9 事情があって
ふと何かの気配で目覚めた。
あまりの変化のなさに、いつの間にかうとうとしていたらしい。
慌てて周囲を見回す。
泉の前に誰かがいる。
――サクヤか?
いや、サクヤはオレの後ろで寝ている。
――じゃあ、あの白い髪の後ろ姿は?
手探りで、背後のサクヤの頬を触った。
触れられたサクヤが後ろでもぞもぞとしている。
振り向くと、迷惑そうにオレを見る青い瞳と目が合った。
バカ、あんたが起こせっつったんだろ!
無言のまま泉を指差して示すと、さすがに寝ぼけてたサクヤも目が覚めたらしい。
オレの背中に貼り付くようにして、一緒に繁みを覗いた。
――あの、サクヤさん。
いつものことですけど、おっぱい当たってますよ。
とか言ってしまうと、虫けらを見るような視線を受けることが経験上分かってるので、何も言わないでおいた。
決して、この感触を長く楽しもうと思ったワケではない。
ええ、決して。
「生きてるな」
サクヤがオレの耳元で囁いた。
その言葉の意味を少し考えてから、頷き返す。
確かにアレは幽霊じゃなさそうだ。
「生きてるなら、捕獲だ」
「……捕獲? あれはリドル族じゃないのか?」
「同族の気配を全く感じない。後ろ姿だけでも髪の色も全然違う。事情を聞きたいが、獣人ってのは人間を極度に恐れて嫌うヤツが多い。まずは捕獲してから話を聞いた方が早い」
前半はともかく、後半はずいぶん乱暴な気がする。
何か他に方法はないのか?
そもそもあれは獣人なのか?
……と、聞こうとしたときには、サクヤは既に繁みを飛び出していた。
何でそんな手が早いんだよ、あんたは!
せめて作戦くらい立てろ。
仕方なくオレは繁みを密かに移動する。
目立つサクヤを囮に、泉の裏から不意打ちをかける作戦だ。
サクヤが無言のまま空へ跳ねるのが見えた。
泉の傍の人物が気配を感じたのか、上空を振り仰ぐ。
サクヤの姿を見付けて、驚愕で一瞬動きが固まった。
そこへ魔法が炸裂する。
「氷結槍!」
上空から降り注ぐ透明な槍は、的に当てるつもりではない。
周辺に刺して檻にしようとしたようだが――。
――泉の人物は、刺さった槍の1本を拳で砕いた。
そのまま逃走しようと踵を返したところへ、丁度オレが間に合った。
背後から勢いよく飛び掛かって、その身体を両手で掴む。
白――というか灰色の長い髪を振り乱して、腕の中の身体が暴れる。
「おい、落ち着け! オレ達は敵じゃないから!」
自分で言って、何と説得力のない言葉かと思ったけど。
腕の中の人物は一応人の話を聞いているらしい。
動きを弱めて、小さく呟いた。
「……敵じゃない?」
その声が、鼻にかかったような柔らかい声だったので。
――ふと、気付いた。
腕に当たる柔らかい感触は――。
「……女?」
「お前……どれだけ好きなんだ」
サクヤが虫けらを見るような眼でオレを見ている。
げ! そのフラグはさっき回避したはずだったのに!?
いやいや、誤解だって。
好きで抱き着いてるんじゃないってば!
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
魔法を砕いた腕力はただの人間じゃないとは感じたが。
やっぱりサクヤの推測が当たっていた。
しかも遠目に見ていた時点で、サクヤには種族まで分かっていたようだった。
「恍惚と傾注の一族だな」
「その二つ名を知っているのはぁ、獣人だけのはずなのにぃ……」
呼ばれた獣人は甘ったれた声でサクヤに擦り寄っていく。
その動きに合わせて、頭上に立ち上がる長く白い耳がゆっくりと動いた。
耳の形や髪の色はリドル族に似ていなくもない。
ただ耳の動きはゆっくりだし、長さも少し短い。髪もリドルのような輝く白銀ではないくすんだ白灰だ。
「ふーん、ロバの獣人か?」
「そうだ」
オレが尋ねるとサクヤが頷いた。
ロバ娘が鼻を鳴らす。
「人間の匂いがするのにぃ、獣人の匂いもするぅ」
くんくんと匂いをかがれて、サクヤは顔をしかめた。
どうやらロバ娘にとっては、匂いも大事な状況判断の要因らしい。それをサクヤも理解しているのだろう。
払い除けたりはしなかった。
ちなみにオレは――。
「こっちは100%人間だからぁ、触りたくないぃ」
――匂いをかぐどころか、見ただけでお払い箱でした。
獣人の匂いがすると言われたサクヤは、当初、説明をしようと唇を開いた――が、考えているうちに面倒臭くなったらしい。
結局、無言のまま魔力操作を始めると、周囲に光が満ちた。
サクヤの髪が白銀に変わり、瞳が紅に染まる。
その姿を見てロバ娘は目を見開いた。
「耳はないけどぉ、リドル族、なのぉ?」
「事情があってな」
魔力が霧散すると髪と瞳がゆっくりと元の色に戻った。
サクヤはその青い眼を静かにロバ娘向ける。
「そちらにも事情がありそうだが」
その言葉で、ふるふると震えながら上目遣いでサクヤを見上げた。
「……原初の五種――しかもリドル族に会えるなんてぇ……」
そこで感極まって、勢い良く抱き付いた。
「リドルは魔力があるんでしょお? ねぇ、私を助けてぇ!」
目を丸くしながら、サクヤはロバ娘を抱きとめた。