5 幽霊なんて、怖くない
――そんな翌朝です。
普通に寝不足です。
ありがとうございました。
サクヤと一緒にいると、今日みたく昼夜逆転生活になるのは良いとして。
悶々として眠れない、という状況は、あまりありがたくない。
食堂の窓から差し込む夕暮れの日差しの中で、テーブルの向こうのサクヤは、いつも通りコーヒーを飲んでいる。
眠い目をこすりながらも早い夕食を食べていると、軽く笑われた。
「子どもみたいだな」
あんたが言うなよ……と思ったが、眠いので楯突くのも面倒くさい。
もっと実になることを聞こうと、口の中のものを飲み込んだ。
「……で、目的地はどこだっけ?」
「この街から出て、しばらく北の方へ入ったところにある、泉」
さして楽しそうでもなく答えられた。
行きたいと言ったのは、この人なのだが。
まあ、これがサクヤの通常運行だ。基本的にリアクションは大きくない。
どちらかと言うと、昨日の方が様子がおかしい。
昨日のことを思い出すと、また頬が熱くなるような気がした。
目の前の澄ました顔が、あの時見上げてきた視線と被ってくらくらする。
慌てて頭の中を振り払った。
訝しげにサクヤが小首を傾げている。
「何を、変な顔してるんだ」
「変な顔で悪かったな。それより、その泉に何があるんだ?」
サクヤは、ゆっくりと、思い出しながら。
「――泉に出没する、耳が長くて髪の白い、幽霊」
低い声で、囁くように答えを返してきた。
どうでもいいけど。
こんなに可愛いのに、こんなに声が低いのは詐欺だと毎回思う。
まあ、男だから当然なのかもしれないけど。
今の違和感が大きすぎて、女になったときのあの甘い声の「これだ!」感は、一度味わうと忘れられない。
「幽霊? 幽霊が出るのか?」
「噂ではな」
会話の途中にも関わらず。
コーヒーを飲みきって満足したサクヤが、静かに立ち上がろうとした。
そのマントの裾を引く。
「……おい。オレ、まだ食ってんだけど」
不思議そうな顔をしているが、この状況で不思議に思えるあんたが不思議ちゃんだ。
普通、待つだろ。
連れが食ってんだから。
「もうちょい待ってたりとか出来ないの?」
「出来なくはない」
――いや、あんたの出来る出来ないを尋ねてるワケじゃない。
反省してくれ。座ってくれ。
どうも噛み合わない会話だが、素直に椅子に座り直してくれたので、もう、それ以上は言わないことにした。
こいつを再教育するには、適度なところで切り上げることも大切。
徹底しようとすると精神的な疲労が半端ないので。
「で。その幽霊の幽子ちゃんは、泉に行けばいつでも会えるワケ?」
「下らないこと言ってないで、早く食えよ」
――え、そういう回答?
自分のコーヒーなくなったからって、人を急かすなよ。
オレですら思い付くテーブルマナーを、何故この人は考えないのか。
自分が飯を食わないので、どうでも良くなってるのか。
まあ、ハナから人の気持ちとかあんまり考えないヤツなので、これがデフォルトと言ってもいいかもしれない。
なんてことを考えていたら。
さりげなくコーヒーのおかわり頼んでた。
運ばれてきた2杯目に早速口を付けながら、ようやく先程の質問に対するまともな返事が返ってくる。
コーヒーがあればごきげんらしい。
「もし、行けばいつでも会えるとしたら、もうそれは幽霊なんて噂にならない」
「確かにね。泉に誰かが住み着いたって話になるわな」
「じゃあ、何故、幽霊なんて言われてると思う?」
幽霊の特徴? 何だろう。
「足がない?」
「違う。それはもう、疑う余地なく幽霊だ」
「浮いてる」
「近いけど、違う」
あ、近いんだ。
そういう方向で考えると。
「……消える?」
「そういうことらしい。こう、すうっと。リドルの魔法に黄昏視というのがあるから、それを使っている可能性があると思って」
