22.もっと強くなりたい
「今宵もお主が先に来ておったか」
冒険者寮の屋上は常に解放されており、よく冒険者達が鍛錬に使っている。しかし灯りが無いため、夜になると視界が悪くなり使用者が少なくなる。だから夜に使う場合は自前で灯りを用意する必要があった。
食事を手早く済ませて屋上に行くと、使用者は誰もいなかった。人目を気にせず鍛錬できることに安堵しつつ、万が一後から誰か来ても良いように邪魔にならない端の方で鍛錬を始めた。そのすぐ後に屋上にハルトもやってきた。
「遠征が終わってから、部屋だけではなくここでも会うことが多くなったな。拙者が屋上に来ると必ずお主がおる。毎日来ておるのかな」
「そんなことないと思うよ。会うのは多分偶然だよ」
嘘だった。遠征が終わってから、僕は毎日屋上で鍛錬をしている。ハルトもよくここを利用しているが、僕ほどではないから誤魔化せる。
「そうか。凄い偶然だな」
ハルトは僕から少し離れ、灯りを床に置いて鍛錬を始める。僕の言葉を信じたのか、ハルトは特に追及することはしなかった。噂だけで人を判断しない性格だが、それでも僕のことは耳に入っているだろう。
僕がウィストに寄生しているという噂を。
邪龍体の捜索は、グラノティルスを倒したことで終了となった。その後は情報を共有するために本拠点に戻り、他の調査隊の冒険者と合流した。未開拓地の邪龍体が掃討されたことを知った冒険者達は皆、肩の荷が下りたのかすぐに宴会を始めて宴を楽しんだ。失敗すれば邪龍の脅威を未来に遺し、その責任を問われる可能性があったのだ。そのプレッシャーから解放されたのだからはしゃぐのも無理はない。
その日の宴は大賑わいだった。モンスターが生息する地にいるということも忘れ、冒険者達は明日のことを考えずに飲み食いしていた。普段は宴に混ざらないエギルも参加し、いつもなら恐れられていて誰も近づきたがらないはずなのに今日は多くの冒険者達が彼の周りに集まっていた。エギルは多くの冒険者が手も足も出なかった邪龍体のグラノティルスを討伐した一人なので当然のことだ。
そしてそれはウィストにも当てはまる。以前ニャガを倒したとき以上の人数が、ウィストの周りに集まっていた。僕は彼女の近くに座していたのだが、彼らに遠慮してしまって席を外してしまった。
それ以降調査隊は従来の仕事である未開拓地の調査に取り掛かった。邪龍体の探索のためだけに駆り出されていたはずの僕だが、調査にも参加することになった。邪龍体のグルフとグラノティルスの襲撃で多くの冒険者が怪我をして動けなくなり、それにより欠けた戦力の穴埋めをするためだ。
元々僕の実力は遠征に加われるほどのものではない。そのため僕のグループは比較的安全な地域を調査することが多かった。だが時々、ウィストだけは別のグループに参加して危険な地域の調査に向かうことがあった。そのグループにはエギルもいた。
「人手が不足している。それに彼女の実力ならついて行けると判断した」
ロードさんはそう言って僕とウィストに別行動をさせた。その間僕は他のグループに加わって調査をした。そのグループは『英雄の道』の団員だけで固められていた。彼らは余所者である僕を快く受け入れてくれて、そのお陰で不自由なく調査を行うことが出来た。
そして遠征を終えて帰ってきた翌日、その日からウィストは人気者となった。ウィストが邪龍体を二体も倒したという話が広まったためだ。彼女を見下していた人達が掌を返してお近づきになろうとするさまを見て少しだけ胸がスッとした。
連日、ウィストの下には多くの人が訪れた。マイルスにいたときにも見た光景だった。だからしばらくすれば熱狂も収まり、じきに静かになるだろうと思っていた。
だがその見通しは甘かった。一週間、二週間経っても一向に収まる気配のない熱狂。その原因はウィストに対する期待だった。
「ウィスト・ナーリアは新たな英雄だ。彼女ならきっと邪龍を倒してくれる」
遠征直後はただウィストの功績を讃える者がほとんどだった。だが日が経つにつれて邪龍体の脅威が冒険者や住民に知れ渡り、よりウィストの偉業が際立つことになった。さらにはエギルと互角の力を持っているというのも彼らの勢いを後押しした。ウィストが台頭すれば相対的にエギルの価値が下がる、それを期待しているからだ。冒険者以外にもエギルに辟易としていた者は多かった。
優秀な冒険者達が苦戦する邪龍体を倒せるエギル以外の冒険者。彼らがウィストを推す理由がそれだった。
同時にウィストに近づこうとする者も増えてきていた。冒険者からのチームの誘いや、ギルドを通さない依頼主からの依頼の持ち込み、そして自分達が作った装備や道具を宣伝のために使ってもらおうと職人達だ。なかには本当に助けを求めている人はいたが、そのほとんどがウィストを利用して名を上げようとしている者だった。
それ故に彼らは、既にウィストに取り入ることに成功している者を羨み、妬んでいる。しかもその人物が自分達とたいして実力差もなく、遠征でたいした実績をあげなかったと知ると蔑み、攻撃的になった。
あいつがいるからウィストは今まで無名だった。あいつがいなければウィストはもっと強くなれた。ウィストに寄生している無能な冒険者だ、そんな陰口が度々聞こえていた。呆れるほどにばかばかしかった。ウィストの評価が低かったのはお前らのせいだろと言ってやりたかったくらいだった。
