31.光
「英雄がどのようにして生まれるか、君は知ってるかな」
エルガルドの城壁には、壁外のモンスターを迎撃するための兵器が備え付けられている。大砲や物資を運ぶためのトロッコが壁上に置かれており、今はそれらがすべてある場所に移動されている。城門の近くの城壁の上に、大量の大砲や物資が集まっていた。ある一体のモンスターを倒すために。
邪龍体。遠征の記録によれば、未開拓地で遭遇した邪龍体は元もモンスターの原型を留めていた。邪龍体になったばかりの、邪龍には程遠い姿だ。強敵だったそうだが、調査隊によって討伐されている。強敵だが討伐できる相手だとエリーは認識していた。
しかし、今エリーの目に映っているモンスターは同じ邪龍体なのだろうか。エリーが邪龍体を実際に見たのはこれが初めてだが、少なくとも遠征で遭遇した個体とは異なっているのではないか。
巨大で凶悪な龍の姿に、エリーは恐怖を感じていた。そんな折にロードが先程の問いを投げかけた。
「……分かりません。考えたことがありませんでした」
「それじゃあ困るね。私達は『英雄の道』に所属しているんだ。これくらい答えてもらわないとね」
注意しつつもロードの声は浮ついている。今街が邪龍体に襲われているというのに、なぜこんな悠長にいられるのだろう。壁上に来たのは邪龍体を討伐するためだと思ったのだが、ロードは邪龍体と兵士や冒険者達の戦闘の様子を眺めているだけだった。
「では質問を変えよう。英雄になるために必要なものは何だと思う?」
再びエリーに問題を出す。エリーは少し考えてから答えた。
「才能でしょうか。それこそエギル様のような他者をも圧倒するほどの」
ロードはエギルに目をかけていた。それはひとえに類まれなる才能を持っているからだ。あれほどの冒険者をエリーは見たことが無かった。
しかしロードは「違う」と否定した。
「今まで私は何人もの冒険者を見てきた。エギルほどじゃないが才能のある者達をたくさんな。だが誰も英雄にはなれなかった。そこから得た答えは、英雄になるために強さは必ずしも必要なものではない。才能はおまけだと、な」
『英雄の道』に所属する冒険者達は皆優秀だ。地元で一番と言われた者、あっという間に中級冒険者になった者、単独で上級モンスターを倒せた者など。才能が有り、そのうえで努力し続けている者がほとんどだ。
だがロードはそれほどの才能のある者達を集めているにもかかわらず、英雄になるためには不要だと言った。
「ではロード様は何が必要だとお思いですか?」
「物語だよ」
ロードはフッと笑って言った。
「子供の頃に読んだことは無いか。人々が恐れる凶悪な敵に立ち向かう英雄の物語を。誰もが心躍らせた筈だ。英雄の活躍を、英雄の雄姿を」
本が読める家庭ならば多くの者達が読んだことがあるだろう。とても有名で、今も昔も読まれている英雄譚。子供の頃、英雄に憧れた者がエリーの周りにも多くいた。
「大衆が望んでいるのは強いだけの冒険者ではない。絶望的な状況から救ってくれる、誰からも愛される英雄だ。ソラン・クーロンが良い例だ。彼はマイルスを救い、人々に貢献した。実力だけならエギルも引けを取らないが、同じような真似はできないだろうな」
ソランはマイルスを獅子族の襲撃から救い、その後もマイルスの住民のために活躍した。そして邪龍を討伐し、多くの人々の命を救った。まさに英雄と呼ばれるに値する人物だ。ソランと同じような振る舞いをエギルができるとは思えない。その点についてはロードに同意できた。
「しかし君の答えも間違ってはいない。なぜなら英雄が負けることは決してあってはならないことだからだ。英雄の敗北は人々に絶望をもたらす。故に英雄は負けてはならない。絶対的な力がある者が英雄に相応しいと言えよう」
「たしかにそのとおりですが、それほどの人物がそうそういるのでしょうか。才能のある者を探すのだけでも大変です。そのうえ英雄に相応しい物語を持つ者となると、国中を探しても見つからないのでは?」
才能と物語。片方だけならエルガルドでも見つかるだろう。しかしその両方を備え持つ者はそうそういない。才能を持つ者が物語になるような活躍をして、しかもそれが大衆に知れ渡ることなんて、余程のことが無ければ揃わない条件だ。
「君の言う通り、その二つを持つ者は滅多にいない。いたとしてもそれが大衆に知られなければ、その者は英雄とは呼ばれないだろう」
