、もしかしてだけどヤマグイと戦うこと想定してる?」
薄々と思っていたことをハルトに訊ねた。元々はラトナとカイトさんに会うことが目的だったのだが、ハルトの言い方だとヤマグイと戦うことになっているように聞こえた。
そして、僕の勘が間違っていなかったようだ。
「そのつもりだぞ。やっとヤマビのために役立てる機会が来たというのだ。今発揮しなくていつ発揮するのだ」
意気揚々と答えるハルトだが、僕のテンションはだだ下がりだ。
「そんな化物相手と戦うなんて聞いてないよ……」
邪龍に及ばないらしいとはいえ、同じくらい脅威と見なされている相手との戦闘なんて避けたいのが当然だ。ヤマビの人のことは災難だと同情するが、命を張って戦う義理は僕には無い。ラトナ達と会えればすぐに帰りたかった。
落ち込む僕を見て、「お主も戦わざるを得ない相手かもしれないぞ」と意味深なことをハルトが言った。
「本来ならヤマグイが再び出現するのは大分先のはずだった。百年経たずにヤマグイが出現することになった原因は、昨今のフローレイ王国で問題視されていることと同様のものだと拙者は考えておる。お主もあれには散々苦しめられてきただろう」
ハルトが何を言おうとしているのか、間もなくして僕にも伝わった。
「邪龍が放出した邪血晶の一つはヤマビにある。それが原因ではないかと拙者は考えておる」