へぇ。なるほど。
噂に聞く外見と、姿が消えるという情報から、確認が必要と判断したワケだ。
それは、自分の同胞じゃないのか、と。
オレは最後の肉の1切れを飲み込むと、早速席を立った。
「よし、さっさと行こうぜ! ――って、自分がされると嫌じゃないか?」
丁度コーヒーカップに唇を付けたサクヤが、その姿勢のままでオレを見上げてきた。
恨めしそうに。
「……非常に、腹立たしい」
「分かったら二度とやらないように」
こくり、と頷くサクヤを確認してから、オレは席に座り直す。
想像できないモノは、体験させてやるしかない。
オレはあんまり、こういう目には目を的なやり方は好きじゃないんだけどなぁ。
ついでにさっきは、黙って食べろ、とまで言われたんだが。
そっちは今回は見逃しで。
一度に2つ言っても、どうせこいつには覚えられない。
サクヤさんの教育は置いておいて、話を戻すことにした。
「じゃあさ。その幽霊に会えるまでは毎日通うつもりか?」
「通う?」
小首を傾げる姿は、本当に愛らしい。
思わず抱き締めたくなるが、うっかり実行すると、異様に固いブーツの底でげしげし蹴られることになる。
嫌とかじゃなくて、ただ単に邪魔だから。
まあ、抱き締めないけどさ。
今日もこの人、男だし。
可愛いのは見た目だけ。
そんな愛らしい姿で、サクヤは乱暴な解決策を提示してくる。
「向こうで野宿すればいい」
「え、野宿?」
それは予想の斜め上だな。
「普通に歩けば一晩で行き来出来るんだから、宿で寝れば良くないか?」
「こっちで寝てる昼間の内に出たらどうするんだ」
まあ、そう言われてみたらそうか。
本物の幽霊ならいざ知らず。
リドル族なら夜しか出ないワケじゃないだろうし。
「じゃあ、オレの分の食糧とか買って行ってもいい?」
「その金は出すが、変な本の分は出さないからな」
「その話題、引っ張るのはもう止めて……」
人の金でそんなの買わないし。
そもそもこの話を蒸し返して、また明日も寝不足になるのはごめんだ。
「野宿ね。まあいいけど……」
ふと。思いついた。
そんな幽霊が出るなんて噂の場所で、寝泊まりするとなると。
「あんたは幽霊が怖いとかないの?」
「それが同胞だと確実に分かっている状態なら、幽霊なんて怖くない」
いつもの無表情のままで返答があったが。
その言葉に違和感を感じた。
あれ? 今の一文、変に噛み合わないな。
「同胞だって確実なら幽霊じゃないだろ。何言ってんだ」
突っ込むと、サクヤはぴくり、と眉を動かして、少し拗ねたようにオレを見る。
「いいか、俺はリドルの姫巫女だ」
「知ってる」
「姫巫女が幽霊を怖がると思うか?」
普通の会話なら、それは反語なんだろうけどさ。
オレの言葉にあんたが疑問文で返してくるなら。
もう、答えは1つしかない。
「……結局、怖いんじゃね?」
「その質問には答えないことにした」
ぷい、と目を逸らされた。
「いや、何で怖いの? あんた死なないし、一個体として見れば、ほぼ最強じゃん」
まあ、それを掻き消して余りある欠点もあるけど。
例えば、昼間は魔力が弱まるとか。
腕力ないとか。
後は、姫巫女の3つの誓約とか。
「死なないんじゃない。死んでも生き返るだけだ。そのときの自分の状態を考慮すると、同じ状態の奴とは会話したくないね」
それらしい理由ではあるが。
何となく、多分。
他にも理由があるんだろう、と思った。
サクヤはまだコーヒーを飲んでいるにも関わらず、もぞもぞと動くと、マントのフードを被ってしまった。
あれ、と思っている間に、フードの下からぼそりと呟きが聞こえた。
「……だから、目的地では俺の傍を離れないように」
いつもの台詞だが、今回は。
庇われるのではなく、庇う側らしい。
随分と小さな声でなされた提案に、オレは笑いながらも全面的に承諾した。