1.見えない背中
聞こえる音は二つあった。一つは僕の足音、早いテンポで床を鳴らす音が耳に届く。もう一つは背後から迫るドグラフの群れの足音。六匹のドグラフは僕との距離を離すことなくついて来る。
ドグラフの足は僕より速い。それなのに追いつこうとしないのは、僕が疲れるのを待ってるからだ。そういう賢い狩りをするということを、散々教えられた。身をもって、嫌になるほどに。
いっそここの通路で迎え撃つという選択肢を以前は持っていた。通路はそれほど広くない。剣を振り回せば剣先が左右の壁に届くほどだ。
その選択肢を取らないのは、同じことを二度行い、どちらも失敗に終わったからだ。一度目はレーゲンダンジョンに初めて入ったとき、二度目は一ヶ月前。三度目をしないのは、その時の経験を踏まえてのことだ。
二度あることは三度ある。だからもうしない。策をもって迎撃しないとやられてしまう。その策を実行するために、僕は目的地目指して走っていた。
レーゲンダンジョンは広大な遺跡が元となっている。そのため遺跡内の通路はある程度整っている。昔は建物として人々が利用していたから当然だ。そして建物内には部屋があることも当たり前。
利用するのはそこだった。
曲がり角を右に曲がると、左手側の壁に四角い穴が開いている。その先には部屋があることから、出入り口用の穴だと予測できる。事前に目をつけていた場所に到着し、やっと頬が緩んだ。さぁ、ここから反撃だ。
部屋に入ってからすぐに振り向き、同時に剣と盾を構える。直後に先頭のドグラフが突っ込んできた。すかさず盾をぶつけて動きを止めると、右手の剣で背中を突き刺す。焦ったか、刺さりが甘かった。すぐにドグラフが引いて、剣が体から抜ける。
先頭のドグラフは、血を流しながらも立ち続ける。致命傷では無いためまだ動けるのだろう。だが時間が経てば動きが鈍るはず。その時に狙おう。問題は残りのドグラフだ。
ドグラフの群れは、部屋の前で止まっている。先ほどの反撃を見て警戒している。迂闊に突っ込めばやられると。
実際その通りだ。
通路とは違い、ここは部屋の出入り口だ。幅は通路の半分以下で、僕の横幅より少し広い程度だ。
一度に通れるのは最大二匹。しかし二匹同時に通ろうとすると、その瞬間に攻撃されたら横に避けられない。だから実質、一匹ずつしか通れない。そしてドグラフは、群れだと強いが、単体ではそれほど脅威ではない。
やっとだ。やっと、ドグラフの群れに勝てる。間もなく訪れるであろう歓喜に、気を高ぶらせられずにはいられなかった。さぁ、来るなら来い。ただし、その瞬間が終わりの時だ。
ドグラフ達は出入り口の前を囲み、じっと部屋の中の様子を窺ってくる。あまり動くことなく、だけど時々仲間と目を合わせて意思の疎通をしている。逃げるか、攻めるか、どちらかの相談をしているのか。
なかなか動かないことにじれったくなったが、間もなくしてドグラフが動き出す。三匹のドグラフが駆けてきた。
三匹だって? 出入り口には三匹も通れる幅はない。一匹はフェイントか?
どれが囮か見極めようと目を凝らす。だが、その行為は無為となった。
三匹のドグラフは同時に突っ込んでくる。一匹は地を走り、残りの二匹は高さを変えて跳びかかってきた。一匹は僕の胴体に、もう一匹は僕の顔を目がけて。
二次元の動きではなく三次元の攻撃。予想だにしなかった攻撃に一瞬怯んでしまった。
「くそっ―――」
剣を両手で握り、思いっきり振り下ろす。一番上のドグラフに切り下し、そのまま地面に圧し潰す。同時に残り二匹のドグラフも巻き添えにした。ほぼ同じタイミングで襲い掛かってきたので、まとめて地面に押さえつけられた。
暴れられる前に止めを刺す。剣を振り上げてもう一度切り下そうとしたが、視界の端に動くモノを捉える。残りのドグラフが部屋に侵入してきたのだ。最悪だ。
部屋に侵入したドグラフは、僕の左手側に回り込んでくる。邪魔される前に、地面に押さえつけたドグラフ達に剣を刺す。その直後に、左手側にいたドグラフが僕の体に突進した。
体重の軽いドグラフだが、勢いをつけられると話は別だ。体勢が崩れ、地面に体が落ちる。すぐに起きようにも、ドグラフが邪魔をしてきて起き上がれない。
一旦剣を放し、空いた右手でドグラフの体を押さえる。体を回転させながらドグラフを突き放すと、その隙に立ち上がりながら再び剣を手に取った。
なんとか体勢を整えたが、事態は悪化していた。
部屋には残りのドグラフ三匹が侵入している。僕を囲むように位置取っており、いつでも襲い掛かってきそうな様子だ。
背中を壁につけて、三匹を視界に入れよう。逃げ場は無くなるが、モンスターを視界の外に置くほうが怖い。
