9.カイトとナギリ
明朝、エルガルドの北口の外は静かだった。朝の早い時間でも、エルガルドの門の周囲は人が賑わっている。早い時間帯のダンジョンは空いており、他の冒険者に狩場を荒らされていないからだ。だが北口だけは違う。北口の付近にはダンジョンが無く、しかもその先は交流の少ないヤマビへの行路となっているからだ。
北口から一人の青年が出てくる。青年は小さな背嚢と腰に刀を提げていた。ヤマビに行くのには荷物が少なそうに見える。おそらく少し歩いた場所に止まっている馬車に荷物を預けているのか、それとも同行者が別で荷物を用意しているのか、そのどちらかだろう。
青年は真っ直ぐと馬車がある方に向かう。迷いなく進んでいるようだったが、少し歩くと足を止めて近くの茂みに視線を向ける。
「誰だ」
茂みから出た僕を見て、青年は目を丸くした後にはぁっと溜め息を吐いた。
「しばらく見ない間に、嘘を見抜くのが上手くなったんだね」
カイトさんは呆れたような笑みを浮かべた。僕が待ち伏せていたことは予想していなかったようだ。
「ヤマビに行くつもりなんですか?」
「そうだね」
間髪入れず、カイトさんは答えた。
「俺はヤマビに行く。昨日は君を欺くために嘘を吐いた。正直に言ったら止められると思ったからね」
「当たり前です。カイトさんがいなくなったら皆が悲しむ。友達が悲しむ姿なんて見たくない」
ベルク達は一時期を除けば、いつも四人で活動していた。四人の絆は深く強く、お互いを信頼し合っているのだ。その内の一人が皆に黙って抜ければ残されたメンバーがどう思うか、誰だって想像できることだった。
「ヤマビに行ったらだめだ。もう戻って来れなくなるんでしょ。皆、カイトさんとこれからも冒険したいと思ってる。ヤマグイとかいうモンスターは他の人に任せたらいいじゃないですか。カイトさんが行く必要はありません」
「俺も皆とは冒険したい。けど俺は行くよ。兄妹を放ってはおけない」
「じゃあベルク達のことはどうでもいいってことですか」
ヤマグイは今まで何度も撃退したこともあるモンスターであり、他の人でも対処できると言っていた。なのにカイトさんは頑なにヤマビに戻ろうとしている。大好きなチームを離れようとしてまでも行こうとする理由が分からなかった。
わずかな静寂が過ぎた後、カイトさんは微笑むような笑みを浮かべた。
「俺達がマイルスに行ったのは、そこに兄が居たからなんだよ」
唐突に話し出したのは、カイトさんの兄のことだった。
「俺にはセンキという兄がもう一人いた。兄は家を出る前に、弟子の一人と一緒にマイルスに行くと言ってたんだ。俺達兄妹だけにね。マイルスで冒険者になったのは兄の安否を知りたかったのと、少しでもいいからマイルスでの生活をするにおいて兄に頼りたかったからだ」
落ち着いた声で兄のことを語るカイトさんの声を、僕は静かに聞いていた。なぜこの場で兄について話すのか、そこにヤマビに帰ろうとする理由がある気がしたからだ。
「マイルスの冒険者ギルドに着いて最初に聞いたのは兄のことだ。だが兄の名を知ってる者はいなかった。万が一自分の所在が家に知られることを考えて偽名を使っていたからだ。けど弟子の方は偽名を使っておらず、しかもダンジョン管理人という立場に居たからすぐに見つけられた」
「ダンジョン管理人? それって……」
「ヒランさんは兄さんの弟子だ。そして兄はマイルスではダイチ・シンドウという名前を使っていた」
ダイチ・シンドウはヒランさんの師匠で、マイルスの多くの冒険者を救った人で、獅子族との戦いでも活躍した人だった。その人がカイトさんの兄だったということは、全く予想だにしていなかった。
「兄は強くて優しい人だった。いつも俺達兄妹を気にかけてくれて、落ち込んだ時はいつも励ましてくれた。だから家を出て行ったときは悲しかったが、初めて見せた兄の我儘を応援したいという気持ちもあった。マイルスで活躍していて欲しいと思っていた。だから―――」
カイトさんの表情に陰りが見えた。
「兄が死んだと聞いた時は最初は信じられなかった。だがそれが本当だと知ったときは、体に大きな穴が空いたような感覚があった。自分の体の一部が無くなったような気分だった。俺にとって兄はただの兄弟ではない。俺の一部でもあったんだ」
ソランさんが死んだとき、僕の中には後悔と悲哀の感情が生まれていた。どうして助けられなかったんだ、なぜ死んでしまったんだ。そんなことをよく考えていた。カイトさんも僕と同じが、それ以上の感情を既に体感していた。
「俺は二度とあんな感覚を体感したくない。ベルク達と離れるのは嫌だが、俺が居なくても死ぬことは無い。だが俺がヤマビに戻らなければ兄妹が死ぬかもしれない。ベルク達のことは好きだが、同じくらい兄妹のことが好きだ。そのためならば、俺は冒険者を辞めることを選ぶよ」
