1召喚勇者のしつこい勧誘
残っていたのは微かな記憶、懐かしい、霞んだ微笑み。仏頂面ばかりだから見れたらいい日だと、笑って言う私に、確か君は眉を寄せていた。
些細な幸福を積み重ねた日常は、失くしてから尊さに気付くのだ。大切だと思っていたのは私の思い込み。本当はもっともっと、かけがえのないものだった。
だから、容赦なく奪われたそれを今度は何としても守ろうと思った。それが誰かを裏切ることになっても、自分をの立場を利用することになっても。
「そんな風に思っていたから、罰が当たったのでしょうか」
「ん?」
「いえ、何でもありません」
思わず零れた呟きを聞いて、怪訝そうな表情をした目の前の人物に頭をふります。そして現実逃避をやめて、心を落ち着かせるために冷めた紅茶を口に含みました。薄まった紅茶はお世辞にも美味しいとはいえず、なんとも言えない渋みが口に残ります。しかし、呆けた頭には丁度よく、おかげで少し冴えた頭で飽きる程見たその顔をもう一度見つめ直しました。
吸い込まれるような黒色の髪と目、黄色味がかった肌、この世界には無い色を持つ少年が目の前に居ました。あどけなさの残る顔は十代後半程でしょう、少し短い髪がどこか快活な印象を持つ精悍な容姿の少年です。
「な、なんだよ、そんな見るなよ」
「ああ、すいません。羨ましいなと思いまして」
「何が?」
「その髪と目です……綺麗じゃないですか、とても」
「こんなの俺の世界じゃ山程いるよ。俺はメリアの髪と目の方が綺麗だと思うけどな」
晴れた日の空みたいだ、と恥ずかしい台詞を満面の笑みで言えるのは天然なのでしょうか、それとも計算なのでしょうか。恐らく前者なのでしょうが何というか、天然たらしというのは彼のことをいうのだろうと常々思います。それに照れない私も中々に可愛げのない女なのでしょうが。
「ってそんなことはいいんだよ!決めてくれたか、あのこと」
「あなたも毎日飽きませんね、お断りします」
自分で言った言葉に気付いたように顔を赤くして、思い出したように問いかける彼に私は頭を横に振ります。男の方ながら可愛らしい方です。乙女ですか。
「なんで!」
「私はこの教会で平和に暮らしたいのです。危険な魔王討伐に参加するなんて嫌です、無理です、死にます」
「身も蓋もねえ、聖女にあるまじき発言だな!この世界が滅んでもいいのかよ」
「何とでも言ってください。所詮人間、自分が大事なのです」
さて、今の会話で大体の方はお気づきかと思われますが、私の名前はメリア・フォルネリア。神の国と呼ばれるこの国で聖女を務めさせて頂いております。まあ、聖女といっても少し特殊な力を持った貴族層の娘が代々半強制的に選抜されるだけなので、見ての通り信仰心などはほとんどありません。真剣な信者にはふざけるなと言われそうですが、質素倹約な生活や一日に数回あるお祈りは一般の教徒と変わらず行っているので許してほしいところです。
「何よりいくら癒しの力があるとはいえ、戦えない私が旅に同行しても足手纏いになるだけだと思いませんか、勇者様?」
そして私の発言に打ちのめされている精神の脆弱な彼は、最近異世界から召喚されたという勇者様です。
ことの発端は数ヵ月前、「魔界で魔王が復活し世界を脅かそうとしている」という噂が世間に広がり、実際に周囲の村や森で魔物の人的被害が増え始めた頃のことでした。
かなりおつむの弱いこの国の王が突然、別の世界から勇者を呼び出しその者に魔王討伐を向かわせようなどと言い出したのです。当然、大臣達は反対したのですが所詮は王権国家、最高権力者である王には逆らえません。やむをえず行われた召喚は、幸か不幸か何の問題もなく成功し、彼は魔王討伐なんてふざけた理由で異世界から召喚されました。
しかしながら、まだ成人にも満たない少年が、突然家族から引き離され別世界に連れて来られ、挙句の果てには魔王を倒して来いなどと言われて素直に頷くはずもありません。召喚された早々に彼は心を閉ざし、部屋に引きこもってしまいました。
それに困り果てた大臣などのお偉い様方は最初の方こそ様々な方法で熱心に説得していましたが、出てくる様子のない彼に徐々に諦めていき、仕事を言い訳に彼を放置していくようになりました。
そんな中、白羽の矢が立ったのは聖女である私です。あの連中は、「聖女として神の言葉を伝え、勇者の心を癒し魔王討伐へと気持ちを奮い立たせてくれ」などと私に言い出し、説得役を押し付けだしたのです。