ロードはエリーの言葉に同意するように言った。そのうえでロードは「しかし」と言葉を紡ぐ。
「それは英雄になれる舞台と、英雄に相応しい人物を用意すれば済む話だ」
遠くにいる邪龍体がまた叫ぶ。先程までは壁の上や城門の前にいる者達に視線を向けていたのだが、今は視線をいろんな方向に動き回っている。
周囲から攻撃を受けているのかと思ったがそうではない。壁の上の兵器は破壊されており、さっきまで居た兵士達の大半が居なくなっている。邪龍体の周りにいた冒険者達も退いて距離を取っている。しかし邪龍体は何かと戦っているかのように手足を振り回していた。
エリーは目を凝らして邪龍体の方を見た。邪龍体の周囲を動き回っている人物がいる。邪龍体はそれを攻撃しているが全く当たらず、逆に反撃を喰らっている。
たった一人で邪龍体に立ち向かうその姿を見て、エリーは己の気が高揚するのを感じていた。
「物語が無いのなら作ればいいんだよ」
死の恐怖が迫って来ていた。
人々は城壁に囲まれた内地に逃げようと城門に向かっていた。しかし城門に続く道の近くには邪龍体が居座っている。さらには戦闘による残骸のせいで道が荒れているため進むのも難しくなっている。そのため、逃げ遅れてしまった人々は出来るだけ遠回りして内地に向かっていた。いつ邪龍体が自分達に牙を向けてくるか、その恐怖に怯えながら。
そして邪龍体を倒すために集まった兵士や冒険者達も、同じように恐怖を感じていた。
兵器を使っても、どんな場所を攻撃しても、倒れる様子が全くない。逆に自分達は一撃でも喰らえれば戦闘不能に陥ってしまう。
彼らの中には体格差がある相手と何度も戦って来た猛者もいる。そういう相手との戦い方も熟知している。だがこの邪龍体はそれらとは一線を画すほどのモンスターだった。
体の芯を揺さぶるほどの憎悪が、そう感じさせていたのだ。
今まで戦って来たモンスターの中には、感情をぶつけてくる個体はいた。それにより苦戦することはあったが、ここまで心が揺さぶられることはなかった。その原因が邪龍体だということも、このモンスターが普通じゃないということにも、気づくのに時間はかからなかった。
何度も何度も強烈な憎悪が、兵士と冒険者達の精神を傷つけてくる。全く倒れる気配のない相手を前に、体力だけではなく精神も疲労していく。次第に心が折れる者が増えてきていた。
倒せない、勝てない、死んでしまう。頭の中に絶望が浮かぶ。ここで死ぬんだと思う者が大勢いた。戦う者、逃げ惑う者、動けない者。その場にいる全ての者が死を意識していた。
だからこそ、彼女の存在は一際輝いた。
突如現れた彼女は単身で突っ込み、邪龍体の注意を引きつけた。皆が避難する時間を稼ぎ、冒険者達が体勢を整え直してからもずっと戦っていた。
軽やかに跳び回り、時には鋭く切り込む。反撃を喰らいそうになっても、咄嗟の機転で回避して立て直し、再び邪龍体に挑んでいく。邪龍体は何度も立ち向かっていく彼女に意識が向き、他の冒険者達に目も向けなくなっていた。
皆が苦戦していた邪龍体を、彼女はたった一人で翻弄させている。冒険者達だけじゃなく、兵士や一般人も彼女の姿に視線を向ける。
その中の一人に邪龍の討伐に参加した冒険者がいた。彼は邪龍と戦うソランの姿を見ていた。絶望的な状況で、圧倒的な力の差のある相手を前に、たった一人で立ち向かう。その姿はとても頼もしく、英雄の何相応しい存在だった。
そして彼は、ソランと同じ面影を彼女に見ていた。
皆を救い、希望を抱かせ、絶望から光を照らす存在。邪龍を倒したときのソランと同じだった。
ここには彼女よりも歳が上で、知識も経験も豊富で、冒険者歴の長い者は多くいた。だがこの場にいた全員が彼女に全てを託し、見届けていた。
どれほど時間が経っただろう。邪龍体の動きが鈍くなり、逆に彼女の動きのキレが良くなっていく。表情こそ険しいが疲労した様子は無い。終わりの時が近づいているのを感じていた。
最後の足掻きか、邪龍体が大口を開けて街の方に向ける。光線の発射を止めようと、彼女は邪龍体の頭部に向かう。
そして頭部に到着した彼女は光線を撃たれる前に、少し息を整えてから邪龍体の頭に双剣を突き刺した。
この日、その場にいた者達は目撃した。
彼女が邪龍体を倒す場面を。絶望の闇を晴らすときを。
英雄が生まれる瞬間を。




