少女と少年
ヘレナ、ラルフ、そしてフィーネ_3人の間に沈黙が訪れる。
ギギギ…、とやはり古めかしい音を立てて開いたドアが、その沈黙を破った破った。
「まずい、誰か来るぞ」
ラルフが我に返り、ボソボソと呟く。…そして、その”誰か“の声を聞き、より一層困惑した。
「あれっ、誰もいない? ヘレナさーん!」
「ヘレナさん、ユリアです…あいつカンが鋭い上にお喋りだから事態がよりややこしくなります」
重苦しいため息をつくラルフ。きっと、経験者は語る、だろう_ヘレナは今までのやりとりも忘れてラルフに同情した。
「仕方が無いね。ラルフくん、あんたには説明しなくちゃいけないからそこに出すわけにはいかない。…いいかい、くれぐれも騒ぐんじゃないよ?」
すべてを悟ったラルフ。黙って頷いた。
「フィーネ、しばらく待っていておくれ」
フィーネも頷く。
2人に確認をとった後、ヘレナは2人をラルフが今しがた開けたばかりの部屋に押し込み、自分はラルフの妹_ユリアのもとへと向かった。
…そして、今度はラルフとフィーネの間に沈黙が訪れた。
「…俺は、ラルフ。ヘレナさんとは小さい頃から知り合いだ。…君は?」
「私は、フィーネといいます。ヘレナさんに育ててもらってました」
長い銀色の髪、深く澄んだ海のように綺麗な藍色の瞳。…そして、まるわかりの警戒心。ラルフは、あったことのないタイプの異性であるフィーネとの接し方に頭をフル回転させていた。…しかし、そう簡単に名案など思い浮かぶわけもなく。直ぐに間が持たなくなってきた。
「…あの」
予想に反して、沈黙を破ったのはフィーネの方であった。
目でラルフが続きを促すと、フィーネは少し安心したように話し出した。
「ラルフさん…は、どうして私の事、変な目で見ないのですか…?」
その瞳には不安げな色がまじる。少しの期待と、不安。それでいて、何も知らない少女の様な綺麗な瞳。
「どうして…って、初対面の女の人の事あんまりジロジロ見ても失礼だろ」
何となくはぐらかしたように_そう、フィーネには感じられた。だが、彼なりの何か気遣いなのかもしれない…そう思い、詮索するのをやめた。あるいは、彼女自身、他人との距離の図り方が分からなかったのかもしれない。
「そう、ですよね。ありがとうございます」
「どういたしまして」
これがお喋りな自分の友人たちであったら、彼女ともすんなり話せていたのかもしれない、とラルフはそんな事を考える。どうも、彼は女性との距離のとり方が苦手だった。
_失礼だろ、か。確かにそれも嘘ではないな…
彼の本心は、彼のみぞ知る。今は話すべきことではないと、彼はそう悟ったのだった。
ガチャリ、ドアが開けられた。
「2人とも…もう出ていいよ」
ヘレナがドアの隙間からこちらを見ていた。
「あ、ヘレナさんユリア、戻りました?」
「戻ったよ。でも、ラルフくんがいないことに驚いてたから適当に理由つけといてくれないかい?」
「分かりました。じゃあ俺はここで…と言いたいところですけど、ユリアがまだ外にいる可能性もありますよね」
あいつ変なところで好奇心旺盛だから、とラルフ。それに対しヘレナは同意した。
「じゃあ、あたしとちょっと話す時間をくれないかい? 知られた以上、ハイさようならって訳にもいかないんだよ」
いつになく真剣なヘレナの表情に、ラルフは思わずゴクリ、と唾を飲み込んだ。
「はい」
察しのいいラルフも、流石に気が付きはしなかった。ヘレナが、ラルフに一縷の期待を持っていることを_
フィーネ1人を部屋に残し、ヘレナとラルフは2階に上がった。
「あの子のことですか、ヘレナさん」
おもむろに口を開くラルフ、それにヘレナはああ、そうだ、と頷いた。
「実はね…ラルフくんに頼みがあるんだよ」
普段は快活な彼女の少し不安そうな声色に、ラルフは違和感を覚えた。_いったい、自分になんの頼みなのだろう?
