19.手
「大したことなかったな」
ウィストとエギルの周りに動くグルフが一頭もいなくなった時、ため息交じりにエギルは言った。戦っているときは遊び道具を見つけた子供のように楽しそうにしていたのに、今はそれに飽きたかのように冷めた眼をしていた。
二人に襲い掛かったグルフはおよそ二十。それらすべてが地面に倒れて動けなくなっている。遠くから誰かが戦っている音が聞こえるがグルフが向かってくる気配は感じない。おそらく小拠点に侵入してきたグルフはすべて倒したのだろう。
それほどの働きぶりをしたというのに、二人は息を切らしておらず平然としていた。
「つっても、今回の遠征では一番楽しめたな。戦術はワンパターンだったが統率は取れてた。もう少し実戦経験があったらもっと楽しめたんだがな」
「楽しむって……なに言ってんの。この襲撃で怪我した人や今も戦ってる人がいるのに……」
「あ゛? なに良い子ぶってんだ。お前も同じだろが」
エギルがウィストに向ける目は、僕に向けるものとは別に見えた。見下すようなものではなく、少し親しみを持っているような。
「しっかり見てたぜ。楽しそうに戦ってる姿をな。他の奴らと一緒に戦ってるときには全く見せなかったくせにな」
「あんたの気のせいよ。それよりもすぐに他の皆を助けに行かなきゃ。ヴィック、行こ―――」
「誤魔化すなよ」
僕の方に来ようとしたウィストを、エギルは腕を掴んで引き留めた。
「離してっ―――」
「お前と俺様は同類だ。お前自身、それはよく分かってるはずだ」
「そんなの知らない! 手を離して!」
「今の戦い、俺様がお前の邪魔をしたか? むしろお前の力をいつも以上に発揮させたはずだ。そしてお前も俺様を見て動きを合わせた。あそこまで息の合った連携は初めてだ。お前だってそうじゃないのか」
「そんなことどうでもいい! 私はあんたとは組まない! 近づかないで!」
「息が合ってたことは否定しないんだな」
「っ……!」
ウィストが空いていた右手で剣を振るうが、エギルは手を離さずに回避した。
「図星か。良い加減素直になれよ。俺様と組めば最強のチームになれるぜ」
「うるさい! いいから離して―――」
「いい加減にしろ!」
僕は二人の間に割り込んでエギルを突き飛ばす。エギルは僕の手を避けることなく、素直に手を離して距離を取った。
「ウィストは僕の相棒だ! 前にもそう言っただろ! いい加減諦めろ!」
目の前でしつこくウィストを引き入れようとする姿を見て、さすがに我慢が出来なくなった。相手が最強の冒険者でも関係ない。恨まれることを覚悟して、断固拒絶する意思を見せた。傲慢なエギルのことだから、僕の行動に憤慨しているだろう。
だがエギルの顔に怒りはない。むしろ笑っていた。それがとても気味が悪かった。
「必死だな、身の程知らず。俺様達の戦いぶりを見てまだそんなことが言えるんだな。あまりの馬鹿さに笑うことしかできねぇよ」
「ヴィックは馬鹿じゃない! ヴィックは私のために強くなってくれたんだから。馬鹿にしないで」
「何でお前はそこまで分かってて普通にチームを組んでんだ? 腕は良いがこいつより馬鹿なんだな」
「……どういうこと?」
「あ゛? ガチで気づいてねぇのか。このままだと―――」
エギルが言いかけた瞬間、離れた所から大きな音が聞こえた。葉が揺れて木が薙ぎ倒されるような音が、一つだけじゃなく何度も聞こえてくる。しかもその音は徐々に大きくなっていた。
そして同時に嫌な空気を感じ取る。今までなぜ気づかなかったのかと思えるほどの強烈な邪龍の気配が肌を刺す。まだ姿すら確認していないというのに。
「メインディッシュが来やがったな」
「グルフ、じゃないよね」
エギルとウィストもその気配を感じ取る。地を揺らすほどの足音が聞こえる。その足音の主は小拠点を囲っていた柵を破壊し、宿泊用のテントを蹴り飛ばしながら向かってくる。そして空気が震えるほどの大声を発した。
「ギャオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
僕達の目の前に現れたそれは、未開拓地に来て一番大きなモンスターだった。
何でも食べてしまいそうな大きな口と牙を持ち、太く長い尻尾を生やし、手のような形の前脚と十メートル近くの体を支える後脚で動くそれは、この地に来たときに最初に教えられたモンスターだ。
「グラノティルス。この一帯で最強格のモンスターだ。まさかこいつが邪龍体になってたとはな」
危険で凶暴。未開拓地に選ばれた冒険者でも勝てる者は少ない相手だ。本来体は赤黒いらしいが、邪龍体になっているせいか体のほとんどが黒い。見るからに邪龍体になっていることが視認できた。
見たら戦わずにやり過ごし、仲間に報告することを指示されていたモンスターだ。それが邪龍体になっているのだから、どれほど危険なのかは容易に想像できた。そして仮にこのモンスターのことを知らなくても、実際に対面すればその危険性を肌で感じ取ることができた。
冷や汗が頬を伝う。これほどのプレッシャーを感じたのは邪龍以来だ。あの邪龍よりも強くはないだろうが、強敵なことに変わりない。グラノティルスの威圧感を受け、体が固くなっていた。
だがそれは僕だけだった。
「楽しそうな相手だ。そう思うだろ」
「思わないよ。こんな危なそうなの、早く倒さないと」
「良い心構えだ。これほどの相手を前にしても怖気づかないとはな」
エギル、ウィスト、ロードさんは邪龍体のグラノティルスを前にしても平然と会話している。エギルやロードさんはともかく、ウィストもいつも通りに振舞っている。
エギルには強さが、ロードさんには経験がある。だからあのグラノティルスを前にしても怖気づかない。今までに何度も同じような相手と戦ってきたからだろう。
じゃあウィストは?
