17.邪龍体の群れ
頭では考えていなかった。ただ見慣れた速度だったから、反射的に体が勝手に動いていた。僕は突進してきたグルフを盾で受け、勢いを流すようにしてグルフを弾いていた。アリスさんから受けた鍛錬の賜物だった。
鍛錬ではたまにエンブのレンに協力してもらっていた。眼にも止まらぬほどの速度で不規則に動くレンの攻撃から身を守るための鍛錬だ。何度も行ったため、今では自然に体が動く程だった。そのお陰で不意打ちにのようなグルフの攻撃を防ぐことができた。あのときと同じような速度だったから。
つまりグルフは、レンと同じほどの速度で動いていたということだ。
「ヴィック、大丈夫か?!」
ユーリが僕を心配して声を掛ける。それと同時に茂みの奥から動く気配があった。しかも複数。
「大丈夫! それより次が来るよ!」
再び盾を構えると、その直後に別のグルフが跳びかかって来る。さっきのグルフと同じ、眼にも止まらぬほどの速さだった。
高速で動くグルフの突進をすべて受け流す。何度かは受け流し切れずに腕に衝撃が来る。グルフとは思えないほどの威力だった。
「こいつらホントにグルフか?! もしかして邪龍体じゃないのか?」
「多分そうです。けど、なんでこんなに……」
グルフとは思えないほどの瞬発力と筋力、そして体格。邪龍体ならばこれほどの変化も納得できる。理解できないのはそれが一頭だけではなく、何頭ものグルフが同じように変化しているということだ。邪龍体になれるのは、邪結晶一つに一頭だけではないのか。
どちらにせよこれは異常事態だった。すぐに仲間に報告する必要があった。
「ユーリ、すぐに笛を吹いて!」
「言われなくても―――」
ユーリが首にかけていた笛を手に取る。警備担当に配られる物で、問題が発生した際には鳴らして仲間に伝えることになっていた。
ユーリは息を吸ってから口に笛を加えようとする。その瞬間、上空で何かが動いている姿が見えた。グルフが木の上からユーリに跳びかかっていた。
一部の例外を除いて獣型は木を登れないはずだ。なのになぜあのグルフは木の上に登れた?
上から襲い掛かって来るグルフにユーリも気づいたが、対応されるよりも早くグルフがユーリの笛を持つ右腕に噛みついた。すると右腕に着けていた防具が、高く大きな音を立てていた。
「ぐあぁっ!」
防具をつけているはずなのに、ユーリは痛がっている。歯も強化されているのか。すぐに引き剥がそうとすると、グルフは即座に退いて反撃を躱す。そしてグルフを離したにもかかわらず、ユーリは右腕を動かさなかった。
「やべぇ。今ので折れたかも……」
たった一回、たった数秒噛まれただけで、鍛えている冒険者の腕を噛み折った。その力は僕の知っているグルフとはかけ離れていた。
予想外の出来事の連続に混乱する。笛を吹かせるか、それとも先に逃げるか。どちらにせよ早く決めなきゃいけない。なのにどっちにすべきかすぐに答えが出なかった。
戸惑う僕達を助けたのは、小拠点から聞こえた笛の音だった。背後を見ると、笛を吹くオリバーさんの姿があった。
「耐えろお前ら! すぐに助けるぞ」
笛を二度吹いたオリバーさんが僕達の下に駆けつける。それに気づいたグルフがオリバーさんに跳びかかる。オリバーさんは何とか回避したが、僕達と同じように面食らった顔をしていた。
「何でこんなに速いんだよ?! グルフだろ、こいつら」
「邪龍体です。しかも一頭だけじゃないです。多分全員です」
「全部が邪龍体だと?! 聞いてねぇぞ!」
ベテラン冒険者のオリバーさんも戸惑いを隠せない。落ち着きを取り戻せない状況でも、グルフ達は手を休めない。グルフ達は再び多方向から跳びかかって来た。
「気を付けてください! 力も強くなってます!」
グルフの突進を槍で受けた後、オリバーさんが痛そうな表情を見せた。
「そういうことは先に言え!」
「すみません!」
予想外の出来事が起き続けて頭が回らない。そのせいで基本の情報共有すらできていない。オリバーさんが来てくれても、冷静さを取り戻せていない。
ここは一旦退くべきだ。ユーリのことはもちろん、この状態で戦っていたらいずれ僕もやられてしまう。
「オリバーさん、拠点に戻って仲間を待ちましょう!」
「そのつもりだ!」
オリバーさんはユーリの前に出てグルフの攻撃を防ぐ。僕もユーリを守りながら二人と一緒に拠点へと戻る。流石のグルフも僕とオリバーさんに守られてユーリに攻撃できなさそうだった。
だがそれでもグルフの攻撃は続く。鋭い突進で僕とオリバーさんに襲い掛かって来る。何とか防ぐがそれしかできない。反撃しようにも突進の衝撃に押されてすぐに攻撃できずに逃げられてしまう。僕より体の大きいオリバーさんも、防ぐのに精一杯だった。やはりここは守りに専念すべきかもしれない。
なんとか出入り口前に着くと、拠点から冒険者達がやって来る。皆、大勢のグルフと僕達の様子を見て驚いていた。
「おいおい、笛が鳴ったから来てみたがなんだこれは? 何でグルフにそこまでやられてんだ」
「こいつらは邪龍体だ。しかも全部がそうらしい」
「本当か?」
「そうじゃきゃここまで苦戦しないよ。俺達が知ってるグルフとは比べ物にならないほどの強さだ。そのせいでユーリがやられた。気を付けろ」
「まだ生きてるけど、ちょっと戦えなさそうかな」