自分たちで召喚しておいて無責任すぎるとは思いましたが、背中を丸めすべてを拒絶するように頭を抱える彼を放っておくわけにも行かず仕方なく私が説得役を後任するすることとなりました。
そうして何とか、魔王討伐を終えれば元の世界へ帰ることが出来ること、仲間には国の実力者を揃えることなどを説明し、日を重ね説得した結果か、まあ元々なかなかの勇気のある少年だったのでしょうが、彼は部屋を出て旅立ちの準備をしてくれるようになりました。……正直、彼が自ら外へ出て、年相応の笑みで会話をする姿を見たときは心底ほっとしました。以前の彼は生きた精巧な人形の様でしたから。
彼が部屋から出て、勇者としての務めを果たすことを決断した時点で私の役目は終わりました。けれどいろいろ世話を焼いたせいなのか分かりませんがすっかり懐かれてしまって、現在に至っては魔王討伐にまで一緒に行こうとしつこい勧誘を受けている始末なのです。
「治癒ならば魔術師のアベル様も扱える筈です。私がついていく意味が分かりませんよ」
「魔王の討伐パーティに回復役の聖女がいるのはRPGの鉄板だろ?」
「……勇者様、私の分かる言葉で話してくださいませ」
「討伐にメリアは必要だってこと!というかその勇者様ってやめろよ」
「あら、勇者様は勇者様でしょう。他になんと呼べばよろしいのですか?」
「普通に名前でいいじゃん」
齢十七のあなたが頬を膨らませても可愛くありませんよ。顔がいいせいか、女子供にしか似合わない仕草が似合っているのも余計腹が立ちますね。私への当てつけですか。
けれど、これ以上彼を拗ねさせても話が長引き余計面倒なことになりかねません。彼は爽やかな外見に似合わず、いい意味でも悪い意味でもしつこい性格なのですから。仕方ないですね、と溜息をつくと彼はにんまりと悪戯っ子のように笑いました。悔しいですが、私はこの根比べで勝てたことがありません。笑顔が憎たらしいですね、くそう、次来たときは紅茶に唐辛子入れてやりましょうか。
「……それで、|翔也≪しょうや≫様、女性の同行を希望していらっしゃるのなら女戦士のミリア様は如何でしょう。彼女ならば戦闘力としても申し分ありませんし、忠誠も堅い方です。回復でしたら魔術師のマーラ様も先日、勇者様のお役に立ちたいと旅の伴に立候補されていましたよ?」
「……何かメリアに他の女の子勧められるとすげえ複雑なんだけど」
「何故です?」
「いや、分からないならいいよ……何でもない……。つーか逆にどうしてメリアはそんなに行きたくないんだ?」
「外に出るのはめんど、いえ、私にはここで民に神の言葉をお伝えするという大切な務めがありますから」
「ちょ、今本音漏れてたからね!そんなキリッとした顔で言っても決まんないから!!」
失礼ですね。聖女らしく決めたつもりだというのに。
それにしてもしつこい、本当にしつこいです。作り笑顔には自信があるので表情が崩れていることは無かったと思うのですが、余程深くため息をついたせいでしょうか。彼はうっという声を漏らすと、しおしおと花がしおれるように体を縮ませてしまいました。
「分かってるよ。俺だって、メリアを魔界に連れていくことが無茶なことくらい」
「翔也様」
「けど、やっぱり魔界に行くのは不安なんだ。そりゃああいつらは居るけど、個性強すぎてチームワークは全然なってないし、何より誰一人として優しさが足りない。クズとツンデレと無気力ってどういう組み合わせだよ、癒しが一つもねえよ」
遠い目をしながら語る彼にさすがに少し同情の念が湧いてきます。勇者御一行に選ばれた方々は確かに国を誇る実力者たちなのですが、天才と変人は紙一重とはよく言うもので、性格も一癖二癖ある者たちばかりなのです。確かに私もあのメンバーで行動は嫌ですね。病みます。精神的に。
「俺、なんかメリアと一緒にいるのが一番落ち着くんだよ」
「それは私が偶然、この世界であなたと一緒にいる時間が多かったからです。彼らとだって一緒に居れば仲間意識が芽生えてきっとお互いが心の支えに」
「ウォルドも?」
「あれは別です」
にやにやと歪んだ笑みの青年を思い出し思わず即座に否定しました。ウォルドというのは、魔王討伐隊の一員である騎士様の名前です。彼は戦闘の実力は随一なのですが、どうしようもなく性格が屑です。ええ、屑です。大事なことなので二回言いました。仲間の騎士を、訓練と称しひたすらに急所を狙い再起不能にし、わざわざ人からよく見える窓近くの木に吊し上げ一週間放置する性格の悪さです。