右手側の壁に近づこうと足を動かす。だが、突然の右足の痛みに動きを止めてしまう。
倒したはずのドグラフが、僕の右足に噛みついていた。一番下にいたドグラフだ。おそらく剣の刺さりが甘く、致命傷にならなかったんだ。
すぐにもう一度剣を突き刺して止めを刺す。今度こそ動かなくなったが、その間に周りのドグラフ達が同時に襲い掛かってきた。
三方向からの同時攻撃。逃げ場はない。全部止める術もない。死を意識した瞬間だった。
そして死の未来は、一発の銃声に掻き消された。
銃声の後、出入り口近くのドグラフが倒れる。
「右だ!」
「あいっ!」
次に二人の女性の声が聞こえる。今度は銃声と同時に、空気を裂く風の音が聞こえた。直後に残り二匹のドグラフも倒れて、生き残ったのは僕だけだった。
安心して息を吐くと、「おい」と不機嫌さがにじみ出た声が聞こえた。この一ヶ月で嫌いになった声だ。
赤色のショートヘア―の女性が、ただでさえ悪い目つきを、ますます凶悪にさせて僕を睨んでいた。
「これで五度目だぞ、ヴィック。何回失敗したら気が済むんだ。えぇ?」
上級冒険者兼傭兵のアリス・ガミアさんは、名前に似合わない顔を見せている。
「……ごめんなさい」
「謝れば済むとでも思ってんのか? 楽な冒険者生活送ってたんだな。なぁ、ラトナ」
アリスさんが、隣にいる薄茶色の髪の女性冒険者ラトナに話しかける。
「いやー、ヴィッキーは苦労しっぱなしでしたよー。だからそんなことは……」
「楽な冒険者生活を送ってたんだなぁ。なぁ?」
「えっと、だから……」
「なぁ」
「…………ぁぃ」
「なに。裸で一人でダンジョンに潜りたい?」
「師匠の言う通りです!」
「ラトナも言ってるぞ。楽な生活してきたんだってな」
無理矢理言わせた言葉を、さもラトナの意見のように言わせる。なんて性格が悪くて恐ろしい人だ。改めて認識した。
「しっかし」アリスさんは再び不機嫌な顔を見せる。
「お前ら二人とも、どうしてドグラフの群れくらい対処できないかねー。ラトナは二ヶ月、ヴィックは一ヶ月も経つんだぞ。単独の一群くらいなんとかしろよ」
アリスさんの弟子になってから二ヶ月。入院中は勉強に時間を費やし、完治してからは実践重視でアリスさんの下で指導を受けていた。
入院中、先に実戦形式の指導を受けていたラトナの疲労感あふれた顔を見て厳しい修行だと覚悟していたが、僕の予想よりもはるかに上回る過酷さだった。
一人でドグラフの群れに相手させられ、僕の背丈の倍のあるモンスターに盾なしで挑まされ、僕の体重と同じくらいの荷物を背負わせて戦闘させる等々、一歩間違えれば死亡するような修行を受けていた。
死にかけたらアリスさんが助けてくれるが、そのタイミングがいつもギリギリなため、今度こそ見放されたと思うことが度々あった。多分、死ぬ間際の姿を見て楽しんでるんじゃないかな……。
「だったら教えてくださいよ。対処の仕方。そしたら僕だってやりようがありますよ」
師弟関係になったにもかかわらず、アリスさんからのちゃんとした指導はほとんどない。無茶な戦闘をさせられるだけで、碌なアドバイスはもらえていない。
ウィストに追いつくためにアリスさんに弟子入りしたのに、これでは意味がない。
ウィストは冒険者の町エルガルドにいる。そこは八つのダンジョンに囲まれており、上級に上がろうとする冒険者達が集う町だ。今頃、ウィストはダンジョンに挑んでおり、僕よりもさらに先に進もうとしているだろう。だからもたもたしてられる状況ではない。
強くなるための最短経路を進む。それを望むことは至極当然で、教えるのが師の役目のはずだ。
「お前ってばぜんっ……ぜん分かってないなー」
溜め息を入れて、アリスさんが言った。
「何度も言ってるだろ。よく考えろって。それがアドバイスだ」
「考えてますよ。いろいろと考えて戦ってます。だけどそれでも無理なら、アリスさんに―――」
「師匠」
「……師匠に聞くのが当然じゃないですか」
弟子が師に教えを求めることはおかしくないはずだ。だけどアリスさんはまた溜め息を吐く。
「おいクソガキ」
その呼び名を使うのは、アリスさんが苛立った時だけだ。
「今日はもういい。次はラトナがやる。それを後ろから見とけ」
「えっ……。あたし、もう矢がほとんどないんだけど……」
「モンスターはお前の都合なんてお構いなしだ。良い練習になってよかったな」
「あぅ……」
途端にラトナの表情が暗くなる。申し訳なさで心苦しくなる。
だけど指導を要求したことに悔いはない。
アリスさんの弟子になってから約二ヶ月。冒険者として進歩している気がしない。
見えないはずのウィストの姿が、遠くにいるように感じた。