援護に来た皆がユーリの姿を見て真剣な表情を見せた。事態の深刻さを察したようだ。
グルフは見たところ十頭程度だが、この拠点には二十名ほどの冒険者がいる。まだ全員来てないが間もなく到着するだろう。そうなればグルフ達を撃退できる。それまで耐え続ければ……。
冷静さを取り戻したところで再びグルフに視線を向ける。グルフ達は僕達から距離を取って睨みつけている。流石にこの人数だと迂闊には攻めに来ないようだ。
この間に援軍が来てくれたらと願っているときに、一頭のグルフが遠吠えを始めた。他のグルフに比べて、少し大きな個体だ。そいつが長く大きな遠吠えをし、声が周辺に響いた。
そして長い遠吠えが終わった後、再びあの存在感を感じた。目の前からだけではなく、もっと遠くから。
「おい、もしかして……」
「まだいます!」
感じたことを全員に伝える。一刻も早く伝えなければ手遅れになる。
「ここだけじゃない! グルフはまだいます! この拠点の周辺に!」
直後、遠くから何かが動く音がした。視線を向けるとあちこちから別のグルフが飛び出してきており、そいつらは柵を飛び越えて小拠点に入って来た。
小拠点の中には戦えない補助員がいる。彼らが襲われたらひとたまりもない。誰かが守りにいかないと。
「ここは任せます!」
僕はその場から離れて近くの補助員の下へと向かう。近くには治療室があり、そこには着いて来てくれた医者と看護師がいるはずだ。
すぐに治療室に向かうと、別方向から来たグルフが治療室に入っていくのが見えた。その直後に若い女性と男性の叫び声が聞こえた。僕も続けて入ると、グルフが医者に覆いかぶさっている光景が目に入った。若い女性の看護師は、怖がって尻餅を着いていた。
すぐさま駆け寄ってグルフに剣を振り下ろす。完全に胴体を捉えていたが手応えが無い。グルフの毛皮が硬く、刃が通らなかったのだ。
「くそ!」
今度は両手で剣を持って振り下ろす。だがその直前にグルフが反転して跳びかかって来て押し倒された。
地面に押し倒された僕にグルフが噛みつこうとしてくる。剣で防いだ後、グルフの胴体に向けて杭撃砲で火杭を撃つ。流石のグルフも火杭は耐え切れず、グルフの体が抉れて息絶えた。
何とかグルフを倒せた。だがギリギリだった。しかも杭撃砲を使ってやっとだ。一頭倒すだけでこれだけ消耗して、あのグルフの群れを倒し切れるのか。
不安を抱きながらもすぐにその場から立ち上がる。襲われた医者の容態を診ると、腕を噛まれて血を流していた。
「看護師さん、すぐに治療してあげてください」
腰を抜かしている看護師にお願いしたが、「は、はい」と言うだけでなかなか起き上がらない。まだ怖がっているようだ。いきなりモンスターに襲われたんだから無理もないが、治療できる人は彼女しかいない。
「あなた達のことは僕が守ります。だから彼を治してください」
僕が手を伸ばすと、彼女は手を震わせながら僕の手を掴む。引っ張って起き上がらせるが、彼女の体はまだ震えている。まだ怖がっているようだ。
彼女が治療している様子を見ていると、治療室の外からグルフの足音が聞こえた。またここを襲いに来たようだ。
僕は戦いやすい外に出てグルフを迎え撃とうとした。二頭のグルフが僕の方に向かって来ている。一頭でもあれほど苦戦した相手だ。なんとか時間を稼いで援軍を待とう。
持久戦を覚悟して盾を構える。どうやって二頭のグルフを相手取ろうか。その方法を考えているとき、視界の両端からグルフに向かう二つの姿が見えた。
グルフの体は硬く分厚い毛皮に覆われている。普通の剣では斬れないほどだ。だがその二人は、いともたやすくグルフの体を切り裂いた。
二頭のグルフは斬られた拍子に地面に転がり、そのまま動かなくなる。助けてくれた二人はすぐに僕の方に振り返る。
「ヴィック! 大丈夫?!」
一人は僕の相棒のウィスト。彼女は心配げな顔で僕に声を掛ける。
「ったく、何でお前らはこんな雑魚に苦戦してんだか」
もう一人はエギル。いつもどおり、見下すような視線を僕に向けていた。
「大丈夫だよ。けど気を付けて。こいつら邪龍体だ。しかも一頭だけじゃない」
「なるほどな。だからこんなに苦戦してんのか。いくらなんでも普通のグルフに負けそうになるほど弱くはないか」
エギルが愉快そうに笑う。この状況下でもエギルには余裕があった。
「そういうことなら働いてやる。一刻も早く邪龍体を倒して帰りてぇしな。おいウィスト」
「なに」
不機嫌そうな声でウィストが返事をする。
「グルフを集める。二人で倒すぞ」
エギルは倒したグルフの体をナイフで搔っ捌く。そしてグルフの死骸を持ち上げて、体から流れ出た大量の血が地面に落ちる。さらに死骸を前方に投げると、広い範囲に血が飛び散った。
「ちょっと何してんの! また遊ぶ気?!」
「ちげえよ。こうしたらあいつらが集まって来るんだよ。特に獣型は鼻が良いからな」
エギルの言う通り、遠くからグルフが来ているのが見えた。しかも一頭や二頭ではない。十頭近くが向かって来ている。
「さっさと片づけるぞ。早く倒せば戻れるし、仲間も助けられるぜ」
「……分かった」
ウィストは渋々ながら武器を構えた。彼女は僕を守るように背を向けている。
そしてエギルは、僕の方を向いて言った。
「よく見とけ。これが俺様達の本当の実力だ」




