7.兄弟
カイトさんは僕の目標だった。かっこよくて、明るくて、皆を引っ張っていけるリーダーで、頼りがいのある人だった。そして僕と同じ盾を使う冒険者であったことから、カイトさんみたいになりたいと思っていた。
しかし目の前にいるカイトさんは、僕の知っているカイトさんではない。表情は険しく、眼つきは鋭い。そして離れてても伝わるほどの殺気。全てが僕の知らないカイトさんだった。
カイトさんは僕に気づくと、はぁっと溜め息を吐いた。
「任せたって言ったのに来ちゃったんだね」
呆れたかのような声に思わず後ずさりしていた。
「……ラトナに頼まれたんだ。カイトさんを探しに行ってって」
「なるほど、ラトナか。じゃあ仕方ないか」
納得したカイトさんは再びナッシュに向き直る。ナッシュはカイトさんに胸倉を掴まれており、逃げられそうになかった。
「ま、待って! もう、止めてくれ! 俺が悪かったから―――」
またカイトさんがナッシュを殴る。表情を全く変えないカイトさんに対し、ナッシュは既に戦意を喪失しているかのように怯えている。それでもカイトさんは、ナッシュを殴り続けていた。
「だ、だから、も、もう、やめて……」
ナッシュのことは嫌いだ。ウィストだけでなく、僕にも散々嫌がらせをしてきた。だがいくら嫌いな相手とはいえ、ここまで一方的に殴られる姿を見て何も思わないわけがない。
そもそも何故こんな事態になっているのかも分からない。カイトさんからも話を聞きたかった。
「カイトさん、ちょっと手を止めて下さい。いったい何が理由でナッシュ達とこんな状況になってるんですか」
「こいつらがベルクをあんな目に遭わせたことに関係あるからさ」
言い終わるとまたナッシュを一発殴る。
「ベルクが襲われた場所の近くで聞き込みをしたら、こいつらが慌てた様子で出てきたって言う人が何人もいたんだ。こいつらもこんな場所に隠れていたから怪しいと思ったんだよ。で、殴って脅したら白状してくれたよ」
「じゃあこいつらがベルクをあんな目に遭わせた犯人ってことか」
「ま、待て! 違うんだ!」
ナッシュが残りの力を振り絞ったかのような声を出す。
「た、確かに俺達はあいつを襲った! けど毒を持ったのは俺達じゃない! 本当なんだ!」
必死な表情で訴える様子から、ナッシュが嘘を言ってるようには見えない。そもそもナッシュのようないち冒険者が、病院に解毒剤が無いような特殊な毒を用意できるのかという疑問もある。それでもベルクを襲ったことは許せないが。
「知ってるよ」
しかしカイトさんは、それを分かったうえでまた殴った。
「最初から分かってたよ。お前達にあの毒を用意できるわけがないって」
「だ、だったらやめてくれよ! 何のためにやってるんだよ!」
「ベルクを襲ったことに対する報復と、犯人をおびき出すため、だよ」
カイトさんは今までで一番の力を込めてナッシュの顔を殴る。それで限界が来たのか、ナッシュはぐったりを動かなくなった。ナッシュが気を失ったのを確認すると、カイトさんはナッシュから手を離した。
今のカイトさんは近寄りがたいほどに怖かった。淡々と容赦なく人を殴り続ける様子は、普段のギャップもあってか今までで一番の恐怖を感じていた。
しかしこの現場に出くわしてしまって、何もせずに去ることはできない。それにカイトさんの口ぶりが気になってしまったからだ。
僕は恐怖に耐えながらカイトさんに聞いた。
「犯人に心当たりがあるんですか?」
カイトさんは最初からナッシュ達がベルクに毒を持った犯人じゃないと分かっていた。それでもここまで痛みつけたのは、報復とおびき出しだと言った。まるで誰が犯人なのか見当がついているかのような言い方だった。
案の定、カイトさんは「うん」と頷いた。
「誰なんですか? どんな奴か知っているのですか?」
さらに聞き出そうとしたら、カイトさんは空を眺めながら言った。
「あんな奴だよ」
カイトさんが上を指差す。見上げると空中で逆さま状態で足を組んで浮かんでいる人間がいた。