「あの騎士以外ならあなたはきっとうまくやっていけますよ。あなたは私をよく慕ってくれているようですが、それはたまたま外にでるきっかけになったのが私だからなんです。ひよこの刷り込み本能のようなものです……あなたはもう私が居なくても平気ですよ」
部屋から出ることが出来たのは彼自身の力です。あの時は甲斐性なしな引き籠りだと正直思いましたが、常識的に考えてあんな環境で冷静でいられるはずはないのです。私は強引に引っ張りだしただけで特に何もしていないのですから。
しかし、彼は私の言葉に納得がいかないのか、不満そうな顔で首を横に振ります。
「そんなことないメリアが居なきゃ俺はずっと外に出られなかった。……今だって……俺はさ、やっぱり不安なんだ。だから、メリアがいて俺を叱ってくれたら俺は正気でいられる」
「私は精神安定剤じゃないんですからそんな力はありません。というか私は戦えないと言いませんでしたか?」
「大丈夫だって、メリアにとって俺は頼りないかもしれないけど、俺は何としてでもメリアを守るから」
「……危険な目に合う上に守られるだけなんてごめんですね」
「言うと思った。でも俺は諦め切れないんだ……君は優しいからさ、こんなこと言うのはずるいって分かってるんだけど」
俯いたまま、手を握る力が強まります。窺うように上目遣いで覗く表情は少し寂し気でした。
「勝手に何もかも違う世界に召喚されて、いきなり魔王倒しに行けなんて鬼畜ゲーすることになった俺に同情してくれない?」
少し弱弱しさを含んだ言葉を零す彼に、私は罪悪感で揺らぐ心を自覚し溜息を吐きました。
“異世界から召喚された魂は、神の祝福を受ける”
そんな言い伝えから召喚された彼は、言い伝えの通り類希なる剣技の才能と、この世界では誰も持っていない光の魔法を持っていました。それでも、彼の住んでいた世界は平和で戦とは縁が無い場所だったといいます。そんな彼にとって死ぬか生きるかの戦いをし、魔王といえど意思を持つ生物を殺すということがどれだけ恐怖を伴うことなのか。私には、想像は出来ません。
「メリアが近くにいるなら、辛い旅でも頑張れると思うんだ」
「……てっきりあなたは厳しい私のことを嫌うと思っていたのですが」
「メリアは確かに厳しいけどちゃんと、思いやりをもって叱ってくれてるだろ?それに、偏見や間違ったことは絶対言わないし」
無邪気に微笑まれ、ぐっと眉間に皺がよってきます。少しだけ熱くなる頬を誤魔化すように頭を振ると、不思議そうに彼はこちらを見ていました。
本当に、質が悪い。彼はそうやって無自覚に人の弱いところついてくるんですから。そうやって、最終的に折れるのはこちらなのです。ああ、惑わされてはいけません、私。今回はいつものものとは違うんですから。魔王討伐なんて重要案件、関わるのは面倒すぎるでしょうが。
「……そろそろ城にお戻りになる時間でしょう。愛しい姫様があなたを今か今かと待っておられますよ」
誤魔化すように言うと、彼は苦々し気に顔を歪めました。王の一人娘であり年頃の少女でもある姫様は異世界から来た彼に熱を上げているらしく、たまに城内で彼を追いかけている姿が目撃されます。良くも悪くも王族らしい方で彼は苦手としているようです。
「メリア、俺があの姫のこと苦手だって知ってて言ってんの?」
「まさか……可愛らしい方ではありませんか。少し我儘なところはありますが」
「あれを少しとは言わないだろ……」
愛らしいドレスと髪飾りで着飾った、美しいブロンドの高笑いする少女が頭に描かれ自然と笑みが浮かびます。ええ、あれは育った環境上仕方のない我儘なんです。まだ、平民を下等と差別するきらいはありますが王族としての自覚を持ち彼女なりに努力はしています。ええ、はい、まだ、まだあの馬鹿王よりはよっぽどましです。
「もう帰るよ。でも、旅のことは真剣に考えておいて欲しいんだ。俺はメリアが必要だし、本気で着いてきて欲しいと思ってるから」
「……分かりました、考えてはおきます。ほら、はやく帰ってください、私も忙しいんです」
真剣な眼差しから目を逸らしながら言葉を返しました。彼の真っ直ぐな黒い瞳が私はどうにも苦手なのです。まだ名残惜しそうな彼をしっしと部屋から追い払った後、読みかけだった報告書に目を向けます。しかしたまに頭に浮かぶ彼の寂し気な表情に作業は思うように進みませんでした。