カイトさんが居なくなっても、ベルクさん達はこれからも冒険者を続けていくし生き続ける。だがカイトさんがヤマビに行かなければ、兄妹が死んでしまうかもしれない。どちらにも生きて欲しいと願うならば、カイトさんの判断は正しくて合理的だった。
だけど、それでも僕の心は納得できない。いや、納得したくなかった。
ここで頷いてしまえば、もうカイトさんを止められない。仲間が去ってしまう悲しみをベルク達にさせてしまう。
なんて言えばカイトさんを止められる? どんな言葉を掛ければ説得できる? 考えても考えても思いつかない。
何も言えない僕を見て、カイトさんが「そういうことだ」と声を掛ける。
「皆には手紙を書いている。俺の部屋に置いているから、出来ればそれを渡してくれたら嬉しいかな。じゃあ任せたよ」
カイトさんはそう言って歩き出す。このまま何も言わなければあの馬車に乗ってヤマビまで行ってしまうだろう。そうなれば二度と会えなくなる。
もう、なりふり構ってはいられなかった。
「ダメだ!」
僕はカイトさんの進路上に進み出た。
「行かせない。どうしても行きたいというのなら僕を倒してから行け!」
カイトさんを説得して止める言葉は思いつかない。だけど止めなければいけない。だったらもう、実力行使しかない。
武器と盾を構えた僕をカイトさんは足を止めて見つめる。その表情に動揺が見られない。まるで予想していたかのような余裕がある。
「本気で俺を止めるつもりかい? しかも真剣を使って。俺を斬れるのかい?」
「……それで止まるのなら。生きてここに居てくれるのなら、斬る」
致命傷にならない程度に斬れば問題ない。カイトさん相手にそんなことが出来るか不安だがやるしかない。もう僕にはそれしか道が無い。
僕の覚悟が本物だと気づいたか、「分かった」とカイトさんは答えた。
「ならば俺も本気でいこう。君を斬り伏してでもヤマビに行く。それを証明するためにね」
カイトさんが右手で刀の柄を握りしめる。刀を使うカイトさんを見たのは初めてだ。どんな戦い方をするのか分からないのでそこが不安点だ。
……いや待て。刀を持っている姿を見るのは初めてではない。たしかあれは、マイルスでの選挙の時……。
「隙だらけだ」
一瞬だった。カイトさんは僕の前に接近していた。慌てて後退した時に一瞬だけ風が吹いたかと思うと、いつの間にか僕の剣が折れているのに気づいた。
剣が折れたことに動揺し、その隙にカイトさんがまた接近して拳を振るう。カイトさんの拳が僕の鳩尾に刺さり、息が出来なくなってしまう。
「が、ぁ……」
呼吸ができない苦しみに耐えれず、地面に膝をつく。十秒にも満たない間に、何もできずに動けなくなってしまう。それでもカイトさんを止めようと右腕を伸ばすが、カイトさんは僕の右腕を蹴り払う。その勢いを利用して回転し、回し蹴りを僕の脇腹に喰らわせた。体中に伝わる激痛に耐え切れず、蹴り飛ばされた僕は地面に倒れてしまった。
僕が動けなくなった後、「じゃあね」とカイトさんは背中を向けた。
黙って歩き続けるカイトさんの背中がどんどん小さくなる。何か言わなければ。何でもいい。カイトさんを止めなければ。
「捨てるのか! ベルク達を捨てて行くのか!」
カイトさんの足が止まる。
「ウィストが僕を捨てたように、ベルク達を捨てるのか! 皆のためにとか言いながら、本人の気持ちを無視するのか! ベルク達は望んでないぞ!」
ウィストとチームを解散したとき、言いたいことが山ほどあった。子供のように駄々をこねて止めたかった。だけどあのときはそれがかっこ悪くてできなかった。今は友だちのためだから、あのときの悲しみを知っているから、それが出来る。
情に訴える。もうこれしかできなかった。残された手段はこれだけだった。
「戻れ! 全部放り出して戻って来てよ! カイトだって冒険がしたいんだろ!」
カイトさんが振り向く。成功したと思った。情にほだされて戻ってくれると期待した。
だけどカイトさんの顔は、あのときと同じように冷たかった。
「俺は嘘を吐いていた。それはヤマビに帰らないということだけじゃない。名前も、暗殺についてもだ」
「え?」
「俺の本当の名前はナギリ・アンドウ。そして暗殺業は十八歳からではない。見込みがあれば一桁の歳からでも始めることになっているんだ。俺は既に何十人もの人を殺めている」
言葉が出なかった。何も言えずに、カイトさんの言葉を聞いていた。
「俺みたいな血に汚れた人間が、短い間でもあんな善人達と一緒に冒険できたことが奇跡なんだ。これ以上望んだら罰が当たる。だから後は頼むよ。出来れば俺の代わりにあのチームに入ってくれたら、もう思い残すことは無い。武器も残しているから使ってくれても構わない」
そしてカイトさんは最後に微笑んだ。
「今までありがとう。皆にもそう言ってくれ」
僕はもう、何も言えなかった。