常識外の光景に一瞬自分の眼を疑った。人間が空を浮かぶなんてありえないことだ。しかもなぜか逆さまになっている。今までの人生でこんな光景を見たことが無かった。
あまりの非常識な光景に驚いて唖然としていると、その逆さまになっている人間が「キヒッ」と笑った。
「相変わらず勘が良いねぇ。腕は鈍って無さそうだな」
そいつがスルスルとゆっくり地面に近づいて来る。よく見ると足には細い糸のようなものが付いている。空中に浮いていたのではなく、上からぶら下がっていたようだ。
「心配したんだぜぇ。家から出て監視がなくなったから鍛錬を怠けてるんじゃないかってね。その様子じゃそんなことはなかったようだな」
地面に降りると姿が良く見えるようになった。身長は僕と同じくらいだが体の線は細い。防具は身につけておらず動きやすそうな服装。眼と髪が黒色でやや瘦せこけた顔つき。そしてカイトさんによく似ている容姿。それと見て思わず、パッと頭に浮かんだ言葉を口にした。
「兄弟?」
カイトさんは「うん」と肯定する。
「この人はカリヤ。俺の実の兄だ」
「弟が世話になったな。この場を借りて礼を言うよー」
気味の悪い笑みをしながらカリヤさんが言う。意外と礼儀正しいが、カイトさんが言うにはこの人が犯人らしい。気を許してはいけない。
「そんなことより、カリヤ兄さん。早く渡してよ、解毒剤。あんたの仕業でしょ」
「おう、ほらよ」
カリヤさんが懐から小袋を取り出し、それを緩い放物線を描くように投げ渡す。カイトさんはそれをキャッチすると僕に渡した。「持ってて」と急に言われたので、反射的にそれを受け取っていた。
「それで、何でこんなことをしたんだ」
カイトさんと同じ疑問を僕も抱いていた。普通、こういうときは解毒剤を巡って何らかの交渉をするはずだ。その目的は金銭だったり行動だったり、何らかの見返りを求めるのが定石だ。
だがカリヤさんは何の条件も出さずに解毒剤を渡している。これでは何がしたかったのか分からない。
僕達が抱いた疑問に、カリヤさんはまた奇妙な笑みを浮かべる。
「なぁに、ちょっとお前と話をしたかっただけだ。なるべく人目が付かないところでな。お前はいつも人が居るところにしかいないし、仲間と一緒だったからよ。こうでもしないと大事な話が出来なかったんだよ」
「手紙でも言伝でも伝えれば良い話だろ」
「万が一、他の奴に露呈しないか心配だったんだよ。今だってそうだが、もう時間が無いから仕方がないな」
カリヤさんが僕に視線を向ける。あまり聞かせたくない話のようだが、ベルクの件があるのに引き下がるつもりはない。
僕の意志を読み取ったのか、カリヤさんは僕に何も言うことなく視線をカイトさんに戻す。
「ヤマグイが出た。お前を呼んだのはそのためだ」
聞いたことのない言葉に呆けている僕に対し、カイトさんの眼は大きく見開いていた。驚愕し、困惑し、信じられないと言いたそうな顔をしている。
数秒間黙していたが、カイトさんはゆっくりと口を動かし始めた。
「それは間違いないのか」
「発見者が複数いる。痕跡も例年と同じものを残している。進路もほぼ真っすぐカナメに向かっている」
「俺が行かなきゃどうなる」
「オイラか妹が出ることになるな」
「そうか……」
カイトさんはそう言ったきり口を開かなくなった。そしてカリヤさんは伝えたいことを伝えられたのか、「それじゃあな」と言って立ち去ろうとする。
「オイラ達は明朝にここを出る。それまでじっくり考えておけ」
上から降りてきたカリヤさんは、帰りは僕が来た道を歩いてこの場を後にする。その背中を見送ろうとしたとき、その先に一人の白髪の老人が立っていることに気づいた。カリヤさんの仲間なのだろうか、一緒になって路地裏から去っていった。
二人が去ってからしばらくして、カイトさんは息を深く吐いた。
「ここまで知ったら、ヴィックには話した方が良いかもしれないね」
その時のカイトさんの表情は、僕がよく知っているものだ。
「話すよ、俺のこと。そして兄が言ったことも」
だが今は、それが嘘くさく見えた。