彼女は天才だ。だがエギルやロードさん達ほど強敵と戦っていない。強敵と戦った経験は僕とたいして変わらないはずだ。だというのに、なぜ普通にしていられるのだ?
「ゴオォ! グオォオ!」
グラノティルスは暴れまわり、小拠点の施設を破壊しまくっている。何人かの冒険者が対応しているみたいだが、グラノティルスが大人しくなる様子は全くない。彼らも邪龍体のグラノティルスには手を焼いているようだ。
「あれを倒せばこの遠征の目的を達成したようなもんだ。さっさと行くぞ」
「言われなくても行くよ。ほらヴィック、行こ」
ウィストが僕の手を引いて前を進む。一緒に進もうとするが、思ったように足が動かずに躓いてしまう。すぐに逆の足を前に出すことでこけずにすんだが、その様子をウィストに見られてしまった。
「大丈夫? ヴィック。疲れてる?」
「いや、大丈夫だよ。動ける。戦えるから……行こう」
ウィストに心配かけまいと即座に答える。足も動く。ウィストと一緒に戦える。
だけど体の震えが止まらない。あのモンスターと戦う自分の姿を想像できない。こんな状態で戦えるのか? ウィストの隣にいられるのか?
徐々に足が重くなり、手汗が止まらない。ウィストと一緒なのに、あのモンスターと戦いたくないと思っている。あんなにもウィストと一緒に戦いたかったのに、今はそんな気が全く起きない。
戦うのが怖い。ウィストと一緒に居て、そんな風に思うのは初めてだった。
「おい」
エギルが僕の前に立つ。そして僕を突き飛ばした。僕は何の抵抗もできず、その場に尻餅をついていた。
「ちょっと! 何してんの!」
ウィストはエギルに対して怒りを露わにする。一方のエギルはウィストを見ず、僕を見下ろしていた。
「邪魔だからだ。今のこいつは正真正銘の足手纏いだからな。そこで休んでろ」
「あんたが勝手に決めないでよ。ほらヴィック、行くよ」
ウィストが僕に手を差し伸ばす。その手を取って立ち上がれば、一緒にグラノティルスと戦うことになる。その時僕はどうなるのだろうか。
邪龍の姿が頭に浮かぶ。ソランさんが命と引き換えに倒したモンスター。それが再び誕生するのを阻止するために遠征に参加した。それが生き残った僕がすべきことで、使命のように思っていた。
だが邪龍体のグラノティルスを前にして、あの時と同じ状態に陥っていた。恐怖と絶望で何もできなくなってしまったあのときと。
「ヴィック? どうしたの?」
一向に手を取らない僕を、ウィストが不思議がっている。彼女には分からない。僕が何で動けないのか。
だがエギルはそれを分かっていた。
「そいつは放っとけ。それよりも、もう目の前まで来てんぞ」
グラノティルスは小拠点の中央近くまで来ていた。多くの冒険者が対処してるが一向に止まらない。すぐに僕達のところに来るだろう。
ウィストはグラノティルスを一度確認してすぐに僕を見る。
「ごめん、先に行くね」
そう言ってウィストはグラノティルスに向かう。僕はまだ動けず、地面に座り込んだままだ。
その様子を見てエギルが言った。
「お前は理解できただろ」
エギルのことは嫌いだ。だがこの時ばかりは感謝してしまった。
あの邪龍体と戦わずに済んだことに。