そんなラルフの内心を知ってか知らずか…ヘレナは構うこと無く話し始めた。
「簡潔に頼みだけいうとね…あの子_フィーネと仲良くしてやってくれないかい?」
「はい?」
唐突な頼みに、ラルフは珍しく素っ頓狂な声を発してしまった。…仲良く? 年頃の男女が? …しかも、あんな人馴れしていない人と? ラルフの脳内は混乱を極めていた。
「いや、遊んでくれとかそういうのじゃなくてねえ…ただ、たまにここに来て話してやってくれないかってことさ。あんたならもうわかったと思うけれど、あの子、ほとんど他人と話したことはおろか、あったことも無くてね…」
「ええ、その様でしたね。いったいどんな生活をしたらあそこまで他人に対して慣れなくなるのか不思議でしたよ…」
_自分は怖がられているのだろうか…と、そんな心配をしていたのは自分の中だけに留めておくことにした、ラルフ。ようやく冷静さを取り戻したらしい。
「あの子、髪の色がとても珍しいからね…街に出させたら確実に嫌がらせか妙なゴタゴタのターゲットになるだろうと思ったのさ。しかもそんじょそこらの生易しい事情とは違って、髪の色なんて直せないだろう? だから、人に会わせない方がいいと思ってたんだ。…けれど」
ヘレナの表情が少し暗くなった。とても思いつめている様子で、普段のイメージとはかけ離れている_そう、ラルフは思った。
「あの子ももうそれなりの年頃だし…そろそろ外に出させてやらないと、と思ったんだよ。…でも、あの通りあの子はあんな感じで他人と会うと挙動不審さ。だから困ってたんだよ。もっと打ち解けられそうな、同年代の子はいないもんかな、って」
そんな話を聞いて、ラルフはある程度の状況を理解した。…つまるところ、彼女が他の人と話せる様に協力してほしい、と。そんな所だろう。
「それで…俺が今日たまたま彼女の存在を知って、対面してしまった、と」
「そういう事だよ」
でも…と、ラルフ。ここでひとつ疑問が浮かび上がった。_そもそも何故、自分なのだろう? 打ち解けるだけなら男の自分よりも女の子の方がいいのでは? と、率直に思ったのだ。
「あの、どうして俺なんですか? それこそユリアとか、俺の同級生のレミとかの方が俺よりもずっと適任だと思いますけど」
レミ、とはラルフの学校の同級生であり、ここにもよく訪れる少女だ。
明るく、前向きで、少々天然_それが、ラルフの認識する彼女の特徴である。
「…まあそれもあるんだけどねえ、あえてのラルフくん指名ってわけさ。ほら、1度女の子同士で慣れちまうと男の子と全く話せなくなる可能性もあるかもしれないだろう?」
「まあ…言われてみれば、ですね」
それも無くはないか_と、ラルフも納得する。確かに、そういった子がいるのも事実だ。
「やるのは構いませんけど、その…成果が伴うかは俺には全く保証出来ませんよ?」
勿論、彼だってやるからにはしっかりやろうとは思っていた。しかし、なんと言っても彼女は、彼にとって“未知の”領域だ。そんな人と仲良く話せるようになれるかは、彼にとってかなり難しい課題であったのだ。
「勿論、必ず成果を求めているわけじゃあないよ。たまに話に来たり、友だち連れてきたりしてくれたら…きっと、あの子も人と話すことに慣れていってくれるんじゃないか…そう思っているんだよ」
真剣そのもののヘレナの顔つき。…半ばそれに押されるようにして、彼はこう答えていた。
「…分かりました」
_やれるだけやってみよう…そう、思ったのだった。