1.英雄と一般人
闘技場の競技にデッドラインという種目がある。それは連続で登場するモンスターを休みなく倒していくという内容だ。上級モンスターも登場するためかなり危険であり、死者も出たことがある。
その過酷な競技の最高討伐記録はエギルが持つ三十体だ。しかもエギルは余力を残したまま達成していた。三〇で終わったのは、闘技場が一度に収容できるモンスターの上限がその数だったためだ。エギルが最強と呼ばれる所以の一つである。その記録は数年間、破られるどころか足下に及ぶ者すらいなかった。
だが今日、その記録に並び立つ者が現れようとしていた。
闘技場では大きな歓声が上がっていた。観客席は満席で、皆が夢中になって挑戦者とモンスターの戦いに注目している。行われている競技はデッドライン。闘技場で最も人気のある競技だが、これほどの熱気は珍しかった。
しかし、皆が熱中するのも無理はない。今目の前で、新たな伝説が生まれようとしているからだ。
挑戦者の名前はウィスト・ナーリア。そして対戦するのモンスターはゴーレム。デッドライン三〇体目のモンスターだった。
「ウィスト! ウィスト! ウィスト!」
観客達がウィストの名前を呼ぶ。街を救った英雄が、また一つ伝説を作ろうとしている。その瞬間に熱くならない者はいない。その声援に応えるかのように、ウィストの動きのキレが増した。
ウィストは硬い皮膚を持つゴーレムの体を切り刻む。ゴーレムの体は石のように硬い。だが全身全てが硬いわけではなく、関節部分は比較的柔らかい。ウィストはそこを集中的に狙うことでゴーレムの体力をじわじわと削っていた。
ゴーレムの体から血が流れ出るのを見た観客がさらに湧きたつ。今までと同じように難なくと追い詰めていく光景から、皆の期待が高まっていた。
必死に抗うゴーレムの反撃を、ウィストは余裕をもって回避する。そして攻撃が止まった瞬間に、ウィストはゴーレムの右膝を集中攻撃する。するとゴーレムは体勢を崩して地面に倒れ込む。その直後、ウィストはゴーレムの体にアンカーを撃ち込み、勢いをつけて接近した。
高速の斬撃は、ゴーレムの首を勢いよく斬りつける。それは一度に留まらず、アンカーを撃ち込み直して再び斬り刻む。何度も何度も。
十回ほど斬り刻んだ後、ようやくウィストはアンカーを戻して動きを止める。ゴーレムの体は動かない。誰が見ても絶命していることは明らかだった。
「ウィスト・ナーリア! 三〇体目の討伐に成功! エギル・レイサーの記録に並ぶ、最高記録の達成です!」
地が震えるほどの歓声が湧き上がる。待ち望んだ瞬間に立ち会った観客は、興奮を抑えることなく声を上げる。まるで街全体がウィストを祝福しているような瞬間だった。
ウィストは笑みを作って彼らに向かって手を振った。
「みんな、応援ありがとう」
彼女の声に応えるかのように、観客達の声がさらに大きくなる。男も、女も、子供も、老人も、皆がウィストに声援を送っていた。
だがそれほどの熱気を当てられながらも、多くの声援を受けていても、ウィストの心は冷めていた。
観客席のほとんどが背もたれの無い簡素な構造の長椅子で、多くの観客が利用している。しかし一部だけ、肘置と背もたれがあり、柔らかそうな生地で作られた椅子が用意されている席がいくつかある。そこは来賓席と呼ばれている場所だった。
ウィストは来賓席に座る一人の人物に視線を向ける。来賓席の一番上部に位置する場所、そこには満足そうな笑みをつくっているロードが座っていた。
それを見てウィストは、自分の心が更に冷めたような気がした。
「素晴らしい結果だったな」
『英雄の道』の拠点の団長室で、ロードが笑みを作りながらウィストに言った。競技が終わったらすぐに団長室に来るように指示されていたので、着替えもせずに直行した。体はモンスターの血と自分の汗で汚れているが、ロードはそんなことをまったく気にしていなかった。
「デッドラインの記録は、エギルが樹立してからしばらくの間誰も並ぶことが無かった。それがエギルが最強の冒険者であることを証明する要因の一つだった。そして君がエギルの記録に並んだことで、君の名声がさらに上がることとなった」
エギルはロードの秘蔵っ子だ。そのエギルに並ぶ記録を作ったウィストに、ロードは嫌がるどころか歓迎していた。
「実に素晴らしい。これでまた英雄として成長したな」
理由は分からない。だがロードはウィストを英雄に仕立てようとしている。それはウィストにとって都合が良かったが、思惑が見えないロードに不信感はあった。
「けどばれませんか? 今回用意されたモンスターが、弱い個体ばかりだったってことに」
今回デッドラインで使われたモンスターは、上級モンスターこそいたものの、同種族の中では比較的弱い部類の個体ばかりだった。それらはロードが闘技場の責任者に指示して用意させていた。もしこれがばれてしまえば、ウィストの英雄としての格は下がる。
「心配ないさ。私が直接指示したわけではない。ただそういう記録を観衆が欲しているだろうと伝えただけだ。彼が勝手にやったことだよ」
ロードの支配力はエルガルド中に及んでいる。故に多くの者達がロードの顔色を窺い、機嫌を取ろうとしている。闘技場の責任者もその一人だった。
「それにもしばれたとしても、ただの噂話で終わる。それほどまでにこの街には君のファンが多い。小さな疑いなんてすぐに埋もれるさ」
「……それならいいんですが」
不安はあるものの、ロードの言葉に反論は無い。ロードの言う通り、今やエルガルドはウィストの味方がほとんどだ。些細な失敗や過失もすぐに彼らの声で消されるだろう。それほどまでに、ウィストの人気は圧倒的だった。
「次の指示があるまでは待機だ。その間は自由に過ごして良いぞ」
ロードとの会話が終わった後、ウィストは団長室を出て一階の待合室に戻る。待合室には冒険から帰って来ていた団員達が何組か居た。彼らはウィストを見て「おつかれさん」とか「おめでとう」とか、労いの言葉を掛けてくれた。
ウィストが彼らに返事をしていると、入口からまた一組の冒険者達が帰って来た。四人組のチームでそのうちの一人にヴィックがいた。
ヴィックもウィストに気づき足を止める。そして何か言おうとしていたが、隣にいる少女に「どうしたの?」と聞かれると「いや、なんでもない」と答えてまた歩き出す。
そしてウィストの横を通り過ぎたときに、短い言葉を掛けられた。
「お疲れ様」
たったそれだけを言うと、ヴィックはチームの皆と一緒に待合室の奥に進んだ。その素っ気ない態度が少し寂しくて、同時に少し安心した。
既にヴィックには新しい仲間がいる。一人になってしまわないかと心配したが、ロードが上手く取り計らってくれたようだ。団員は皆腕が立つ上に知識も経験もある者が多い。今までのような危険な冒険はしないだろう。
もうヴィックは大丈夫だ。そう思うと自然と笑みがこぼれていた。
同時に久しぶりに自然に笑ったことに気づいてしまった。