その一方で、そんな陰口を気にしている自分もいた。鍛錬を始めたのは遠征から帰ってきてからだから陰口は関係ない。だがウィストの相棒としては実力不足であることに間違いない。それは遠征で嫌になるほど痛感した。
アリスさんの下で行った修行のお陰で僕は強くなった。だがそれでも足りない。もっと力が必要だ。
今はまだ大丈夫だ。だがこの状態が続けばいつか限界が来てしまい、またあのときと同じことをしてしまうかもしれない。二度と彼女の涙は見たくなかった。
「拙者はそろそろ部屋に戻るが、お主はどうするのだ」
建物の灯りが少なくなってきた。ハルトが鍛錬を終えて荷物を片付けながら僕に声を掛ける。
「あと少しで今日の分が終わるから」
日が経つにつれて、日課となった鍛錬のメニューの消化が遅くなってきていた。冒険と鍛錬の疲れが溜まっている。睡眠と食事だけでは回復しきれなくなっていることを感じ始めていた。だ。だからと言って休むわけにはいかない。ここで休めば……。
「体を虐めすぎるといつか壊す。たまには労わってやったらどうだ」
「大丈夫だよ。疲れてるけど痛くはない。それにあと少しで終わるからこのくらい……」
「体だけではない。追い詰めすぎると先に心が壊れてしまうぞ」
その言葉に僕は手を止めてしまった。やはりハルトは僕が陰でなんて言われているのかを知っている。
ウィストと同じだ。ハルトも僕を気遣ってそう言ってくれてるのは分かってる。無理をしているように見える僕が心配なのだろう。
だけどそれが腹正しい。僕はそこまで弱く、脆く見えるのか。
「僕のことは気にしなくていい。早く部屋に帰りなよ。明日も出かけるんでしょ」
「もちろんすぐに戻ろう。しかしお主もじきに終わるというのなら、少し待つこともやぶさかではない」
「なに? 僕がちゃんと終わるか監視するつもり? どうでもいいでしょ、そんなこと」
「怪我で冒険者生命を絶った者は多い。その怪我は冒険時だけではなく鍛錬中にも起こりゆる。過剰な鍛錬により体を酷使したことが原因だ」
「そんなやわな鍛え方はしてないよ。もっと過酷なしごきを受けてきたんだから」
「怪我以外の引退の理由は精神的な問題だ。周囲に敵しかいない環境で過ごすことの多い冒険者は精神的な疲労も大きい。ストレスに耐え切ることができず、ある日突然引退してしまう。お主よりも若い冒険者でもそれが原因で引退したという話を聞いたことがある」
「昔から我慢は得意なんだ。それくらい耐え切れる」
「そして仲間の死」
言葉が詰まった。喉元に刃を向けられたときのように声が出なくなる。
「仲間が死んだことで責任を感じた。仲間がいなくなったことでいつもの動きができなくなった。仲間が去ったことで辞め時を得た。仲間が理由で引退する事例も多い。逆に奮起する者も少なからずいるがお主はそうには見えん」
ハルトがじっと僕を見つめながら言う。
「お主がこれほどまで鍛錬に励む理由はそれなのだろう。相棒のことを想って強くなろうとしておる。しかしそれが原因で心も体も壊してしまっては―――」
「だったらどうすればいいんだ」
やっと口から出たのは、子供の癇癪のような声だった。
「ウィストは僕の遥か先にいる。ウィストの力を引き出せる奴がいて、そいつは彼女を狙ってる。今は嫌ってるけどこの先もそうとは限らないし、周りの圧力に負けてしまうかもしれない。そしたら僕が強くなるしかないじゃないか」
僕が強くなればウィストがエギルに奪われることも、僕のことを寄生冒険者なんてことを言う奴もいなくなる。そしてウィストが行きたい場所で冒険ができるようになる。上級冒険者になれば行ける場所が増え、これまで以上に冒険が楽しくなる。だからそのためには、今は体を痛めつけてでも鍛えるしかなかった。
「お主の心情は理解した。しかしそれでも体を酷使してはいずれ限界が来る。せめてやり方を変えてみてはどうだ」
僕の気持ちを分かったかのような口ぶりだった。やり方を変えろと言うが言うのは簡単だ。そんな方法、早々と思いつかない。
「変えろっていうけどどう変えろって言うんだ。今更これ以外の方法って言われても」
僕のやっている鍛錬は、アリスさんから教わったものを基にしている。地道な筋力トレーニングが多く、時間がかかる分確実に力となる鍛錬だと聞いた。事実、それで強くなれたという自覚はあった。
「冒険と鍛錬を毎日していれば体の負担が大きすぎる。時には休養日を入れるか、時間は短いが質の高い鍛錬に変えた方が負担は減るであろう。拙者としては前者がお勧めだ」
だがそれでは不安が残る。休んでいる間に鍛錬をしないとウィストに追いつけないのではないか。そんなことを考えてしまい休むに休めないかもしれない。
「……ちなみに質の高い鍛錬って言えば、ハルトはなにを思いつく?」
「そうだな……。一つは優れた師から指導を受けることだ。師の下で指導を受ければ効率的に鍛錬を行えるであろう。それ以外となれば実践であろう」
「実戦? 冒険から帰って来てからまた街の外に出るの?」
「そういうことになるな。だからお勧めはせん。この街以外でならな」
そう言ってハルトは視線を僕から逸らしてある建物を見た。
「だがエルガルドでは、街の中で実戦経験が積める場所がある。しかし冒険から帰ってきて挑戦するのは負担が大きいな」
「だから大人しく休息すべきだ」というハルトの言葉は、僕の耳を通り過ぎて行っていた。




